自分の罪

 「それでイエスは彼らに言われた。「あなたがたが来たのは下からであり、わたしが来たのは上からです。あなたがたはこの世の者であり、わたしはこの世の者ではありません。
 それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネ8:23-24)

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 イエスとパリサイ人との問答より。

 「自分の罪」とは、アダム以来人間が宿している罪で、神と神の律法に反する性質とでもいえばいいだろうか。
 つまり、もともと人間の肉は罪深く神に反し、その罪の中で死ぬしかない。
 ここにいう「死ぬ」というのは、永遠の死のこと。
 自分の罪深さは、律法に照らせば嫌と言うほど分かってくる。

 人間からこの肉がなくなることは生きている限りないので、罪がなくなることもまたない。
 だが、十字架で自らの肉を処罰したイエス・キリストにあやかって初めて、罪が罪のまま赦される、それがイエスの救いなのである。
 イエス・キリストに出会ってこのお方を信じさせられるとき、どういう人であろうが罪赦される。
 彼は「いのち」を得て、永遠の死から救い出される。
 たとえパリサイ人であっても、例えばニコデモのように求めるならば罪赦され得る、これこそ神の恵みである。

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