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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

魔法が使えたら・・・

2020-12-31 08:02:00 | TV・ドラマ
昨晩は
偶然にも
カミさんが視たいと言って
テレビをつけたら
『アーヤと魔女』という
ジブリものだった。

巨匠・宮崎 駿監督の
息子の吾朗氏による作品で、
『ゲド戦記』や
『山賊の娘 ローニャ』も
視ているので
確かなものだろうという
期待を抱きながら視聴した。

アニメでなく
ピクサーのようなCGで
少しばかり違和感があったが、
主人公の少女の表情変化が
段々とチコちゃんに見えてきた(笑)。





原作は、
『ハウルの動く城』と同じ
英国のダイアナ・ウィン・ジョーンズ
というので、
なるほどの魔法ファンタジーである。

作者は2011年に
76歳で没している。

児童文学ではお馴染みの
「孤児院の少女」が
かつて母親とバンドを組んでいた
魔女と魔法使いに引き取られ、
ちょっとした試練を体験した後に
望みの生活を手に入れ、
結末では母親が会いに来る、
というプロットである。

お決まりの
話す「黒猫」という
サブキャラも登場する
"鉄板"魔法少女物である(笑)。

ファンタジーにお決まりのアイテム
「魔法」とは
現代人にとって何を意味するのか。

このコロナ禍で、
誰もが「魔法」が使えたら、
立ち処に世界中の感染拡大を
収束させたいと思うに違いない。

空を飛んだり、
月面に降りたり、
小惑星から岩石を採集したり・・・と、
不可能を可能にしてきた
現代の魔法が
「科学・技術」である。

それは、
公衆衛生の領域では
天然痘を絶滅させたりもした。

しかし、
新たな敵「COVID-19」には
苦戦を強いられている。

敵もゲームの進化キャラの如く
次々と変異し、強力化し、
あたかも人類を
絶滅させんとばかり、
燎原の火のごと拡大している。

これまで、
人類によって絶滅させられてきた
幾万もの「種」があるが、
今尚、絶滅危惧種は
動植物で100万種もある
と言われている。

あたかも、それらの
高等生物の怨念を汲んでのように、
下等生物以前の原始生命体のウイルスが
「万物の霊長」なぞと嘯いている
"人間様"を死の淵に追いやってるのは
なんと皮肉めいたハナシだろうか。

生物学科の学部生時代に、
自主ゼミで「生命」の定義を
「Active maintenance of
normal and specific structure」
と知り、爾来、
生物教員時代も高校生たちに
そう教えてきた。

これは
「正常で特異的構造の積極的維持」
と訳されるが、
正常に特異的に代謝し、
自己増殖できるもの、
を意味している。

さらに、詳しく、
例を上げたら
一時間の生物授業になってしまう(笑)。

ウイルスは、
この定義に従えば、
「非生物」的存在となる。

ただし、
細胞を構成単位とせず、
自己増殖はできないが、
遺伝子を有するという、
非生物・生物両方の
ハイブリット特性を持っている。

現在、発見されてるのは
3万種にすぎないが、
未発見のものもまだまだ
あるはずである。

あえて、擬人化すれば、
彼らは、地球上に
最古のDNA生物が出現した
38億年前より以前の
RNAのみを有する原始生命体の
プロト・タイプという説がある。

現在では、
有核細胞が完成後に
遺伝要素の一部が
細胞外に飛び出した
「さまよえる遺伝子」が
ウイルスの正体だ、
という説が有力であるが…。

いずれにせよ、
ウイルスは「非細胞性生物」で、
ヒトや他の動植物とは
全く異なる「生物学的存在」なのである。

感染することで
宿主の恒常性に影響を及ぼし、
病原体としてふるまうことがある。

人類が異常増殖して、
地球中に拡大分布して、
自然を破壊する様を
80年代頃は、癌に例えられたが、
これを、ウイルスと置き換えても
今ならば、腑に落ちることだろう。

