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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

猛暑続き

2020-08-07 05:32:00 | 映画
連日、35℃超えの
猛暑日が続いている。

夜も25℃越えの
熱帯夜続きで、
寝苦しいことこの上ない。

もっとも、
就寝中もほとんど
弱冷房にしてはいるが…。

この猛暑で、
スーパーに夕餉の買い出しに行くと、
日中よりも早朝の方が
駐車場が混んでいる。

誰もが、
真昼のうだるような暑さの中には
出て行きたくない…
というのが人情だろう。

自分も、
熱中症体質なので、必ずや、
ネック・クーラーを巻いて出るが、
炎天下の車に乗る時の
激烈な炎暑には
クラクラッときてしまう。




昨日の
ガブリエル・ビアンコの
演奏を聴いて、
久しぶりに、クラシックギターの
CDを何枚か聴いている。

来福時のコンサートで、
拙いながらも通訳のお手伝いを
させて頂いた
ポーランドのエドベシュさんの
全曲『ショパン』のアルバムは
ピアノで聴くよりも
軽やかでいい。

エドさんからは、
帰国されてからも、
新譜CDがリリースされた時には、
「過日は有難うございました」
という、
日本人みたいな丁寧なご挨拶と共に
音源の添付ファイルを
届けてくだすった。

とても、紳士的で
義理堅いお人柄が偲ばれた。

昨日のブランコは、
さすがに、フランス人らしく
赤茶のプレーントゥを履き
洒落者の感じをさりげなく
演出していた。

アップで観た
現代の名器スモールマンの
サイド(側板)は、
見事な“雲竜”のハカランダで、
現在では枯渇して
かなり以前から伐採も輸入も
禁止になっている貴重用材である。

名ギタリストの柴田杏里さんが、
来福された時に、打ち上げの席で
ワンポイント・レッスンをして頂き、
柴田さんのスモールマンをも
試奏させて頂いたが、
さすがに、いい音色がした。

もう、20年も前だったが、
当時で、200万くらいだったが、
今なら、1.5倍くらいに
なっているやもである。

もっとも、
ギターはヴァイオリンや
ピアノに比較したら、
ウン千万というものは
ほとんどない。

唯一、現存する
ストラディバリウスの
バロックギターは
さすがに、歴史的価値として
億はするかもしれないが…。





またしても、
イーストウッド主演・監督の
作品『ベイルライダー』

題名の意味が解らなかったが、
劇中に、牧師として登場する
イーストウッドに対して
悪党が「青白い顔で…」と
悪態つくシーンがあったので、
それで馬に乗ってるから
「ライダー」かしらんと思った。

ところが、
ウィキってみたら、
「Pale Rider」とは、
『ヨハネの黙示録』に出てくる
死を司る第四の騎士のこと、
とあった。

なるほど。
その意味であれば、
物語に沿っている。

字幕で「牧師さん」というのを
「preacher」と言っていたが、
調べてみたら、
「福音を説く者/説教師/
伝道者/牧師」とあった。

なんだか、名作の
『シェーン』にも似ていて、
最後のシーンでは、
悪党たちを倒し、山脈をバックに
忽然と去っていく牧師に向かって
ヒロインが叫ぶところでは、
思わず
「シェーン! カンバック!」
と言うのではとさえ
思もうほどだった(笑)。

そういう別バージョンの
エンディングがあったら、
ズッコケてしまって
さぞかし笑えるコントになりそうだ。

15歳の美少女が
オッサン牧師に
「愛してる。結婚したい」
と逆プロポーズするシーンには、
オヤジ“押し”の子が
ここにも居たか…と、
なんだか、ちっと嬉しかった(笑)。




先日、
「書」の手習いをしていて、
ふと…、
「あれ?
『祝』と『呪』と
正反対の字に、
どちらも『兄』が入ってる」
ということに気付いて、
気になって『兄』の語源を
漢和辞典で調べてみた。

暇な夏休みならではの
「教養」にもなる
「今日用」となった(笑)。

辞典に拠れば、
「兄」は≪会意文字≫で、
「口」は頭蓋骨を
下の形は「人」の崩し字だという。

「固まって強くなったもの」から
「小児が兄弟に生長したもの」
となったらしい。

「祝」の「示す偏」は
元々「神」の意味らしい。

そして、この「兄」の部分は、
人である「巫祝(みこ)/巫女」が
ひざまずいてる形を
現わしているという。

すなわち、
神の前に跪いて
神に感謝申し上げる
「祝詞(のりと)」を
奏上している姿が
「祝」の字義となる。

「呪」」の「兄」も
同様の巫女の姿で、
主にこちらは、
「人の世に禍(わざわい)が
降りるのを祈る」
つまり
「のろう/まじないをする」
ということのようだ。

元々は「祝」の省略体であり、
「祝」にも「のろう」という
意味があるそうだ。

へぇ~! ってなもんだぁ~(笑)。

ちなみに、
「神」の「申」は、
稲妻の形から出来たもので、
転じて、「雷神/天の神」
という意味になったという。

ヘェ~(・Θ・)



