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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

常識を超える緑茶の世界 ~御前崎の「つゆひかり」

2012-01-23 23:17:08 | Weblog
 昨日札幌で掛川時代の友人たちとともに、御前崎の茶業関係者とお会いしました。

 我が心の故郷の掛川の掛川茶ではなく、同じ静岡でも御前崎市の皆さんたちが北海道へ緑茶を売るための営業にやってきたのです。

 場所は札幌市中心部の商業ビルの一角で、今御前崎が売出し中なのが「つゆひかり」という新しい品種のブランド茶なのですが、これがまたなかなかよろしいのです。


   【サンプリングの評判も上々です】


    ※     ※     ※     ※     ※
 

 彼らはあまり緑茶文化に馴染みのないと思われる北海道をターゲットに選びました。

 それは北海道の面積、人口、経済規模を考えるとデンマークやフィンランド、ノルウェーなどと同じくらいの規模であることで、おまけに日本語が通じる相手であるということを面白いと思ったのです。

 お茶は気温が上がると売れなくなり、気温が下がると売れだすという消費特性があるそうです。それが北海道では気温が低い季節がながいために、今はそれほど消費されていなくても可能性があるとみました。

 しかも一人当たりの緑茶消費量は912グラムと全国都道府県の第31位。これは全国トップの静岡県1,901グラムの半分以下です。

 つまりお茶以外のドリンク消費はコーヒーや紅茶など他のドリンクに取られているわけ。しかもドリンクそのものにそれほどのこだわりがあるようにも思えません。


 そしてドリンクと言えば重ね合わせたいのが甘味、すなわちスイーツ。

 北海道では最近地場産の材料を使ったスイーツを目玉として売り出しています。

 札幌北大通りの元拓銀ビルは大通りビッセと名を変えた商業ビルとなりましたが、こちらの一階には北海道スイーツ人気の六店舗を集めたビッセスイーツというフードコートがあります。

 ところがこの場所で北海道スイーツを知らせたい、売りたいという気持ちはよく分かりますが、『ドリンクと一緒になったスイーツのある時間【という幸せ】』を売ることに関心が届いていないようです。

 それは、ビッセスイーツでもスイーツメニューと一緒に並んでいるドリンクメニューは(特に銘柄などない)コーヒー、紅茶くらいしか書かれていないことからも伺えます。

 彼らは、(なるほど、これならばこの一角に緑茶というものを改めて送り込める可能性がある)と見たのです。

 そしてその主力として選ばれたのもただの緑茶ではありません。緑茶で現在多いのはやぶ北という品種ですが、御前崎が力を入れているのが「つゆひかり」という品種の深蒸し茶で、これをぶち当てようと言うのです。


    ※    ※    ※    ※


 昨年、掛川の深蒸し茶が健康に良い、とあるテレビ番組で大々的に放送されて話題となりましたが、御前崎は掛川のすぐ隣り町でありながら緑茶界の主力である「やぶ北」ではなく「つゆひかり」を推しています。

 この「つゆひかり」が群を抜いてよいのはなんといってもその水色(すいしょく)、つまり入れた時のお茶の色です。

 これまでの深蒸し茶よりもひときわ透明感が高く美しいエメラルドグリーンの色合いです。実に美しい。


    ※     ※     ※     ※     ※


 実は深蒸し茶を上手に入れるためには、お湯の温度を70℃以下に下げることに加えて濾し網のついた急須を使うと良いのですが、そんな急須まで揃えていられない、という向きのために、今回はコーヒーのようなドリップパックの試行品も用意されました。これなら手軽にお茶を楽しめそうです。












 今回は北海道スイーツの試食とともにこのつゆひかりを試飲してもらいましたが、水色はもちろん味や香りも評判は上々です。

 お茶を新しく売ろうとするときに、スイーツにお茶の粉を使ってもらおうというようなからめ手から攻めるようなやり方ではなく、堂々とドリンクとしての緑茶を売る正攻法はなかなかのものです。


【お茶の常識を超越する】
 お茶の消費はお米の消費と連動している、とずっと言われてきました。ご飯を食べた後の緑茶、という生活様式が常識と思われてきたのです。

 また緑茶は和菓子に合うというのも常識ではなかったでしょうか。

 逆に、洋菓子スイーツには洋風のコーヒーや紅茶が合うという常識にとらわれすぎていないでしょうか。

 スイーツに合う緑茶をしっかりと選べば、スイーツと飲料のもっと幸せなコラボレーションがあるかもしれません。

 常識を超えた新しい発見による幸せの種を提供することの延長にこそビジネスがある。

 北海道スイーツに緑茶を選ぶという新しいライフスタイルは北海道で受けるでしょうか。是非一度お試しを。


 そうそう、「つゆひかり」にはちゃんとした白い器がお勧めです。

 これまでには見られなかったエメラルドグリーンの水色をじっくりと楽しんでみてください。

 

