明治座、2020年8月23日16時(千秋楽)。
世界中で愛されるデュマ(川崎麻世)の『モンテ・クリスト伯』はエドモン・ダンテス(渡辺大輔)が裏切りの果てに壮大に描く復讐劇。そして、デュマが愛した最初の女性カトリーヌ(凰稀かなめ)が描きあげる、愛憎の果ての復讐劇。劇中劇でありながら小説世界を舞台に描き出し、やがてデュマ自身を追い詰める復讐劇へと変わっていく…
作・演出/西田大輔。全3幕の音楽劇。
宝塚歌劇宙組版の感想はこちら、ワイルドホーン作曲のミュージカル版の感想はこちら。
かつてエドモンを演じたテルがメルセデスを演じるとあって、気になってはいたのですがいろいろ忙しくてチケット取りに手を束ねていたところ、都合が悪くなったお友達に声をかけていただきました。しかし譲っていただいたたのは千秋楽…このご時世、無事に初日の幕が上がったとしても千秋楽まで公演が完走できるか怪しくもあり、もらえるなら早い時期のチケットの方がよかったか…とか思っていたら出演者に陽性が出て初日が三日遅れとなり、もうこればかりは縁だな運だな、上演してくれてチケットがあるなら行ける限りいつでも行くよという気持ちで固唾を呑んで見守っていたところ、無事千秋楽まで上演してくれることとなり、いそいそと出かけてきました。
明治座といえば博多座と並ぶロビー売店の賑やかさが楽しみなのに、すべて閉店…仕方ないことではありますが、残念でした。席は市松模様にしているようでしたが、販売時には一部ベタ売りだったのかな? ところどころに「この席は振り替えさせていただきます」みたいな紙が置かれていて、わりとすぐ近くの、売らなかった席に案内されているようでした。が、売られていないはずのその席のチケットを持っているお客さんがすでにそこに座っていて…みたいなトラブルが何件が起きていて、係員があたふたしている間に開演五分前のベル…幸いにというか残念ながらというか、けっこう空席はたくさんあって、私と連れも適当に散って座ったら暗転、開演となってしまいました。まあ、明治座はわりとどこからも同じように舞台が観やすい客席かと思うので、いいんですけれどね…
というわけで千秋楽でも客席半分みっちり、という客の入りではなかったのですが、カテコでの出演者挨拶によればこの回が一番入りが良いとのことだったので、今はどの公演も集客に本当に苦労しているんだろうな、としみじみしました。それでも役者はみんな上演できたことを本当に喜んでいて、支えてくれたスタッフや関係者、劇場に来てくれた観客、配信を見てくれている人々に感謝の念を捧げていて、「心は密です」と言っていて、胸打たれました。とはいえ上演期間が短くなった分、心残りや不完全燃焼もあったのか、再演希望を述べるキャストが多かったのも印象的でした。もちろんみんな毎回一生懸命にやっているに決まっているんだけれど、舞台って回数を重ねるのが基本だから(バレエとかオケとかはまた別でしょうが、演劇は)、まだできる、もっとできる、違うこともできるって可能性がやるたびに見えてきて、もうちょっとやりたいって欲が出るんだろうな、と思いました。早く、通常どおりの上演ができる日が来ることを祈っています。それまでは対策しつつ粛々と暮らします。「待て、しかして希望せよ」、今こそ響く言葉です…
さてしかし、そんなわけでコロナ禍の演劇は休憩なし2時間くらいのものの方が幕間もなくて飲食や会話が減らせるしベストでは、みたいな空気の中での10分休憩2回を入れた3幕3時間20分ってどーなのよ、とまず思いましたし、実際ちょっとたっぷりやり過ぎている印象はあって、もっとテンポ良く進めんかい!とは感じました。特にそんなにおもしろくない会話が行ったり来たりするところだけでも刈り込めば、あと30分か1時間くらいはすぐつまめると思うんだけど…また、ミュージカルではなく音楽劇とあって、どちらかというとオペラっぽいソロの入り方なんだけれど(いかにもミュージカルっぽい多重唱の楽曲もいくつかはありましたが)、いずれももう少しずつ短くてもいいかもしれない、と思いました。歌唱力は十分なんだけれど、芝居や歌詞がやや薄いので、どんなに上手い歌でもお客は退屈すると思うんですよね。リサイタルではないので、役の情念が表れた歌でないと、観客の心は動かないのです。キャラクターも多い原作なので大変かと思いますが、脚本としてもう少し練れるとよかったんだろうなと感じました。