先日、養老先生の
ラジオ番組を聴いていて
「現代にも呪詛が生きてるんです。
それが、証拠に、
ネットで誹謗されて、
自殺する人がいたり、
“いじめ”で「死ね!」と言われて
死んでしまう子がいるわけでしょ…」
という指摘には、
納得してしまった。

言葉は、
人を活かしもするが、
殺しもする…
ということを、
それを扱うプロの
カウンセラーとして
再認識させられた。

サイコセラピストは
「活人語」という
スキルを身につけていないと
いけないんだなぁ…。

(;;、)ヾ(^^ ) ヨシヨシ






頭上の敵機

2020-07-31 07:34:00 | 映画



ナッちゃんが帰省して、
借りてた椅子と机を
返さねばならなかったので、
同んなじものを買っといでと
それにかかった分を渡した。




椅子とライトは
色違いの同じものだったが、
昇降式机でなく
ラウンド・テーブルを
買ってきた。

ここに、
長めの天板を
別にセットするようだ。

このタイプの
キャンピング・チェアは
布でそっくりお尻を包んでくれるせいか
1時間ほど書の稽古をしても
痛くならないから、
いっそ、PC用にも、もう1ケ
あつらえようかとも思った。





BSで『頭上の敵機』をやったので
録画して観てみた。

過去、二度は見ているのだが、
すっかり、内容を忘れていて、
今回、じっくりと視たら、
はぁ・・・こういう映画だったんだぁ‥・、
と新鮮な感じで観れた。

これまで、
ただ「見て」ただけで、
積極的にコミットするように
「観て」なかったことを
痛感した。

同じ「みる」でも、
視聴の「視る」は、
「被災地を視る」のように、
視察する時に使い分けるようだ。



若き日の
グレゴリー・ペックは
どこか加山雄三の面立ちにも似ていた。

WWⅡ終戦後、
わずか4年して作られた
1949年の映画なので、
すべて実機と
ガンカメラの実写が
用いられているのが貴重であった。

モノクロであることが、
すこしも気にならないほどの
秀作であった。




先日の大雨で、
山形のスイカが
大打撃を受けたと聞いて、
毎年、尾花沢にある
カミさんの親戚から
送られてくるスイカもやられたか・・・と、
思っていたら、ちゃんと届いて驚いた。

毎年、特大の「大玉」が
送られてくるので、
うっかり、持ち上げたら
ギックリ腰になりかねない。

きのうは、
慎重に運んで、
脱衣所の体重計にのせて
計ってみたら、
キッチリ10㎏あった。

米袋なみに
重いはずである(笑)。

なので、
まな板で切り分けるのも
ひと苦労で、毎年の事、
キレイに均等に
半分にできたことがない(笑)。

天候不順ながらも、
さすがに名産地のものは
しっかりと甘味があった。

なにせ、大玉なので、
家族三人でも、
一週間は食べられそうだ。






(無題)

2020-07-27 07:05:00 | 映画
きのうは、
珍しく、午前のカウンセリングと
午後からのギターレッスンが
シンドかった。

どーも、
カゼひいたみたいだ。

ノドが痛いし、
カラダも痛い。

その程度なら、
熱もないので、
セルフ・メディケーションで
トローチ舐めなめ、
イブプロフェンを
呑んでやり過ごしている。

それと、
おとなしく
寝養生するっきゃない。

ふだんから、
ゴロゴロしてるから、
ふだんと変わりなく
過ごせばいいわけである(笑)。




録りためた映画を
消化するように観ているが、
『キリング・フィールド』は、
カンボジア内戦での
クメールルージュの残虐性を描いて
ショッキングな内容だったが、
ヒューマニスティックなエンディングに
いささか救われた。

