
さて佐々木俊尚著「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書)のレビューの続き。前回は新聞消滅でしたが、今回はテレビも消滅するだろうというお話です。
テレビ業界も最近は凋落の一途をたどっています。昨年、テレビ東京と日本テレビが赤字決算となり、今年の四月にはテレビ朝日の決算も赤字となりました。
これは金融不況からの一時的なものかと言えばさにあらず、業界でももはやこれは構造不況だということで一致しているのだとか。その要因は、前回も述べた「マスの消滅とミドルメディアの台頭」であり、その結果としての広告効果の地盤沈下です。
これまでのテレビメディアの収益要素は、①番組コンテンツ、②電波免許、③マスメディアとしての広告効果だったわけですが、これらのうちテレビ会社が持っていたのは実は②の電波免許だけ。
①の番組コンテンツはあたかもテレビ会社が作っているかのような顔をしていますがその実態は制作会社が下請けで作っているだけ。③のマスメディアの広告営業は実は広告代理店が下請けをしているわけでテレビ会社が営業をするということもありません。
それでも収益が得られたのはひとえに②の電波免許を抑えていて、映像メディアの数が増えないようにされているためなのです。見るチャンネルが増えれば視聴率(=これも眉唾ですが)が当然下がり、広告効果が下がってしまうため、新規参入を陰で妨害していたとも。
番組コンテンツ制作にいたっては、2007年に「発掘あるある大辞典」で納豆の効果捏造事件があった際に、スポンサーからは1億円が広告代理店に支払われていながら、テレビ局、一時下請け会社・・・と中間搾取層を重ね、実際に捏造を行った制作会社には8百万円しか支払われていなかったことが明らかになってしまったのだとか。
しかし、テレビ局の数が限られていれば、「それがいやなら他で仕事をすれば?替わりはいくらでもいるからね」と言われ、泣く泣く受け入れざるを得ないという力関係が存在しているのです。これでは深みがあって視聴者をひきつける番組作りが続くわけもありません。
しかしながら前回もお示しした三層構造で言うと、
コンテンツ=番組コンテンツ
コンテナ=テレビというまとまり
コンベヤ=電波 、という垂直統合が強固にまとまっていたのがこれまでのテレビ業界でした。
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実はアメリカでもかつて同じようなことがあったらしいのですが、アメリカでは「夜のゴールデンタイムで放送する番組のうち、四分の一は自社以外が制作したものを放送せよ」また「下請け会社の作った番組を自分の所有物にするな」というコンテンツの囲い込みをオープン化する政策が取られたため、当時テレビに食われて斜陽といわれたハリウッドの映画会社がこの世界に参入してきたのだとか。
そこで、日本の幼稚なドラマに比べるとはるかに見ごたえのある「24(トウェンティ・フォー)」や「プリズン・ブレイク」などの質の高いドラマができ、しかもそれをハリウッドの所有物として関連ビジネスの展開もできるということで、テレビ業界の押さえが利かない社会になっているのです。
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コンテンツに関してはまだ日本ではそこまでのことは起きていませんが、技術開発ともにいくつかのシフト現象が見られます。その一つがハードディスクレコーダー(HDR)の普及。
これまでもビデオレコーダーによって録画して後で見るということはありましたが、HDRの普及によって放映時間に左右されずいくつもの番組を録画して自分の時間で観るというライフスタイルがさらに顕著なものになりました。
このことでゴールデンタイムのドラマの広告費が本当に高いのかどうか、視聴率との連動もしづらくなりました。またある調査では、HDR利用者のうちCMをすべて飛ばしてしまう人が23%で、過半数の人がCMの八割を飛ばしてみているという調査結果が出たのだとか。
当然広告代理店は猛烈に反発したようですが、コンテンツに付随するCMは必要ないという視聴者のライフスタイルは確実に変化しているのは間違いありません。
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テレビに関してはもう一つおかしな状況も懸念されています。それは東京のキー局と地方ローカル局の関係。
これまで地方ローカル局ではスポンサーが集まりにくいため在京キー局の番組を少ないローカル局が束ねて放送をしていました。東京の番組がすべて見られない地域がいくらもあるわけです。
それをこれまではケーブルテレビが入っていたところでは、地方ローカル局の不満を受けながらも、再放送することを総務省が認めていました。ところが2011年の地デジ化に伴ってこの問題が再燃し、たとえば長野県では、2014年まではキー局の再放送を認めるがそれ以降は地方ローカル局しか見られなくなるということで決着したのだとか。
この期に及んで地方ではまともにテレビ放送が見られなくなるなどという事態が許容され、住民の支持が得られるかどうか。地方ローカル局のテレビ会社というコンベヤは一体どこへ行こうとしているのか。まだほとんどの人は気がついていないようですが。
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またネットでの動画配信サイトの隆盛振りも脅威です。アメリカでは既にテレビ産業とユーチューブの提携が進んでいて、CNNというニュース番組ではユーチューブで番組を見ることができます。
日本ではまだそこまで入っていませんが、アメリカではもう既にコンテンツを運ぶコンベヤはネット世界のユーチューブがプラットフォームになってしまっているのです。
まだまだテレビ産業は、お金の取れるコンテンツを有していると言えるでしょう。しかし、コンテンツの制作を広告効果と絡めて収益を付加し、確実に求める人に配信するという機能は、これまでのような垂直統合のままでいられるとは思えません。
スポンサーは自社の商品がどれだけ良いものかを多くのターゲットに伝えられさえすればよいので、必ずしもテレビ番組などといううまどろっこしい餌をつけなくても良いのです。
ネットがますます当たり前になり、過ごす時間の多くがテレビの前からネットに変わるなかで、テレビはいかに生き延びてゆくことができるでしょうか。
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いかがでしょう。なかなか刺激的な内容ですが、かなり腑に落ちることも多いものでした。
もう一つ面白い話があります。広告出稿量ナンバー1企業のトヨタは、同社の最高級自動車であるレクサスについてテレビCMを打っていないのだそうです。それはレクサスの購買層である高所得者層はテレビをほとんど見ていないというデータを入手しているからです。
品のある人たちはもはやテレビを見ていない、ということが調査の結果明らかになったということは、テレビCMを打ったところで購買層には届いていないということ。広告宣伝効果はゼロです。
そして、「わが商品はテレビでCMを打っていないのですません」ということ自体が高い品格の商品であるという証になるとはなんという逆説でしょう。
今の視聴率などという根拠のよく分からないデータでは、ターゲットに届いているのかどうかが全く分からないわけで、今なおこんな程度のデータが放送枠の単価を左右しているというのもこれまた古めかしい話しです。
デジタル化することで何かが変わるのか、それとも実際の視聴データなどというものを明らかにされては困るのか。
2011年は目の前です。