駒子の備忘録

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『メリリー・ウィー・ロール・アロング』

2021年05月21日 | 観劇記/タイトルま行
 新国立劇場、2021年5月20日18時半。

 作曲家としてブロードウェイで頭角を現し、今はハリウッドの映画プロデューサーに転身して大成功を収めているフランク(平方元基)。彼は40歳にしてロサンゼルスの高級住宅街に豪邸をかまえ、アメリカンドリームの体現者として周囲からもてはやされている。だが、今の生活が空虚に感じられてならない彼は、ひとりになるとこれまでの人生に思いをはせる。思い出すのは、無二の親友だったチャーリー(ウエンツ瑛士)、メアリー(笹本玲奈)と駆け抜けた若き日々、そして永遠の愛を誓った妻ベス(昆夏美)と幼かった息子のこと…
 作曲・作詞/スティーブン・ソンドハイム、脚本/ジョージ・ファース、演出/マリア・フリードマン、振付/ティム・ジャクソン、翻訳/常田景子、訳詞/中條純子。
 1934年に上演された同名戯曲を原作にハロルド・プリンスとソンドハイムがミュージカル化を企画、81年ブロードウェイ初演。日本では8年ぶりの上演。全2幕。

 冒頭は1976年で、20年前まで「逆再生」していく構成。
 …はいいんだけど、デカいハコなのにご時勢柄だとは思いますが客席が埋まってなくて両脇と後方席がガラガラで寒いのはともかくとして、なのにまったくグランド・ミュージカルではなく、照明がやたらと暗くてマイクの音量が小さめで、なんかキャストみんなボソボソ語り歌うのはなんなんだ? そもそも主役からして「この人が主役です!」って登場の仕方をしないし…イヤひとりで現れるのでこの人が主役だろうとは想像がつくんだけれど、華がない、オーラがない、そしてわざとそういう演出をしているように見える。今、ショービジネスの頂点に君臨して得意絶頂…とかなんじゃないの? いや、騒いでいるのは周りだけで当人は虚しさを感じているのだ、ということなのかもしれないけれど、だったらそうきちんと描写してほしいのです。まずは主人公を立てて、興味を持たせて共感させるかせめて親近感を持たせて、彼が過去を振り返るというならそれについていって物語を追おう…って気にさせてほしいんですけど、そういう工夫が一切されていない舞台のように私には感じられました。チケット買って劇場に来ているんだからその準備はもうできているだろう、ってみなすのは、制作側の怠慢だと私は思うぞ。
 さらにソンドハイム独特の半音階の多い難しい楽曲を低音量でボソボソ歌われるだけなので、舞台として全然盛り上がらないしドキドキときめいたりもしないしもちろん爽快感もない。別に朗々と歌い上げるだけがミュージカルじゃないけど、でもミュージカルらしい楽しさが全然ない舞台で、別にそういう楽しさがなくてもいいけどだったらそれに代わるなんらかのおもしろみがないと観ていてつらいと私は思うんですが、結局それが最後までなかったように私には思えました。しょっぱい話もせつない話も私は嫌いじゃないんだけれど、この作品に関しては、「…で? 結局なんだっつーの?」と思ってしまったのです。うーん久々につらい観劇だったぜ…
 別に「たられば」の話ではないような気もしましたしね。フランクは確かにちょっと流され気味なところはあるけれど、ある程度はちゃんと自分で選択して、良かれと思ってその道を進んできたように見えますし、都度都度そんなに選択を後悔したりもしていないように見えました。だって若い頃の夢のままただまっすぐ生きられるわけないなんて、みんなが知っている当然の真理では? だから、不本意であれ納得ずくであれ下した選択で得た今の状態人生をきちんと享受し、楽しむべきなんじゃないの? それなりに喜びもありそうじゃん、いったい何が不満なの? 若い頃の理想を捨てたことを後悔してるってこと? でもその理想が正しかったかどうかはわからない、作中でも別にそうは描かれていない。そのままそこにこだわっていたら売れないし貧しいままで、今よりもっと不幸だったかもしれません。それでもその方がよかったっていうの?