ウイルスの語源は、
「毒液」「粘液」を意味する
ラテン語の「virus」で、
古代ギリシアのヒポクラテスが
「病気を引き起こす毒」
として用いたようである。

***

『アーヤ』から
またまたコロナに脱線したが(笑)、
【現象から真実を引き出す】
というトレーニングを
サイコセラピスト(心理療法家)の
基礎訓練として若い頃から
さんざんやってきたので、
ついつい現象学的接近法で
物事を観て記述してしまう癖がある。

でも、それが、
サイコアナリスト
(心理分析家)の
使命だとも言える。

ゲシュタルト心理学に
「プレグナンツの法則」というのがあって、
人間は、あるランダムな布置をも
パターン化したものとして
知覚する傾向があるという。

ユング心理学では、
「コンステレーション」(布置)
というが、元々は
「星座」の意味であり、
星のような点がいくつか集まると
そこに「ひしゃく」や「サソリ」のような
形を見出すのである。

これに、
シンクロニシティ(共時性)
の原理を重ね合わせて、
現在の「現象」「症状」には
どんな意味があるのか…
という事を探っていくのが、
分析心理学の向社会的な
存在価値でもある。

それは、
答えのついてない問題集の
正解を探し当てて、
確信を得る、得心を得る、
という心的作業でもある。

***

またまた
『アーヤ』の話から
脱線した(笑)。

こういう脱線手法は、
ユンギャン(ユング派)では、
周回(circumambulation)や
拡充法(amplification)、
自由連想(free asotiation)
ともいう。

あたかも、
京都にあるような
池泉回遊式庭園を
グルグル周回しながら、
いろいろと思いを致し、
「考察点(思考素材/アイディア)」を
一つずつ増やしていって、
そのマッピングから
何がしかの「星座」のような
形が浮かび上がってこないか・・・
というのを待っているのである(笑)。

***

『アーヤと魔法』ねぇ・・・(笑)。

なんだか、
オシリ痛がジワジワきたので、
もう、どーでも、いーや(笑)。

大晦日なんで、
今日は、一年の締めくくりに、
じっくり、取り組もうっと・・・(笑)。

まずは、
飯、めし・・・っと(笑)。


+++++++++


(昼食休憩)れす!

 (˙◊˙)ゞ





こんなフレンチを食べた・・・

(漱石の『夢十夜』風に・・・笑)

毎年、大晦日は
朝一の開店時に、
カミさんと年越しと正月の
買い出し隊に出かけるのを
恒例行事としている。

今年は、
だーれも帰省しないので、
二人っきりの
寂しい正月である。

なので、
買い物量も
例年の半分くらいだった。

ランチ用素材には、
170円のタイ産合鴨を
買ってきた。

カミさんのも
作ってあげようとしたら、
要らないという(笑)。

お肉も、フレンチも
あまり好きでないので(笑)、
振舞われるのも
メーワクのようである(笑)。

ひとりで、
もくもくスコーンを食べていた。

一度も使ったことのない
花柄の大皿を引っ張り出したら、
カミさんの大学卒業記念で
もらったものだという。

こういった絵柄のプレートは
フレンチでは
実に使いにくい。

なので、
絵を殺さないように、
塩胡椒ソテーしたカナール(鴨)と
甘酢煮サルシフィ(ごぼう)を
シンプルにセルクル(丸型)で
ドレッセし、
レモンオリーヴ油をかけ回した。

