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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ヒメサユリの里

2022-06-06 09:18:00 | 風景
今朝方は13℃で、
日中は16℃までにしか
上がらないという。

梅雨寒のような雨降りで、
さすがに半袖短パンでは肌寒く、
ストーヴをつけている。





私的七連休の金・土と
一歩も家を出なかったので、
日曜の昨日は
郊外にできたラーメン店に
行くことを目的に外出した。

人込みを避けて
開店時間の11時に到着したが、
すでに4人ほど並んでいた。

幸いに、
駐車場が6台分なので、
それ以上は客が増えず、
店内はソーシャル・ディスタンスが
保たれていた。

ワンタンメンに
煮卵をトッピングしたものは
990円もしたので、
けっこうな値段である。

ひと口めは、
「うん」・・・と、納得する
美味しさを感じはしたが、
スープに深みがなく、
途中で食べ飽きしてしまった。

スープは
飲み干すような
旨味がなかった。

具材はどれも
立派だったが、
やはりラーメンは
麺とスープが美味しくなければ、
ツマラナイ。








土湯から眺める山々には
まだ残雪が見られた。

6月といえば
もう夏のハシリである。







ビオパークの蓮が満開となり、
大勢のカメラマンが
それそれに高級そうなカメラで
思い思いに撮影していた。












朱のグラデーションを帯びた花は
そのまま上生菓子に
模したいような
色形であった。







新緑のトンネルを
抜けると
「ヒメサユリの里」
という幟が出ていて、
誘われるままに
初めて赴いてみた。







ピンクな可憐な花で
愛らしかったが、
一帯を獣除け電線で囲い
「感電に注意!!」
とあったのは、
いささか興ざめではあった。







岳温泉から
二本松に下りて、
『万SAI堂』で
『雲盗り暫平』を
あるたけ買ってきた。

初期の方は
昭和60年頃に
書かれたものである。

それと、
『カムイ外伝』も
3冊ばかり買ってきた。

どちらの作者も
故人になったばかりである。






米沢プチ旅行

2022-05-31 05:24:00 | 風景
月の第五週目と
月初めの休みが重なり、
今日から「私的七連休」である(笑)。

もっとも、
木曜日には杉妻会館での
「SC研修会」が入ってるが・・・。

金曜日には、
ソーちゃんの『棋聖戦』の
第一局が始まる。





今朝は、
どんよりとした雨雲が垂れ込んで
梅雨のような霧雨である。

今週一週間は
ほぼ雨降りのようなので、
どうやら梅雨に入ったようである。

庭の紫陽花の花芽も
膨らみはじめている。



きのうは
ピーカンの晴れ日で、
カミさんが「土曜学級」の
代休日だったので、
先々月、ミツオ叔父さんを亡くした
ミッちゃん叔母ちゃんを誘って、
郊外にオープンした
『道の駅ふくしま』に寄ってから
米沢まで高速で出かけてきた。

オープンしたてで、
休日は駐車場も満車で
レジには長蛇の列と聞いたので、
平日の開店時間9時半に到着するよう
出向いたが、それでも、
駐車場はほぼ満車に近く、
レジもまた長打の列であった。

朝食がわりに
『ラーメンよしだ』のおばちゃんが
作ったという「おはぎ」と、
韓国料理店の春雨餃子と、
おやつに麦煎餅を買った。





米沢には、
祖母の実家である
「音羽屋」という旅館があったが、
父の従弟になる当主も亡くなり、
旅館も廃業して平地になっている。

亡き父は
その旅館に下宿して、
名門の興譲館高校と
山大工学部に
七年間通っていたので、
従弟のクニちゃんとは兄弟同様の仲で、
自分たち家族も何度も
旅館に泊まっている。

そこから
歩いて行ける近所に
上杉神社があり、
自分も幼少期には
ハトコたちと遊んでいるのだが、
きのうはさっぱりデジャヴュ感覚は
感じられなかった(笑)。

80歳になった叔母も
ちょいちょい祖母を伴って
音羽屋を訪れていたので、
上杉神社や立泉寺のことを
よく覚えていた。







祖母の叔父には
大橋乙羽(おとわ/ペンネーム)という
マイナーな文学者がいて、
ウィキペディアにも載っている。

尾崎紅葉が率いる
「硯友社」という文学結社に入り、
後に、当時、最大の出版社「博文館」に
娘婿養子となって、
樋口一葉をデビューさせたり、
尾崎紅葉らを担当した、
日本の近代文学における
編集者の先駆者とされている。

