基本的に引きこもりがちな私であるが、
ブログをやっているお蔭で
ありがたいことに新しい素敵な出会いが時々舞い込んでくる。
このブログの以前の記事に書き込みをしてくださった“茶農”さんと
品川の「
春風秋月」のスペースをお借りしてミニ茶会で初顔合わせの機会を得た。
茶農さんが中国で作っているお茶をいただきながら
中国茶を取り巻く現状についていろいろお話を伺った。
まずは迎茶さんで飲んでとても気に入った野生紅茶をいただく。
迎茶さんでは磁器の茶壷でいただいたが、今回は紫砂壷で。
やっぱりこの紅茶、好きだわ。
その後は鳳凰単欉を何種類か飲ませていただいた。
面白かったのは、同じ作り手が同じ品種、同じ日に摘んだ茶葉で
ひとつは一般的に使用されている機械を使った製法のもの、
もうひとつは伝統的な完全手工で作ったもの、
この二つを同時に同じ条件で飲み比べてみたこと。
左が機械製法、右が手工。
それぞれ5gずつ。
写真が暗くてわかりにくいが、
機械のほうが撚りがきつくて嵩が小さい。
一煎目では機械のほうはふわっと香りが立つ。開くのが早いようだ。
しかし味のほうは最初から既に手工のほうが奥行きがある。
煎を重ねると香りも明らかに手工のほうが持続力がある。
五煎ほど飲んだ後に双方の茶葉の香りをかぐと
機械のほうは単一な香りであるのに対し、
手工のほうは香りの種類に幅がある。
茶葉の仕上がりは機械のほうが撚りもきつく、美しく見えるし、
単独で飲んだなら十分美味しい。
市販されてもかなり高級の部類に入るだろう。
でも比べて飲んでみると手工の美味しさには全く敵わない。
手工は手間も労力もかかり、その分値段も上がり、かえって売りにくい商品となる。
今では伝統的な手工を継承している農家はないに等しいと言う。
目の前に便利な機械があって、そちらで作った茶葉のほうが売りやすいとなれば
それを使わないという手はないのが道理。
でもこうやって比べて飲んでみると、体が求めるのはやはり美味しいほうのお茶だな、と実感する。
お茶が発する‘気’も違うように感じるから不思議だ。
茶農さんはご自身が飲みたいと思うお茶を作ると言うスタンスで活動されている。
これからもどんなお茶がいただけるのか楽しみである。