赤坂ACTシアター、2011年9月21日マチネ。
時代が交錯するような不可思議な空気に包まれた街ヴェローナでは、史跡を中心に街の再開発計画が進められている。だが街を治める大公(中山昇)の頭を悩ませるのは長く互いを憎むふたつの家、モンタギューとキャピュレットの争いだった。モンタギュー家のひとり息子ロミオ(この日は山崎育三郎、城田優とのダブルキャスト)は友情に厚いが孤独を好み、ひとりでいることが多い青年。キャピュレット家のひとり娘ジュリエット(昆夏美、フランク莉奈とのダブルキャスト)は複雑な家庭に育ちながら無垢で純粋な心を持つ乙女。互いの存在をふたりはまだ知らない…
原作/ウィリアム・シェイクスピア、作/ジェラール・プレスギュルヴィック、潤色・演出/小池修一郎、振付/TETSUHARU(増田哲治)。2001年フランス初演、日本では2010年に宝塚歌劇団星組で初演、11年に雪組で続演。
歌えるキャストが歌を朗々と聞かせてくれて、音楽劇としてとても楽しく観ました。やはり楽曲がすばらしいと改めて感じ入りました。
逆に言うと、80人とかのキャストを使って広い舞台で踊って見せてくれた宝塚版のダンスの豪華さはなかった。
そして、贔屓目かもしれませんが、どちらかと言うとキャストがみんな自分の歌を聞かせることに熱心になってしまっているようで、お芝居としてはブツ切りな感じがあるというか、役やキャラクターというものが確立されては見えませんでした。
先にこちらのバージョンを観た人が宝塚版を観たら、みんなして歌がいっぱいいっぱいなのも含めて、でももっとずっと熱く深く役になりきって役として生きている熱気と一生懸命さが見えて、いじらしく思うし感動するんじゃないかなあ…と思ったりしました。
もちろん、こちらの方が、そもそもダンサーと歌手が別だったりするオリジナルのスペクタキュルに近いのかもしれませんが…
ダブルキャストがいくつかあるので、全キャスト見るためには何回か観ないとならないのですが、私の観劇は今回限り。
タンポポの綿毛をフッと吹くいっくんロミオが観たくてこの回を取ったのに…宝塚の男役ではない、リアル男子がこれをやって許されるとしたら一訓だけだと思っていたのに…
なんとタンポポを持っていなかった! 手にしていたのはスマホだったよ!!
スマホについては後述しますが、しかし改めて、このタンポポってロミオのキャラクターを表すとてもいいアイテムだったと思うんですよね。普通の好青年なんだけれど、ちょっとメランコリーでロマンテロィストで孤独癖があるような、浮世離れしたような…
それがないロミオは、ただの本当に普通の青年に見えて、留守電にメッセージを残す少女たちとどんな関係をつむいできたのか、何故彼女たちではダメなのか、どうも見えない気がしました…
ああ、もったいない…
ジュリエットはオーディションによる新人さん。昆さんは小柄でしたがとても達者でした。
ただ歌だけ聞かせるようなキャストが多い中で、一番芝居歌を歌っているように見えました。そしてだからこそ、かもしれないけれど、その芝居は宝塚版をなぞっているだけのようにも見えた。仕草とか表情とかがすっごいでジャブでした。これももったいなかったなあ、もうひとりはどうだったのかなあ。
ベンヴォーリオは浦井健治、まったく危なげなく堅実。でもまっつが聞かせた「狂気~服毒」のシャウトがなかった! トヨコが見せたロミオへの過剰でほとんど恋心に見えた気遣いがなかった! えええ比べすぎ?
ティボルトは平方元基と上原理生のダブルキャスト。平方さんは上背があってキタさんティボルトより押し出しが良くて(比べすぎ?)よかったののに、歌声が明るくて拍子抜けしました…持ち味がそういう役者さんなのかもしれないけれど、ティボルトの屈託や苦悩が見えなかったよ…?
マーキューシオは良知真次と石井一彰。石井さんが好きなのでそちらを観たかった…なんかオーラのないマーキューシオで残念。もっととんがった芝居をすべきだったのでは?