・・・思えば、
今年もようも
"ぼっちフレンチ"を創っては
撮影&アップしたもんである。

今年だけのファイル内の
画像をカウントしてみたら、
なんと78品もあった。

一年の1/4弱も
フレンチ創っていた計算である。

ちゃんと、
お勤めにも週4で出てるので、
オフ日には
ほとんどフレンチ創りしてる
ことになる。

病膏肓に入る…
だなぁ・・・(笑)。

ま、いっか。

老い先、短いことだし・・・(笑)。

楽しんで創れて、
美味しく食べれたら、
もんくないもんねぇ・・・。

カミさんなんか、
飽きあきして、
"ネコまたぎ"で
喜びもしやせんわい(笑)。

 ᕦ(ò_óˇ)/゛




買い物帰りに、
またまた、
ツタヤの外盤コーナーで
ワンコイン物を買ってきた。

今日は、
『フレスコバルディ・レガシー』
という珍品ピアノ曲で、
現代の作曲家たちによる
フレスコバルディへの
オマージュ作品集である。

ジローラモ・フレスコバルディ
(Girolamo Frescobaldi, 1583-1643)
は、イタリアの初期バロック音楽の作曲家。

声楽曲と鍵盤楽曲に
佳作が多い。

自分のレパートリーにも
『アリアと変奏』という
ギター独奏曲がある。

カミさんも、ついでに、
大バッハの長男・
ヴィルヘルム・フリーデマンの
トラベルソ・ソナタを
貯まってたTポイントを使って
160円で買ってきた(笑)。

帰りの車中で聴きながら
「いい曲だねぇ・・・」
と、感心していた。

CDなので
新品同様の劣化してない音源で、
160円というのは
いくらなんでも安すぎである(笑)。







全巻揃えている
美術漫画の傑作
『ギャラリーフェイク』の
最新刊が平積みになってたので
買ってきた。

これから、
午睡前にゴロ寝しながら
たのしく読むとしよう(笑)。





雪明かり

2020-12-20 06:49:00 | TV・ドラマ
風邪のせいか、
ここ数日、夜の9時頃には
眠気を催し、
カラダの欲求に抗わず
そのまま就眠するようにしている。





なので、
毎朝、4時前後に目覚め、
まだ真っ暗な中を
起き上がって
台所でコーヒーを淹れている。






幸いにして、
臭覚も味覚も正常で、
発熱もないので、
コロナってる危惧はなく、
馴染みの上気道炎のような
症状なので
耳鼻科で処方されたクスリを
きちんと服用し、安静、保温、
熟眠、補液、栄養と
自宅療養に努めている。

なので、
今ばかりは
糖質制限食餌療法は
棚上げして、
久しぶりにパン類を
ムシャムシャやっている。





金曜・土曜と
まったく外出せずにいたので、
今日あたりはレンタル本を
返しがてら、また、
何冊か借りに行ってこようかと
思っている。

近所のツタヤなら
歩いても5分もかからないが、
いちおう安静の身なので、
車で行ってこようと思う。

ただし、
この寒中で、
車内も乗り始めは
0℃になっているので、
よほどの防寒着でないと
その寒気でまた風邪が
悪化してしまいそうである。

フロントガラスも
氷結しており、
ヤカンで熱湯をかけなきゃ
ワイパーどころじゃなさそうだ。




病休中に、
ルネッサンス期の
イタリアを描いた
『チェーザレ』11巻を読んでたので、
なんだか、同じ時代背景のものを
続いて読んでみたくなり、
漫画書庫にあった
『アルテ』を再読している。

