ここ2週間ほど、(お教室は別として)中国茶と向き合う気になれなかった。
いや、正確に言えば中国茶を飲んでいなかったわけではないが、あえてブログのネタを考えながら飲んでいなかったと言うべきか。
そんなに繊細な性質ではないのだけれど、やはり春は何かと感情の起伏がある。
世の中が新しいスタートを切ろうとしていると、尚更焦りも出てくる。
とは言え、あれこれと逡巡していた理由は、自分の問題だけではなかったように思う。
餃子事件に象徴される、中国産品への信用の失墜。
さらに駄目押しのように起こった、チベット問題。
中国との付き合いを自分のライフワークと決めてからかれこれ30年がたった。
しかし、ずっと走り続けてきたわけではなかった。
中国と距離を置いていたこともある。
1989年の天安門事件。
テレビ局勤務だった大学の同級生が、報道のために長期で北京にいた。
まさに当日、事件に遭遇している。
現地から度々電話をもらい、
最初はサークルの集まりのようだった学生たちの明るいデモが、
徐々に切迫していく様子を聞いていた。
6月4日の武力弾圧は、正直、ものすごいショックだった。
テレビ局に勤めていた友人は、この時に報道の限界を感じ、まもなく辞職した。
私はこの頃ある商社で中国向けに化粧品原料を紹介する仕事をしていた。
年に2~3回は中国出張があり、北京も何度か訪れていた。
やりがいのある仕事ではあったが、
天安門事件の影響で対中貿易が縮小されたのを機会に、
私は中国と少し離れることに決め、
中国とは全く関係のない映画配給会社に転職した。
映画が好きだからこの仕事も好きになれるだろう、と思っていたのに、
1年半を過ぎた頃から、妙に中国が懐かしくなった。
ほどなくして、また別の商社で中国に関わる仕事に就き、出産直前まで勤めた。
テレビ局を辞めた友人はどうしたかというと、
その後しばらくある財団法人に勤めていたが、
大学院に入りなおし、今は某大学で教鞭を取っている。
教えているのは中国に関わる国際関係論。
結局私も友人も、中国とは縁が切れないようだ。
その友人とは大学3年の時、クラスの友人たちと一緒に中国を訪れたことがある。
彼も私も、その時中国で出会った人々の純粋さ、やさしさ、目の輝きが忘れられないのだ、多分。
どんなに問題が起きても、裏切られても、仕事で嫌な目にあっても、また引き寄せられてしまうのだ。
もう今になって、また中国から逃げよう、とは思わない。
ただ、現況に目をつぶって「中国茶は美味しい♪」とだけ嘯いていることがいささか辛いのだ。
中国茶を飲みながら、中国の歴史や文化やその背景にあるもの、そして日本との関わりについても、考えていきたいと思う。
そこには苦味も渋味もあるだろう。
しかし、全ての味を咀嚼することによって、隣りのこの大国とうまく付き合って行く未来が見えるかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら去年のものではあるが、頂き物の
ラ・メランジェの白龍井を淹れてみた。
(安吉白茶の品種を使って西湖周辺で作られた龍井茶だそう)
明日にはいよいよ新茶が家に届きそうだ。