旭川で催された中学校卒業時のクラス会に出席しました。
もう中学校卒業後38年目になると言うのに、結束が固いわがクラスはいまだにほぼ3年に一度のペースでクラス会を開き、当時の担任のK先生もほとんど毎回出席してくださいます。
K先生は我々より二十歳年上で、我々が卒業した時は当時35歳の担任の先生でした。今の我々よりずっと年下だったはずですが、今53歳になった自分たちよりも年上の大人の感じがした印象なのが不思議です。
K先生は同期就職の仲間達と会を作っていて、70歳になった古稀の記念として皆で寄付をしてカンボジアに学校を建てようということになり、現地に一棟を建てたのだそうです。
教育者としての気持ちがいまだに熱い先生を改めて尊敬しました。
※ ※ ※ ※
さて、卒業当時43人いたクラス仲間からは今年は全部で17名が参加。私は毎回違った立場と違った住所ですが、記録を見ると過去五回のクラス会は全て参加していてなんと皆勤賞。
出席するメンバーの顔ぶれも大体決まってきた感じがありますが、それでも時々元気な顔を見せてくれて、面白い話が聞けると嬉しいものです。
しかしながら卒業後38年も経つとそれぞれに人生があります。ご主人が亡くなったり会社が倒産したり、離婚したり再婚したり、病気になったり直ったり、地域活動でスポーツの指導に汗を流したり、パークゴルフでアイドルになったり…、まさに悲喜こもごもです。
そんな中、中学校当時テストの成績ではあまり目立たなかったX君がいました。
彼は製薬会社の医薬情報担当者(かつて『プロパー』、今は『MR』と呼ばれている)になり、全道を回りながら自社の医薬品を病院に使ってもらえるようにという営業活動を熱心に展開しています。
かつてはゴルフや麻雀など医師への接待攻勢で悪評を受けていた業界ですが、その人なつっこさから医師に可愛がられて結構な成績を上げることができているそうです。
「人に気に入ってもらう、ってことは単におべんちゃらを使ってもダメだよな」彼はその気骨も好かれる理由です。
「ある病院で、腕は良いんだけど経営が下手なために赤字経営になっているところがあったんだ。それでそこが倒産するかも知れない、という噂が立ったんだけど、そうしたら売掛で医薬品を入れていた同業者がみんな薬を入れなくなって、逆に売った分の徴収にかかったりしてにげだそうとしたのさ」
「そりゃあ倒産したらかなりの額が回収出来なくなるだろうから、皆必死になるわな」
「そのときに僕はその病院の知り合いの事務局長にこう言ったんだ。『事務局長さん、僕はあなたを信頼しているからあなたがいなくなるようなら薬を止めるけど、あなたがこの病院に残っている間は薬は入れ続けますから』ってね」
「なるほど」
「そんな騒ぎの後で病院が経営コンサルタントに経営相談をしてみたら、腕は確かで経営にちょっとセンスが足りなかっただけだから、みるみるうちに業績が回復して元に戻ったんだ。そうなってみてまた各社が営業をかけたって、今度は事務局長が『俺はX君に世話になった』と言って、それまで他から入れていた分まで僕のところから薬を入れてくれるようになった。噂なんかで逃げ出さなくて良かった。歳とは信頼だったよ」
※ ※ ※ ※
確かにX君は生命力が旺盛で物怖じしないタイプ。これこそまさに人間力と言えそうです。
「流行る医者と流行らない医者の違いって分かるようになったよ」とX君。
「ほう、たくさんの医者を見てきたX君の目から見るとどういう違いなんだい?」
「患者に対しての態度がいくら優しくても、スタッフや看護師に対してやたら怒ったり態度の大きな医者がいるのさ。こういう人はダメだね。患者に対する態度もスタッフに対する態度も同じっていう医者は信頼されて評判もあがる。まさにこの一点だな」
多くの人間を見てくるときっと人を見る目も養われてくるのでしょう。
相手が誰でも尊大にならずへつらわず。
誰にでも変わらぬ穏やかな態度こそ立派な人間として備えたい素養ですね。

