罪と自由

 「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
 彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』と言われるのですか。」
 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。」(ヨハネ8:31-34)

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 自由、という言葉は厄介だと思う。
 5年ほど前だったか、デンマークの新聞社がマホメットを侮辱するマンガを載せて表現の自由だとやらかしたことがあった。
 だが、自由と好き勝手とは違うだろう。
 今日の聖書箇所にいう自由とは、肉の罪からの自由を指す。

 イエスは罪に死んだ人をよみがえらせて自由にする。
 それはイエスのことばによってであり、これが復活である。
 復活するためには、死ななくてはならない。
 それがイエスの十字架であり、この十字架に死ぬには、まず「罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です」ということを律法に照らして分かる必要がある。
 私たちは神の御前に、極刑に値する存在なのである。罪の奴隷なのである。

 その罪深さに気付いたとき、イエスの道に従って死んでよみがえることができるに違いない。
 肉はそのままなので、罪がなくなるということはない。
 だが、よみがえって罪赦される。
 この罪からの解放が、ここでいう自由である。

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