【御前崎茶「つゆひかり」公式ホームページ】 
 http://bit.ly/wMS8qZ
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SNSの行方~グローバル対ローカル

2012-01-22 23:45:21 | Weblog
 「どっとねっと」という北海道に縁のある人たちによる地域SNSが五年目を迎えました。

 かつては自治体などが主体となって、住民同士のコミュニケーションを活発化させるために地域SNSがもて囃された時代がありました。

 幸いなことに「どっとねっと」は一部のボランティア精神に溢れた方達によって運営されていてある程度安定した動きを示していますが、SNS全体では今日往時の勢いはなく、自治体の財政が苦しいこともあって事業仕分けのような形で閉鎖されてゆくところも多いと聞きます。

 「どっとねっと」の現状を大まかに言うと登録者数が400人、そのうち退会した方などを除くと現在の会員数は約280名。そのうち書き込みが多いアクティブ・ユーザーは29名とのことでした。

 ベースが北海道と言うことで、特定の住居地に固まっていることもなく、参加者は北海道全域にわたっており、中には北海道出身で海外に住んでいる方も参加してくれています。

 一方では今日、フェイスブックやツイッター、google+などのグローバルなSNSが登場して、利用者を劇的に伸ばしています。

 こうしたグローバルなSNSの台頭を迎えて、今日地域のローカルなSNSはどうなるのだろうか、というテーマでの座談会が開催されることとなり、私もパネラーの一人として参加した次第です。

 今回は海外や道内遠隔地にいる方三名をgoogle+によるネット参加として、全部で8名での意見交換となり、有意義な意見交換を行うことができました。



   【記念写真をパチリ】


    ※    ※    ※    ※


 
 発言者の皆さんの意見を順不同で総括すると大体こんな感じでしょうか。


【今日あらためて地域SNSはどうとらえられるか】
 
・災害時の情報ツールとして役立つことが東日本大震災で改めて確認されたが、そういう利用を念頭に置くとたくさんの人と繋がっていることにメリットがある。

・そのため、グローバルSNSは確かに有利で、地域SNSの利用者の中にはそちらに流れる人も多いだろう。

・しかし、構成員が地域住民としてかっちりしているところであれば、そこでの地域SNSがなくなるとも思えない。

・グローバルとローカル、両方のSNSの使い勝手やメリットを活かしながら使い分けされて行くのではないか。

・地域SNSが活発になってきた頃は、ネット上での意見交換による議論が熟して行く『熟議』を期待する向きがあった。やって行くなかで、(どうやらそれは幻想なのか)と思ったのだが、ヨーロッパなどでは議論を熟させるために気の遠くなる時間を費やすことを知った。そういう意味で、日本では熟議と言いながら短時間での成果を期待しすぎていたように思われて、改めてそうした価値観が醸成されればやはりやれそうな気もしている。


・仕事などで社会活動が活発な人はグローバルなSNSによる情報のやりとりも多いだろうけれど、外に出る機会が多くはない人にとっては、他者の考えを知ったり意見交換出来る人は限られていても問題がなく、却って相手が多い故のデメリットも感じられるようになる。

・情報を遠くまで発信しようとすると多くの人たちと繋がっている必要があるが、そのためには向こうからの情報も受けなくてはならず、そうしたコミュニケーションをメンテナンスするための苦労(コストとも言える)と、そこから受けるメリットを天秤にかけてみる必要があるだろう。



    ※    ※    ※    ※


【mixi型の会員限定SNSはグローバルに移行してゆくのだろうか?】

・おそらくそうだと思う。数年前は少人数が語り合える場はそれまでに比べて合理的だったが、5、6年というのはITの世界では大変な変化の時間だ。シニアの参入や、携帯やスマホからの常時アクセス、などグローバルSNSは矢継ぎ早に魅力ある機能を付加してくる。

・具体的に言うと、ツイッターの登場でコミュニケーションのペースがものすごく速くなった。一日かけて数個のコメントの時代ではなくなってしまった。

・日本ではネットは匿名での参加が当たり前と思われていたが、匿名性によるデメリットも多く、フェイスブックの登場による実名参加に対して、「ネット覚悟」のような踏ん切りをつけて責任ある発言をしようとする人たちが増えている。

