シアター・ドラマシティ、2020年8月18日11時(前楽)。
16世紀初頭。アナトリア地方を支配するオスマン帝国の勢いは止まるところを知らず、対外遠征により領土を広げ続けていた。父帝の崩御により、若くしてその大国の首座に就いたのがスレイマン(桜木みなと)、のちに「壮麗帝」と称されるオスマン帝国第十代皇帝である。彼の傍らには、元は異国からの奴隷であった小姓イブラヒム(和希そら)が常に控えていた。スレイマンとイブラヒムは、いつかこの広い世界を統べる「天運の主」になろうと輝かしい未来をともに夢見ていたが、古くから仕える宰相たちの中には出自にかかわらず有能な人材を登用するスレイマンの考えに反感を抱く者もいた。あるとき、イブラヒムを伴い密かに街を訪れたスレイマンは、遙かルテニアから売られてきた娘アレクサンドラ(遙羽らら)と出会うが…
作・演出/樫畑亜依子、作曲・編曲/手島恭子。宙組3番手スターの初東上公演となるはずだったが、コロナの影響でスケジュールを変更・短縮しての上演。全2幕。
ずんちゃん主演作としては、『相続人の肖像』の感想がこちら、『パーシャルタイムトラベル』がこちら。カッシー作品としては『鈴蘭』がこちら、『Arkadia』がこちら。
雪組梅芸公演とハシゴしようとチケットの手配をしたので前楽になってしまい、公演が無事初日を迎えたものの千秋楽まで完走してくれるのか、自分が生で観られるのかいたって勝手ながらヒヤヒヤしたのですが、無事に観てこられてよかったです。のぞみはあいかわらずガラガラでした。千秋楽もライブ配信されて無事幕を下ろしたようで、平日にもかかわらずなんとか観た方も多かったようで、まずは一安心ですね。星組東京公演再開も決まって、あとははいからさんがまた通れるようになれば…MSやDSが食事なし客席降りなしどころか無観客ライブ配信になりそう、というのはかなり寂しいですが、劇団もいろいろ模索しつつ、生徒とスタッフと観客の健康と安全を第一にいろいろ手を尽くしてくれているのでしょう。粛々と続報を待ちたいと思います。
さて、そんなわけで、初日に聞こえてくる感想は「タカラヅカを観た!ってカンジ!!」みたいなものが多くて、そりゃ直前の『SAPA』に比べたら歌も踊りもあるんだろうしコスチューム・プレイだし(お衣装、という意味では『SAPA』もある意味とても素敵だったとは思うのですが)で、そういう感想になるのもわかるんだけれど、以後もフィナーレがいいとかデュエダンのキスがいいとかいったことしか語られていない感じだったので、さて肝心の中身としてはどんなもんなのかいな…と案じつつ出かけてきました。ナウオンも見て行きましたが、りんきらひとりが必死に話を回していてお疲れ様です!って感じでしたしね。3月時点の収録だから、もしかしたら公演中止かも…みたいな空気がすでにあって、それで固かったのかなあ? そらとか、全然しゃべらないのは気になりました。
この時代の史実に関しては遠い昔に高校の世界史の授業で勉強したかもしれない程度のことと、先日最新刊が出た篠原千絵の漫画『夢の雫、黄金の鳥籠』しか知らない状態で観ました。テレビドラマも見ておらず、いずれもちょっとずつ脚色されているそうなので、何が正しい史実なのかもよく把握していないままの観劇でした。ま、それはいいと思うんですよね、この舞台では何をどう描こうとしているのか、を観に行くわけですから。
しかして第1幕は…20年前の中村A作品の再演、と言われても信じられるな、と私は思いました。なんならA先生なら新作と言われても私は信じます。おわかりになっていただけるかと思いますが、決して褒めていません。
