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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

日英同盟と日本庭園

2009-07-20 22:55:13 | Weblog
 先日のアルプスあづみの公園の開園式には、歴代OBを含む多数の公園関係者が訪れていました。そしてそんな中の一人に、もう公職からは全て引退された大先輩のSさんという方がいらっしゃいました。

 この方の役人時代は公園事業が一番伸び盛りの時で、さまざまな制度や事業を創設するために随分永田町を駆け回ったという武勇伝を聞かされたものです。この方のおかげで現在の公園事業の礎が築かれたというくらい大変な活躍をされたといっても過言ではありません。
 不思議に私はこの方に気に入られていて、よく声を掛けられて世間話をすることがありました。

 今回も開園式から帰りのJR大糸線の小さな駅で立ち話。

「こままささんは今どこにいるんだっけ?」
「(名刺を差し出して)今は新宿におります」

「そうかそうか、そうだったね。私ゃもう名刺もない立場でね はは」
「いえいえ、それはもう…。ところでS先輩は今はどういった活動をされておられるんですか?」

「今かい?今はね、ロンドンの庭園の修復をしようかと思っていてね。誰もやる人がいないっちゅうんでお鉢が回って来ちゃって、ははは」
「ロンドンにそんな庭園があるのですか。すみません不勉強でよく知らないものですから」

「あのね、昔『日英博覧会』というのがあったんです、1910年でしたかな。それでそのときに日本庭園をロンドンに作りましてね、今でも公園の中にあるんですが、それの管理が行き届いていないと言うんですよ。それで管理をしてあげようかと。まあ走り回ってますよ」
「ロンドンの公園ですか」

「日英博覧会の背景は日英同盟なんですよ。日露戦争をやらにゃならんということになりかけたものの、当時の日本には軍艦を作るお金もない。そしてその調達が大変だった。ちょうどそんな時に、ロシアに対する対抗で利害が一致したイギリスと日本は日英同盟を結んで協力し合うことにしたんです」

「そしてその結果、当時としては大変な額の国債をイギリスに買ってもらって戦費を調達したんですよ。それがなかったら戦争するだけの戦力など到底揃わなかった。それで、なんとかぎりぎりのところで日露戦争にも勝つことができた。ちょうどそんなときに日英博が開催されたんです。日本にとっては西洋へのデビューでもあったし、イギリスへのお礼の意味もあったんですな。しかし百年経って、それの管理がどうも巧く行っていないというんではね。まあ、なんとかしないといけませんわな、ははは」


 ちょっとした立ち話で日英同盟の話が出るとは思いませんでした。

 歴史とは教科書の中の物語ではなく、今につながる先人達の活動そのものです。

 日本庭園には専門の管理が必要です。百年前のできごとのフォローのために、公園のOBとして貢献しようとする先輩がいると言うことに感動しました。

 歴史は今に繋がり未来につながります。




 ※【参考】Wikipedia「日露戦争」より

 【戦費調達】
 戦争遂行には膨大な物資の輸入が不可欠であり、日本銀行副総裁高橋是清は日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で戦費調達に非常に苦心した。開戦とともに日本の既発の外債は暴落しており、初回に計画された1000万ポンドの外債発行もまったく引き受け手が現れない状況であった。是清はまず渡米するもアメリカの銀行家からはまったく相手にされず、次いで渡英して、額面100ポンドに対して発行価格を93ポンドまで値下げし、日本の関税収入を抵当とする好条件で、イギリスの銀行家たちと1ヶ月以上交渉の末、ようやくロンドンでの500万ポンドの外債発行に成功することができた。

 直後、再度渡米して、帝政ロシアを敵視するアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフと接触し、残額500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得した。一転、1904年5月に鴨緑江の渡河作戦でロシアを圧倒して日本が勝利すると、国際市場で日本外債は急騰し、第2次から第4次の外債発行により、合計で10億円超の資金を調達した(当時の国家予算は約7億円)。


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