貴族の娘として
楽器の嗜みも教養として必要、
というので
リュートも描かれていた。

まだ未読の
『七人のシェークスピア』も
中世イギリスを舞台にして
面白そうなので
借りてきてみようかと思う。






きのうは、
午前中だけ
カウンセリングを自宅でやったが、
クリコンで使えなかった
頂き物のクリスマス柄の
マスクをした。

仕事をしたら、
すこし元気が出てきて、
昼食後、調子にのって
階下でピアノの練習をしてみたら、
途中で具合が悪くなり、
まだまだ、「病み」の中と悟った。

すっかり、
冬休みとばかり思ってたが、
それも風邪による
現実検討識低下による誤認で、
明日、もう一日だけ
k中最後の勤務があった。

そういや、
週初めの月曜日の出勤時に、
二度も行先を勘違いしたんだっけ、
と思い出した。

それも、
今にして思えば、
風邪の引き始めで、
すでに、検討識が
低下していたのかもしれない。

その後、
軽い耳鳴り、軽いメマイ、
軽いムカつきがあって、
喉がドーンと痛くなり、
胸の圧迫感と全身倦怠感が発症した。

明日の朝も、
状態によっては、
出勤できるかどうかの
セルフ・ジャッジを要するかもしれない。

今日も、
出来得る限り
安静療法に努めてようっと。






レコーダーに
『ポワロ』がずいぶん溜まったので、
朝刊を見ながらBGMのように
ながしてダラダラ視ている。

かつて、
全作品をレンタルで
一度観ているので、
どれも二度目なのだが、
もうほとんど筋やトリックを
忘れてるので、新作のような
感じである(笑)。




秀作鑑賞

2020-12-10 07:17:00 | TV・ドラマ
きのうは
ちびっと尻痛が
もどってきたが、
知らんプイして、
(痛くない、イタクない…)
と、自己暗示をかけた(笑)。

今朝方、
まだ星の輝く頃、
ゴミ出しに玄関を出ると
キュッと身が引き締まるような
底冷えのする寒さだった。

これじゃ、
神経痛持ちには
たまんないだろうなぁ・・・と、
恨めしくなるような
冬の到来を肌身で感じた。






きのう、
T中に着くと、
グランドの真上に
青空が拡がり
針葉樹とのコントラストが
美しく目に映った。








珍しく、
『コロンボ』を
放送のリアルタイムで視てみた。

もう、幾度も観ている
『さらば提督』だったが、
これまでカットされていた
未放送シーンがいくつかあって、
その部分は新鮮に視れた。

『コロンボ』は、
筋も見所も
解り過ぎてるほどであるが、
それでも味わい深いのは、
やはりこの作品が
秀作・名作の
『古典』なのだろう。

それは、
何度聞いても飽きない
落語や古典音楽と同じ
芸術作品だという
証しである。




連ドラの『おちょやん』が
道頓堀編になって、
その猥雑感が
活気があって
イイ感じである。

ネイティヴによる
大阪弁も耳に懐かしく
心地よい。

ドラマの"喰い付き"としては
なかなかに
引っ張られるものがある。



音楽家

2020-11-27 07:05:00 | TV・ドラマ
連ドラ『エール』が
終わった。

けっこう連ドラを
見てきた方だが、
『エール』は
いろんな部分で
これまでとは違った
演出がされていて、
そこも興味深かった。

それと、
地元の名士・
古関裕而の生き様が
俯瞰できたのもよかった。

6回実施した
『復興支援リサイタル』の中で、
一度だけ、音楽堂に隣接する
古関裕而「記念館」を尋ねて、
その代表曲である
『長崎の鐘』をプログラムに
採り上げようか
企画したことがあった。

結局は、
古賀政男の『影を慕いて』との
両天秤で『エール』の木枯に
軍配が上がった(笑)。





最終回には、
志村けんが演じた
山田耕筰がモデルと思われる
小山田から、
死去の三日前に書かれた手紙が
裕一に届けらるが、
その手紙が、なかなかに良かった。

彼が裕一の才能に嫉妬しながらも
一方ではその曲を愛していたこと、
自分のエゴで
クラシック音楽の作曲家としての
裕一の才能を奪ったことを
謝罪すると共に
和解を求めたものだった。

