北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

亡くなってなお、教わること

2017-05-14 22:30:54 | Weblog

 

 昨日、一日中外にいて花粉を大量に浴びたせいか、花粉症のために朝寝ていたときから目がかゆくて目が覚めました。

 今日は朝から、花粉症の薬を飲み、目を洗ってアレルギー用の目薬を差しても効かなくて、ずっと目がかゆくてたまりません。

 昨日は薬を飲んで、朝から調子が良かったので日中マスクをしていなかったことも災いしたのかもしれません。

 同じ悩みを持つ皆さん、もう少し耐えましょう。


          ◆  


 うちのお隣にいたお爺ちゃんが96歳で亡くなり、今日はお通夜に行ってきました。

 今の家に引っ越してきたときから、庭いじりが大好きなお隣のおじいさんでした。

 数年前に奥さんを亡くされて、二年前から高齢者用の施設に移り住んでおられたのですが、ときどき息子さんに連れられて気になる庭の手入れにやってきていました。

 また町内の役もずっとこなしていて、「この町内に外灯がついているのはあの方がずっと街路灯組合で頑張ってこられたからですよ」と教えてくれる方がいて、穏やかで人の役に立つ生き方をしてこられたお爺ちゃんの在りし日を偲びました。

 読経をしてくれた住職は、法話の中で、「お爺ちゃんは、年忌法要のご用事があると必ず、まず『今年は○年忌です。いついつ頃にお願いしたいのですが、近くなりましたらまたご連絡します』とお手紙をくれました。私はそれを読んですぐに携帯電話に電話連絡をしてしまっていたのですが、お手紙をいただいたら、まずは手紙で返さなくちゃ、と常々反省をしたものです。

 亡くなられた方は、ああやってお棺の中で、『あなたたちもやがてこうなるんだよ。そのときにどういう生き方をしたかが問われるよ』と最後になお教えてくださっています」とお話をされました。

 人の人生は最後に評判が伴うんですね。

 お爺ちゃんのご冥福をお祈りしながら、我が身を顧みるひとときでした。

 鼻がぐすぐすしていたのは、花粉症のせいですが、半分はお爺ちゃんの思い出のためでした。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする