夏休みも
丸々一週間が過ぎて、
相も変わらずの
駄々羅暮らしである。
ブルーレイ・レコーダーが
2台あるので、
目ぼしい映画を
手当たり次第に録画して
HDDに保存している。
手持ち無沙汰な時や、
単純作業の家事をこなすときなぞに
BGM的に映画を流すこともある。
そんなんで、
年に100本くらいの映画を
もっぱら録画頼りで観ている。
以前は、
フォーラム会員になって、
マメにマイナー系作品も観ていたが、
出かけるのが億劫なのと
毎回千円かかるのが玉に傷で、
よほどの注目作品や
食指の動いたもの以外は、
旬が外れて放映されるのを待つのが
日常になってきた。
歳ぃとったせいか、
今すぐにでも観たいという
衝動もなくなってきたのは
幸いかもしれない。
もし、先々に、
観れなかったとすれば、
それは自分に縁のなかったもの、
と思えるようになったのだ。
“待てる”“諦めれる”
というのが、
近頃、身に付いた
【老人力】かもしれない(笑)。
“地上波初!”という
『ジュラシックワールド/炎の王国』
なるものを、あまり期待もせず
眺めるように観た。
どーせ・・・
という思いがないでもなかったが、
案の定、二番煎じを
見せられているような気分だった。
もう、このような現象を
何十年前から
「ハリウッドの末期症状」と
揶揄されていた。
真贋を見極める慧眼の
談志家元は
「怖がらせて、安心させる」
という陳腐なパターンを
唾棄していた。
そこには、
“味わい深さ”
というものが皆無なのである。
今や、CGや3Dで
驚くような映像が
如何様にも造れる時代となった。
それに胡坐をかいて、
ハッタリ画像・画面のラッシュで
食傷気味になってることを
映画製作者は未だに
気が付かないのか…。
それとも、
気付いていて、
この刺激が切れると不安でしょ…
とばかり、ヤクの売人みたいな
確信犯で駄作を垂れ流しているのか…。
そうも勘繰りたくなる。
たしかに、
『ジュラシックパーク』の
第一作を観た時には
感動した。
なので、
その時の印象は強い。
京都の寺町京極にある劇場で
封切りの初日に、
長蛇の列に並び、
やっと座れたのが、
スクリーン真ん前の
最前列中央だった。
そのおかげでか、
初っ端のシーンから
度肝を抜かれるような
大画面と大音声で
迫力倍増だった。
90年のことだから、
今ほどにCGが隆盛ではなかったので、
そのリアルな恐竜像には、
当時・生物の教師として、
古生物学にも興味があったので
大興奮したものである。
思わず、
翌日の特進クラスでの授業で、
生物室のディスプレイ用に購入した
高価な恐竜模型類を紙袋に詰め込んで、
前日の映画の様子を
まるでジュラ紀にタイムトリップして
観てきたように講釈した(笑)。
⁂
『溺れるナイフ』という
キャッチーなタイトルと、
初恋物という番組チェックで
録画してみたが、
あんがいに面白かった。
主人公の男女とも
知らない役者だったので、
変な先入観がなく素直に観れたのが
よかったのかもしれない。
視聴後にウィキってみたら、
なんでも少女漫画原作だというので、
アマゾンで映画レヴューを見たら、
原作ファンには散々の酷評だった。
原作なぞ知らずに
初心(うぶ)な気持ちで鑑賞したら、
A boy meeta a girl.
A girl meeta a boy.