あと、ハコもちょっとこの作品には大きかったかもしれない…大枠はホームドラマなんだから、もう少し小さい劇場でみちっとやった方がよかったかもしれません。セットもそんなに大がかりなものできなかったし。映像とかはまあまあいい使い方をしているかなとは思いましたが。
あとはアンサンブルの振付のダサさに仰天しました、すみません…プログラムが通販のみで、このまま買わずにすませそうなので音楽や振付の担当者を知らないのですが…すみません…
でも、リピーターがちゃんといるんだなという拍手の入り方だったので、ファンが多いキャストの舞台なんだな、と思いました。きっちり盛り上がっていたとは思いました。
史実かどうかは知らないのですが、この作品の外枠はアレクサンドル・デュマ・フィス(渡辺大輔)とその母親でデュマ・ペールの愛人カトリーヌがデュマ・ペールのゴーストライターをやっていて、デュマ・ペールの父親をエドモンのモデルにして『モンテ・クリスト伯』を書いている…というものです。デュマ・ペールはちょいちょい来ては原稿にちゃちゃを入れる。ま、そういうプロダクション制みたいな執筆って意外といいと思うし、もし本当ならあの小説がちょっと荒唐無稽でいろいろ齟齬もある大味な大衆エンタメ作品みたいになっているのも納得なのかな?という気がしました。なので劇中劇の形でエドモンの話は語られます。そこで、カトリーヌとメルセデスの二役をテルが演じ、フィスとエドモンを同じ役者が演じてふたりは母と息子から恋人同士にスライドしたりする。それが妙味の作品になっているのでした。もうひとり、デュマの娘と名乗るマリー(富田麻帆)も原稿読みに加わって、エデ姫との二役に扮します。これもおもしろい。
この作品でもアルベール(千田京平)はエドモンの種とされていて、メルセデスは息子とともに旅立ち、エドモンはエデ姫と結ばれて終わります。そしてその後の大枠に、マリーは実はデュマの娘ではなくマリー・デュプレシという女性でフィスのガールフレンドで、フィスは彼女をモデルに『椿姫』を書こうとしていることが語られるのと、カトリーヌが『モンテ~』にかこつけてデュマの浮気を責め、しかし痴話喧嘩みたいになって終わる…というオチが来ます。
復讐は虚しい、というのは言わずと知れたことで、自分を陥れた人物を同じような目に遭わせようとも失われたものは戻らないし、その過程で無関係の人を必要以上に傷つけてしまうこともあるので、爽快感もカタルシスも得にくいものです。なのでエドモンの物語の外枠にもうひとつ、お話があるのはいいアイディアだなと思いました。羽根ペンを手にしたカトリーヌが世界を統べる女王のごとく舞台に君臨している感じなのもよかったです。似たような青いドレス2着しかお衣装がなかったようなのが残念だったけれど、歌声も健在で、結婚前のメルセデスのときなんかむちゃくちゃ可愛くて、堪能しました。
十碧れいやがカトリーヌの男装の執事役で、オイオイかっけーじゃんかと思って観ていたら作中ではベルツッチオ役で、なんとそれはキタさんがやっていた美味しい役だったよね今回も美味しいな!?とときめきまくりました。
メガネだったからかもしれませんが(笑)、ダングラール役の廣瀬智紀が印象的でした。
そうだ、最後にひとつだけ。作中のハッピーエンド場面で、エデに「私はあなたの奴隷です」と言わせるのはやめてくれ。原作小説どおりなのかもしれないし、「私はあなたのものです」という意味の愛の言葉であり、また彼女は実際に奴隷に売られたところをのちにエドモンに助けてもらった経緯があるから、というのはもちろんわかっていて、でも今の舞台であえてこう言わせる必要はまったくないし、洒落にならない、不愉快です。隷属にロマンスの要素を見るのは、百万歩譲って女性作家が書く台詞なら許せなくもなくもない、かもしれない。でも隷属させる側に属する者が書いては絶対にいけません。