・しかし、確かに広がりは出るものの、地域にいる限りは広がりより深さを求めたい、と思っていて、そこではローカルSNSでも十分。むしろグローバルSNSのサービスはうざったいし、その中にいるのは自分の分を超えてしんどくなりそうだ。
 
・タダで使えるグローバルサービスというものへの言いしれぬ不安もある。タダの陰で何をどう利用されているのかが分からないし、そこで起きる全てのことに責任を持てと言われても、何を了承しているのかもよく分かっていない。

・自分の発言(=自分の過去)が全てネット上に残るということへの不安もある。イギリスでは就職で採用されたのに、ネット上での過去の発言が問題視されて採用を取り消されたという事件があった。過去が消せなくなるのではないか。


【デメリットもあるが、広い北海道においてはやはりコミュニケーションツールとしてインターネットを使わざるを得ないのではないか】


・ローカルSNSでやっていたことをグローバルSNSに移行させたことで、参加者数や書き込みの頻度が格段に上がったり、参加資格を発行する手間が減るなどの効果があった。
 
・しかし管理者としては、自分たちが管理していた時は見ることができた参加状況などの管理画面が、グローバルSNSでは見ることができなくなった。つまり、利用のデーターベースを握られてしまっていて使えないということだ。


・災害時の利用などを考えても、使う者として普段から使い慣れていないとだめ。

・情報をより多くの相手に発信しようと思うと、多くと繋がっている状態をメンテナンスしなくてはならず、そのコストが大きすぎるようならば戦線を縮めることも現実的な選択だ。大漁につながっていることだけが価値を持つわけではないことを改めて自覚したい。

・コミュニケーションの範囲と質はツールに負うところが多いのも事実だが、どこまでどんな情報を、誰と繋がっていたいか、ということをコントロール出来る方がよい。

・ネットの繋がり内だけではなく、本当の人と人との繋がりについて考えた方がよいのではないだろうか。


    ※    ※    ※    ※


 今日の議論は大体このような感じでした。  

 グローバルSNSがいろいろな機能を次々に加えて便利さを増すことで、ちょっと古めかしい地域SNSは淘汰されて行くかも知れません。

 しかししぶとく生き残るローカルネットコミュニティはあるだろうし、同時にグローバルSNSの「タダ」に潜む怪しさ、いかがわしさにも少しはアンテナを張ってのめり込みすぎるな、ということでしょうか。

 私も改めて、ネットに依存することの費用対効果について自問自答する良いきっかけとなりました。

 多様な意見を聞く場としてのリアル会合はやはり意義がありますね。参加された皆さん、ありがとうございました。
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ガールスカウト評議員会

2012-01-21 19:37:39 | Weblog
 東京で開催されたガールスカウト日本連盟の評議員会に出席しました。

 評議員会は毎年この時期に行われるもので、法人としての活動に対して意見やアドバイスを行うのです。

 今年の活動としては、まず東日本大震災の被災者支援として募金活動を行い、約3,800万円が支援金として集まり、緊急物資として靴や肌着などを送ったり、被災児童対象のキャンプを行ったりしました。

 また国内では、少女に対する暴力を無くすキャンペーンやセミナーを行っています。

 もちろん例年通り長野県北部の戸隠でのキャンプなども実施して仲間作り活動も継続しています。


 また、日本連盟にとって今年の大きな話題は、ガールスカウト日本連盟の前会長の和田照子さんが世界連盟の理事に当選されたと言うことです。

 世界連盟理事会は17名で構成されていますが、この一人に日本人の女性が選ばれたとは誇らしい出来事ですね。

 実は和田さんは来月釧路を訪ねてくださることになっています。ぜひ釧路を楽しんで頂きたいものです。


    ※    ※    ※    ※

 
 世界的に見れば、まだまだ女性として活躍する機会は少ないのでそうした機会拡大も求めなくてはなりませんし、女性自身の個の確立も課題ではあります。こうしたことにも堅実な運動を展開して行かなくてはなりません。

 さて、こうした活動状況を一通り伺いましたが、課題はやはり会員数の減少です。

 現状をつぶさに分析して行くと、小学校までは参加していても中学校あるいは高校へと進学する段階でこぼれ落ちてしまうと言います。

 私はその大きな原因は、①基本的には少子化で全体のπが小さくなっていること、②親が子供達に期待する分野としては学力向上とスポーツ力向上などが大きく、そのために塾やスポーツ団に移る子が多いこと、などではないかと思います。

 学力やスポーツの力などは、そのまま就職などで有利になるという現世利益に直結しているという親の期待が大きいのではないでしょうか。

 ライバルはそのあたりにあるのではないか、と思うのですが、他の評議員からは、「そんな小手先の技術で差別化をするのではなく、堂々とした展開をすべきだ」という意見もありました。

