大和圭介は私立栄泉高校に入学し、寮生活を始めた。部活は水泳部。だが同じく水泳部の二ノ宮亜美に「人殺し」という言葉をいきなり浴びせられる。圭介と亜美の家はともに和菓子屋で、ふたりの祖父の時代からライバル同士だったのだ…
このコロナ禍で、密集した観客が大声援を飛ばす中、大汗かいて試合を戦う主人公たちの漫画を描く気になれなくなったとのことで、最新連載『MIX』を休載していた作者でしたが、ひと月ほど前の様子がちょっとおちついて見えてきたころの心境の変化に伴って連載再開を決め、合わせて高校野球の交流試合開催に合わせて全著作を電子化解禁したので、ちょっと話題になったりしましたね。私は実家に『ナイン』と『タッチ』は愛蔵していて、先日『H2』『クロスゲーム』を読んだところだったので、今回はこちらを読んでみました。
今回のスポーツは野球ではなく水泳。主人公は競泳を、ヒロインは高飛び込みをしています。競泳は、隣のレーンの選手と争うこともあるでしょうがとりあえずタイムを競うもので、自分との戦いがシビアな競技かもしれません。作者はチームプレーとかトーナメントのおもしろさとかではないものを描いてみたかったのかもしれませんし、単に女子の水着姿をたくさん描きたかっただけかもしれませんが、ものっすごいスポ根漫画とかではなくとも(この作者はどの作品でも常に「根性」とは遠いところにあるドラマを描いていますが)きちんと競技の醍醐味は伝わる、おもしろい作品に仕上がっていました。
やっていることは、というかキャラクターはいつも同じで、圭介は要するにタッちゃんだし亜美は南です。いつも、主人公男子はちょっとワルぶっていたとしてもテレやで優しく、不言実行のがんばり屋で、ヒロイン女子は美人で優等生で素直ないい子です。そして主人公男子のライバルないし恋敵に、主人公より容姿や学業成績や競技実績が少し上の男子が配される。しかし彼もまた優しく紳士的で気遣いの人で、ヒロインに対してゴリ押ししたりは決してしない…
主役カップルはたいてい幼なじみとか義理の家族とかなんとかで、ふたりの心が揺れ動きやがて寄り添って行く様を淡々とした日常を淡々と描くことで絶妙に描き出し、そしてストーリーはここぞというところでほとんど卑怯なほどの交通事故や怪我、死といったアクシデントがぶっ込まれて大きく展開し、ラストきっちり仕上げる…というのも定番で、この作品もそれに漏れません。
今回いいのは、仲西さんがメガネってのもあるけれど(だが伊達っぽいお洒落眼鏡で、キャラとしての「メガネくん」ではもちろんない)、彼が圭介にとって憧れのヒーローだと設定されていることです。だから三角関係が単純ではないこじれ方をする。それに、誤解というか、仲西さんのある種大人げない行動が波紋を呼んで、圭介が亜美に「おまえなんか大っきらいだ。」と言うかなりスリリングな、しんどい展開になったりする。
亜美の水難事故はともかく、その後の仲西さんの交通事故はあたりまえですがとてもショッキングで重大で、その後の仲西さんの変貌も、でも実は変貌なんかではなくて人間なら当然だし彼にはもともとそういうところもあるひとりの若者で決して達観しきった大人なんかじゃなかったんだし、それでもそこからああまで復活してみせたのには彼に本当に意地と能力と努力する才能があったからこそだと思います。
だから、描かれなかっただけで、最後の試合はやっぱり圭介が勝ったのだろうけれど、でも、仲西さんが最後に意地を見せたかもしれない、とも思わせる。私はどちらかというとそれを願う派です。でも、だからこそ、それは描かれない。そしてそれとは別に亜美の気持ちはすでに固まっていて、だからあのラストシーンになる。
カセットテープにお気に入りの曲と、生の声の録音ですよ! 今のティーンにはもう意味がわからないかもしれませんよね! でも名作です。あだち作品としては小品と言っていいくらいかもしれませんが、佳作です。私は好きです。
かおりちゃんみたいなデザイン(容姿も性格も)の女子キャラがヒロインの恋敵として現れて…ってのも実に定番なんだけれど、彼女と芹澤くんの顛末もよかったです。これ以上ここを掘るとストーリー上ややこしくなりすぎる、という判断があった故のことなのかもしれないけれど、芹澤くんがあまり描き込まれていないだけに、彼にとって、また物語全体のバランスとして実によかったと思うのです。亜美が選手としてはまだまだでかおりの方が断然スター、というのもよかった。亜美は南ほどはスーパーヒロインではないのでした。