【旭川買い物公園のイルミネーション】
もう中学校卒業後38年目になると言うのに、結束が固いわがクラスはいまだにほぼ3年に一度のペースでクラス会を開き、当時の担任のK先生もほとんど毎回出席してくださいます。
K先生は我々より二十歳年上で、我々が卒業した時は当時35歳の担任の先生でした。今の我々よりずっと年下だったはずですが、今53歳になった自分たちよりも年上の大人の感じがした印象なのが不思議です。
K先生は同期就職の仲間達と会を作っていて、70歳になった古稀の記念として皆で寄付をしてカンボジアに学校を建てようということになり、現地に一棟を建てたのだそうです。
教育者としての気持ちがいまだに熱い先生を改めて尊敬しました。
※ ※ ※ ※
さて、卒業当時43人いたクラス仲間からは今年は全部で17名が参加。私は毎回違った立場と違った住所ですが、記録を見ると過去五回のクラス会は全て参加していてなんと皆勤賞。
出席するメンバーの顔ぶれも大体決まってきた感じがありますが、それでも時々元気な顔を見せてくれて、面白い話が聞けると嬉しいものです。
しかしながら卒業後38年も経つとそれぞれに人生があります。ご主人が亡くなったり会社が倒産したり、離婚したり再婚したり、病気になったり直ったり、地域活動でスポーツの指導に汗を流したり、パークゴルフでアイドルになったり…、まさに悲喜こもごもです。
そんな中、中学校当時テストの成績ではあまり目立たなかったX君がいました。
彼は製薬会社の医薬情報担当者(かつて『プロパー』、今は『MR』と呼ばれている)になり、全道を回りながら自社の医薬品を病院に使ってもらえるようにという営業活動を熱心に展開しています。
かつてはゴルフや麻雀など医師への接待攻勢で悪評を受けていた業界ですが、その人なつっこさから医師に可愛がられて結構な成績を上げることができているそうです。
「人に気に入ってもらう、ってことは単におべんちゃらを使ってもダメだよな」彼はその気骨も好かれる理由です。
「ある病院で、腕は良いんだけど経営が下手なために赤字経営になっているところがあったんだ。それでそこが倒産するかも知れない、という噂が立ったんだけど、そうしたら売掛で医薬品を入れていた同業者がみんな薬を入れなくなって、逆に売った分の徴収にかかったりしてにげだそうとしたのさ」
「そりゃあ倒産したらかなりの額が回収出来なくなるだろうから、皆必死になるわな」
「そのときに僕はその病院の知り合いの事務局長にこう言ったんだ。『事務局長さん、僕はあなたを信頼しているからあなたがいなくなるようなら薬を止めるけど、あなたがこの病院に残っている間は薬は入れ続けますから』ってね」
「なるほど」
「そんな騒ぎの後で病院が経営コンサルタントに経営相談をしてみたら、腕は確かで経営にちょっとセンスが足りなかっただけだから、みるみるうちに業績が回復して元に戻ったんだ。そうなってみてまた各社が営業をかけたって、今度は事務局長が『俺はX君に世話になった』と言って、それまで他から入れていた分まで僕のところから薬を入れてくれるようになった。噂なんかで逃げ出さなくて良かった。歳とは信頼だったよ」
※ ※ ※ ※
確かにX君は生命力が旺盛で物怖じしないタイプ。これこそまさに人間力と言えそうです。
「流行る医者と流行らない医者の違いって分かるようになったよ」とX君。
「ほう、たくさんの医者を見てきたX君の目から見るとどういう違いなんだい?」
「患者に対しての態度がいくら優しくても、スタッフや看護師に対してやたら怒ったり態度の大きな医者がいるのさ。こういう人はダメだね。患者に対する態度もスタッフに対する態度も同じっていう医者は信頼されて評判もあがる。まさにこの一点だな」
多くの人間を見てくるときっと人を見る目も養われてくるのでしょう。
相手が誰でも尊大にならずへつらわず。
誰にでも変わらぬ穏やかな態度こそ立派な人間として備えたい素養ですね。

【旭川買い物公園のイルミネーション】