 理事会としても差別化できるようなキャッチコピーをいろいろと考えているようですが、どんなかたちになるでしょうか。

 いずれにしても、実際に活動してどんな気づきや発見が、この世界に入っていこうと思わせたか、という体験談こそが、迷っている人たちへの後押しになると思います。情報発信をますますお願いしたいところです。

 

 
    ※    ※    ※    ※


 ガールスカウトってそれなりに活動していた女性もいるはずなのに、なかなか「ガールスカウト出身だというカミングアウトをする女性が少ないんですよ」とは理事会の悩み。

 ボーイスカウト出身の有名人って結構たくさんいるらしいのですが、ガール出身の有名人と言えば、国会議員の小池百合子さんとお笑いコンビ「ハリセンボン」の近藤春菜さんくらいなものです。

 こういう方がもっとたくさん出てくると話題性も高まるのですが。

 また私からは地元釧路新聞の「巷論」に書いた、ガールスカウト出身の女性医師による列車事故時の救出活動のエピソードを紹介しました。

 ガールスカウト活動を続けてきたからこそ養われた女性ならではの全人格的な素養は決して少なくないはずです。

 今既に社会の第一線で活躍されている方や、立派に主婦を務められている方たちがもっとカミングアウトして(笑)人格形成に与えた影響を広めることが一番効果的なのではないでしょうか。

 少子化にあっても女性としての全人格を陶冶するその意義は決して揺らぐものではありません。

 
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テレビ東京系列『未来世紀ジパング』の取材

2012-01-20 23:45:50 | Weblog
「そういえば、先日市長に取材に訪れた日経新聞の方と市長が話していた時に、掛川市が話題になったんですよ」と秘書課長が教えてくれました。

「へえ、日経新聞が取材に来たんですか。知らなかったあ、どういう取材だったんですか?」
「ええ、テレビ東京系列で毎週月曜日の夜十時から放映している『未来世紀ジパング』という番組の取材でした。資源のない日本と言われますが、実はいろいろな資源があるじゃないか、という切り口で、鹿児島の菱刈金山とともに、釧路の石炭を取材に来たというわけです」

「へえ、掛川の地名がどうして出てきたんですか?」
「ええ、その取材に来た方が『掛川でまちづくりをしている方を知っているんですよ』という話題で、市長は『実はうちの副市長も掛川にゆかりがあるんですよ』という会話でした」

「ふうむ…、その取材に来た日経の方って、何という御名前でしたか?」
「ええと…、名刺をいただいていましたね。あ、ありました、Gさんという方ですね」

「Gさん!なあんだ、その方は僕の友人の方でした。最近会っていないから僕が釧路にいることを知らなかったんですね。あ~、知っていたら会いたかったなあ!」




    ※     ※     ※     ※     ※

 日経新聞のGさんとは、数年前から参加を許された、IBM主催の夏富士会議という若手の人材マッチング研修で知り合った方でした。

 夏富士会議は、一定の条件で招待される、各界で活躍する50歳未満の方を対象にする会合でしたが、テレビでも見かけるような方も多く参加されていて実に刺激的な会合でした。

 Gさんは世界を又にかけるマスコミ人で、海外経験も長くその世界では有名な方です。

 それならばとGさんにメールをしたところ早速返信が返ってきました。懐かしいなあ、ぜひお会いしたかったところです。


 聞けば、Gさんは『未来世紀ジパング』の制作に深くかかわっていて、今回も石炭という地下資源を活かした地域の在り方について取材をされたとのことでした。

 
「会話の中で掛川が出た、というのは、掛川のサトーさんから聞いた話を紹介したんです。最近『地産地消』と言いますが、地産地消だとそれだけでは広がりも出ず、地域発展のパワーとしては弱いのでは、という話を申し上げ、掛川は”互産互消”で他の地域と特産物の”貿易”をやっているという話をしたんですよ」とのこと。

 やっぱり情報源は掛川の仲間たちでした。

 地産地消で域内経済を循環させるというのも一つの手ですが、得意な分野を鍛え上げて、特産物として価値を高めて他の地域の物と貿易をして相互にwin-winの関係になる。

 これってまさに日本が戦後復興してきた貿易構造そのものではありませんか。要は、何が何でも加工貿易というのでもなく、何が何でも地産地消による域内循環でもなく、答えはその中間にあるということ。

 しかもそれが、貿易相手が良く見えて双方お互いの利益になるという関係性を大事にするということが良いのではないか、という考えです。

 経済担当としてはピンとくる何かがあったのかもしれません。どこにいても掛川とつながってくるというのが面白いですね。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、釧路が登場する「未来世紀ジパング」は、1月30日放送分の予定です。どうぞご覧下さい。

 

 
【未来世紀ジパング】 http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/about/
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地域SNSの行方

2012-01-19 23:45:27 | Weblog
 朝からどうも体調不良。風邪なのか?

