市の新しい上水道施設を建設・管理する事業者を選定するために外部委員会を設けています。そしてその外部委員会が今日と明日開催されることになり、今夜は岸壁炉端で委員の先生との懇親会が開かれました。
今日初めてお会いする委員の一人は埼玉県にある水環境の研究所教授のIさんです。お酒を飲んで話をしながら話題は身の上話に。
「I先生のご出身はどちらですか?」
「私北海道の旭川なんです」
「そうですか、私は旭川東高校です」
「おや、私もです。年齢を伺うとこままささんの方が一年先輩ですね」
「大学はどちらですか?」
「北大工学部の衛生工学です」
「はあ、なるほど。それならば同じ旭東の一年上でO林という者を知りませんか。私は同じ下宿だったんです」
「知っていますよ、高校の先輩であることもさることながら、同じ工芸同好会に所属していたんです」
「!! 工芸同好会ですって!?私もO林と同じく所属していたじゃないですか!とするとI先生は、あのIですか?」
「げげ、こままささんってあのこままささんだったんですか!えー?」
なんと話をしているうちに、同じ高校の工芸同好会という倶楽部の後輩だったことが判明。しかも同じ時期に一緒にいたことだってあったのですが、35年ぶりの再会にお互い全く気付かなかったとは!世の中、いろいろな出会いと再会があるものです。
※ ※ ※ ※ ※
当時の母校には芸術家としてもすぐれた作品を造られるH先生がいて、H先生のもとで工芸同好会を作ったのが私の学年で、私たちが初期メンバー、I君たちが二期生。
私は一枚の銅板から中世騎士をイメージした銅仮面を作りましたが、これは今でも青春の一コマとなっています。どちらともなく当時のH先生の思い出話になりました。
「作品つくりは自分のことだから、どう作りなさいとは言われなかったよね」と私。
「私は器のコンポートを作りましたが良い思い出です」とI君。
「基本的には優しい先生だったけれど、僕は作品制作の途中で仮面の背板をつくるのにちょっと手抜きをしたらえらく叱られた。『そこまでやったのに何で最後に手を抜くんだ!』ってね」
「あ、それ僕も同じです。作品の台座を楽して作ったらやはり叱られました。結局、手を抜くということに対しては厳しくて、それを伝えたかったのでしょうね」
「僕たちが卒業してからの後輩はどうだったかな?」
「それは、年を追うごとに洗練されて上手になっていったと思います。しかし…」
「しかし?」
「…、僕たちの作品には野性味というか、何をどう作ってよいかわからないけれど勢いみたいなものがあったように思うんです。テクニックとかスキルを超えたエネルギーです。僕たちの粗い作品があるから後に続く者たちはそれを超えることを考えれば良かった。そういう意味で最初があるから後に続くことができたのではないでしょうか」
「そうなのかな。僕は、自分の作品を見た後輩の誰かから、『私はこままさ先輩の作品を見て、あ、このクラブに入りたいと思いました』と言われたことが一回だけあって、たった一人でもその人に影響を与えられたんだ、と思った時がものすごく嬉しかったよ」
「まあ青春ですね、先輩」
「そうだ、青春だ」
※ ※ ※ ※ ※
出会いはときに不思議な形で現れるものです。一瞬で時空を超えることができる思い出の世界を久しぶりに味わいました。
自分の人生も案外いいじゃないか。

【当時の作品の『鉄仮面』中に電球が入る照明になっているのです】
今日初めてお会いする委員の一人は埼玉県にある水環境の研究所教授のIさんです。お酒を飲んで話をしながら話題は身の上話に。
「I先生のご出身はどちらですか?」
「私北海道の旭川なんです」
「そうですか、私は旭川東高校です」
「おや、私もです。年齢を伺うとこままささんの方が一年先輩ですね」
「大学はどちらですか?」
「北大工学部の衛生工学です」
「はあ、なるほど。それならば同じ旭東の一年上でO林という者を知りませんか。私は同じ下宿だったんです」
「知っていますよ、高校の先輩であることもさることながら、同じ工芸同好会に所属していたんです」
「!! 工芸同好会ですって!?私もO林と同じく所属していたじゃないですか!とするとI先生は、あのIですか?」
「げげ、こままささんってあのこままささんだったんですか!えー?」
なんと話をしているうちに、同じ高校の工芸同好会という倶楽部の後輩だったことが判明。しかも同じ時期に一緒にいたことだってあったのですが、35年ぶりの再会にお互い全く気付かなかったとは!世の中、いろいろな出会いと再会があるものです。
※ ※ ※ ※ ※
当時の母校には芸術家としてもすぐれた作品を造られるH先生がいて、H先生のもとで工芸同好会を作ったのが私の学年で、私たちが初期メンバー、I君たちが二期生。
私は一枚の銅板から中世騎士をイメージした銅仮面を作りましたが、これは今でも青春の一コマとなっています。どちらともなく当時のH先生の思い出話になりました。
「作品つくりは自分のことだから、どう作りなさいとは言われなかったよね」と私。
「私は器のコンポートを作りましたが良い思い出です」とI君。
「基本的には優しい先生だったけれど、僕は作品制作の途中で仮面の背板をつくるのにちょっと手抜きをしたらえらく叱られた。『そこまでやったのに何で最後に手を抜くんだ!』ってね」
「あ、それ僕も同じです。作品の台座を楽して作ったらやはり叱られました。結局、手を抜くということに対しては厳しくて、それを伝えたかったのでしょうね」
「僕たちが卒業してからの後輩はどうだったかな?」
「それは、年を追うごとに洗練されて上手になっていったと思います。しかし…」
「しかし?」
「…、僕たちの作品には野性味というか、何をどう作ってよいかわからないけれど勢いみたいなものがあったように思うんです。テクニックとかスキルを超えたエネルギーです。僕たちの粗い作品があるから後に続く者たちはそれを超えることを考えれば良かった。そういう意味で最初があるから後に続くことができたのではないでしょうか」
「そうなのかな。僕は、自分の作品を見た後輩の誰かから、『私はこままさ先輩の作品を見て、あ、このクラブに入りたいと思いました』と言われたことが一回だけあって、たった一人でもその人に影響を与えられたんだ、と思った時がものすごく嬉しかったよ」
「まあ青春ですね、先輩」
「そうだ、青春だ」
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出会いはときに不思議な形で現れるものです。一瞬で時空を超えることができる思い出の世界を久しぶりに味わいました。
自分の人生も案外いいじゃないか。

【当時の作品の『鉄仮面』中に電球が入る照明になっているのです】