キャッチーなプロローグ、状況説明、主人公と2番手の出会い、ヒロインの登場、悪役の伏線、主人公とヒロインの仲の深まり…長命な王様の一代記だからああなってこうなって、とパタパタ展開する形になるのは仕方がないでしょうし、わりとテンポ良くやれていたとは思いました。入りそうなところでソロがちゃんと入るのもちゃんとしていると言えば言える。しかしあまりにも形式的というか、古式ゆかしい宝塚歌劇の様式美に則っただけのような、十年一日のごとく変わらぬストーリー展開の物語で、作者の個性がまったく見えず、これが本当に21世紀に20代の(知らないけど、多分)女性作家によって書かれた新作なのか!?と私はややあきれたのでした。さらに悪いことにもっと劣化している部分もあって、それは台詞や歌詞がものすごく凡庸というか貧弱とさえ言える言葉で紡がれていたことです。ときどき難しい(笑)単語も入ってくるんだけれど、耳で聞いて意味を取るには不向きな言葉だったりしてむしろ稚拙さをより露わにしましたし、とにかく全体に深みや豊かさやニュアンスというものがまったくない、中学生の作文みたいな日本語で、聞いていて悲しくなりました。戯曲は文学であるべきではあるまいか…特に歌詞はもっと詩情あるものが書けないんなら、歌わせる意味はないのではなかろうか…せっかくのずんちゃんやそらの歌唱力が泣くっつーの。あ、スーパーこってぃタイムはアレでいいと思います。歌詞なんざなんだろうと、十分場面として成立していました。こってぃは『リッツ~』からこっち、やっと一皮剥けてきたかなーという印象でしたし、この役ってもっと長く公演していたら、東上なんかもちゃんとあったりしたら一周回ってすごーく人気出たと思うんですよね。あんま褒めているように聞こえない言い方で申し訳ありませんが、残念ながら「皮肉にも」という要素がもちろんあるのでこういう書き方になってしまってすみません。生徒のせいではもちろんなくて、むしろ生徒は大好演だったと思うし楽しんでノリノリでやっていたのではないかしらん。2幕の、まずオフ台詞のあとの登場とかもうたまりませんでした、奥歯噛みしめて観てました。イヤ、大事だと思うんです。てかわざとそう演出しているんだと信じたい。無自覚だったらむしろ絶望的すぎます。
そんな、クラシカルといえば聞こえはいいが要するに古色蒼然とした中でのただひとつの光明は、ららてぃんアレクサンドラがとてもいいヒロインぶりを発揮していたことです。ららのいいところが出ている役だと思いましたし、もちろんらら自身がとても的確にこの役を演じていたと、いうのもあります。でも、これが本当に2、30年前の(増えた)男性作家の作品だったら、ヒロインってもっと不必要に、ベタベタに、もっともっとヨロメロさせられていたと思うんですよ。奴隷として引っ立てられるところももっといかにもかわいそうっぽくグズグズ泣いたり、奴隷商人(風色日向。上手い! たまらん! いろいろ期待している!)から逃げてきてスレイマンとぶつかっちゃうあたりももっとウダウダすがったり助けを求めて泣き叫んだりさせられていたと思うんです。あげく救ってもらうことになったあとも「あんな素敵な方が、何故私なんかを…?」とか言ってボッと頬染める、とか、いかにもさせられそうじゃないですか。さんざん観せられてきましたよね我々は、そういうイージーなラブロマンス展開を。
