間違いのある神

 「イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。」(ヨハネ10:6)

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 イエスのしたたとえ話は、どうも理解されなかった。そこでイエスは仕切り直す。
 受肉した神イエスは、間違うこともあるのである。
 間違うこともある神、というのではなく、肉を持つ身の仕方なさなのだ。
 まして、アダムの末裔である私たちが間違いひとつない、などということが、果たしてあるのだろうか。

 いったい今まで、どれだけの間違いをし続けてきたことだろう。どれだけ多くの人を傷つけ、悲しませたことだろう。
 それにもかかわらず、周りからどれだけ許され続けてきたことだろう。
 だが私には、どうしても許すことのできない人が1人いる。
 こんな私の大きな間違い、どうにもならなさをも、イエスは理解してくださる。なにしろ、ご自身にも間違いのあった神なのだ。

 この救い主イエスは、ご自身と同じ道のりを私たちにも歩ませることによって、神の赦しを私たちに与えてくださっている。

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