
午前中に実家に顔を出して仏壇に手を合わせてきました。いつ行っても年寄りの家には美味しいものがありますなあ(笑)
親の家があるのは札幌近郊の戸建て住宅が立ち並ぶベッドタウン。最近は高齢化に伴って主のない家が増えている一方今でもで、空き地だったところに新しい家が建っているそう。
もっとも土地代は、親が建てた30年前とほとんど変わっていないか安くなっているくらいだというので、それなら建てやすいということもあるのでしょう。郊外の土地では儲からない時代になったようです。
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この日はこの地域の神社の秋祭りだったようで、辻には祭の幟(のぼり)が立てられていました。どこからか笛と太鼓の音も聞こえてきますがこのあたりではスピーカーから流されているもので、地域の人たちが奏でるような文化レベルは到底望むべくもない。
家の近くの神社は、この地域に香川県からの入植者が勧進したもので天照大神を主祭神として祀る神社として地域の信心を集めてはいるのですが、それだけの祭文化や祭を取り巻く芸能文化までを伝えることができなかった歴史であったわけです。
今なお地域が御輿や山車に多額のお金を掛けて所有し、これを地域の人たちが若者からお年寄りまで一年を掛けて祭の準備を行いそれを粛々と実行して行くということがどれほどの精神エネルギーを必要とすることか。
また祭の周辺芸能文化としてお囃子や踊り、舞の継承が行われることが立派なことかはそうしたものが失われた後を見れば非常によく分かるというものです。
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実家の町内では、子供御輿と本御輿が住宅地の街区を練り歩きますが、子供御輿は小さな御輿をリヤカーに乗せて大人(といっても高齢者ですが)の先導で子供達がそれに付き添うという形。子供達も年々少なくなって寂しそう。
また本御輿も、これまたトラックの荷台に乗せられてスケジュールに沿って地域の会館を巡り、しばし滞在してまた次へ行くという行程。私も御神輿へのご挨拶に行きましたが、町内会の役員さん達が法被を着て出迎える以外は、周辺の地域からほとんど誰も出てきてお迎えをすることもありません。何と寂しい姿であることか。
「なんもさ」「いいんでないかい」という方言が北海道の大らかさを表すなどという人もいますが、そのコインの裏側は歴史や伝統を背負うつもりもなく衰退をただ受け入れるしかないという諦めの表現なのではないか、とも思うのでした。
「人が地域に住む」ということが経済の面だけでしか語られないとすればそれはもはや地域の敗北に等しいのではないか。
この日実家で改めて地域の祭の姿を見たことは神様から「この姿をみなさい」といわれたような気がしました。