駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇宙組『夢千鳥』

2021年04月27日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 宝塚バウホール、2021年4月25日15時(サプライズ千秋楽)。

 日本を代表する映画監督・白澤優二郎(和希そら)は、女優の赤羽礼奈(天彩峰里)と事実上の婚姻関係にありながら、新作を撮るたびに主演女優と浮き名を流し世間を騒がせていた。そんな白澤の次回作は、大正浪漫を代表する画家・竹久夢二(和希そらの二役)の人生を描いた物語。幼い頃から運命の女性を探し続けた夢二もまた、醜聞の絶えない男であった。唯一の正妻・他万喜(天彩峰里の二役)、病弱な箱入り娘・彦乃(山吹ひばり)、理想のモデル・お葉(水音志保)。白澤は、夢二と彼の人生を彩った三人の女性の物語を紡ぎ始めるが…
 作・演出/栗田優香、作曲・編曲/手島恭子、振付/原田薫、百花沙里。栗田優香のデビュー作となる大正浪漫叙情劇、全2幕。

 これまた久々に入手の難しいレアチケットで、なんとか手配できていたのがこの回だけだったので、この日までの上演・残りは中止、の発表があったときには本当になんとも言えない気持ちになりました…ここ数年は宝塚歌劇全演目観劇を達成できているので、観られそうでよかった助かったつながった!という思いと、完売しているんだから、初日が開いている公演なんだから、千秋楽までやっちゃいなよ、という思い、でも本当に大丈夫?みんな無理していない?命と健康と安全が一番だよ、という思いと、でも文化芸術が不要不急だなんて簡単に言われたくないよ人はパンのみにて生くるにあらずだよ、という思いと…いずれもわがまま勝手な思いだとはわかっています。心千々に乱れながらも、同行のみりお担でそらファンの親友とほぼ言葉を交わさずに、シュッと日帰りしてきました。本当ならタカホに泊まって翌日の花組大劇場公演も観てくる予定でした。彼女は初めて、私は二度目の新タカホ泊、楽しみにしていました。彼女は未見、私は初日開いてすぐの一度しか観ていなかったので、進化していると聞く花組子のパフォーマンスを観るのを楽しみにしていました。本当に残念です…
 でも、何よりつらいのは公演を途中でやめざるを得ない出演者とスタッフであろうと思うと、ガン見するぞハートに焼き付けるぞ!という思いで席についたのでした。

 公演序盤はファンが観るものなので、というのもあるかと思いますが、絶賛ベースの感想しか聞こえてこない…わりに、どこがどういいのか具体的なこともあまり聞こえてこないような…?という気もしていて、さて実際はどんなものなのかな、とフラットに観たつもりです。が、なんせ自分が組ファンでまあまあ下級生まで生徒がわかるだけに、でも席はかなり後方で遠かったために、「あの女中は誰? あの鳥は? あの記者は? あの学生は?」とけっこう目移りしてしまい、忙しくて集中しきれなかったかもしれません。もっとおちついて、できれば複数回観たかった…精進が足りてなくてすみません。でも『HSH』同様、下級生にも丁寧に仕事が振られている作品で、とてもよかったと思いました。
 私は遡ればなーこたんのデビュー作も観ていますし、最近だとくーみんの『月雲』以降とかは、新人(当時)演出家のデビュー作を生でわりと観てきていると思います。あ、生田先生の『BUND NEON/上海』と田渕先生の『ヴィクジャズ』は観ていないんですが、それくらいかな? で、その中で言うと、とてもハイレベルな出来の作品だったのではないかな、と思いました。キャラブレしてるじゃん、とかストーリーが破綻してるじゃん、とかシュミに走りすぎでは、とか、逆に個性も何もなくて空っぽすぎでは、とかがない。大正パートがわりと愛をロマンというよりは情念として描いていてどろりざらりとしているように感じられたので、おっと宝塚歌劇の範疇に収まるかな?とややひやりとしたのですが、結果的にはとても美しく収まりましたし、いろんな舞台をたくさん観てたくさん作ってきた人なんだろうな、という厚みを感じました。その上でこういうものをやりたい、こういう世界を作りたい、という美意識や確固たる意志も感じられて、でもそれが暴走して宝塚歌劇の枠組から外れている、というようなことも最終的にはなく、かつちゃんと生徒たちへの愛情や配慮、期待や挑戦も感じらる舞台でした。主演の番手都合なのかそもそも配信予定もないような扱いでしたが、全日程やりきってより芝居が深まり、作品の出来が仕上がって好評が響けば再演、東上もあったかもしれないし、もちろんそこまでは届かなかったかもしれないけれど、相応のポテンシャルはある作品にも思えました。出演者には次の本公演でのさらなる奮起を、また栗田先生には次回作でのさらなる飛躍を期待しています。