でも、ららアレクサンドラはもっと強くて、しなやかで、まっすぐで、ひたむきです。過剰に卑屈なところがない。ヒロインにしては無口なくらいに思えるのはそのためです(外国人設定があるとはいえここでの彼女の台詞が少ないので、台詞の言葉の貧弱さがここではあまり露呈しないという利点もある)。そうきちんと意図して書かれているのか、はたまたたまたまかもしれませんが(私のこのカッシーの信じてなさぶりよ…)、アレクサンドラは変に女々しいところがなく、人としてごく普通に、すっくと立っていて、ただ真摯に生きようとだけしていて、自立している印象なのが良いのです。隙見て自分でさっさと逃げ出したんだろうし、スレイマンとぶつかってコケちゃったのは不運だったけれど、そこで救助というか助力を頼むのも最低限くらいだし(自分を助けるよう過剰に泣き叫ぶ女って、自分は守られるべきか弱い存在だ、っていうむしろ思い上がりみたいなのものが透けて見えて、嫌なんですよね)、スレイマンとイブラヒムによって宮殿に行くことになっても「仕事をくれるというならやってみるか」みたいな順応性や軽やかな覚悟が見えるし、その仕事が女官じゃなくて側女候補だと判明しても「ワタクシ、そんなフケツな、ハレンチなことはしたくございません!」みたいにヒステリックに騒いだりしないじゃないですか。そこがいい。この在り方は、とても現代的で、女性作家の手によるものならではかな、と私は感じたのでした。
それでそのまま、マヒデヴラン(秋音光。私はあまり感心しなかったかなー…あきもってファニーフェイスだと私は思っているので、たとえばまりなとかにやらせた方がもっとわかりやすく美人でよかったんじゃないかしらん。ただまりなは今回も他でとてもいい仕事をしているのだった…オカマにして笑いを取る、みたいな無駄なことをしなかった宦官長とか、ホント上手い!)との間にもう息子がいるから、それ以上争いの種になる子供は要らないとばかりにハレムから足が遠のいているという設定の(英雄色を好む、ばかりとは限らない、という視点ももしかしたらけっこう現代的、女性的なものかもしれません)ずんちゃんスレイマンに「ふっ、おもしれー女」とか言わせたら私がキレるところでしたが(笑)、ギリギリで踏み留まり、ふたりの心が寄り添っていくくだりは私はわりと上手に描けていたと思うので、このあたりはよかったなと思ったんですよね。最期の時も、まず皇帝であろうとするスレイマンに対して、皇帝である前に人間だ、幸せな人間でいてほしい、みたいなことをアレクサンドラが言うのには感動しました。あと、ららといえば毎度歌には手に汗握らせられてきましたが、今回はとてもよかったですよね。たくさんレッスンしたのかな、偉いぞ!
しかしこの、内政か外征かというような、単純かつなかなか難しい命題で話を最後まで引っ張るとは思いませんでしたけどね…
若干とってつけたよーなラブシーンも、でもこれはずんちゃんの好演もあってよかったです。王のためを思えばこその右腕の暴走、というのも丁寧に描かれていたと思います。だからキャラクターとドラマの布石は十分に打たれている。ただやはりこういうタイプの物語って、真ん中の王子様/王様ってどうしてもただの白い役になりがちで、演じようがない、魅力的に見せるのが難しい役になりがちなんですよね。受け身の主人公あるあるですけれどね。総受けで成立する場合もあるけれど、ずんちゃんはやりづらかったのではないかなーと思いました。特に2幕、そらイブラヒムとのすれ違いが目立ってきてからは、誰か下級生に小姓でもやらせて、彼相手に独り言を言うような場面を作るとよかったのかもしれません。スレイマンのつらさや悩み、絶対王者の孤独、悲しさって、ちゃんと台詞で上手く表現しないとわかりづらいと思うのです。
というわけで私は第2幕の方がおもしろく観られたんですけれど、それはやはりキャラクター同士の衝突のドラマが俄然動き出したからですよね。時間経過も早いんだけど、それは上手く処理されていると思いました。メフメト(水音志保。かーわーいーいー! てか町の踊り子でもハレムの女でもとにかく可愛くて目立つ!!)が死ぬことやムスタファ(風色日向)が反乱を起こすこととかは史実として知らなかったので、ドラマチックでおおおぉ!とたぎりました。エレナ(花宮沙羅。いいスパイスでしたが、もうちょっと仕事させたかったかなー。てかマヒデヴランでよかったのでは?とも思うのですが…)のエピソードはもうちょっと深めたかった気もしますが、2時間ドラマチックで奥歯噛みしめつつも楽しかったからよかったです。