視聴後に、ウィキってみて、
ポルポト派の解体までを
ざっと目を通してみたが、
2.5hの映画に忠実に描かれていた。

人間の残虐性を
あらためて思わされた。

近現代史にも、
このような非人間的な
振る舞いを行うヒトという種は、
未だに“野蛮”の入口に
在るのかもしれない。

現代では、
無人兵器も続々と開発され、
ゲーム感覚で殺戮が行われてもいる。

文明は進歩しても、
精神文化の進歩は、
まだまだ
それに追いついていないのかもしれない。



『SWAT』は、
ドガチャカ・バンバンの
爽快カタルシス物として観た。




着道楽の教科書でもある
『王様の仕立て屋』の
最新刊が届いたので
楽しく読んだ。

フルコーデの際には
気を配っている
カフリンクスとドレスウォッチの
コーデについて書かれていて
我が意を得たりとも思った。

「更に通な人」
「最高のオシャレ」
というのに、
さもありなん、
と思うようだった。

職場でも、
審美眼の上級者はいらして、
「袖口のコーディネートが、
素敵ですね」
と仰って下さることもあるので、
そういう時は
演奏を誉められたように
嬉しいものである。

感心のない人は、
目の前でボロのTシャツ来てても、
スリーピースでいても、
全く興味を示さないから、
視(め)-てないのだろう(笑)。




今回は、
タイの結び方に
沢山のヴァリエーションがあることを
初めて知って、驚いた。

もっとも、
外国のように
パーティーのような機会が
まったくないから、
縁はなさそうである。

まさか、華やかで
ドレッシーなノット(結び方)を
職場にしていくわけにもいくまい(笑)。



(無題)

2020-07-26 06:33:00 | 映画
夏休みも
丸々一週間が過ぎて、
相も変わらずの
駄々羅暮らしである。

ブルーレイ・レコーダーが
2台あるので、
目ぼしい映画を
手当たり次第に録画して
HDDに保存している。

手持ち無沙汰な時や、
単純作業の家事をこなすときなぞに
BGM的に映画を流すこともある。

そんなんで、
年に100本くらいの映画を
もっぱら録画頼りで観ている。

以前は、
フォーラム会員になって、
マメにマイナー系作品も観ていたが、
出かけるのが億劫なのと
毎回千円かかるのが玉に傷で、
よほどの注目作品や
食指の動いたもの以外は、
旬が外れて放映されるのを待つのが
日常になってきた。

歳ぃとったせいか、
今すぐにでも観たいという
衝動もなくなってきたのは
幸いかもしれない。

もし、先々に、
観れなかったとすれば、
それは自分に縁のなかったもの、
と思えるようになったのだ。

“待てる”“諦めれる”
というのが、
近頃、身に付いた
【老人力】かもしれない(笑)。




“地上波初!”という
『ジュラシックワールド/炎の王国』
なるものを、あまり期待もせず
眺めるように観た。

どーせ・・・
という思いがないでもなかったが、
案の定、二番煎じを
見せられているような気分だった。

もう、このような現象を
何十年前から
「ハリウッドの末期症状」と
揶揄されていた。

真贋を見極める慧眼の
談志家元は
「怖がらせて、安心させる」
という陳腐なパターンを
唾棄していた。

そこには、
“味わい深さ”
というものが皆無なのである。

今や、CGや3Dで
驚くような映像が
如何様にも造れる時代となった。

それに胡坐をかいて、
ハッタリ画像・画面のラッシュで
食傷気味になってることを
映画製作者は未だに
気が付かないのか…。

それとも、
気付いていて、
この刺激が切れると不安でしょ…
とばかり、ヤクの売人みたいな
確信犯で駄作を垂れ流しているのか…。

そうも勘繰りたくなる。

たしかに、
『ジュラシックパーク』の
第一作を観た時には
感動した。

なので、
その時の印象は強い。

京都の寺町京極にある劇場で
封切りの初日に、
長蛇の列に並び、
やっと座れたのが、
スクリーン真ん前の
最前列中央だった。

そのおかげでか、
初っ端のシーンから
度肝を抜かれるような
大画面と大音声で
迫力倍増だった。

90年のことだから、
今ほどにCGが隆盛ではなかったので、
そのリアルな恐竜像には、
当時・生物の教師として、
古生物学にも興味があったので
大興奮したものである。

思わず、
翌日の特進クラスでの授業で、
生物室のディスプレイ用に購入した
高価な恐竜模型類を紙袋に詰め込んで、
前日の映画の様子を
まるでジュラ紀にタイムトリップして
観てきたように講釈した(笑)。



『溺れるナイフ』という
キャッチーなタイトルと、
初恋物という番組チェックで
録画してみたが、
あんがいに面白かった。

主人公の男女とも
知らない役者だったので、
変な先入観がなく素直に観れたのが
よかったのかもしれない。

視聴後にウィキってみたら、
なんでも少女漫画原作だというので、
アマゾンで映画レヴューを見たら、
原作ファンには散々の酷評だった。

原作なぞ知らずに
初心(うぶ)な気持ちで鑑賞したら、
A boy meeta a girl.
A girl meeta a boy.
の典型として描かれていて
好感が持てた。