 1幕はちょっと単調に思えたかもしれません。どんな話になるのかわからないからこちらも集中して観るんだけれど、ちょっと同じペースの場面展開が多かった気もしました。また、昭和と大正を行ったり来たりする構造で、そのスライドはとても見事だったのですが、舞台の一部を使って芝居をして残りは暗くしていることが多く、それはスペース都合もあるしその闇が表現しているものももちろんあるんですけれど、それでも全体として暗い(ハリー作品あるあるの照明が暗いのとはまた違う意味で)し小さい印象になるのは気になりました。だからこそ舞台全体を使った場面が引き立つ、という効果は認めるにしても、です。あと、フィナーレが20分もあるのはサービスとしていいのかもしれませんが、尺の計算としてはおかしい気もしました。芝居に何が足りない、というほどではなかったかとは思うのですが、でもじゃあもう少し何か場面を足してもよかったのかもしれないな、とも思いました。
 でもまあ、以上はすべて、強いて難点を上げれば、という感じのもので、ものすごく問題だとか全然なってないとかいうことはまったくなかったと思います。二役や二重の入れ子構造なんかはよくあることですが、非常に上手く作られていて、演劇的にもとても鮮やかでスリリングで、おもしろかったです。歌の入れ方は自然で、ダンスの入れ方にもアイディアがありました。てかプロローグ、着流しでバレエ踊っちゃうそらすげえ。鳥籠のモチーフなど、セット(装置/新宮有紀)も素敵でした。
 ひとつ思ったのは、配役を、そらは「白澤優二郎/竹久夢二」、じゅっちゃんは「赤羽礼奈/他万喜」にすべきだったのではないかな、ということです。プログラムの「主な配役」の説明ではその順になっていますよね。でもスチールに添えられた役名は「竹久夢二/白澤優二郎」、「他万喜/赤羽礼奈」となっている。要するに、二役のうちの比重をどちらに置くか、という話です。ポスターもプログラムもすべてこのままでかまわない、夢二推しでいいんだと思うのです。でもこの物語は、夢二と他万喜の物語ではなく白澤と礼奈の物語だったと私は思いました。大正パートを観ている限り、お葉はともかく彦乃の比重はかなり大きくて、他万喜がヒロインにはちょっと見えませんでした。ぶっちゃけ夢二は三人の女にも、あるいは菊子(花宮沙羅。鳥役もいいけどこの芸妓役が絶品! 立派に第四のヒロインだったと思いました。夢二にはこの三人のヒロイン以外にも女がたくさんいたのだ、ということを示すために入れられたエピソードだと思うのだけれど、なんせ声が良くて芝居ができていて、ちょっと他を凌駕しかねないくらいの出来だったと私は思いました。印象的すぎたとも言える。ファンの欲目だったらすみません、でも彼女にももっと新公ヒロインやバウヒロインをぜひ…!)始め他の数多の女たちの中にも「幸せの青い鳥」を見つけられずに終わったのでしょう? 彼女たちと別れて、さらに晩年の夢二がどう生きたかはこの作品では語られませんし、キレた女に刺されて死んだか孫や曾孫に囲まれて布団の上で大往生したのか私も史実を知らないのですが、ぶっちゃけろくでもなかったんだろうしぶっちゃけそれはどうでもいいわけじゃないですか。だって白澤は夢二の映画を撮ることで、青い鳥の意味を知ったからです。
 青い鳥探し、というモチーフは物語にはわりとよくあるし、そもそものオチは家で飼っていた小鳥こそが青かったのだ、幸せは見つけようと思えばすぐに見つかるものだよ…みたいなものなワケですが、この物語では、数多の中からひとつ卵をそれと決めて選んで、温めて孵して、愛情こめて育てて、雛からやがて青い鳥に「する」のだ、とされていました。これはかなり斬新で画期的な考え方だと思います。かつとても正論だと思いました。
 男は、女たちが「ありのままで」なんて歌い出すはるか以前から、ありのままの自分をすべて受け入れて愛し敬い仕え支え盛り立ててくれる「運命の女」を探し続けてきたし、そう放言し続けてきました。それが許されてきた。厚顔この上ないですね。
 でもそんなこと、産んだ母親ですらできないにきまっているのです。少なくともそれは「愛」ではない。愛は、幸せは、そんなふうに探しても、あるいはただ待っていても得られるものではない。自分でそれと決めて、選んで、育てて、責任と自覚を持って「それ」にしないと「幸せ」にはならないのです。なんて真理!