でも結局、ずんそらの、スレイマンとイブラヒムのすれ違いと衝突と、スレイマンによるイブラヒムの処刑をやりたかったんでしょ? ツボはソコなんでしょ? ならもっとそこにがっつり注力して物語を作ってもよかったかもしれません。史実に捕らわれるとどうしても他にも枝葉末節がついてくるから、なんなら着想はここから得たのだとしても、どこかの時代のどこかの国のお話だってことにしちゃったってよかったんですよ。イブラヒムの処刑という盛り上がりのあとにもう一回アレクサンドラの死で盛り上げさせるのは、なかなかしんどかったと思います。さらにスレイマンは長生きするので、そこから孤独な晩年を描いて終わり、というのは、まあ宙組初の生え抜きトップスターになる未来に想いはせて…というのはあるにしても、物語としてけっこうしんどい。玉座とずんちゃん、というラストシーンで萌えられるのはかなりのファンだけに限られてしまうことでしょう。だから、もったいなかったです。
ずんららそらなら、もう一段階深いドラマが描けましたよ。もっと微妙で濃厚な三角関係が演じられました。別にスレイマンの男色を描けとかそういうことではなくて、でも精神的BLというか、つまりアレクサンドラとイブラヒムの政治的信条が違っていて、スレイマンは最初はイブラヒムと同じ外征派だったのに、アレクサンドラとラブラブになってからは内政派に転じたように見える、とあってはイブラヒムだって思うところがあっただろうし、そういう意味で「私と彼女とどっちを取るんです!?」と迫りたい気持ちもあったろうし(「私情か立場か」なんてわかりづらい台詞じゃダメなんですよカッシー!)、一方アレクサンドラだってイブラヒムを夫の良き忠臣と感謝しつつ、夫と国を違う方へ引っ張ろうとして見えるのには危機感を感じていたろうし、そういう愛憎の駆け引きが浮かび上がる脚本にすることはできたと思うのです。そしてもちろんスレイマンは、アレクサンドラもイブラヒムも愛していたし必要としていたのです。
イブラヒムの暴走が国家レベルの危機となり反逆とされるにいたって、スレイマンはそれを断罪しなければならなくなるのだけれど(だからこそその前の立ち回りで、お互いに背中を預け合って戦うくだりがほしかったなー。結局はお互いのことを信じている、守り合っているという描写を入れておきたかった…)、スレイマンには自責の念もあるしもちろんイブラヒムを死なせたくなんかないしで、煮え切らない。そこに伝家の宝刀、嘘の愛想づかしですよ私の大好きな展開ですよ! 愛する主人のために、国家の安寧のために、自分は主人に斬られなければならない、自分を斬らせるよう主人を追い込まねばならない。そらイブラヒムの芝居はものすごくいい。スレイマンもイブラヒムの意図はわかっていて、でも斬りたくなくて、でもやっぱりどうしようもなくなって、一刀のもとに斬り捨ててしまう。でもそこには台詞があまりに足りませんでした。いや、苛烈な皇帝になるような宣言はしているんだけど、それはスレイマンの強がりなんでしょ? だからそういう方向の台詞じゃなくて、イブラヒムを斬る前に「でも私にはおまえが必要なんだ!」くらい叫ばせてほしかったし、斬ったあと亡骸を抱き寄せて、愛と後悔を吐露し未来を誓い、そして泣かせてほしかった。そこはベタベタでよかったんです、てかここでやらずにどこでやる!? おまえを愛していた、おまえが必要だったんだ、何故こんなことに、すまなかった、おまえの分まで俺は生きる、かつてふたりで夢見た天運の主に俺はなる、いつか宇宙を手に入れる…やらなきゃ! ここでこそ!!
