キリストのために

 「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。」(ローマ14:8-9)

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 キリストに生かされ、そして死ぬときもキリストに印籠を渡されるはずだ。
 私たちは、主のもの、キリストのものだからである。
 キリストは、私たち生きている人の主であるばかりでなく、死んだ人にとっても主である。
 キリストは、そのような人をよみがえらせるため、死んでまた生きられたからである。

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