北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

やっぱりロコには敵わない

2011-06-29 23:45:07 | Weblog



 先日掛川組として釧路へ遊びに来てくれた友人のサトー君が、阿寒川でのフライについて「北海道がテリトリーになった」という素晴らしい文章をブログに書いていました。

 彼こそ日頃から「これからはロコですよ、ロコ!」と地元を良く知り地元を徹底的に遊ぶ地元民を『ロコ』と名付けて面白がっている張本人。

 漫然と地元に生きていてはロコにはなれない。自分の興味あるフィールドを徹底的にしゃぶり尽くさなくてはロコとは呼べないのです。

 そんなロコ伝道師であるサトー君が阿寒川でフライフィッシングをしたい、というのだから、こちらとしてはロコのフライフィッシャーと言うことでH田さんに頼み込んで案内をしてもらったのだが、これがベストマッチングでした。

---------------≪ ここから引用 ≫--------------

【道東がテリトリーになった「自然回帰マーチャンダイジング」】
   http://bit.ly/knq26x
 …(前略)
  いつもとは勝手の違う釣りが要求されていることを承知しつつ、いつものソフトハックルの釣りが通用しないはずがない、とタカをくくって釣り上がっていったが、ウンでもスンでもない。

 すると早田さんが近づいて来て、「あのー、サトーさんは南アルプスの渓がホームグラウンドだから、流れの速いところを流してますね。この川の場合、例えばあの小さな流木脇の、さらに岸寄りかな。

 あるいはもっと際で、もっと浅くて、もっと緩くて、サトーさんからすれば、え?こんなところ?くらいのピンスポットを大切にやってみてください。私はさっきサトーさんがやっていたところで、50cmオーバーが出ましたよ!」やんわりと、流し方とスポットがズレているという指摘だった。

 阿寒川の流儀を大切にしないとアカン!のだと、釣り方もシステムもフライも変更。早田さんの言う通りを、さらに大げさに解釈してトライしてみたら、阿寒川のニジマスは、いともあっさり、バコーン!と迎えてくれた。しかも早田さんからいただいたこのフライに…。

 (以下略)

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 H田氏は、この時期にこれくらいの魚と遊べる川筋はどこかを瞬時に思い浮かべてそこへ連れて行ってくれ、さらにはそれぞれの力量を見定めたうえで的確なアドバイスをして回っていた。


    ※     ※     ※     ※     ※


 サトーさんからH田さんとの間でそんなことがあったと聞いて、早速H田さんとあった時のその話をしてみた。

「サトーさんが、『H田さんは後ろからじっと様子を見ていて、頃合を見計らって、フライを入れる場所を的確に教えてくれました。後で掛川でスライド上映会をしたのですが、皆、そんなところに落とすなんて考えられない、と言っていたんですがね。やっぱりロコには敵わない、って話なんですけど』なんて言っていましたよ」

 そういうとH田さんは、「サトーさんは上手だから狙ったところにちゃんと落せていましたからね。ただ、南アルプスの川は急流ですが魚も小型のものが多いから急流を流れていても疲れないんです」
と言います。

「ふむふむ」
「阿寒川でも小物で良ければ必ず釣れる、というところもあれば、確率は低いけれど大物が出るところを楽しめるところ、といろいろなポイントの特徴があります。今回は後者の、『当たればでかい』のが出るところでやっていたんです」

「なるほど」
「大物は、体がでかいだけに急流を上流に向かって泳ぎ続けるなんていうのは、小型の魚と違って体力がいるので楽をしたくて流れの緩やかなところにいるものなんです。それが分かっていると、『あの辺に落としてみたらどうですか』と言えるし、アドバイス通りそこに落とせれば釣れるというわけですよ。全部魚の考えそうなことを理解できれば釣れますよ」

 
 ふーむ、経験と眼力のないものはそれができないのですがね。やっぱりロコには敵わないものです。


 もしも我々が南アルプスを案内されるようなことがあれば、ロコはサトーさんだ。その時にはやっぱりロコに敵わないのだろう。

 自分はどこで何のロコでいられることだろう。転勤族にもロコは憧れである。
  
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博物館大会での講演「つなぎ・つなげる・つながる生涯学習」

2011-06-29 09:51:15 | Weblog

 お知らせです。明日釧路市内の生涯学習センター「まなぼっと」で博物館大会のなかで講演会をします。「つなぎ・つなげる・つながる生涯学習」というタイトル。

 二週間の間に断続的に来ていた講演依頼の最後の山です。


 講演の要旨はこんな感じ。

1.「生涯学習」の本当の意味
 私は平成14年から三年間、静岡県掛川市の助役として当地で働きました。掛川市は当時の榛村純一市長が提唱した生涯学習都市宣言を日本で始めて行った都市で、生涯学習によるまちづくりを進めてきたことで知られています。現在生涯学習というと高齢者が生きがい作りのために文化・芸術活動に触れることと理解されがちですが、掛川市が提唱した生涯学習にはもう少し深い意味がありました。そこから生涯学習と「つながる」という事の意味を考えたいと思います。


2.繋がることの意味
 今回は博物館が誰かや何かと「つながっている」ということの意味を考えたいと思います。今日博物館には低予算や人員不足、利用者の増減など多くの課題がありますが、その存在の意味と価値を再確認して、つながっていることの必要性を考えたいと思います。


3.繋がる手段としての新しいツール
 インターネットの時代になって、情報や人は相互にすさまじい勢いでネットワーク化が進んでいます。人と人が繋がるという意味では、ブログやメールマガジン、ツイッター、フェイスブックなど、新しい電子ツールが次々に登場しています。それらの有効な活用とはどういうものでしょうか。


4.博物館とつながる人と情報
 博物館が持っている知識やデータ、研究成果などはストック情報として価値あるものですが、それらは人々に利用されてこそ真の価値をもたらすことでしょう。新しい情報ツールで博物館が人や情報と繋がるということの意味は何でしょうか。


    ※     ※     ※     ※     ※


 今回は博物館と利用者の関係性を「つなぐ・つなげる・つながる」という切り口でお話します。いくら良いことを考えていても、思っているだけでは伝わりません。「発せられない声は聞こえない」のです。

 そう思うと、博物館は市民や利用者に対して何をどれくらい発信しているのでしょう?ネット環境が著しく進化している現代社会にあって、だれもが簡単にネットにアクセスできる時代になって、そうした環境を上手に使いこなしているのでしょうか。

 もし情報発信に対してそれを妨げているハードルがあるとしたらなんでしょう?

 職員の意識か?職員のネットスキルでしょうか?もしかしたら『ネットに簡単にアクセスしてはいけない』という市役所内部の規定なのではありませんか?

 博物館だけの話ではなく、大切なことはビジネスも市役所の行政事務も利用者や市民と繋がっていて、繋がることで共感が得られた方が良い。共感が得られなければだめだと思うことではないでしょうか。

 博物館って何のためにあるのでしょう? その根源的な問いにまでさかのぼらないといけないかも、ね。
 
 今は最後のパワポの整理中。あ~、熱くなってきた(笑) 明日はちょっと辛口になるかもしれません。

 → http://bit.ly/mCqtWe

コメント (2)
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