そしてそれだけやっても、ヒロインの死でもうひと盛り上がりさせることはもちろん可能なんですよ。アレクサンドラはスレイマンから「幸福な者」という意味のヒュッレムという名前をもらっていて、自分はあなたのおかげでその名にふさわしい者になれた、と最期に言います。あなたと生きてこられて幸せだった、というのはとても重く深い愛の言葉ですし、同様にあなたも幸せにしてあげたかった、とさらに語らせればなお泣かせられたのではないでしょうか。家族を大事にするとか国民を大事にするとか、いたってシンプルでまっとうなことを訴え続けたアレクサンドラの健やかさはたいそうまぶしく、さぞスレイマンを心強く支えたことだろう、と思わせられました。
イブラヒムの名もまたスレイマンからもらったものでした。ふたりとも王を愛し、王もまたふたりを愛したのです。ともに墓に入るよりはともにもっと長く生きたかったことでしょうが、それは叶わない。最愛の妻も腹心の部下も先に逝き、王は孤独な歩みを続けざるをえない。寂しい晩年だったことだろう、しかし内政外征の成果は目覚ましく、人は彼を壮麗帝と称えるのだった…完! みたいに、もう一押し感動的に、できたとは思うんですよねえ…うーん、もったいなかったなあ。
カッシーは総じて、どこに作家としての萌えや個性があるのかよく見えない人ではあります。三作の中では一番できている気がしますが、それは今回は形式に則っているだけにアラが目立ちづらかったからかもしれません。そろそろ大劇場デビューのタイミングなのかもしれませんが、もうちょっと秀作を積むか、とりあえずショーもやってみるとかもあるといいかもしれません。
ずんちゃんとしては、もうちょっといい主題歌だったら将来DSで歌ったりサヨナラショーで歌ったりできたかもしれないのに…というところかなあ。でも路線スターにはこのくらいの時期に、将来トップスターになってまた再演するとおもしろいかも、みたいに思える作品が来るものですが、主演3作目にしてやっと一応それっぽいものが来たかな、というところでしょうか。このところの気合いの入り方が顕著で頼もしいことこの上ないですが、今回も歳の取り方が上手く、仕上がりつつあるスターだなあと改めて感じました。フィナーレも手堅い。
そしてららてぃんはフィナーレは一転、寄り添い芸も素晴らしく、高い娘役スキルを発揮していてキラキラでいじらしく美しく、素晴らしかったです。ドレスの裾捌きも見事なら、よくコントロールされたリフトの乗り方も上手い。何より相手役を見つめる視線と笑顔、愛され力ね! それはずんちゃんがテレもせずしっかりデレて、愛情と包容力をガンガンに見せるキャラだからでもあって、実にいいカップルだなと思いました。組のトップ娘役より上級生だけれど、娘役スキルが高く素晴らしい華と実力の持ち主の娘役って各組にいるので、本当に大事にしていただきたいです。ここにさらにかのちゃんが来るんだから、たとえばららていんは咲ちゃんのお相手役にとかどうかしら…咲ちゃんは外見的には相手を選ばないタイプの男役なので、まあ最有力はくらっちの帰り咲きかもしれませんが、娘役人事はタイミングがすべてとはいえなんとかみんな幸せになってほしいです…
そらはタッパ以外はホントなんでもできて盤石ですよね。
じゅっちゃんは「ほんわか要員」とのことでしたが、もったいなかったかなー。ハティージェ(天彩峰里)とイブラヒムのロマンスはもうちょっと深堀りしてもよかったと思うのです。結婚してもなお皇妹として敬語で対し続けるイブラヒムのいじらしさ、萌えたけどなー…あとミレナとイエレナを見たあとだけに、アレクサンドラとのシスターフッドももう一押し描けたろうと思ってしまったんですよね。イブラヒムの処罰を案ずるハティージェに付き添って言うアレクサンドラの「お気のすむまで…」だっけ? それよりもっといい台詞があったろう、ともったいなかったです…
りんきら、なっつ、ナベさんの仕事人っぷりは毎度素晴らしい。そしてわんたの大活躍には、ホント殊勲賞とか敢闘賞をあげたいです。
そして私は群舞の端っこについなつを探したよね…ナニーロはいる、キョロちゃんはサパにいた、なのに…とちょっとしょんぼりしました。好きでした…