 ここのところ気温の低い日が続いているので皆様どうぞお気を付け下さい。


    ※     ※     ※     ※     ※




 私の所属しているある地域SNSの担当の方と話す機会がありました。

 最近はフェイスブックに代表されるグローバルなSNSがどんどん優勢になってきています。そんな現状の中で地域SNSは今後どうなってゆくのか、ということが問題になってきます。

 先方が「小松さんはどう思いますか?」というので、「私としてはグローバルSNSに流れてゆくのではないかと思います」と答えました。

 その心は、地域SNSではどうしても新しいメンバーとの交流が生まれにくい、閉鎖的な趣がつきまといます。

 また匿名でのアクセスがまだ多くて、オフ会のように直接会う機会がなければ、互いの親密度合いもなかなか醸成されません。

 それに対して、フェイスブックでは本名でのアクセスが多くて匿名の方がなにやらうさんくさくさえ思われます。

 もうネットユーザーの多くは、匿名での無責任な発言やデマに辟易しつつあるのではないでしょうか。私にはそうした実名をあげてネットに参加する『ネット覚悟』のようなものが醸成されつつあるような気がします。

 さらにグローバルSNSは新しいネットワークを生み出す力が強く、情報発信力が格段に強くなります。

 そういう意味で、よりアクティブでありたいと思う人は次第にグローバルSNSへ移行していくのではないでしょうか。

 実際、一つの地域SNSではフェイスブックの中に地域SNSの参加者による新しいグループを作って、こちらでもやりとりができるようになりました。

 地域内の情報交換ツールとしてもてはやされた地域SNSですが、SNS界の黒船とも言えそうな、フェイスブックなどにどのように立ち向かって行けるでしょうか。

 これからの行く末を見守ってゆきたいと思います。
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シカ肉のプレゼント

2012-01-18 23:28:17 | Weblog
 友人の鹿撃ちハンターAさんがやってきて、「いやあ、これをぜひ届けたくて」とくれたのが、エゾシカの肉。

「これ部位はどこですか?」
「内モモとロースです、美味しいですよ」





 包んであったラップを開いてみても全く臭いがせず、ちょっと意外です。

「シカ肉って臭いがするという印象ですけど、臭いがありませんね」
「それは処理にコツがあるんですよ。シカを撃ったらすぐに冷やすこと、これにつきます」

「どうして冷やすんですか」
「鹿は撃たれて絶命しても体温が高いままで、放っておくと蒸れてしまってそのうちに発酵して臭いが出るんです。だから解体したらすぐに冷やして強制的に発酵を止めます。今だったら雪があるから雪の中に埋めて熱を取るんですよ。家に持ち帰ってからは流水に一晩つけますが、こうやって血や体液が流れ出てしまえばもう臭いはしなくなります」

「どうやって食べたらいいんですか?」
「そのまま薄く切ればしょうが醤油で刺身でもいけますし、焼くんだったら本当にさっとあぶる程度が良いでしょう。火が通りやすいのですぐに固くなってしまいますからね」


    ※     ※     ※     ※     ※


   【全然臭くありませんね】


 家に帰ってから早速、刺身とローストで食べてみましたが、本当にクセがなくて美味しくいただけました。

 背ロースの部位もいただいたので、これは後でカレーにでもしようと思います。



   【まずは刺身でいただきます】



   【お次は本当にあぶるくらいのローストで】


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 最後にシカ撃ちの様子を訊いてみました。

「ライフルなら一発で仕留めることができるんですか」
「距離が遠いとどうしても威力が減衰しますね。一発で眉間に当てられれば仕留められますが、ちょっとでも外れると生命力がありますから必死で逃げていきますよ」

「へえ、すごいなあ」
「筋肉の部分や首くらいだったら体の中で弾を止めてしまいます。銃弾の跡も、この時期だったらからだに脂肪がついていますから、傷跡をふさいでしまいます。私が仕留めたシカの中には、体から弾が三発も出てきたものがいましたよ」

 
 度胸のない私にはとても無理な世界。

 美味しいお肉だけ届けていただけるくらいが一番ですね。

 