 若い頃のフランクたちの作品は確かにもっと政治的なもので、世界を変えよう、という志にあふれたものだったようではあります。でも売れるためにまずはオーダーどおりの仕事をこなす、ってことも大事だし、そう簡単にできることじゃないよ? そして大衆に迎合したような大向こう向けのどメジャーで浅薄なエンタメにだって、世界を変えるパワーはあるんですよ? そういうものを不当に低く見る視線に私は与しません。たくさんの人にウケて関わる人みんなが儲かる、というのはとても大切なことです。なのでフランクが抱えているらしい忸怩たる思いみたいなものが、私にはよくわからないのでした。チャーリーたちが彼の不義理さに怒っているのはわかるけれど、そればっかりなのも大人げないなあ、と思っちゃいましたしね。
 浮気だってなんだって全部自分がしたことじゃん、それで離婚して再婚するなら今の相手ときちんと向き合いそこから幸せになる努力をすべきでしょう。何もしないままで、ただ、こんなはずじゃなかった気がする…とかってボケッとしてるとか、何を甘えてんだふざけてんのか、としか言いようがありません。潔くなさすぎる、無責任すぎる!
 なので、とにもかくにもガッシー(朝夏まなと)がよかったです。ガッシーはメアリーよりベスより全然いい役だし、とても大きい役だと思いました。そしてキャストとしてもまぁ様が一番よかった。ブロードウェイの大女優役だからってのもあるけれど(しかも冒頭は歳をとってやや落ち目になりかけている状況だけれど)、華があってオーラがあって、自分のやりたいことがちゃんとわかっていて、できているし、できていない時期でもそのために努力している女性で、常に生き生きしていて、ばーんとしたナンバーもあるし、日常生活での微妙な芝居もきっちりやりこなしているキャラで、すごーくすごーくチャーミングでアグレッシブで、よかったのです。私がまぁ様目当てでこの作品を観に行った、ということを抜きにしても、高く評価したいです。というか他に観るところがなかった…あとよかったのはあきちゃんのオーディション参加者だけだよ、イヤ渚あきはスペンサー夫人も他の役もよかったですけどね。
 アンサンブルも歌える人も多くて、わりと豪華でしたよね。でもなんか不揃いで、すごく不発に見えました。なんなんだろう? 演出のせい? メイン3人もホントはもっとなんでもできる人たちなのに、なんなのこの精彩のなさは…
 大ラス、メイン3人が20歳のころを演じている場面が一番キラキラしていて(ずっと話題にだけ出てきたチャーリーの妻、というか妻になる女性の役がここにだけ一瞬出ている、というのはお洒落だと思いました)楽曲も歌唱も伸びやか、ってのはあえての演出なのかもしれないけれど、だったらなおさら、そこから特にオチはないんだ!?ってのに仰天しますよね…歌っていたフランクが服を着替えて20年後の姿になって、呆然と虚空を見つめておしまい、って、なんて救いのなさなの…それともそれがこの作品の描きたかったことなの? 本当に? そんな自己憐憫、浸っていて楽しいかな? 無意味すぎません? 人生なんてそんなもの、と言いたいのなら、私は全然賛成できません。イヤ賛成できなくてもおもしろいと思える作品はいくらでもあるけれど、ただつまらないってのはどーなんだ…
 フランクにはもうメグというガッシーの後釜がいそうで、これからも似たような暮らしを続けていくんだろうな、ってのがすでに冒頭に描かれていましたよね。本当にそんなに自分の意志がないままの流されるだけみたいな人生でいいのフランク? でもいくらちょっと昔の設定だからって、彼の人生はここからもまだ先けっこう長いよ? もう老衰しててあとは心臓発作で死ぬのを待つだけ、みたいな歳じゃない。それをずっと、たらればを思ってぼんやり後悔して生きていくつもりなの? それをカッコいいこととして描いているってことなの、この作品は? …ダサ! だってこうやって過去を振り返って、それで原点に立ち返り、人生を変える決心をした…という描写にはなっていませんでしたよねラスト? 私が読み取れなかっただけじゃないですよね? ならフランク、自分が選択してきた人生に今からでもきちんと向き合って、受け入れて、そこから何を成し遂げていくか考えろよ、って説教したくなるんですけれど? せめてフランキーにはこの父親の生き様が反面教師になりますように、と祈りたくなりますね…
 単に私がこの作品に全然合わなかったというだけのことで、まったくの解釈違いだったらすみません…すっごい感動した、という方にも、すみません…
 おしまい。



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