世界中で愛されるデュマ(川崎麻世)の『モンテ・クリスト伯』はエドモン・ダンテス(渡辺大輔)が裏切りの果てに壮大に描く復讐劇。そして、デュマが愛した最初の女性カトリーヌ(凰稀かなめ)が描きあげる、愛憎の果ての復讐劇。劇中劇でありながら小説世界を舞台に描き出し、やがてデュマ自身を追い詰める復讐劇へと変わっていく…
作・演出/西田大輔。全3幕の音楽劇。
宝塚歌劇宙組版の感想はこちら、ワイルドホーン作曲のミュージカル版の感想はこちら。
かつてエドモンを演じたテルがメルセデスを演じるとあって、気になってはいたのですがいろいろ忙しくてチケット取りに手を束ねていたところ、都合が悪くなったお友達に声をかけていただきました。しかし譲っていただいたたのは千秋楽…このご時世、無事に初日の幕が上がったとしても千秋楽まで公演が完走できるか怪しくもあり、もらえるなら早い時期のチケットの方がよかったか…とか思っていたら出演者に陽性が出て初日が三日遅れとなり、もうこればかりは縁だな運だな、上演してくれてチケットがあるなら行ける限りいつでも行くよという気持ちで固唾を呑んで見守っていたところ、無事千秋楽まで上演してくれることとなり、いそいそと出かけてきました。
明治座といえば博多座と並ぶロビー売店の賑やかさが楽しみなのに、すべて閉店…仕方ないことではありますが、残念でした。席は市松模様にしているようでしたが、販売時には一部ベタ売りだったのかな? ところどころに「この席は振り替えさせていただきます」みたいな紙が置かれていて、わりとすぐ近くの、売らなかった席に案内されているようでした。が、売られていないはずのその席のチケットを持っているお客さんがすでにそこに座っていて…みたいなトラブルが何件が起きていて、係員があたふたしている間に開演五分前のベル…幸いにというか残念ながらというか、けっこう空席はたくさんあって、私と連れも適当に散って座ったら暗転、開演となってしまいました。まあ、明治座はわりとどこからも同じように舞台が観やすい客席かと思うので、いいんですけれどね…
というわけで千秋楽でも客席半分みっちり、という客の入りではなかったのですが、カテコでの出演者挨拶によればこの回が一番入りが良いとのことだったので、今はどの公演も集客に本当に苦労しているんだろうな、としみじみしました。それでも役者はみんな上演できたことを本当に喜んでいて、支えてくれたスタッフや関係者、劇場に来てくれた観客、配信を見てくれている人々に感謝の念を捧げていて、「心は密です」と言っていて、胸打たれました。とはいえ上演期間が短くなった分、心残りや不完全燃焼もあったのか、再演希望を述べるキャストが多かったのも印象的でした。もちろんみんな毎回一生懸命にやっているに決まっているんだけれど、舞台って回数を重ねるのが基本だから(バレエとかオケとかはまた別でしょうが、演劇は)、まだできる、もっとできる、違うこともできるって可能性がやるたびに見えてきて、もうちょっとやりたいって欲が出るんだろうな、と思いました。早く、通常どおりの上演ができる日が来ることを祈っています。それまでは対策しつつ粛々と暮らします。「待て、しかして希望せよ」、今こそ響く言葉です…
さてしかし、そんなわけでコロナ禍の演劇は休憩なし2時間くらいのものの方が幕間もなくて飲食や会話が減らせるしベストでは、みたいな空気の中での10分休憩2回を入れた3幕3時間20分ってどーなのよ、とまず思いましたし、実際ちょっとたっぷりやり過ぎている印象はあって、もっとテンポ良く進めんかい!とは感じました。特にそんなにおもしろくない会話が行ったり来たりするところだけでも刈り込めば、あと30分か1時間くらいはすぐつまめると思うんだけど…また、ミュージカルではなく音楽劇とあって、どちらかというとオペラっぽいソロの入り方なんだけれど(いかにもミュージカルっぽい多重唱の楽曲もいくつかはありましたが)、いずれももう少しずつ短くてもいいかもしれない、と思いました。歌唱力は十分なんだけれど、芝居や歌詞がやや薄いので、どんなに上手い歌でもお客は退屈すると思うんですよね。リサイタルではないので、役の情念が表れた歌でないと、観客の心は動かないのです。キャラクターも多い原作なので大変かと思いますが、脚本としてもう少し練れるとよかったんだろうなと感じました。