 だからそれは、決めて、選んで、育てて、たとえ「そう」ならなかったとしてもそこで捨てたり投げ出したりしていいものではありません。一生手をかけ続けなければならないものなのです。だって命があるものなのですから。愛って、幸せって、相手あってのものなのですから。生きているものは変わります。お互いそれぞれ変わるものなのですから、常に完璧で完全なんてありえない。手をかけ続け愛し続けて初めて、幸せが得られるのです。それが青い鳥です。それに気づいて白澤は礼奈の手を取って、抱きしめて、この物語は終わったのでした。だからこれはこのふたりの物語です。夢二のことは知らん。
 夢二というモチーフに青い鳥探しを重ねてくるところ、そしてこの結論に持っていったところにこの作家の才能を感じます。新しい。少なくともなかなかない。
 そしてまた白澤が礼奈にプロポーズして終わる、とかじゃなかったところもいい。それは宝塚歌劇としてはアリだったかもしれないけれど(たとえば『HSH』のラストにはそのベタさの良さがあったわけですが)、そうしなかったところがそれこそ新世代作家的なのではないでしょうか。婚姻と愛と幸せって全然イコールじゃない、ということをごく普通に持ち出せるのが、実にいい。その代わりのバックハグと「…あたためてるんだ」ですよ、キャー!新しい!!
 ちょっと話がズレるようですが、婚姻に関する男女の不平等がすべて撤廃されて選択的夫婦別姓も同性婚も認められるようになるなら、私もタカラジェンヌの未婚女子限定既約を再考しないこともないもかなー…もちろん私にはなんの権限もありませんが。でも芸名の、理想の自分になろうと日々自分を磨き精進している女性が、現実にはどこかの男性に隷属させられて自らの生まれながらの姓すら奪われているのだ、という状態なら私はそこに夢なんか見られません。その意味で私は現在のこの既約(いや実際には不文律というかなんとなくのルールなのでしょうが)を支持しているのです。
 閑話休題。ともあれ他万喜には彦乃やお葉や菊子たちライバルがいることが描写されますが、礼奈のライバルである「最新作の主演女優タカナシユキ(小鳥遊雪、と書くのかなと思います。ポスターの羽にあるとおり、礼奈/他万喜は赤い鳥なのに対して彦乃は白い鳥、お葉は黄色い鳥を当てられているだろうからです。だからユキも鳥で、白)」は名前が出るだけで舞台には登場しません。だから礼奈はこの作品の唯一無二のヒロインなのです。その相手たる白澤がこの作品の主人公なのです。それとは別に、いくらひろこやブキちゃんが下級生だからってプログラムにスチールくらい撮って載せてよ、そういうお話だろう、とは言いたいですけれどね。
 なのでフィナーレの尺を削って芝居を足して深めるなら、昭和パートかなあ。2幕アタマの撮影場面とかもすごくよかったんだけれど(ここで今まで主に夢二イメージの鳥を演じてきたあきもが「夢二役」を二役でやっているのがまたいいんだよね!)、1幕のどこかにもう一場面足して、昭和パートの外枠の方が夢二の大正パートよりメインなんですよ、と改めて念押ししておくとなおよかったのかもしれません。あるいは礼奈側の事情みたいなものもちょっと描くとか、ね。歳上だとか先に売れたのは彼女だったとか子供を産んだり家庭に入る気がないとか、いろいろあるのかもしれませんしね。
 昭和パートで個人的にツボだったのは、バーでくだを巻く白澤とマスター(凛城きら。てかここの白タキシード姿が絶品すぎました)のりんきらとの会話でした。
「甘えてるんだね」
「もっと可愛く甘えてくれればなあ」
「じろちゃんが礼奈さんに、だよ」
 みたいなヤツ。私は最初からそっちのことだと思ったので、白澤が逆に捉えたのに、というか栗田先生が白澤に逆に捉えさせたのにニヤリとしたし、すかさずマスターにこう返させて白澤が黙り込む、とさせたのにさらにニヤニヤとしたのでした。上手い、ニクい! ツボりました。