当人も、
小節『花鳥集』『若菜籠』や
紀行文集『千山万水』などを
記している。

亡き父とも血続きなので、
やはり、どこか、目元に
父に似た面影がある。

当然、自分とも血続きなので、
ブロガーの自分が
文章を編んだり、
自著を作ったりするのが好きなのも
若干の血のなせる業かもしれない(笑)。





境内は
古木や苔が美しく、
それに見とれていたら、
健脚のカミさんが
ひとり小高い処にあった墓碑から
降りてくるところだった(笑)。

古めかしい境内のたたずまいは
どこか京都らしい感じが
しないでもなかった。








上杉鷹山は、
【為せば成る】
の箴言を家訓とした
名大名だった。











戦国時代から
江戸時代前期にかけての武将・
直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、
米沢藩(主君 上杉景勝)の家老だった。

大河ドラマでも
「愛」の字を兜につけた姿で
一躍有名になった。

地元には
「かねたん」なる
マスコット・キャラクターもある(笑)。







大正元年に作られた
巨大石灯篭には
十二支のレリーフが刻まれており、
面白く鑑賞できた。








音羽屋から
歩いて数分の処に、
名物の「酒饅頭」を商う、
『岩倉』がある。

幼少期から、
よくこの饅頭を食べてたので、
なつかしく思い、
立ち寄ってみた。

齢80を過ぎる老婆が
店守りをしていたが、
潰れた音羽屋の親戚だと告げると、
一瞬、目の色が変わり、
饒舌になった。

1ケ90円の饅頭のみで、
70年以上も続いてる。







温泉マニアのカミさんが
ネットで調べ上げた
「白布温泉」まで
米沢市内から足を延ばした。

最上川の源流という
渓谷を眼下に望む
露天風呂に浴してきたが、
奥まった秘湯であったので、
他客は誰もいずノンビリできた。








寒暖差20℃

2022-04-14 05:29:00 | 風景
きのうまで
五日連続で
28℃超えの夏日が続いた。

なので、
車中や日当たりのいい二階は
30℃を超す日もあり、
当然ながら
冷房をつけるような日々だった。

そしたら、
一転して、今日は、
日中の最高気温が9℃といい、
全国の予報でも
採り上げられていた。

春先の「三寒四温」は
毎年の恒例とはいえ、
かくばかりの極端な寒暖差は
近年では珍しい。

いずれの予報官も
「体調管理には
十分お気をつけください」
とはいうものの、
さすがに20℃もの落差では
カラダも自律神経も
悲鳴をあげそうだ。

花粉症も今月末には
ピークを超すとはいえ、
未だに、アレグラを服用している。

日中は、
できるだけ花粉が入らないように
サッシを閉めているが、
きのうはさすがに
そうもいかず二階は
寝室、廊下、書斎と
網戸にして通気させた。






コロナ・マスクと
花粉症マスクを兼用でしながら、
花盛りの戸外に
春休み最後の散策に出かけた。








桃の花も咲きだし、
モモリン(雪兎)との
ツーショットが撮れる郊外にも
ロケハンに出向いた。










桜は散り始めてきて、
街路樹のある小学校前を
通ったら、道路一面が
花筏になっていて、
通過後にバックミラーを見たら
花びらが舞っていた。










マイ・サンクチュアリである
ビッキ沼に今季さいごの
フキノト・ハンティングに行ってきた。

連日の夏日で、
花からフキにまで成長していて、
「蕗の薹(フキノトウ)」は
たった2ケしか採れなかった。

このエリアでの
採集はもうお仕舞いである。








雪が溶けたら
ミズバショウの群生が
二分咲きほどになっていた。










日陰には
まだほんの少しだけ
残雪もあったが、
きのうまでの陽気で
ほとんど溶けていた。

***

先月の16日に
震度6の大余震があり、
1ケ月は要注意という
勧告があったので、
まだ油断ならない日々である。

なので、
大切な楽器やら食器は
東西南北の大揺れでも
破損しないように
セッティングに心している。

コロナ禍も
「第7波」の様相を呈しているし、
連日のロシア軍のジェノサイトにも
心痛め、プーチンの
虚言プロパガンダにも
憤懣やるかたない思いを抱いている。

それらのメンタルなストレスに
加えての、花粉症、寒暖差という
身体ストレスがあって、
生きてるのも容易じゃない(笑)。

今日から、出勤である。

元気な子どもたちから
「生命エネルギー」を
少しおすそ分けしてもらってこよう、
とも思っている(笑)。







孫のリク坊が
パパと戯れる絵に
心癒されている。

来月には早、
2歳となる。

コロナ禍のせいで、
まだ、二回しか
遭っていないが、
それでも、二度もこの腕に抱いて
その"喜び"の重みを
実感できたのは
幸せだと思っている。

平和であればこその
幸せである。



感染拡大・・・(-_-;)

