神融心酔 

中国茶・台湾茶を中心とした素敵な出会いの数々を綴っていきます

売茶翁@肥前通仙亭

2011-10-17 | 茶旅
今回中国茶会を開いた佐賀市内の「肥前通仙亭」は
佐賀出身で煎茶道の祖と仰がれる高遊外売茶翁が
京都に構えた日本初の茶店「通仙亭」にちなんで名付けられました。

運営スタッフは地元有志で立ち上げた
「NPO法人高遊外売茶翁顕彰会(会長:川本喜美子氏)」の方々です。
皆さん佐賀を愛し、売茶翁を敬愛し、売茶翁の功績を伝えたいと言う熱い思いをお持ちで
一般にはあまり知られていない売茶翁についてのエピソードなどをお話してくださいました。

トップ写真の掛け軸は翁が修行した黄檗宗萬福寺の岡田管長より開館時に寄贈されたもので
翁が通仙亭に掲げていた一句です。
 
 「一啜為君洗心腑」  
  一啜(いっぷく)なされ、あなたの心の底までもきれいに洗ってあげましょう

売茶翁は1675年佐賀藩蓮池支藩の藩医・柴山埜之進常名の三男として生まれ、
11歳で黄檗宗龍津寺に出家し、法名を月海と称しました。
修行のため江戸・京都・仙台など各地を巡り、
33歳の時に長崎で清人より茶の知識を吸収したとされます。
その後佐賀に戻り龍津寺を守りますが、57歳で京都に上洛、
61歳で京都に通仙亭を構え、禅を説きながら売茶の業を始めます。



春には桜の下、夏は清流の渓辺で、秋は紅葉の中
風光明媚な場所へと「僊窠(センカ)」と呼ばれる茶道具を背負って出かけ、
「茶銭は黄金百艦より半文銭まではくれ次第、
 ただにて飲むも勝手なり、
 ただよりほかはまけ申さず」
と茶旗を掲げて人々に茶を振舞ったと言います。
81歳で売茶業を廃業する際には愛用の茶器を焼却したとも伝えられます。
1763年死去。
その生き方は伊藤若冲、池大雅ら文人たちに影響を与えました。



貴重な売茶翁自筆の書も飾られています。
「三省」
孔子の弟子、曾子の言葉「吾日三省吾身」からの引用です。

売茶翁ファンの方は佐賀を訪れる際には是非立ち寄ってみてください。

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