タイトルは素描、荒削り、みたいな意味で、人生を築いていく直前の青春模様、デッサンというようなニュアンスが込められているのでしょう。特に水泳とは関係のない言葉ですが、印象的でいいタイトルだと思います。でも物語冒頭に出てくるだけであとは全然出てこなくなっちゃっている言葉なので、もしもうちょっとだけ尺があれば、最終回直前に再度出してもよかったかもしれません。そこは残念です。
あとは、まあ女子の水着に対する男子の視線の描き方とかの問題はあるんだけれど、女子が気づいていないのでまだマシかな、と甘いけれど思ったりしました。少年漫画のラッキースケベとかって、女子が「いや~ん」とか騒ぐところまでがセット、というのが問題だと思うんですよね。つまり男子は女子の身体を見たいんじゃなくて、女子の嫌がることをやってみたい、そこにこそ快感を覚えるものなのだ…という刷り込みをエンタメを通してすることがダメだと思うのです。そういう嗜虐心は人として間違っている、それは人下劣な嗜好だ、と子供に早くからきちんと教えていかなければならない。それと性的な興味を持つこととは別の問題だし、でも男子だけが性欲を露わにすることを認められていいものでもないので、そこはまたきちんと分けて考えたいと思うのです。
むしろ気になったのは、これまたこの作者の作品あるあるなんだけれど、いわゆる不美人の、太めの少女を使った笑いの方です。これはもう、作者が女性というものに対して女神のように崇めるか、こうしたタイプの不美人をいじってからかうかしか絡む術を持っていない、対等の他者として友情を育むとかは発想すらできない魂が貧しい男性なんだから仕方ない、と考えるしかない気がしました。ただ、描写としてはこちらの方が今からでもいくらでも変えられると思うんだけど(編集が描かせなきゃいいだけの話なので)、『MIX』ではさてどうだったかな…
こういう疵で作品が時代を超えられないことはままあるものなので、『アクタージュ』事件もあった今、作者も編集部も版元も今一度きちんと考えてみるべき案件だと思います。
このコロナ禍で、密集した観客が大声援を飛ばす中、大汗かいて試合を戦う主人公たちの漫画を描く気になれなくなったとのことで、最新連載『MIX』を休載していた作者でしたが、ひと月ほど前の様子がちょっとおちついて見えてきたころの心境の変化に伴って連載再開を決め、合わせて高校野球の交流試合開催に合わせて全著作を電子化解禁したので、ちょっと話題になったりしましたね。私は実家に『ナイン』と『タッチ』は愛蔵していて、先日『H2』『クロスゲーム』を読んだところだったので、今回はこちらを読んでみました。
今回のスポーツは野球ではなく水泳。主人公は競泳を、ヒロインは高飛び込みをしています。競泳は、隣のレーンの選手と争うこともあるでしょうがとりあえずタイムを競うもので、自分との戦いがシビアな競技かもしれません。作者はチームプレーとかトーナメントのおもしろさとかではないものを描いてみたかったのかもしれませんし、単に女子の水着姿をたくさん描きたかっただけかもしれませんが、ものっすごいスポ根漫画とかではなくとも(この作者はどの作品でも常に「根性」とは遠いところにあるドラマを描いていますが)きちんと競技の醍醐味は伝わる、おもしろい作品に仕上がっていました。
やっていることは、というかキャラクターはいつも同じで、圭介は要するにタッちゃんだし亜美は南です。いつも、主人公男子はちょっとワルぶっていたとしてもテレやで優しく、不言実行のがんばり屋で、ヒロイン女子は美人で優等生で素直ないい子です。そして主人公男子のライバルないし恋敵に、主人公より容姿や学業成績や競技実績が少し上の男子が配される。しかし彼もまた優しく紳士的で気遣いの人で、ヒロインに対してゴリ押ししたりは決してしない…
主役カップルはたいてい幼なじみとか義理の家族とかなんとかで、ふたりの心が揺れ動きやがて寄り添って行く様を淡々とした日常を淡々と描くことで絶妙に描き出し、そしてストーリーはここぞというところでほとんど卑怯なほどの交通事故や怪我、死といったアクシデントがぶっ込まれて大きく展開し、ラストきっちり仕上げる…というのも定番で、この作品もそれに漏れません。
