『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

宅のみ

2020-04-27 06:22:00 | 食物・飲物
「てめぇ、さしずめ、インテリだなッ!」
というのは
寅さんの名セリフである。

寅が最も嫌うのが
インテリなのだが、
案外『男はつらいよ』には
そのインテリが多く登場する。

第一、山田監督からして
東大出で山の手のインテリである。

なので、
大学教授やら、
裁判官志望やらのインテリが
“恋の道”はサッパリで
寅の指南を受ける。

ユングのタイポロジー(タイプ論)で
いうならば、インテリは、
さしずめ内向的思考型だが、
寅は、その真逆の外向的直感型である。

お互い、ポジとネガだから、
合わないようで、実は、
コインの裏表のようなものである(笑)。



コロナ禍にあって、
昨日は久しぶりに
ハッシーがギターレッスンに来た。

互いにマスクをして、
いつもよりソーシャル・ディスタンスを
とってのレッスンだった。

彼はナッちゃんと同じ新潟大で、
教員という身分なので、
学士以上の有識者を
インテリと定義して、
コロナ後の世界の変容についても
語り合った。

そこでも、つい、
国公立大者は
血税で学ばせてもらったんだから、
ノブレス・オブリージュが有って
公益的な提言を発しなければならない
という持論を話した。

まして、
3.11被災者でもある我われは、
コロナ禍のような現況にこそ
何をか言わねば
“税金泥棒”やら“能無し”の
誹りを甘受するよりない。

そんな厳格なことを
考えない方が
普通の感覚なのだろうが、
言える者が言わねば、
良からぬ陰謀論が蔓延り、
サイバー空間/情報圏内で
【悪貨は良貨を駆逐する】
という現象が
起こりかねないからである。

それでなくとも、
「ポスト・コロナの世界」と
名売った様々な憶測が、
ネットや紙媒体に溢れている。

これらの情報に煽られたり、
惑わされる向きも
少なくはなかろう。

なので、
「正論・反論・中庸論」
という基軸を
思考にしっかり据えて
情報を分析する必要がある。

かつて、
心理臨床学会のワークショップで、
河合先生が
文化庁長官に就任された時の
葛藤や懊悩を開陳されて
感心したことがある。

結果論で言えば、
その受諾は
高松塚古墳を巡る
文化庁の失態などで
相当な心労となって
先生のご寿命を縮められた。

文字通り、
「命懸け」の
決断だったのである。

当時、学界の会長でもあったから、
亡くなられてから
「文化庁長官を受けさえしなければ…」
という声もずいぶんあった。

でも、先生の口から
直接伺ったのは
「今、景気が停滞して沈んだ日本は、
デプレッション状態なので、
文化を通して
日本を元気にするというのも
臨床家にできる仕事ではないか、
と考えて引き受けた」
ということだった。

そして、
「不景気も鬱も、どちらも
デプレッションという…」
とも伺った。

そして、
その受諾動機どおりに、
さまざまな文化振興のために
予算をつけ、自らも先導して
芸術活動、学術活動を盛んに
行われたのは立派だった。

それは、先生ご自身が
学生時代には
京大オケに所属しており、
卒後は長らく中断していたフルートを
58歳から正式に習い始めたという
アマチュア音楽家としての
ご経験があったからである。

在京中には、7年間、
先生の市民セミナーに
参加させて頂き、
その謦咳に触れ
薫陶を受けられたからこそ、
6年間の『復興支援コンサート』を
完遂できたと思っている。

なので、
今回のコロナ禍でも、
なにかしら、
文化的な貢献もできないか、
と思いを巡らせている。

とりあえずは、
中止とならなかった
6月のレクチャー&コンサートで
「お話と演奏」で
出来るだけの事を
させて頂こうと準備している。

 淡々と
  出来るだけ淡々と
   なさしめ給へ 
    我がみ務めを

…という心境である。




いつにも増して
「家呑み」が
増えているようだ。

我が家にも
リキュール類が
いくらかあるので、
食後や寝酒に
ちょいちょいやっている。

カミさんは
ビール党なので、
もっぱら食間に済ませている。

ワインラックが
空っぽになったので、
スーパーで廉価物を
ぽちぽち買ってこようかとも
思っている。

千円台の物でも
ズラリと並んでると、
なんだか、心豊かな気分になるものだ。

そーだ!
10万支給されたら、
使うアテもなく
全部生活費に回そうと思ってたが、
そのうちの2万分くらいで、
このラックを埋めてみよう。

そしたら、きっと、
「心豊か」な
使い方になるに違いない。




三密を避けて
山や海や野に
半時で出れるから
田舎はありがたい。

【自然から遠ざかると病が近づいてくる】
は至言である。

自衛隊のメディック車が
並走していたので、
3.11の非常時の街中を
思い起こしてしまった。

そっか…。
今も非常時なんだ…
という思いを新たにした。

そしたら、
オモチャじみた
三輪車がブロロローッ!
と通り抜け、
“遊び”と“よゆう”も
大事だなぁ…とも、
改めて思わされた。




世界各国が、
コロナ禍を一過性の厄災にせず、
今後の人類の経験則にしようと、
検証の必然性というムーヴメントが
当然のように起こってきた。

そしたら、
中国が過剰に反応して、
武漢ウイルス研究所の査察は拒否し、
「中国は情報公開で
透明性を保ってきた」
と、またまた、
ウソの上塗りをして、
国際信用を益々なくしている。

欧米の首脳らが、
正直、アタマに来てるのは
否めないのだろうが、
中国がこのまま頑なな態度を
固持していたら、
最悪、連合軍と悪辣国家の
大戦ともなりかねない。

少なくも、
経済制裁やら、国交停止やら、
各国内でのチャイナパージで
人権侵害事件が起こるやもである。

そうなって、初めて、
中国国内で軍民一体の
クーデーターでも起これば、
北鮮と中共が一挙に片付いて、
アジアも世界も
これほど平和と安全になることはない。

コロナ禍では、
失業者の自殺、心中も
これから頻出する危惧もある。

自粛が元のDVで
すでに殺人事件が起きた。

「コロナ鬱」も頻出必至だろう。

そうなると、
精神科医や我われ心理屋も
忙しくなるかもである。



おとついは、
東北新幹線の仙台発「東京行き」の
乗車率が0%だったという。

自粛「要請」という
罰則を持たない「お願い」であっても、
日本人の倫理観は
正常に機能してることが判って
安心もした。

もっとも、
この時季、好き好んで、
感染拡大下にある都会に
自ら進んで行くという
無謀な行為は憚られるだろう。

3.11を体験した
太平洋側の東北人は
耐乏生活をすでに経験しているし、
フクシマ人に至っては
9年もの放射線の低線量被爆に
耐え抜いているのである。

ニュースでは
人気のない銀座や
浅草の様が映され、
原発事故で
ゴーストタウンと成り果てた
街々を思い出した。

9年経った今でも、
そんな状態の街があることを
日本全国民には、この機会に、
再認識して欲しいものである。

放射能もウイルスも
目に見えず、
いつ終わるやも判らぬ
不安を伴う脅威なのである。

各地の原発には
何億兆ものコロナウイルスが
みっしりと詰まっていると
想像してみたら
その危険性と脅威は
尋常なるざるものがあろう。






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