3番手主演なので円盤化されないんだろうけれど、スカステ放送はこれもいつもよりは早くされそうですよね。劇団も収益のためにはなんとかいろいろしたいところでしょう、引き続きがんばっていただきたいです。
何よりこれを機に座付き作家に勉強の機会を与えて、よりクオリティの高い作品作りを目指していただきたいです。こんな時だからやってくれるだけで嬉しい、なんてハードルを下げる気は私はないぞ! もしかしたら人数を完全に半減させて完全ダブルキャストの再演祭り、とかでないとこのコロナ禍はしのげないのかも、とも思わないでもないからこそ、あえて高い目標を掲げておきますよ!! だって生徒は絶対にがんばってるもん、耐えてるもん、チャレンジしてるもん! 頼みますよ、本当に。
16世紀初頭。アナトリア地方を支配するオスマン帝国の勢いは止まるところを知らず、対外遠征により領土を広げ続けていた。父帝の崩御により、若くしてその大国の首座に就いたのがスレイマン(桜木みなと)、のちに「壮麗帝」と称されるオスマン帝国第十代皇帝である。彼の傍らには、元は異国からの奴隷であった小姓イブラヒム(和希そら)が常に控えていた。スレイマンとイブラヒムは、いつかこの広い世界を統べる「天運の主」になろうと輝かしい未来をともに夢見ていたが、古くから仕える宰相たちの中には出自にかかわらず有能な人材を登用するスレイマンの考えに反感を抱く者もいた。あるとき、イブラヒムを伴い密かに街を訪れたスレイマンは、遙かルテニアから売られてきた娘アレクサンドラ(遙羽らら)と出会うが…
作・演出/樫畑亜依子、作曲・編曲/手島恭子。宙組3番手スターの初東上公演となるはずだったが、コロナの影響でスケジュールを変更・短縮しての上演。全2幕。
ずんちゃん主演作としては、『相続人の肖像』の感想がこちら、『パーシャルタイムトラベル』がこちら。カッシー作品としては『鈴蘭』がこちら、『Arkadia』がこちら。
雪組梅芸公演とハシゴしようとチケットの手配をしたので前楽になってしまい、公演が無事初日を迎えたものの千秋楽まで完走してくれるのか、自分が生で観られるのかいたって勝手ながらヒヤヒヤしたのですが、無事に観てこられてよかったです。のぞみはあいかわらずガラガラでした。千秋楽もライブ配信されて無事幕を下ろしたようで、平日にもかかわらずなんとか観た方も多かったようで、まずは一安心ですね。星組東京公演再開も決まって、あとははいからさんがまた通れるようになれば…MSやDSが食事なし客席降りなしどころか無観客ライブ配信になりそう、というのはかなり寂しいですが、劇団もいろいろ模索しつつ、生徒とスタッフと観客の健康と安全を第一にいろいろ手を尽くしてくれているのでしょう。粛々と続報を待ちたいと思います。
さて、そんなわけで、初日に聞こえてくる感想は「タカラヅカを観た!ってカンジ!!」みたいなものが多くて、そりゃ直前の『SAPA』に比べたら歌も踊りもあるんだろうしコスチューム・プレイだし(お衣装、という意味では『SAPA』もある意味とても素敵だったとは思うのですが)で、そういう感想になるのもわかるんだけれど、以後もフィナーレがいいとかデュエダンのキスがいいとかいったことしか語られていない感じだったので、さて肝心の中身としてはどんなもんなのかいな…と案じつつ出かけてきました。ナウオンも見て行きましたが、りんきらひとりが必死に話を回していてお疲れ様です!って感じでしたしね。3月時点の収録だから、もしかしたら公演中止かも…みたいな空気がすでにあって、それで固かったのかなあ? そらとか、全然しゃべらないのは気になりました。
この時代の史実に関しては遠い昔に高校の世界史の授業で勉強したかもしれない程度のことと、先日最新刊が出た篠原千絵の漫画『夢の雫、黄金の鳥籠』しか知らない状態で観ました。テレビドラマも見ておらず、いずれもちょっとずつ脚色されているそうなので、何が正しい史実なのかもよく把握していないままの観劇でした。ま、それはいいと思うんですよね、この舞台では何をどう描こうとしているのか、を観に行くわけですから。
しかして第1幕は…20年前の中村A作品の再演、と言われても信じられるな、と私は思いました。なんならA先生なら新作と言われても私は信じます。おわかりになっていただけるかと思いますが、決して褒めていません。