今回いいのは、仲西さんがメガネってのもあるけれど(だが伊達っぽいお洒落眼鏡で、キャラとしての「メガネくん」ではもちろんない)、彼が圭介にとって憧れのヒーローだと設定されていることです。だから三角関係が単純ではないこじれ方をする。それに、誤解というか、仲西さんのある種大人げない行動が波紋を呼んで、圭介が亜美に「おまえなんか大っきらいだ。」と言うかなりスリリングな、しんどい展開になったりする。
亜美の水難事故はともかく、その後の仲西さんの交通事故はあたりまえですがとてもショッキングで重大で、その後の仲西さんの変貌も、でも実は変貌なんかではなくて人間なら当然だし彼にはもともとそういうところもあるひとりの若者で決して達観しきった大人なんかじゃなかったんだし、それでもそこからああまで復活してみせたのには彼に本当に意地と能力と努力する才能があったからこそだと思います。
だから、描かれなかっただけで、最後の試合はやっぱり圭介が勝ったのだろうけれど、でも、仲西さんが最後に意地を見せたかもしれない、とも思わせる。私はどちらかというとそれを願う派です。でも、だからこそ、それは描かれない。そしてそれとは別に亜美の気持ちはすでに固まっていて、だからあのラストシーンになる。
カセットテープにお気に入りの曲と、生の声の録音ですよ! 今のティーンにはもう意味がわからないかもしれませんよね! でも名作です。あだち作品としては小品と言っていいくらいかもしれませんが、佳作です。私は好きです。
かおりちゃんみたいなデザイン(容姿も性格も)の女子キャラがヒロインの恋敵として現れて…ってのも実に定番なんだけれど、彼女と芹澤くんの顛末もよかったです。これ以上ここを掘るとストーリー上ややこしくなりすぎる、という判断があった故のことなのかもしれないけれど、芹澤くんがあまり描き込まれていないだけに、彼にとって、また物語全体のバランスとして実によかったと思うのです。亜美が選手としてはまだまだでかおりの方が断然スター、というのもよかった。亜美は南ほどはスーパーヒロインではないのでした。
タイトルは素描、荒削り、みたいな意味で、人生を築いていく直前の青春模様、デッサンというようなニュアンスが込められているのでしょう。特に水泳とは関係のない言葉ですが、印象的でいいタイトルだと思います。でも物語冒頭に出てくるだけであとは全然出てこなくなっちゃっている言葉なので、もしもうちょっとだけ尺があれば、最終回直前に再度出してもよかったかもしれません。そこは残念です。
あとは、まあ女子の水着に対する男子の視線の描き方とかの問題はあるんだけれど、女子が気づいていないのでまだマシかな、と甘いけれど思ったりしました。少年漫画のラッキースケベとかって、女子が「いや~ん」とか騒ぐところまでがセット、というのが問題だと思うんですよね。つまり男子は女子の身体を見たいんじゃなくて、女子の嫌がることをやってみたい、そこにこそ快感を覚えるものなのだ…という刷り込みをエンタメを通してすることがダメだと思うのです。そういう嗜虐心は人として間違っている、それは人下劣な嗜好だ、と子供に早くからきちんと教えていかなければならない。それと性的な興味を持つこととは別の問題だし、でも男子だけが性欲を露わにすることを認められていいものでもないので、そこはまたきちんと分けて考えたいと思うのです。
むしろ気になったのは、これまたこの作者の作品あるあるなんだけれど、いわゆる不美人の、太めの少女を使った笑いの方です。これはもう、作者が女性というものに対して女神のように崇めるか、こうしたタイプの不美人をいじってからかうかしか絡む術を持っていない、対等の他者として友情を育むとかは発想すらできない魂が貧しい男性なんだから仕方ない、と考えるしかない気がしました。ただ、描写としてはこちらの方が今からでもいくらでも変えられると思うんだけど(編集が描かせなきゃいいだけの話なので)、『MIX』ではさてどうだったかな…
こういう疵で作品が時代を超えられないことはままあるものなので、『アクタージュ』事件もあった今、作者も編集部も版元も今一度きちんと考えてみるべき案件だと思います。