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故松平監督の名言

2012-01-17 23:45:01 | Weblog



 中学生のころに一時バレーボールのクラブに入っていました。

 結局続かなくて、三年生になったころには辞めてしまったのですが、仲間内でやる草バレーボールではその後も結構楽しませてもらったものです。

 一番練習していたころは、バスケットボールのリングに触れたのですが、今では夢のようです。

 ちょうど其の頃、ミュンヘンオリンピックで男子バレーボールチームが準決勝ではセットカウント0-2という絶体絶命からの奇跡の逆転勝利。

 その勢いをかって見事に金メダルを取った時は本当に感動したものです。

 ちょうどそのころテレビでは「ミュンヘンへの道」という、男子バレーボール選手を紹介するアニメなどもやっていて、かっこよかったんですね。

 このチームを率いて金メダルへと導いた鬼監督であると同時に、この「ミュンヘンへの道」を企画・監修し、バレーボールの支持者を増やすようなアイディアマンであったのが故松平康隆監督です。

 松平監督のちょっといい話が『致知』のメルマガにあったのでご紹介します。


    ※     ※     ※     ※     ※



     「バレー界の名将・松平康隆氏の飴と鞭論」
          『致知』1981年7月号より
     

現代の人の中では、亡くなりましたが、愛知揆一さんという政治家に一番影響を受けています。

愛知さんが教えてくれたことに、立体史観というのがあります。

どういうことかというと、視野の狭い人は点でしか判断できない、ちょっと視野を広くすると線になり課長クラスの仕事ができる、さらに広くすると面になり、大会社の部長クラスだ。

面を上下へ延ばすと円筒形になる。
そうなると樋口清之さんではないが、梅を見ただけで「梅ぼしと日本刀」という本が書けるようになる。

バレーボールで世界一になろうというなら最大の円筒形になれというのです。

とくに立体的に過去を勉強しろ、エジソンもキュリーも学びなさい、バレーと関係ないと思ってはいけないというのです。

それ以来私は円筒形を続けるためにも、努力して交友関係を広げています。スポーツ界で私はいちばん交友は多いと思います。


円筒形がなぜバレーに関係があるかというと、それがアメになるのです。

バレーの選手が、例えば図書館へ行って勉強したいという、あるいはなぜポーランドにワレサという新しい指導者が出てきたかなどといいだすと、そんな暇があったら練習しろというのが、バレー馬鹿のいうせりふです。


私はそうはいわない。

お前がポーランド問題に関心があるのなら、きょうの練習三時間やるよりも、新聞社の編集委員に会って来い、俺が紹介してやろう、といいます。そうして話を聞いてやる。

そしてポーランドはそういうことになっているのかというと、コートの上では私にしごかれている選手が、この問題については監督より上なのだという気持ちになれますよ。

これはおだてです。
ほめる材料を与えるわけです。
しかも監督が馬鹿にされることにはなりません。

むしろそういう示唆を与えてくれたことに対する尊敬というか、情を感ずる、そういうプラスがあるのです。
アメというものを、私はそこまで広く受けとめています」


企業の中で英語教育をやらせるのもアメだし、専門外のセミナーに行かせるのも、アメを心得た指導者のやることです。

そんな時間はもったいない、自動車の一台も売ってこいというのは、点か線の発想です。


---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 関係ないと思うことが、ある時にすべて繋がっていることが分かるということがあるものです。

 やはり偉大な指導者は物事を広い視野で見ることができるのですね。

 松平さんは去る平成23年12月31日に永眠されました。

 生前のご功績に心から敬意を表します。   合掌
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前向きな精神とは意志の問題なのです

2012-01-16 23:45:24 | Weblog



 ちょっとしたまちづくり勉強会に講師として招かれて「生涯学習とスローライフのまちづくり」について語らせていただきました。

 いまだに生涯学習の話で食っているのですが、この深遠な意味を伝えずにはいられません。

 生涯学習と言うと、年をとっても本を読んだり習い事をしたり芸術にいそしむこと、と理解されることが多いと思いますが、最初に生涯学習都市宣言をした掛川では、もっと前向きな姿勢を求めます。

 その姿勢は、合併前の旧掛川市が最初に行った生涯学習都市宣言の宣言文の中に端的に表れています。全部で四部からなる宣言文の第一部は、こういうものでした。


  掛川市民は
  少しでも多く幸せを実感するために
  健康で生甲斐をもって生きていくために
  一人でも多く素直になり
  悟りを開けるようになるために、
  私たちは、いろいろな職業や
  趣味道楽やコミュニティー活動を通じて、
  自分は何だ、お互いは何をなすべきかと
  いつも問いかけあいながら、一生涯学び続けていこう