2022-04-08 07:45:00 | 風景
ここの処の陽気で、
隣家の桜も
三部咲きとなり、
寝室の窓から
寝ながらにして
花見ができる(笑)。




来週は数日間は
25℃もの夏日が続く
というので、
市内の各所とも
一挙に満開になりそうだ。







ただ・・・
感染拡大が
県内・市内とも
過去最高となり、
人が密となるのは
花見といえど
避けた方がよさそうである。

さりとて、
花の時季に
うちにばかり
じっとしてるのも
ツマラナイから、
こういう時は、やはり、
野に山に出かけるべし
である。








マイ・フェイバリット・ロケーション
でもある「びっき沼」に、
今季、三たび目の
フキノト・ハンティングに
赴いてきた。

いつ来ても、
そこに変わらぬ自然があり、
しかも、自分のほか
誰もいない。

しかも、大好きな
「フキノト採り」ときては、
これ以上のリラクゼーション、
レクリエーション、リフレッシュの
「3R」はない。

きのうは、
微風に漣(さざなみ)の立つ
水面(みなも)に見入ってたら、
無粋とは思いながらも
また、ここで
ラジコン・ヨットを
浮かべたくなった。

前の前の家の
吉倉の借家時代、
大型ヨットを
数日がかりで完成させ、
子どもたちと水域に出かけては
優雅に走らせたものである。

さんざん遊びつくしたので、
ヤフオクに出したら
すぐに落札された。










フキノトは
採り放題に繁茂していた。

今までの採集地から、
やや移動した林内にも
新たなクラスターも発見して
心が躍った。

贅沢にも
開花したものには手を触れず、
これから開花しようという
蕾(つぼみ)のものだけを
二十ばかり摘んできた。

午前中に摘んで、
晩の菜に
天婦羅にしようと
冷蔵庫から出してみると、
1/3くらいは
個体自身の灰汁成分で
酸化し茶褐色になってしまい、
それらは廃棄した。

カミさんが、
いつものように
「オイシイ、おいしい」
とキレイに全部平らげた。

😋









沼とは
道路を挟んで反対側の
湿地帯には、
水芭蕉が一輪だけ
開花していた。

奥には、まだ、
残雪が見え、
花と雪の白のツーショットは
"冬の名残り"を
感じさせてくれた。





沼の飛び島には
サギが舞い降りていた。

正面から
スマホのカメラを
最大ズームにして撮ってみた。

水面に映る姿が
なんだか
"いとをかし"といった
風情があった。

こういう美しいものを多く
目に焼き付けておきたいなぁ・・・
と思うほどの
昨今のウクライナ惨禍の映像の
対局のように思えた。

夜7時のニュースを視るのが
夕食時の習わしだが、
さすがにカミさんも
「共感症になるから、
視たくない・・・」
とチャンネルを
くだらないバラエティーに
変えていた。

耳新しい事を言うので、
ネットで流行ってるのかと
ググッてみたが、
それらしきはヒットせず、
「エンパス(empath)」
というのが出てきた。

「エンパシー(empathy)
 =共感、感情移入の力」
からの造語で
「共感力、共感力の高い人」
という意味だそうだ。

メンタル・クリニックの
ドクターの記事によると、
HSPと同一視され、
うつ病を併発しやすい性質だという。









時節を先取りして、
玄関室礼を
節句飾りに改めた。

茶室の室礼も
早め早めに改めて、
その時節の到来を
心待ちにするのである。

我が家は
ダンゴ三兄弟だったので、
亡き父親が
長男フミの祝いとして
兜を買ってくれた。









2月7日から始めた
『リュート・マラソン』も
きのうでちょうど
まるまる二ケ月たった。

60日間もよく
毎日、リュートやギターを弾いて
録音・録画してきたものである。

そのモチベになったのが、
元はと言えば、
愛器の不慮の全損事故からである。

してみれば、
やっぱり
【ふたつワルイこと さてないものよ】
なのかもしれない。

もっぱら、
鑑賞的に眠ってた
4本のリュートを
フル活用して
毎日のように
古楽や現代曲を
演奏しているうちに
目覚め感、気付き感が
多々あった。

大いに勉強になった。

ここ数日は、
ウクライナ戦禍の風景に
「エンパス」になったのか・・・(笑)、
やたらレクイエムチック(鎮魂歌的)な
選曲に偏っている。

きのうも、
(さてさて・・・
きょうは、何弾くべぇかねぇ・・・)
と、脳裏に浮かぶのを
寝床ん中で待っていた(笑)。

ほしたら、
何処からともなく
『シャコンヌ』!!
というのが
内言に響き・・・
(なーるほいど・・・)
と感心した。

(ホイドは「乞食」のフグスマ弁・・・笑)