あと、ハコもちょっとこの作品には大きかったかもしれない…大枠はホームドラマなんだから、もう少し小さい劇場でみちっとやった方がよかったかもしれません。セットもそんなに大がかりなものできなかったし。映像とかはまあまあいい使い方をしているかなとは思いましたが。
あとはアンサンブルの振付のダサさに仰天しました、すみません…プログラムが通販のみで、このまま買わずにすませそうなので音楽や振付の担当者を知らないのですが…すみません…
でも、リピーターがちゃんといるんだなという拍手の入り方だったので、ファンが多いキャストの舞台なんだな、と思いました。きっちり盛り上がっていたとは思いました。
史実かどうかは知らないのですが、この作品の外枠はアレクサンドル・デュマ・フィス(渡辺大輔)とその母親でデュマ・ペールの愛人カトリーヌがデュマ・ペールのゴーストライターをやっていて、デュマ・ペールの父親をエドモンのモデルにして『モンテ・クリスト伯』を書いている…というものです。デュマ・ペールはちょいちょい来ては原稿にちゃちゃを入れる。ま、そういうプロダクション制みたいな執筆って意外といいと思うし、もし本当ならあの小説がちょっと荒唐無稽でいろいろ齟齬もある大味な大衆エンタメ作品みたいになっているのも納得なのかな?という気がしました。なので劇中劇の形でエドモンの話は語られます。そこで、カトリーヌとメルセデスの二役をテルが演じ、フィスとエドモンを同じ役者が演じてふたりは母と息子から恋人同士にスライドしたりする。それが妙味の作品になっているのでした。もうひとり、デュマの娘と名乗るマリー(富田麻帆)も原稿読みに加わって、エデ姫との二役に扮します。これもおもしろい。
この作品でもアルベール(千田京平)はエドモンの種とされていて、メルセデスは息子とともに旅立ち、エドモンはエデ姫と結ばれて終わります。そしてその後の大枠に、マリーは実はデュマの娘ではなくマリー・デュプレシという女性でフィスのガールフレンドで、フィスは彼女をモデルに『椿姫』を書こうとしていることが語られるのと、カトリーヌが『モンテ~』にかこつけてデュマの浮気を責め、しかし痴話喧嘩みたいになって終わる…というオチが来ます。
復讐は虚しい、というのは言わずと知れたことで、自分を陥れた人物を同じような目に遭わせようとも失われたものは戻らないし、その過程で無関係の人を必要以上に傷つけてしまうこともあるので、爽快感もカタルシスも得にくいものです。なのでエドモンの物語の外枠にもうひとつ、お話があるのはいいアイディアだなと思いました。羽根ペンを手にしたカトリーヌが世界を統べる女王のごとく舞台に君臨している感じなのもよかったです。似たような青いドレス2着しかお衣装がなかったようなのが残念だったけれど、歌声も健在で、結婚前のメルセデスのときなんかむちゃくちゃ可愛くて、堪能しました。
十碧れいやがカトリーヌの男装の執事役で、オイオイかっけーじゃんかと思って観ていたら作中ではベルツッチオ役で、なんとそれはキタさんがやっていた美味しい役だったよね今回も美味しいな!?とときめきまくりました。
メガネだったからかもしれませんが(笑)、ダングラール役の廣瀬智紀が印象的でした。
そうだ、最後にひとつだけ。作中のハッピーエンド場面で、エデに「私はあなたの奴隷です」と言わせるのはやめてくれ。原作小説どおりなのかもしれないし、「私はあなたのものです」という意味の愛の言葉であり、また彼女は実際に奴隷に売られたところをのちにエドモンに助けてもらった経緯があるから、というのはもちろんわかっていて、でも今の舞台であえてこう言わせる必要はまったくないし、洒落にならない、不愉快です。隷属にロマンスの要素を見るのは、百万歩譲って女性作家が書く台詞なら許せなくもなくもない、かもしれない。でも隷属させる側に属する者が書いては絶対にいけません。