パリスは岡田亮輔、とても軽快でよかったです。
キャピュレット卿は石川禅、いかにも若い女に目がなさそうでよかったです。
ロレンス神父は安崎求。なんかいつもうつむいていて、ロミオを見つめる慈愛あふれる瞳…なんてものが全然なくて、なんなのこの人?という印象だったのが残念。
モンタギュー夫人は大鳥れい。もっと歌わせたかったなー、よくわからなかった。残念。
モンタギュー卿はひのあらた。すらりとスマートで、キャピュレット家と違ってこちらは家庭的に円満そうな感じが出ていてよかったです。
乳母は未来優希、期待していたわりには…かな? やはりあまりジュリエットを可愛がっているように思えず、調子のいい大人のように見えたので、「あの子はあなたを愛してる」が唐突に聞こえました。残念…
キャピュレット夫人は涼風真世。フランス版にあって宝塚版では取り入れなかった設定として、ジュリエットは夫人の不義の子、というのがあるそうで、早々にジュリエットにそれを明かすので、娘に女として嫉妬する女、という面がより濃くなっていました。
『あずみ』の淀君もとてもよかったけれど、カナメさんはこういう、悪女というか濃い強い意志のはっきりした女性の役の方が上手いと思います。イヤ現役時代を生で観ていないのですがね。
子供にとっては両親の愛の元で生まれた、というのが大きなアイデンティティになるのでしょうが、実際にはどちらがいいのかなあ…不義の子とはいえ夫人は相手を愛していたとははっきり言っているわけで、そういう意味ではジュリエットは愛の下に生まれているわけですよ。ただキャピュレット卿は自分の子でないと気づきつつもジュリエットを愛して育てたようだし、ジュリエットも父親を愛し父親に懐き従って生きてきたのだろうから、ジュリエットはやはり両親が愛し合っているという幻想を欲していたのでしょうねえ…
親の言うとおりに愛のない結婚をして、夫の浮気に悩まされ、自らもあてつけるように恋人を持ち、不義の子までなし、頼もしく育った甥に入れ上げ、美しく育った娘には金持ち男との結婚を強いる、キャピュレット夫人(彼女に名前はないのでしょうか? ガートルートのような?)。ジュリエットの実の父とは愛し合っていたようなことを言っていたけれど、なんらかの理由でその愛も終わったようであり、愛というものを知らないか信じていない、女。
それが、最後の最後に、霊廟で並んで横たわり、手をつないだままなのに離されようとするふたりを見て、叫ぶ。
「やめて! ふたりは本当に愛し合っていたのよ!」
…涙腺が決壊しましたよ…
それまでは、芝居としては浅い、と思っていたのに…
死のダンサーは中島周と大貫勇輔。中島さんは東京バレエ団のプリンシパルで、舞台に置いてその異質さ、違和感がたいそう効果的だったと思います。
舞台役者はもちろん鍛え上げられた見られるべき体をしていますが、バレエダンサーというものの体はさらに研ぎ澄まされ作り上げられています。そのスタイル、フォルムは明らかに周囲の人間たちから浮いていて、素晴らしい。
宝塚版にあった「愛」はいませんが、この死のダンサーはただの「死」とも言い切れない存在なのかもしれません。
ロミオとジュリエットの初夜を空中から見つめる姿は、まがまがしくはありましたが、それでも天使のようにも見えました。
そして最後に霊廟でふたつの家族が「エメ」を歌うとき、再び空中に舞った彼が最後に取るポーズは、十字架にかけられたイエスと同じものです。人間の贖罪を負って十字架に架けられ、愛と祈りに殉じたイエス。死もまた、和解を祝福するでもなくただ宙にあって永遠の祈りを捧げているようにも見えました…
泣けました…
カーテンコール、最後はロミオとジュリエットがふたりで出てきてほしかったな。ふたりともタイトルロールなんだから。男役トップスターが最後に出てくる様式美がある宝塚とは違うんだから。ま、ジュリエット役者が新人だから仕方がないのかもしれませんけれど。
いろいろ比べて語ってしまいましたが、観ているときはそんなに気にならず楽しめました。やはりよくできた舞台だと思います。
再演されていってもいいと思う。でも日本初演はこれじゃないよ、星組版だよ。初代ロミオはしろたんといっくんじゃないよ、チエちゃんだよ。カテコ挨拶でも言っていたしプログラムにもそんなこと書いてありましたが、そこは絶対につっこませていただきます。
あ、スマホやフェイスブック云々はやはり不必要だったと思いました。おしまい。
***
9月29日マチネ。
追加で知人に誘っていただけたので、しろたんロミオと上原ティボルトが観られました。
しろたんは長身で、ジュリエットに対してものすごくかがむのが腰悪くしそうで気の毒でしたが、びっくりするくらい幼くて可愛らしくていじらしくて、ロミオっぽくてよかったです!