現実にコロナ死した
志村とドラマがカブッて
なかなかに真実味が感じられた。












長らく、
米離れしているベント箱だが、
きのうは、ローストビーフを
まんまやるのは味気なく思い、
はじめて食パンを一枚いれて
サンドイッチとした。

糖質制限食餌療法をやってると、
たまに食べる炭水化物が
以前よりも味濃く
美味しく感じるという
効用もある(笑)。

きのう、今日と、
揺り戻しのように、
オシリ痛が少し
ぶり返してきて…
気温がグッと下がってきたのも
影響してるのかもしれない。

神経痛は
お風呂に入ると
痛みがなくなるので、
いよいよオシリに
ホッカイロが必要になってくる
かもである(笑)。

自殺増加

2020-11-25 06:02:00 | TV・ドラマ
今朝のNHKニュースで、
「子どもの自殺増加」を
報道していた。

このコロナ禍中の
4-10月までに、
小中高生が
246人も既遂しており、
例年の30%増だという。

防止対策として
専門家が奨めるには、
Tell(伝える)
Ask(尋ねる)
Listen(聴く)
Keep safe(安全確保)
の「TALK」が肝要だという。

我われSCも
日常の臨床で、
「死にたい」という
生徒たちの生声を
毎日のように聴いている。

自傷や未遂で
留まってくれてはいるが、
片時も油断できない
緊張感を常に強いられており、
それに耐えうるだけの
自我強度(Ego strength)がないと
カウンセラーは務まらない。

それには、
自己分析・教育分析によって
徹底してタナトス(死への欲動)や
コレクティヴ・シャドウ(普遍的影)と
対峙せねばならないのだが、
これを全くやっていない
カウンセラーがほとんどである。

「自分の頭のハエを追っ払えないのに、
他人の頭のハエを追っ払えるはずもない」
のである。

解剖体験もせずに
ひと様の腹を開けて
出来ませんでは、
最初っから開けるな…
と言いたい。

カウンセラーも
生身の人間で、
家庭持ちだったり
自分可愛さもあるので、
「生死」の問題になると、
どうしても「学識」だけでは
踏み込みが甘くなったり、
自己防衛で逃げたくなるのである。

その時、
真に深い苦しみを
体験しているクライエントは
それが見え透いてしまって、
カウンセラーに落胆し、
腹も立ち、見捨ててしまうのである。

専門家が
素人でも言えるような
当たり障りのない助言に堕したら、
もうオワリである。

*

いっ時の心理ブームで
どの大学院も人気が高いが、
今どきの院生をよくよく見てみると
自己分析どころか
全く本を読んでいないので、
それで人間理解ができる筈もない。

また、実習では、
教科書のマニュアルや理論に
クライエントを
当てはめようとする、
最もやってはいけないことを
しかも治療者側からの
「上から目線」でやっている。

こんなんでは、
いくら資格を取ったとしても、
現場では使い物にならないのは
目に見えている。

少子化や低学力化で、
誰でも院に入れる時代になり、
水にインクを一滴たらしたように
薄ーいまんまで心理屋になられたら
なんだか空恐ろしい気がする。






スーパーで
珍しい「トロ手羽」というのが
あったので、買ってきた。

昨今、
脂の多い食材に
何でも「トロ」を
接頭語に使うのは感心しないが、
事実、ここにも釣られた客がいる(笑)。

いくらか
テクスチュア(噛み心地)が
違うくらいで、
味はまんまの鶏だった(笑)。

庭の一角にある
ハーブガーデンから
スペアミントを一枝摘んで
合わせてみたら
なかなかフレンチっぽくなった。

ブックオフの古物コーナーで
5枚490円の『ノリタケ』の
ピンク小皿があったので、
同色の大皿に合わせてみたら
なかなかエレガントな
フレームになってくれた。








祝日に会食会と
勉強会に訪れた
美熟女弟子たちから
それぞれにお菓子を頂き、
「おやつ」にやったら
無性にエスプレッソが欲しくなり
近所のエクセルシオールまで
飲みに出かけた。

隣接するツタヤでもらった
「50円割引券」がゴッソリあるので、
イタリア人ぶって
小粋にキュイとやって
帰ってきた。








毎週木曜日は
『刑事コロンボ』があり、
すでに、何十回となく
視聴しているのだが、
ついつい録画して観てしまう。

『ハッサンサラーの逆襲』も
秀作の一つだが、
初めて放映された
中学生の頃に見た時は、
結末のどんでん返しに
アッと言ったものである。

ピーター・フォークの演技が
実に上手くって、
その部分は何度見ても
感心してしまう。

サラー役は、
後の『名探偵モンク』の
セラピスト役になる
ヘクター・エリゾントである。