の典型として描かれていて
好感が持てた。
原作ファンには、
全17巻の作品を
2時間の物語に収斂させるには
無理があるので、
ディテールや人情の機微が
描き切れていなくて不満だ
というのが多かった。
さもありなん、である。
でも、独立した作品としては、
甘々だが、あんがいワルクはない。
40年あまり
教師と心理師として、
思春期の子どもたちの
“こころの揺れ”を
観てきた人間にとっては、
思春期の蹉跌と
“たましいの再生”を
象徴的に描いていたように思う。
菅田(スダ)某という
金髪の男優ファンには
MV(music video)で酔えた
というレヴューもあった。
そういう、“押し目線”での
鑑賞もあるのだろう。
驚いたのは、
スレンダー美少女のヒロインの
引き立て役として
ポッチャリ系で
野暮っちい存在として
上白石萌音ちゃんが
キャスティングされていた。
彼女の演技は初めて見たが、
『100分で名著』では、
過日、その見事な朗読を耳にし、
橋爪 功、市原 悦子に次ぐ、
日本の三大「名朗読者」と
太鼓判を押したいほどだった。
今朝の朝刊で、
ソータが竜王戦で
丸山九段に敗れたことが
ひっそりと報道されていて
驚いた。
アベマ中継があったかどうか
定かではないが、
あったとすれば
見逃したのかもしれない。
今年こそ、
四度目の挑戦で
豊島竜王とタイトル戦に
望めるか…
そして、四冠も有り得るか・・・
という期待は、
あまりにも大き過ぎたようだ。
⁂
毎週、日曜に観戦している
NHK杯の絵柄が
コロナ禍の対策で
ガラリと変わってしまった。
畳の和室から
椅子席になり、
間にアクリル板が二枚も
吊るされてるので、
あたかも、面会室の
接見でもしているような雰囲気で
ぞっとしない。
してみれば、
タイトル戦の
和室・袴・七寸盤という
道具立てが、いかに、
伝統芸の情趣を醸し出しているか
ということを再認識させられた。
夏休みに入り、
コロナ自粛中にやってた
スクワットを再開し
継続している。
同時に、
臨時書室を設えてから、
毎日、夕食後に、
一時間の手習い稽古をも
続けている。
最近、ちょっとばかり、
単調モードになり
飽き始めたので(笑)、
ダイソーで面相筆を5本買ってきて、
日本画用の岩絵の具で
朱、碧、藍、山吹、茶の
“カラー書道”で
目先を変えている。
手本は、
小1から小6までの
常用漢字表である(笑)。
丸々一週間が過ぎて、
相も変わらずの
駄々羅暮らしである。
ブルーレイ・レコーダーが
2台あるので、
目ぼしい映画を
手当たり次第に録画して
HDDに保存している。
手持ち無沙汰な時や、
単純作業の家事をこなすときなぞに
BGM的に映画を流すこともある。
そんなんで、
年に100本くらいの映画を
もっぱら録画頼りで観ている。
以前は、
フォーラム会員になって、
マメにマイナー系作品も観ていたが、
出かけるのが億劫なのと
毎回千円かかるのが玉に傷で、
よほどの注目作品や
食指の動いたもの以外は、
旬が外れて放映されるのを待つのが
日常になってきた。
歳ぃとったせいか、
今すぐにでも観たいという
衝動もなくなってきたのは
幸いかもしれない。
もし、先々に、
観れなかったとすれば、
それは自分に縁のなかったもの、
と思えるようになったのだ。
“待てる”“諦めれる”
というのが、
近頃、身に付いた
【老人力】かもしれない(笑)。
“地上波初!”という
『ジュラシックワールド/炎の王国』
なるものを、あまり期待もせず
眺めるように観た。
どーせ・・・
という思いがないでもなかったが、
案の定、二番煎じを
見せられているような気分だった。
もう、このような現象を
何十年前から
「ハリウッドの末期症状」と
揶揄されていた。
真贋を見極める慧眼の
談志家元は
「怖がらせて、安心させる」
という陳腐なパターンを
唾棄していた。
そこには、
“味わい深さ”
というものが皆無なのである。
今や、CGや3Dで
驚くような映像が
如何様にも造れる時代となった。
それに胡坐をかいて、
ハッタリ画像・画面のラッシュで
食傷気味になってることを
映画製作者は未だに