キャッチーなプロローグ、状況説明、主人公と2番手の出会い、ヒロインの登場、悪役の伏線、主人公とヒロインの仲の深まり…長命な王様の一代記だからああなってこうなって、とパタパタ展開する形になるのは仕方がないでしょうし、わりとテンポ良くやれていたとは思いました。入りそうなところでソロがちゃんと入るのもちゃんとしていると言えば言える。しかしあまりにも形式的というか、古式ゆかしい宝塚歌劇の様式美に則っただけのような、十年一日のごとく変わらぬストーリー展開の物語で、作者の個性がまったく見えず、これが本当に21世紀に20代の(知らないけど、多分)女性作家によって書かれた新作なのか!?と私はややあきれたのでした。さらに悪いことにもっと劣化している部分もあって、それは台詞や歌詞がものすごく凡庸というか貧弱とさえ言える言葉で紡がれていたことです。ときどき難しい(笑)単語も入ってくるんだけれど、耳で聞いて意味を取るには不向きな言葉だったりしてむしろ稚拙さをより露わにしましたし、とにかく全体に深みや豊かさやニュアンスというものがまったくない、中学生の作文みたいな日本語で、聞いていて悲しくなりました。戯曲は文学であるべきではあるまいか…特に歌詞はもっと詩情あるものが書けないんなら、歌わせる意味はないのではなかろうか…せっかくのずんちゃんやそらの歌唱力が泣くっつーの。あ、スーパーこってぃタイムはアレでいいと思います。歌詞なんざなんだろうと、十分場面として成立していました。こってぃは『リッツ~』からこっち、やっと一皮剥けてきたかなーという印象でしたし、この役ってもっと長く公演していたら、東上なんかもちゃんとあったりしたら一周回ってすごーく人気出たと思うんですよね。あんま褒めているように聞こえない言い方で申し訳ありませんが、残念ながら「皮肉にも」という要素がもちろんあるのでこういう書き方になってしまってすみません。生徒のせいではもちろんなくて、むしろ生徒は大好演だったと思うし楽しんでノリノリでやっていたのではないかしらん。2幕の、まずオフ台詞のあとの登場とかもうたまりませんでした、奥歯噛みしめて観てました。イヤ、大事だと思うんです。てかわざとそう演出しているんだと信じたい。無自覚だったらむしろ絶望的すぎます。
そんな、クラシカルといえば聞こえはいいが要するに古色蒼然とした中でのただひとつの光明は、ららてぃんアレクサンドラがとてもいいヒロインぶりを発揮していたことです。ららのいいところが出ている役だと思いましたし、もちろんらら自身がとても的確にこの役を演じていたと、いうのもあります。でも、これが本当に2、30年前の(増えた)男性作家の作品だったら、ヒロインってもっと不必要に、ベタベタに、もっともっとヨロメロさせられていたと思うんですよ。奴隷として引っ立てられるところももっといかにもかわいそうっぽくグズグズ泣いたり、奴隷商人(風色日向。上手い! たまらん! いろいろ期待している!)から逃げてきてスレイマンとぶつかっちゃうあたりももっとウダウダすがったり助けを求めて泣き叫んだりさせられていたと思うんです。あげく救ってもらうことになったあとも「あんな素敵な方が、何故私なんかを…?」とか言ってボッと頬染める、とか、いかにもさせられそうじゃないですか。さんざん観せられてきましたよね我々は、そういうイージーなラブロマンス展開を。
でも、ららアレクサンドラはもっと強くて、しなやかで、まっすぐで、ひたむきです。過剰に卑屈なところがない。ヒロインにしては無口なくらいに思えるのはそのためです(外国人設定があるとはいえここでの彼女の台詞が少ないので、台詞の言葉の貧弱さがここではあまり露呈しないという利点もある)。そうきちんと意図して書かれているのか、はたまたたまたまかもしれませんが(私のこのカッシーの信じてなさぶりよ…)、アレクサンドラは変に女々しいところがなく、人としてごく普通に、すっくと立っていて、ただ真摯に生きようとだけしていて、自立している印象なのが良いのです。隙見て自分でさっさと逃げ出したんだろうし、スレイマンとぶつかってコケちゃったのは不運だったけれど、そこで救助というか助力を頼むのも最低限くらいだし(自分を助けるよう過剰に泣き叫ぶ女って、自分は守られるべきか弱い存在だ、っていうむしろ思い上がりみたいなのものが透けて見えて、嫌なんですよね)、スレイマンとイブラヒムによって宮殿に行くことになっても「仕事をくれるというならやってみるか」みたいな順応性や軽やかな覚悟が見えるし、その仕事が女官じゃなくて側女候補だと判明しても「ワタクシ、そんなフケツな、ハレンチなことはしたくございません!」みたいにヒステリックに騒いだりしないじゃないですか。そこがいい。この在り方は、とても現代的で、女性作家の手によるものならではかな、と私は感じたのでした。