『リュート・マラソン』やってて、
ジャーマン・テオルボ
(ドイツ式バロックリュート)
持ってて、
部屋ん中にリュートの神様的存在
ヴァイスの肖像画を飾ってて、
ここまで一曲もやってなかった(笑)。

いつかはやろうとは思ってたが、
ギターとは全く調弦の違う楽器を
五線譜でなくオリジナルの
タブラチュア譜(六線のアルファベット譜)
でやるのは、「0」からのスタートで、
それこそ何週間かかるか・・・
というので腰が重かった。

大学の時の
『卒業リサイタル』('81)では、
ギターでA-Moll(イ短調)に
編曲してやった。

楽譜庫に
その譜面はまだあるが、
今回は、それより4度低い
E-Moll(ホ短調)に移調し、
さらに、ギターを
A=415Hzのバロックピッチにして
バロック・リュートっぽくしてみた。

実際のバロック・リュートでは、
低音専用のバス番外弦が
7本もあり、それを駆使して
ドスの効いた表現になるが、
ギターだと、それらを
すべてオクターヴ上でやるので
どこか重厚感に欠けるのが
「編曲もの」の哀しさである。

でも、
二か月もの『リュート・マラソン』
という集中勉強のおかけで、
40年前もの81年の演奏とは
ずいぶんと異なる
リュートらしい響きが
ギターから出せているのに
気が付いた。

『シャコンヌ』とは、
バロック期の変奏曲の一種だが、
七小節ワンセットが
14回も繰り返される。

大学時代、
この曲を初めて聴いたという
同級生で化研だった
イシダ君は
「なんだ、この曲はっ!!」
と感動して落涙した、
というエピソードがある(笑)。












海行き

2021-08-30 06:34:00 | 風景
きのうは
夏休みに心残りだった
海に行ってきた。

年寄りの常で、
早朝の5時頃には
目が覚めたので、
コーヒー/朝刊タイムを
済ませると、
さっさとブログを書いて
気が変わらぬうちに
家を出ようと思った。




お中元アイスの入ってた
保冷ボックスに
飲み物や果物を詰め込んだり、
車中を移動書斎にしようと
後部座席の床を掃除機かけたり…と、
朝っぱらからワラワラしてた。

カミさんが
まだ起き出す前に家を出たが、
なんやかやで
9時近くになってしまった。

車中では
朝食がわりのネクタリンと
プルーンを齧りながら、
パコ・デ・ルシアの
フラメンコギターを聴きながら
高速を走った。









海に着くと、
気持ちいいほどに
カラリと晴れていて、
青い海原が
ほんとにキレイだった。






海沿いは
当たり前だが、
アルティメーター(高度計)が
海抜0mを示し、
なかなか陸地では見れない値だな、
と感心したりした(笑)。












原釜海水浴場に行くと、
かならず、
津波被害に遭われた方の
慰霊碑にお参りをさせて頂く。

お盆後とあってか、
碑面の裏側まで
ピカピカに磨き上げられていて、
まるで鏡のように
海岸風景を映し出していた。

その穏やかな景色に
「四百五十八名の犠牲」という
碑文が重なっていたのに
心痛む思いがした。

去年だったか、
そばの藤棚下のベンチで、
『影を慕いて』の
慰霊演奏をさせて頂いたことがあるが、
家族連れが笑って見ていた。









松川大橋の
手摺部分が津波で
曲がるほどの
15m以上もの高さだったことを
想い返すと震えがきそうである。

眼下を眺めると
おだやかな港湾で、
ここでナッちゃんが
小学生の頃、
『親子釣り大会』に来て、
ハゼ一匹しか
釣れなかったことを
思い出した。










津波被害に遭った
港湾施設のあった処に、
『浜の駅』ができ、
開店時間から賑わっていた。

かつて、
海から離れた所にあった
『シシド』スーパーというのが
地魚が浜値で卸されており、
家族で来るたびに寄っていたが、
そこも津波で全壊し、
再建されてからは
ただの既製品店になり
ガッカリした。

なので、
まるで昔の『シシド』が
蘇ったかのような
品揃えにワクワクした。

朝ご飯として、
『ホッキ 味噌チャーハン』
『がぜうに』
『スズキ刺身』
で1.060円だった。

『孤独のグルメ』流なら
なかなかの
「五郎さんセレクション」である(笑)。








わずか数時間して
お昼ご飯には、
同じ施設内の食堂で、
『あさりご飯』
『あおさご飯』
のWご飯500円にした。