 ごく一般的な都市宣言文とは到底思えないような、文学青年市長の青い理想が強くこめられた文章ではありませんか。

 これを作った榛村市長は、古今東西の本を読み漁るとともに、地元にゆかりの農村思想家二宮尊徳の報徳思想にも傾倒しており、この文章の中には随所に東洋思想で言うところの「徳目」について触れているところが多いように思います。

 そしてこの文章の中で注目されるべきなのは、市民に対してただ、「一生涯学び続けていこう」というのではなく、『いろいろな職業や趣味道楽やコミュニティー活動を通じて、自分は何だ、お互いは何をなすべきかといつも問いかけあいながら』一生涯学び続けていこう、と謳っている点です。

 個人個人が一人で孤独に学んでいこう、というのではなく、他人や友人との関係性の中で【問いかけ合いながら】学び続けていこう、というのです。

 今日、こうした関係性こそ価値ある資本だということを、ソーシャル・キャピタルと言うようになりましたが、このことをいち早く理解していたのは立派としか言いようがありません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 私は掛川での「生涯学習」とは、歴史や知識や人や出来事に関わって行こうとする前向きな精神のことだ、と理解しています。

 前向きな精神とは意志の力であって、だれでもそうあろうと思えばやれることです。「分からないことはすぐ調べよう」とか「道に迷ったら行ったことのない道を選んで行ってみよう」というのは生き方そのもので、そう自分自身が決めさえすればよい。

 もちろんすぐに人と仲良くなったり、本をたくさん読んでも覚えていられるなどという能力も大切ですが、まずは前向きに関わって行くという意志を持ち続け実践し続けることこそが重要なのだと思うのです。

 

 …などという、こんな話を一時間ほどさせていただき、その後は意見交換に花が咲きました。 

 初めて参加した会合でしたが、若さあふれる参加者に釧路の未来を明るいことを確信し、次回も参加を希望しておきます。

 生涯学習のまちづくり、まずは自分自身からの実践で範を垂れなくては。
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何気ない一日がリゾートになる釧路

2012-01-15 23:45:15 | Weblog
 昨夜から東京の釣り仲間のハマノさんが釧路へ来てくれましたた。

 明日札幌で仕事があるついでに釧路へ先乗りをして、釧路の釣り仲間と共に冬の道東の釣りを楽しもうというのです。

 かくいう私も、予定していた今日の仕事が急きょキャンセルとなり時間が取れたことをこれ幸いと、釣りに同行させてもらうことにしました。

 安定的な快晴の続く釧路地方ですが、先週来の強い寒波で川面には上流からの氷が流れ出していて、氷の塊が蛇行する河川の岸に擦れる音がサラサラと心地よく聞こえます。


   【これはこの時期しか見られない壮観です】


 しかし川面を大きな氷が流氷のように流れていると、流れの良さそうなところに針を投げ入れるのが難しい上に、川岸近くも凍っている状態では仕掛けが氷に引っかかって余計な気を使わされます。

 そんな本流はあきらめて、近くの別な川へ行ってみたところこちらは川面が見えて、釣り人も多数来ています。

 なんとか割れない氷を見つけてできるだけ川に近いところまで出てフライラインを投げ入れますが、なかなか渋い様子。

 私のフライに食いついてくれたのは40センチくらいのが二匹だけで、それも二匹とも途中で逃げられるという残念な結果。

 釣果はありませんでしたが、厳冬期の川筋は眠っている草木と氷の造形が美しく心を癒してくれます。


   【北海道の冬ならでは】


   【しかしリールも凍ってしまいます】



 遠くで鳴いていると思った親子と思われる三羽のタンチョウが私たちのすぐ上空を羽ばたいてゆき、エゾシカも姿を現します。

 帰り際にはこれまた美しい夕焼けが見送ってくれるようで、何とはない一日が上質なリゾートになるのが釧路の魅力です。



   【これこそ上等なリゾートです】
 
    ※     ※     ※     ※     ※


 最近釧路が特にお気に入りのハマノさんは、私たちは気安く会話をしているものの世界を又にかけた釣り師であり、新しいライフスタイルプロデューサーとして様々な提案をし続けてきた方です。

 移動中の車中でそんなハマノさんに、「釣りが地域の産業になるというようなことは可能でしょうか」と訊いてみました。

 すると答えは「できますよ、もちろん」という楽観的なもの。いつでもハマノさんは前向きです。

 「釣りって、それを取り巻く消費って案外多いでしょ。釣り人のための良い宿に泊まって良い車に乗り、良い道具と良い服で釣りを楽しむんです。さらにアメリカでは地域の川で釣りをするためのライセンスを売っていて、係員は銃を持って見回り、ライセンスを持たずに釣りをしているものはその場で100ドルの罰金を徴収するなど徹底していますよ。でも日本じゃそういうことが難しいんですね」