ただ、この長身は本当にデメリットの場合もあるんだなあ…モンタギューの若者チームに混じってもやっぱりひとり大きいので、そら王様扱いされるよな、って思えてしまって…
しかし初夜のシーンで観客がみんなオペラグラスを上げるのには笑ったわ!(^^)
ティボルトも全然よかったです、悪人声で(^^;)。
もうひとりのジュリエットと石井マーキュが観たかったなあ…残念。
時代が交錯するような不可思議な空気に包まれた街ヴェローナでは、史跡を中心に街の再開発計画が進められている。だが街を治める大公(中山昇)の頭を悩ませるのは長く互いを憎むふたつの家、モンタギューとキャピュレットの争いだった。モンタギュー家のひとり息子ロミオ(この日は山崎育三郎、城田優とのダブルキャスト)は友情に厚いが孤独を好み、ひとりでいることが多い青年。キャピュレット家のひとり娘ジュリエット(昆夏美、フランク莉奈とのダブルキャスト)は複雑な家庭に育ちながら無垢で純粋な心を持つ乙女。互いの存在をふたりはまだ知らない…
原作/ウィリアム・シェイクスピア、作/ジェラール・プレスギュルヴィック、潤色・演出/小池修一郎、振付/TETSUHARU(増田哲治)。2001年フランス初演、日本では2010年に宝塚歌劇団星組で初演、11年に雪組で続演。
歌えるキャストが歌を朗々と聞かせてくれて、音楽劇としてとても楽しく観ました。やはり楽曲がすばらしいと改めて感じ入りました。
逆に言うと、80人とかのキャストを使って広い舞台で踊って見せてくれた宝塚版のダンスの豪華さはなかった。
そして、贔屓目かもしれませんが、どちらかと言うとキャストがみんな自分の歌を聞かせることに熱心になってしまっているようで、お芝居としてはブツ切りな感じがあるというか、役やキャラクターというものが確立されては見えませんでした。
先にこちらのバージョンを観た人が宝塚版を観たら、みんなして歌がいっぱいいっぱいなのも含めて、でももっとずっと熱く深く役になりきって役として生きている熱気と一生懸命さが見えて、いじらしく思うし感動するんじゃないかなあ…と思ったりしました。
もちろん、こちらの方が、そもそもダンサーと歌手が別だったりするオリジナルのスペクタキュルに近いのかもしれませんが…
ダブルキャストがいくつかあるので、全キャスト見るためには何回か観ないとならないのですが、私の観劇は今回限り。
タンポポの綿毛をフッと吹くいっくんロミオが観たくてこの回を取ったのに…宝塚の男役ではない、リアル男子がこれをやって許されるとしたら一訓だけだと思っていたのに…
なんとタンポポを持っていなかった! 手にしていたのはスマホだったよ!!
スマホについては後述しますが、しかし改めて、このタンポポってロミオのキャラクターを表すとてもいいアイテムだったと思うんですよね。普通の好青年なんだけれど、ちょっとメランコリーでロマンテロィストで孤独癖があるような、浮世離れしたような…
それがないロミオは、ただの本当に普通の青年に見えて、留守電にメッセージを残す少女たちとどんな関係をつむいできたのか、何故彼女たちではダメなのか、どうも見えない気がしました…
ああ、もったいない…
ジュリエットはオーディションによる新人さん。昆さんは小柄でしたがとても達者でした。
ただ歌だけ聞かせるようなキャストが多い中で、一番芝居歌を歌っているように見えました。そしてだからこそ、かもしれないけれど、その芝居は宝塚版をなぞっているだけのようにも見えた。仕草とか表情とかがすっごいでジャブでした。これももったいなかったなあ、もうひとりはどうだったのかなあ。
ベンヴォーリオは浦井健治、まったく危なげなく堅実。でもまっつが聞かせた「狂気~服毒」のシャウトがなかった! トヨコが見せたロミオへの過剰でほとんど恋心に見えた気遣いがなかった! えええ比べすぎ?
ティボルトは平方元基と上原理生のダブルキャスト。平方さんは上背があってキタさんティボルトより押し出しが良くて(比べすぎ?)よかったののに、歌声が明るくて拍子抜けしました…持ち味がそういう役者さんなのかもしれないけれど、ティボルトの屈託や苦悩が見えなかったよ…?
マーキューシオは良知真次と石井一彰。石井さんが好きなのでそちらを観たかった…なんかオーラのないマーキューシオで残念。もっととんがった芝居をすべきだったのでは?