 こういう滋味ある台詞や会話が多かったし、逆にソコ受け答えがねじれててイミフなんですけど?みたいな台詞は一切ありませんでした。その意味でも期待の演出家さんです。次回作が今から本当に楽しみです。違う引き出しも観てみたい。今回の上演中断は本当にショックなことだったかと思いますが、バネにしてがんばっていっていただきたいです。応援しています。

 では、以下生徒さんに関する感想を。
 まずはそら。ダンス推しの『ハッスルメイツ!』ももちろんよかったけれど、今回もとてもよかった! 当たり役と言っていいかと思いました。
 そらって小柄で、歌も芝居もダンスもなんでもできるので、前回の『アナスタシア』のリリーといい、女役とかちょっと前なら少年役とか(まあ『オーシャンズ11』はそんなに前ではなかったところがまたアレだったわけですが)がよく回ってきちゃうわけですが、声は低くて男臭い芝居もできるタイプなので(こっちゃんと同じタイプですよね)本当はそれだともったいない役者さんなんですよね。今回は、夢二をちゃんと大人の男性の役にして、ちょっと手がかかる小悪魔美少年…みたいにしなかったのがまずよかったと思うし、その上で、芸術家だからってなんでも許されると思うなよ、ってなろくでもない男、でもやっぱり優男…みたいな役どころを、実に上手くかつ色っぽく演じていて、これぞソラカズキの面目躍如!って感じがしました。だってDVからのチューですよギャー!!! 実際、女役もこなす色気が奏功していて、マッチョの対極にあるような夢二の魅力や個性に結実していたと思いました。だからって夢二が中性的だってことじゃなくて、ちゃんと男臭いんです。着流しで無造作に歩く、走る、寝転ぶ、脚が覗く、そのエロスたるや…! そら客席全員「抱いてください!」って身を投げ出すよな、ってなもんでした。素晴らしかったです。
 夢二の卑屈でいじましい部分は、今やリアル男性に演じられたら引くところだと思います。いや、このキャラクター像って男性にも人気があって、だから今までもたくさんの映画やドラマなどがおそらく男性監督の手で作られてきたし演じてきたのは男優なんだけれど、いずれも見ていないのに言うのはなんですがおそらく「ケッ」てなもんでしょう。女性にだって自己顕示欲も承認欲求もあるんだけれど、どうしても「男に愛されたい」という方向で発露しがちです。異性愛女性が大半ですし、女性の社会活動がその方向のみに制限されているせいでもあります。対して男性はずっとホモソーシャルな生き物だから、「同じ男、そしてより強い雄に認められたい」という方向に出る。なのに上手く素直になれなくて、こうしてこじれるんですね。夢二は女性ファンに人気があるだけでは満たされなくて、男性評論家に認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて仕方がないんです。そんなしょうもない男、タカラジェンヌの男役が演じる男性キャラクターでなければ今やチャーミングには成立しませんよ…れいこラッチマンの『ダル・レークの恋』でも感じましたが、男のしょーもなさと男女の恋愛のどうしようもなさを描くのに宝塚歌劇は最適だ、という真理を私は改めて痛感しました。それを、権威からの評価になんか背を向けた大衆演劇であることを標榜する劇団の、新進女性作家が、おそらく自覚的に描いてみせていることに私は大きな希望を持ちます。
 白澤は時代がいってる分、夢二よりちょっと賢しらになってるけれど、賞に天狗になっていたりと基本的に夢二とおんなじなところがまたツボの役だし、そらはそれをまた実に上手く体現していたと思いました。
 あとホントええ声。開演アナウンスはヤバい、あれだけで孕みます。