「釣りのガイドが地域で食ってゆくということは可能でしょうか」
「僕はずっとそれを言ってきていますけどね。例えばリゾート地だったら、冬はスキーインストラクターで夏は釣りのガイドとして一年中を通じて来訪者にサービスをしているんです」

 日本ではまだまだガイドが適切に評価されて十分なガイド料をいただけるようにはなっていません。

 お金を払うに値するガイドの質とは何か。地域の魅力をどのように地域の産業にできるのか。

 単なる「規制緩和」的な発想以上の何かと、ニーズ調査からは見えてこないブレイクスルーが必要なように思うのですが、まだなかなか考えが至りません。

 もう少し勉強が必要です。
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マリモと台湾の浅からぬ因縁

2012-01-14 23:45:56 | Weblog
 昨年は二羽のタンチョウ、オスのビッグとメスのキカが台北市動物園へ贈られて、釧路市と台北市との新たな交流が誕生しました。

 そのタンチョウは今年の3月に特別天然記念物指定60周年を迎えるのだが、それと同じくやはり特別天然記念物指定60周年を迎えるのがマリモです。

 今年はマリモでも少しく地域を盛り上げたいと思っていますが、マリモはタンチョウと違って鳴くわけでもなければ動きもせず、そもそも湖で保護されているのでドライブの途中などでおいそれとその姿を見るわけにもいきません。

 なんとも地味な植物で、話題性に乏しいというのが実情です。



   【阿寒湖チュウルイ島の見学施設】


    ※     ※     ※     ※     ※


 しかし阿寒湖畔でマリモの研究を続ける若菜さんの研究成果によって、次第にその実情が明らかになりつつあります。

 世界の湖にはマリモそのものは個体で存在しているところはいくつかあると言われています。

 実際、阿寒湖畔で売られているお土産のマリモも、どうやらロシアあたりから持ち込まれて売られているのだそうですが、こうした趣味の植物にはその流通シンジケートがあって、その実態はどうも分からないのだそう。

 しかもDNAを調べると本物のマリモと同じなのだそうで、似たような水草を丸めて売っているようなまがい物ではないようです。どうも神秘性が漂っています。

 さて、そんなマリモについていろいろと調べているうちに、なんとマリモも台湾と関係があるということが分かってきました。

 日本でマリモが学問的に知られるようになったのは、1894年(明治27年)に札幌農学校(当時)の宮部金吾先生がシオグサ属に同定したのが最初ですが、この時点ではまだ「マリモ」という名前は付けられてませんでした。

 阿寒湖で球状の大群落を形成する植物を、「マリモ(毬藻)」と名付けたのは当時札幌農学校(現北海道大学)の学生だった川上瀧彌(かわかみたきや)さんで、明治30年のことです。

 調査機関が今よりも格段に少なかった明治時代には、当時の大学生の研究というのは極めてレベルが高く、川上氏も道庁から委託を受けて道内外の植物調査にあたっていたと言いますから立派なものです。

 さて、このマリモと命名した川上瀧彌氏ですが、その後新渡戸稲造の紹介で台湾へ渡り、ここでも台湾周辺の離島を巡り様々な植物に関する論文を書いて台湾の植物を世界に知らしめる大きな貢献を果たしました。

 さて、当時台湾では1913年に着工した「児玉総督・後藤民政長官記念館」は1913年5月に完成しましたが、すぐに総督府に渡されるとその名称は「台湾総督府博物館」と改められました。

 川上瀧彌はその初代館長として病をおして引っ越しの準備をしていましたが、1915年8月20日に総督府博物館の開館が無事行われた翌日に、わずか44歳という若さで亡くなったのでした。

 台湾にはkawakamiと名がつく植物が40種類以上もあるそうで、その功績は今も台湾の植物研究者の知るところになっているのだそうです。

 
 いかがでしょう、タンチョウによる釧路と台湾の関係はあると言いましたが、なんと一世紀も昔に既にマリモを通じて釧路と台湾には深い関係性があったのです。

 川上瀧彌氏の死は殉職として、台北植物園内にある神社に祀られているのだそう。

 今度台北へ行くときは、動物園とともに植物園にも言って見なくてはなりますまい。

 不思議なことに、いろいろなことが束になってやってくるタンチョウ・マリモの60周年記念の年。なんだか面白くなってきましたね。



   【ビロード上の質感がきれいです】

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