パリスは岡田亮輔、とても軽快でよかったです。
キャピュレット卿は石川禅、いかにも若い女に目がなさそうでよかったです。
ロレンス神父は安崎求。なんかいつもうつむいていて、ロミオを見つめる慈愛あふれる瞳…なんてものが全然なくて、なんなのこの人?という印象だったのが残念。
モンタギュー夫人は大鳥れい。もっと歌わせたかったなー、よくわからなかった。残念。
モンタギュー卿はひのあらた。すらりとスマートで、キャピュレット家と違ってこちらは家庭的に円満そうな感じが出ていてよかったです。
乳母は未来優希、期待していたわりには…かな? やはりあまりジュリエットを可愛がっているように思えず、調子のいい大人のように見えたので、「あの子はあなたを愛してる」が唐突に聞こえました。残念…
キャピュレット夫人は涼風真世。フランス版にあって宝塚版では取り入れなかった設定として、ジュリエットは夫人の不義の子、というのがあるそうで、早々にジュリエットにそれを明かすので、娘に女として嫉妬する女、という面がより濃くなっていました。
『あずみ』の淀君もとてもよかったけれど、カナメさんはこういう、悪女というか濃い強い意志のはっきりした女性の役の方が上手いと思います。イヤ現役時代を生で観ていないのですがね。
子供にとっては両親の愛の元で生まれた、というのが大きなアイデンティティになるのでしょうが、実際にはどちらがいいのかなあ…不義の子とはいえ夫人は相手を愛していたとははっきり言っているわけで、そういう意味ではジュリエットは愛の下に生まれているわけですよ。ただキャピュレット卿は自分の子でないと気づきつつもジュリエットを愛して育てたようだし、ジュリエットも父親を愛し父親に懐き従って生きてきたのだろうから、ジュリエットはやはり両親が愛し合っているという幻想を欲していたのでしょうねえ…
親の言うとおりに愛のない結婚をして、夫の浮気に悩まされ、自らもあてつけるように恋人を持ち、不義の子までなし、頼もしく育った甥に入れ上げ、美しく育った娘には金持ち男との結婚を強いる、キャピュレット夫人(彼女に名前はないのでしょうか? ガートルートのような?)。ジュリエットの実の父とは愛し合っていたようなことを言っていたけれど、なんらかの理由でその愛も終わったようであり、愛というものを知らないか信じていない、女。
それが、最後の最後に、霊廟で並んで横たわり、手をつないだままなのに離されようとするふたりを見て、叫ぶ。
「やめて! ふたりは本当に愛し合っていたのよ!」
…涙腺が決壊しましたよ…
それまでは、芝居としては浅い、と思っていたのに…
死のダンサーは中島周と大貫勇輔。中島さんは東京バレエ団のプリンシパルで、舞台に置いてその異質さ、違和感がたいそう効果的だったと思います。
舞台役者はもちろん鍛え上げられた見られるべき体をしていますが、バレエダンサーというものの体はさらに研ぎ澄まされ作り上げられています。そのスタイル、フォルムは明らかに周囲の人間たちから浮いていて、素晴らしい。
宝塚版にあった「愛」はいませんが、この死のダンサーはただの「死」とも言い切れない存在なのかもしれません。
ロミオとジュリエットの初夜を空中から見つめる姿は、まがまがしくはありましたが、それでも天使のようにも見えました。
そして最後に霊廟でふたつの家族が「エメ」を歌うとき、再び空中に舞った彼が最後に取るポーズは、十字架にかけられたイエスと同じものです。人間の贖罪を負って十字架に架けられ、愛と祈りに殉じたイエス。死もまた、和解を祝福するでもなくただ宙にあって永遠の祈りを捧げているようにも見えました…
泣けました…
カーテンコール、最後はロミオとジュリエットがふたりで出てきてほしかったな。ふたりともタイトルロールなんだから。男役トップスターが最後に出てくる様式美がある宝塚とは違うんだから。ま、ジュリエット役者が新人だから仕方がないのかもしれませんけれど。
いろいろ比べて語ってしまいましたが、観ているときはそんなに気にならず楽しめました。やはりよくできた舞台だと思います。
再演されていってもいいと思う。でも日本初演はこれじゃないよ、星組版だよ。初代ロミオはしろたんといっくんじゃないよ、チエちゃんだよ。カテコ挨拶でも言っていたしプログラムにもそんなこと書いてありましたが、そこは絶対につっこませていただきます。
あ、スマホやフェイスブック云々はやはり不必要だったと思いました。おしまい。
***
9月29日マチネ。
追加で知人に誘っていただけたので、しろたんロミオと上原ティボルトが観られました。
しろたんは長身で、ジュリエットに対してものすごくかがむのが腰悪くしそうで気の毒でしたが、びっくりするくらい幼くて可愛らしくていじらしくて、ロミオっぽくてよかったです!
ただ、この長身は本当にデメリットの場合もあるんだなあ…モンタギューの若者チームに混じってもやっぱりひとり大きいので、そら王様扱いされるよな、って思えてしまって…
しかし初夜のシーンで観客がみんなオペラグラスを上げるのには笑ったわ!(^^)
ティボルトも全然よかったです、悪人声で(^^;)。
もうひとりのジュリエットと石井マーキュが観たかったなあ…残念。
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