 フィナーレももちろんバリバリだし、「ミ・アモーレ」の歌詞違いの「赤い鳥逃げた」が似合うこと上手いこと! そうよこういうふうにやるアイドルソングなら松田聖子じゃなくて中森明菜だよ!と膝を打ちました。ま、リフトはさすがにちょっとアレだったかな…じゅっちゃんもそんなにちっちゃかないからな、とは思いました。
 そのじゅっちゃん。まどかもそうなんだけど、童顔でロリっぽく見られがちだけど持ち味はむしろ女っぽいところの方がハマるのよ、ってタイプの娘役さんで、これまたいいお役を書いていただきましたね!と大コーフンでした。歌もとてもいい。同期のまどかがいるところに組替えしてきて、さらに下級生のかのちゃんが来ちゃいましたが、がんばっていっていただきたいです。
SAPA』で衝撃のデビュー(ほぼ、という意味で)を飾ったブキちゃんですが、ナウオンでもしっかりしゃべれているなーと感心しましたが芝居もやっぱりしっかりしていて、驚きでした。彼女も声がいいですよね、歌えるのも強い。宙組って今ホント層厚いな!?と仰天しますよね…まだ怖いもの知らずなだけかもしれないけれど、さらなる活躍に期待しています。このあたりの在り方が『春の雪』当時のゆうみちゃんをちょっと想起させたりもしました。
 ひろこは可愛くてダンサーで、でもこれまで新公含めてそれまで止まりの起用だったと思うのですが、こんなにたくさん台詞がついて、そしてちゃんとこなせていて、ファンは感動しましたよ…欲を言えばもうちょっと大人の権高さみたいなものが出せたらベストだったかもしれません。お葉は職業モデルであることのプライドとかが、他の女性たちとはまた違ったんだろうと思ったので。でも難しい役だよー、それにとにかく綺麗に出ていることがまず偉いと思いました。こちらも今後にさらに期待、もっと使ってください劇団さん…!
 さて、2番手格はあーちゃんだったわけですが、私はラインナップでそれにちょっと驚くぐらい、役がちょっと弱かった気がしました。あーちゃん自身は一時の暑苦しすぎる癖が抜けてきて、そうなるとあたたかさが残って友人役としてすごくよかったんだけれど、狂言回しに徹するのか、女たち以上に夢二に執着するような立ち位置の友にするのか、ちょっと中途半端だったように思えました。こちらもフィナーレのダンスはバリバリで、観ていて楽しかったです。
 3番手格はなんとびっくりキョロちゃんでしたが、私はこの学年のあたりはなつ、次にナニーロを買っているので(なつは買って「いた」ですが…ううぅ)うぅーん…西条湊(亜音有星)はめっちゃよかったと思ったんですよね、ヘアメイクのしぐれちゃん込みであの場面はすっごくよかった。でも東郷青児は棒に見えたなー…でも超絶スタイルの期待株ですから、見守っていきたいと思います。
 長らく宙組の副組長を務めて、この公演を最後に花組に異動するあおいちゃん、珍しく出過ぎず(オイ)よかったです。フィナーレのデュエダンの歌手の餞けっぷりと引っ込みへの客席からの拍手に爆泣きしました。本当に美声でしたよねえぇ…花組の立て直し、がんばっていただきたいです。
 役どころとしては被ってしまっている歌手のきゃのんでしたが、こちらも出過ぎず、バランスがとてもよかったと思いました。下級生の多い座組だったので、お稽古場番長として必要とされたのだろうなとも思います。そういうの、大事。
 あーちゃん同様に昭和と大正で二役をやっているりんきらは先述したようにバーのマスター役が絶品で、芝居を締めるしひと味足すよねーと感動しました。フィナーレの黒燕尾が端正でザッツお手本!なのもたまりませんでした。大事。
 冒頭で夢二パパを演じて芝居を決めるりおくんがまた頼れる! そこにナベさん、ほまちゃんがめちゃめちゃ上手くおじさんをやるし、りっつがいいとこ持ってくし、となるとまなちゃんが軽く明るいところをこれまた鮮やかにきっちり務めてくれるので、盤石感がすごかったです。なのであきもの起用も立ってくる…
