
ちょっとしたまちづくり勉強会に講師として招かれて「生涯学習とスローライフのまちづくり」について語らせていただきました。
いまだに生涯学習の話で食っているのですが、この深遠な意味を伝えずにはいられません。
生涯学習と言うと、年をとっても本を読んだり習い事をしたり芸術にいそしむこと、と理解されることが多いと思いますが、最初に生涯学習都市宣言をした掛川では、もっと前向きな姿勢を求めます。
その姿勢は、合併前の旧掛川市が最初に行った生涯学習都市宣言の宣言文の中に端的に表れています。全部で四部からなる宣言文の第一部は、こういうものでした。
掛川市民は
少しでも多く幸せを実感するために
健康で生甲斐をもって生きていくために
一人でも多く素直になり
悟りを開けるようになるために、
私たちは、いろいろな職業や
趣味道楽やコミュニティー活動を通じて、
自分は何だ、お互いは何をなすべきかと
いつも問いかけあいながら、一生涯学び続けていこう
ごく一般的な都市宣言文とは到底思えないような、文学青年市長の青い理想が強くこめられた文章ではありませんか。
これを作った榛村市長は、古今東西の本を読み漁るとともに、地元にゆかりの農村思想家二宮尊徳の報徳思想にも傾倒しており、この文章の中には随所に東洋思想で言うところの「徳目」について触れているところが多いように思います。
そしてこの文章の中で注目されるべきなのは、市民に対してただ、「一生涯学び続けていこう」というのではなく、『いろいろな職業や趣味道楽やコミュニティー活動を通じて、自分は何だ、お互いは何をなすべきかといつも問いかけあいながら』一生涯学び続けていこう、と謳っている点です。
個人個人が一人で孤独に学んでいこう、というのではなく、他人や友人との関係性の中で【問いかけ合いながら】学び続けていこう、というのです。
今日、こうした関係性こそ価値ある資本だということを、ソーシャル・キャピタルと言うようになりましたが、このことをいち早く理解していたのは立派としか言いようがありません。
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私は掛川での「生涯学習」とは、歴史や知識や人や出来事に関わって行こうとする前向きな精神のことだ、と理解しています。
前向きな精神とは意志の力であって、だれでもそうあろうと思えばやれることです。「分からないことはすぐ調べよう」とか「道に迷ったら行ったことのない道を選んで行ってみよう」というのは生き方そのもので、そう自分自身が決めさえすればよい。
もちろんすぐに人と仲良くなったり、本をたくさん読んでも覚えていられるなどという能力も大切ですが、まずは前向きに関わって行くという意志を持ち続け実践し続けることこそが重要なのだと思うのです。
…などという、こんな話を一時間ほどさせていただき、その後は意見交換に花が咲きました。
初めて参加した会合でしたが、若さあふれる参加者に釧路の未来を明るいことを確信し、次回も参加を希望しておきます。
生涯学習のまちづくり、まずは自分自身からの実践で範を垂れなくては。