気が付かないのか…。
それとも、
気付いていて、
この刺激が切れると不安でしょ…
とばかり、ヤクの売人みたいな
確信犯で駄作を垂れ流しているのか…。
そうも勘繰りたくなる。
たしかに、
『ジュラシックパーク』の
第一作を観た時には
感動した。
なので、
その時の印象は強い。
京都の寺町京極にある劇場で
封切りの初日に、
長蛇の列に並び、
やっと座れたのが、
スクリーン真ん前の
最前列中央だった。
そのおかげでか、
初っ端のシーンから
度肝を抜かれるような
大画面と大音声で
迫力倍増だった。
90年のことだから、
今ほどにCGが隆盛ではなかったので、
そのリアルな恐竜像には、
当時・生物の教師として、
古生物学にも興味があったので
大興奮したものである。
思わず、
翌日の特進クラスでの授業で、
生物室のディスプレイ用に購入した
高価な恐竜模型類を紙袋に詰め込んで、
前日の映画の様子を
まるでジュラ紀にタイムトリップして
観てきたように講釈した(笑)。
⁂
『溺れるナイフ』という
キャッチーなタイトルと、
初恋物という番組チェックで
録画してみたが、
あんがいに面白かった。
主人公の男女とも
知らない役者だったので、
変な先入観がなく素直に観れたのが
よかったのかもしれない。
視聴後にウィキってみたら、
なんでも少女漫画原作だというので、
アマゾンで映画レヴューを見たら、
原作ファンには散々の酷評だった。
原作なぞ知らずに
初心(うぶ)な気持ちで鑑賞したら、
A boy meeta a girl.
A girl meeta a boy.
の典型として描かれていて
好感が持てた。
原作ファンには、
全17巻の作品を
2時間の物語に収斂させるには
無理があるので、
ディテールや人情の機微が
描き切れていなくて不満だ
というのが多かった。
さもありなん、である。
でも、独立した作品としては、
甘々だが、あんがいワルクはない。
40年あまり
教師と心理師として、
思春期の子どもたちの
“こころの揺れ”を
観てきた人間にとっては、
思春期の蹉跌と
“たましいの再生”を
象徴的に描いていたように思う。
菅田(スダ)某という
金髪の男優ファンには
MV(music video)で酔えた
というレヴューもあった。
そういう、“押し目線”での
鑑賞もあるのだろう。
驚いたのは、
スレンダー美少女のヒロインの
引き立て役として
ポッチャリ系で
野暮っちい存在として
上白石萌音ちゃんが
キャスティングされていた。
彼女の演技は初めて見たが、
『100分で名著』では、
過日、その見事な朗読を耳にし、
橋爪 功、市原 悦子に次ぐ、
日本の三大「名朗読者」と
太鼓判を押したいほどだった。
今朝の朝刊で、
ソータが竜王戦で
丸山九段に敗れたことが
ひっそりと報道されていて
驚いた。
アベマ中継があったかどうか
定かではないが、
あったとすれば
見逃したのかもしれない。
今年こそ、
四度目の挑戦で
豊島竜王とタイトル戦に
望めるか…
そして、四冠も有り得るか・・・
という期待は、
あまりにも大き過ぎたようだ。
⁂
毎週、日曜に観戦している
NHK杯の絵柄が
コロナ禍の対策で
ガラリと変わってしまった。
畳の和室から
椅子席になり、
間にアクリル板が二枚も
吊るされてるので、
あたかも、面会室の
接見でもしているような雰囲気で
ぞっとしない。
してみれば、
タイトル戦の
和室・袴・七寸盤という
道具立てが、いかに、
伝統芸の情趣を醸し出しているか
ということを再認識させられた。
夏休みに入り、
コロナ自粛中にやってた
スクワットを再開し
継続している。
同時に、
臨時書室を設えてから、
毎日、夕食後に、
一時間の手習い稽古をも
続けている。
最近、ちょっとばかり、
単調モードになり
飽き始めたので(笑)、
ダイソーで面相筆を5本買ってきて、
日本画用の岩絵の具で
朱、碧、藍、山吹、茶の
“カラー書道”で
目先を変えている。
手本は、
小1から小6までの
常用漢字表である(笑)。
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