原作ファンには、
全17巻の作品を
2時間の物語に収斂させるには
無理があるので、
ディテールや人情の機微が
描き切れていなくて不満だ
というのが多かった。

さもありなん、である。

でも、独立した作品としては、
甘々だが、あんがいワルクはない。

40年あまり
教師と心理師として、
思春期の子どもたちの
“こころの揺れ”を
観てきた人間にとっては、
思春期の蹉跌と
“たましいの再生”を
象徴的に描いていたように思う。

菅田(スダ)某という
金髪の男優ファンには
MV(music video)で酔えた
というレヴューもあった。

そういう、“押し目線”での
鑑賞もあるのだろう。

驚いたのは、
スレンダー美少女のヒロインの
引き立て役として
ポッチャリ系で
野暮っちい存在として
上白石萌音ちゃんが
キャスティングされていた。

彼女の演技は初めて見たが、
『100分で名著』では、
過日、その見事な朗読を耳にし、
橋爪 功、市原 悦子に次ぐ、
日本の三大「名朗読者」と
太鼓判を押したいほどだった。




今朝の朝刊で、
ソータが竜王戦で
丸山九段に敗れたことが
ひっそりと報道されていて
驚いた。

アベマ中継があったかどうか
定かではないが、
あったとすれば
見逃したのかもしれない。

今年こそ、
四度目の挑戦で
豊島竜王とタイトル戦に
望めるか…
そして、四冠も有り得るか・・・
という期待は、
あまりにも大き過ぎたようだ。



毎週、日曜に観戦している
NHK杯の絵柄が
コロナ禍の対策で
ガラリと変わってしまった。

畳の和室から
椅子席になり、
間にアクリル板が二枚も
吊るされてるので、
あたかも、面会室の
接見でもしているような雰囲気で
ぞっとしない。

してみれば、
タイトル戦の
和室・袴・七寸盤という
道具立てが、いかに、
伝統芸の情趣を醸し出しているか
ということを再認識させられた。




夏休みに入り、
コロナ自粛中にやってた
スクワットを再開し
継続している。

同時に、
臨時書室を設えてから、
毎日、夕食後に、
一時間の手習い稽古をも
続けている。

最近、ちょっとばかり、
単調モードになり
飽き始めたので(笑)、
ダイソーで面相筆を5本買ってきて、
日本画用の岩絵の具で
朱、碧、藍、山吹、茶の
“カラー書道”で
目先を変えている。

手本は、
小1から小6までの
常用漢字表である(笑)。



ハートブレイク・リッジ

2020-06-17 05:05:00 | 映画
ゆんべは、
久しぶりに
深夜まで録画した
古い映画を観た。

86年のイーストウッド主演で
グレナダ侵攻をテーマにした
『ハートブレイク・リッジ』
(Heartbreak Ridge)である。

Ridgeは、
イモトの登山シリーズでは
「ナイフ・リッジ」として
「ナイフのような尾根」を指したので、
細長い隆起部を意味する。

死者も出し、
心の張り裂けそうな
激戦の丘…というタイトルである。



34年も前の作品だが、
イーストウッドは渋く、
鬼軍曹の役で、
だらしなく甘ちゃんの
若者たちをいっぱしの海兵隊に
鍛えぬいていく話は解かり易く、
カタルシス感もあった。



パソコンが支給されない2校では、
未だに、原始的な
万年筆による記録簿をしている。

重症の小児喘息で、
小5までをほとんど
病院や家で過ごしていたので、
字の下手さが
長年のコンプレックスになっていた。

だので、
ワープロが出た時には、
ほんとにラッキーと思い、
Win95でPCに切り替えるまで
専用機を何台となく買い替えた。

執務記録を手書きでやるようになり、
久しぶりに万年筆を新調したが、
同時に、あまりの字の下手さに
辟易したので、
本格的に「美文字」の研究を始めた。

やはり、中国の古典が
「美文字」の聖典であって、
それを硬筆に転用したのが
現代の「ペン字」のようである。

今は、YouTubeで
いくらもサイトがあり、
とっかえひっかえ
常用漢字の「美しい整え方」を
見たり、書いたりしながら
“六十の手習い”を楽しんでいる。




毎日、まめに接骨院通いして
オシリの治療に励んでいる。

最近は、
電気療法している間、
YouTubeで
『稲川淳二の怪談』を
よく聞いている。

独特の語り口や
オノマトペが面白く、
怪談としては
さっぱり怖くないのだが、
「聴き物」としては
退屈しのぎにちょうどよい。