 アラレもこうなるとお姉さんなのですが、女学生チームをとても上手くコントロールして見えました。朝木ちゃんとかももっと使われていくといいよね、ここさくちゃんとか花城ちゃんとかも。夢二姉の有愛きいちゃんもいい声で、真白くんにもスポット当てようとしていて、宙組の層って今ホント…ああ、鳥もタンゴダンサーももっとゆっくり見たかったです。

 カテコのご挨拶であおいちゃんが「本日は宙組バウホール公演『夢千鳥』の…公演をご覧いただきまして…」と言いよどみ、その後も「今回が最後の公演になってしまい…」と、決して「千秋楽」という言葉を使おうとしないのに、胸が詰まりました。ちょうど1年前、月組の『赤と黒』や『出島』が最後の数回を残して公演中止となったときのカテコでも、座長や主演スターがこの言葉を使わない挨拶をしていたんじゃないかと記憶しています。突然中断させられただけで、本来の、おめでたい、やりきるはずの千秋楽ではない、という気持ちが強かったんだと思います。
 それが今回は、挨拶のバトンタッチを受けたそらが、笑いながらもあっさりと「今日が思いがけず、サプライズみたいに千秋楽になってしまい…」と言い出したので、こちらもちょっと笑っちゃって、肩の力が抜けました。でもそこからは、そらもちょっと涙声になりました。それでも、「この四日間に後悔はまったくありません」「初日の幕が本当に開けられるのかと不安なままに過ごしていたお稽古の日々よりは、こうしてみなさんにご覧いただけて、幸せでした」みたいなことも力強く言っていました。最後には何度も、「みなさんも笑顔でいてください」「ハッピーにお過ごしください」と言ってくれました。その心遣いが嬉しかったです。
 スヌーピー(何故か伏せ字にする気遣いを見せ、「スヌ○ピー(すぬまるぴー、と発音していました)」と言っていましたが)の言葉に、「人生に訪れるサプライズを楽観するか悲観するかはその人次第だ」というものがあるそうで、それを引いてのコメントもありました。生徒たちはそうやって自分たちの心を強く保っているのかもしれません。外食せず、お買い物やレッスンなどの外出も最低限にして、お稽古場でもマスクして距離を保って、何度も検査を受けて、懸命な感染対策をして舞台に臨んでいるんだと思います。私たちも改めて気を引き締めて、引き続きうがい手洗い引きこもりをしないとな、と思いました。

 5月11日までの緊急事態宣言発出で、私のチケットは5枚が幻となりました。花組大劇場公演(あきら会の知人にお取り次ぎいただいていました。あきらのチケット封筒が欲しかった…てか千秋楽とサヨナラショーの無観客上演、配信ってつらすぎる…)、エリザガラコン宙組バージョン(あきルドとの再会、かなわず…)、東京文化会館の『カルメン』(これは6月に延期)と新国立劇場の『コッペリア』、星組東京公演『ロミジュリ』Aパターン初日です。
 花組と星組は去年に続いて公演が中断されました。今となっては雪組が逃げ切れてよかった…月組が無事に開幕できることを祈るばかりです。宙組は梅田『HSH』がこちらも無観客上演、配信とのこと…ブリリアでは「景子先生、書きすぎだって」とやや揶揄しましたが、配信では「Lives in the theater」は刺さりまくることでしょう。つらすぎる…
 選挙に行って、無能で愚鈍な政府にNOを突きつけましょう。そしてみんなで生き抜いて、世界にアップデートして、明るく幸せな未来をつかみましょう。そのためにも、文化芸術は必要です。人の心を生かし魂を生かすものです。みなさま、どうか引き続きご安全に。
 観劇がないのでここの更新もしばらく止まるかもしれませんが、読書三昧の日々になるでしょうからそのあたりでいい出会いがあれば、また書きつけたいと思います。よければまた遊びにいらしてくださいませ。コメント大歓迎でございます!





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