駒子の備忘録

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『ごめん、愛してる』~韓流侃々諤々リターンズ15

2020年08月17日 | 日記
 2005年KBS、全16話。

 タイトルは韓国語だと「ミアナダ、サランハンダ」で、当時はファンを略して「ミサ廃人」なんて言っていました。挿入歌が「雪の華」の男声カバーで、それも大ヒットしましたよね。でも今見ると、やっぱり半分とは言わないまでもせめて10話でできるだろうという気がしますし、特に立ち上がりがスローなのがいただけないなあ、とは思いました。だがやはり後半は盛り上がりますね。あくまでもベタだけど、まあまあよくできている作品だと思います。

 ヒロインはイム・スジョン演じるウンチェ。しかし当時いくつなんだ、めっちゃ童顔で小柄な女優さんです。彼女の父親が往年の大女優オ・ドゥリの運転手をしていて母親は家政婦で、なので一家はお屋敷の敷地内の離れを借家としている貧乏人、という設定です。オ・ドゥリのひとり息子ユン(ジョン・ギョンホ)は当代一の人気スター歌手で、ウンチェとは生まれたときからの幼なじみ。ウンチェはユンのスタイリストとして働いています。ウンチェはユンを想っていますが、ユンはウンチェを家族同然とだけしか思っていなくて、人気女優のミンジュ(ソ・ジヨン)に夢中。でもミンジュは恋愛をゲームだと考えている浮気な女で、かつウンチェとは高校のクラスメイトでもあったため、ユンの相手はしません。
 ユンとミンジュがオーストラリア・ロケの仕事に出かけた際に、街で迷子になったウンチェが偶然出会うのが、私の愛するソ・ジソプ演じる主人公のムヒョクです。『ホテリアー』のシン・ドンヒョク同様、幼いときに海外養子に出されたクチで、しかし里親とは合わず、野良犬のように生きているチンピラの青年といったところです。彼らがソウルに帰国してから物語は本格的に転がり出し始めるわけですが、実はオ・ドゥリは若い頃に妻子ある映画監督との間に双子を産んでいて、本人は死産だったと聞かされてきたのだけれど、実はウンチェの父が施設に預けたというかぶっちゃけ捨てたという経緯があって、赤ん坊たちは指輪をネックレスに仕立てたものを託されていて、ムヒョクはそれを持っていて…という、いわゆる「母子もの」のドラマです。
 また、ムヒョクはオーストラリアでガールフレンドがお金目当ての結婚をする際のトラブルに巻き込まれて、脳に銃弾が残ってしまって余命一年もない、となって帰国するので、病気ではないけれどいわゆる「難病もの」というか、そういうモチーフのドラマです。
 四角関係の恋愛ドラマとしては、ミンジュがキャラクターとして弱くて、ムヒョクがあてつけとして謎のインテリヤクザみたいに変装してくどいたりする楽しい(私が)展開もあるんですけれど、基本的にはいかにもただの当て馬みたいになってしまっていて、ちょっと残念でした。どっちかというとムヒョクのオーストラリアでのガールフレンド、ジヨン(チェ・ヨジン)の方が好きな女優さんだったので、こっちに絡んでもらいたかったなー…
 あとは、ムヒョクの双子の姉のソギョン(チョン・ヘジン)が子供の頃の交通事故の後遺症で知能に障害を負っていて、今は一児の母ですが息子のガルチと同じくらいの知能しかなく…という設定なのが、本当にせつなくて卑怯です。ガルチの芝居がまた泣かせるのが最高に卑怯で、本当に素晴らしいです。
 ウンチェの母親は『バリ出来』でセカンドヒロインの母親役をやっていたアボジオモニーズの一員で、今回は庶民側。『バリ出来』同様、お屋敷町も貧民街もともに坂の上にあって、各登場人物は実によく坂を上がったり下りたりします。でもふたつの町はソウルの同じ場所には決してないんですよね…

 韓国はクリスチャンが多いので、ラストは物議を醸したのではないでしょうかね…まあそのわりには芸能人の自殺なんかが日本よりは顕著な、不思議な文化差がそこにはあるわけですが。なんせドラマは得意の「1年後」展開なのでくわしくはなんとも言えませんが、オ・ドゥリはわりと元気にしているのではなかろうか…というのが私の想像です。一番悲しむ権利も、怒る権利もこの人にあると思うけれど、だからこそ、というのもなんだけれど、なんせ知らされていなかったというのもあるし、一時は驚倒し狂乱し悲嘆にくれたかもしれないけれど、なら後追い自殺しよう、とかって発想はこの人にはない気がします。というか普通の人にはやっぱりなかなかないはずであって、ウンチェがその道を選ぶのは、父親がしたことに対する責任感とか、父親を許せなくてとか、せめてお詫びにとか、そういう心理が働いたのかなーとか考えないと、ちょっと納得しづらいです。そりゃムヒョクはもちろんかわいそうなんだけれど、でも彼が「生きた、愛した、笑った」って感じである種満足して旅立っていったことはウンチェには十分わかったはずだと思うんですよ。ウンチェは彼のそうした愛情をしっかり受け止めて、彼とのたくさんの思い出を胸に、ときにユンの歌声に涙したりしつつも、ソギョンやガルチの面倒を見たりなんかして「私は元気です」、というのが普通のラストだと思います。
 オーストラリア・ロケは先に全部済ましちゃってるんでしょうから、最初からこのラストが脚本としてあったんだと思うんだけれど、別にボツにしたってよかったんじゃないかなあ…私は、あまり感心しませんでした。単純に好みじゃないというのもあるし、納得しかねました。せめてもっと、いかにもそうなりそうって伏線を引いていてくたれのならまだしも…ウンチェ一家はみんな悲しむよ、ムヒョクだってなんてことしたんだって怒るよ、と思うのでした。

 タイトルは主人公がヒロインに告げる最期の台詞で、万感の想いが込められたものです。墓標に刻まれる言葉でもある(ここでの英文とドラマの英題が一致していないという齟齬はありますが…)。その少し前にヒロインが「ミアネ、サランヘヨ」と曇った鏡に指で書き、メールで打ち、台詞で言うのを受けたものでもあります。主人公は韓国語をガールフレンドに教わっていて、話せはするものの読み書きは怪しく、かつ敬語その他微妙な言い回しなどは不得手という設定になっています。なので断定口調というか、もしかしたら口語としてはおかしいくらいのぶっきらぼうさを表しているのかもしれません。でもシンプルで深い、確かに人生のすべてを総括するような言葉です。

 日本でもリメイクされましたよね。今検索したらオ・ドゥリは大竹しのぶでした、ベタすぎる…!(笑)そしてミンジュ役者でなく大竹しのぶを入れた男女4人のメイン・ビジュアルになっていたぞ、わかりやすいな…!! 見たかどうかの記憶はありません、すみません。とりあえず韓ドラの方のBOXは、また忘れたころの老後の楽しみに取っておきたいと思っています。
 これまた検索してみたところ、ジソプは今年の春に結婚した模様…おめでとう、寂しいわ(笑)。ヒョンビンもだいぶ渋くなっていたし、いい中年俳優になってくれていたら嬉しいんだけどな、どうなのかなー?

コメント
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