それでそのまま、マヒデヴラン(秋音光。私はあまり感心しなかったかなー…あきもってファニーフェイスだと私は思っているので、たとえばまりなとかにやらせた方がもっとわかりやすく美人でよかったんじゃないかしらん。ただまりなは今回も他でとてもいい仕事をしているのだった…オカマにして笑いを取る、みたいな無駄なことをしなかった宦官長とか、ホント上手い!)との間にもう息子がいるから、それ以上争いの種になる子供は要らないとばかりにハレムから足が遠のいているという設定の(英雄色を好む、ばかりとは限らない、という視点ももしかしたらけっこう現代的、女性的なものかもしれません)ずんちゃんスレイマンに「ふっ、おもしれー女」とか言わせたら私がキレるところでしたが(笑)、ギリギリで踏み留まり、ふたりの心が寄り添っていくくだりは私はわりと上手に描けていたと思うので、このあたりはよかったなと思ったんですよね。最期の時も、まず皇帝であろうとするスレイマンに対して、皇帝である前に人間だ、幸せな人間でいてほしい、みたいなことをアレクサンドラが言うのには感動しました。あと、ららといえば毎度歌には手に汗握らせられてきましたが、今回はとてもよかったですよね。たくさんレッスンしたのかな、偉いぞ!
しかしこの、内政か外征かというような、単純かつなかなか難しい命題で話を最後まで引っ張るとは思いませんでしたけどね…
若干とってつけたよーなラブシーンも、でもこれはずんちゃんの好演もあってよかったです。王のためを思えばこその右腕の暴走、というのも丁寧に描かれていたと思います。だからキャラクターとドラマの布石は十分に打たれている。ただやはりこういうタイプの物語って、真ん中の王子様/王様ってどうしてもただの白い役になりがちで、演じようがない、魅力的に見せるのが難しい役になりがちなんですよね。受け身の主人公あるあるですけれどね。総受けで成立する場合もあるけれど、ずんちゃんはやりづらかったのではないかなーと思いました。特に2幕、そらイブラヒムとのすれ違いが目立ってきてからは、誰か下級生に小姓でもやらせて、彼相手に独り言を言うような場面を作るとよかったのかもしれません。スレイマンのつらさや悩み、絶対王者の孤独、悲しさって、ちゃんと台詞で上手く表現しないとわかりづらいと思うのです。
というわけで私は第2幕の方がおもしろく観られたんですけれど、それはやはりキャラクター同士の衝突のドラマが俄然動き出したからですよね。時間経過も早いんだけど、それは上手く処理されていると思いました。メフメト(水音志保。かーわーいーいー! てか町の踊り子でもハレムの女でもとにかく可愛くて目立つ!!)が死ぬことやムスタファ(風色日向)が反乱を起こすこととかは史実として知らなかったので、ドラマチックでおおおぉ!とたぎりました。エレナ(花宮沙羅。いいスパイスでしたが、もうちょっと仕事させたかったかなー。てかマヒデヴランでよかったのでは?とも思うのですが…)のエピソードはもうちょっと深めたかった気もしますが、2時間ドラマチックで奥歯噛みしめつつも楽しかったからよかったです。
でも結局、ずんそらの、スレイマンとイブラヒムのすれ違いと衝突と、スレイマンによるイブラヒムの処刑をやりたかったんでしょ? ツボはソコなんでしょ? ならもっとそこにがっつり注力して物語を作ってもよかったかもしれません。史実に捕らわれるとどうしても他にも枝葉末節がついてくるから、なんなら着想はここから得たのだとしても、どこかの時代のどこかの国のお話だってことにしちゃったってよかったんですよ。イブラヒムの処刑という盛り上がりのあとにもう一回アレクサンドラの死で盛り上げさせるのは、なかなかしんどかったと思います。さらにスレイマンは長生きするので、そこから孤独な晩年を描いて終わり、というのは、まあ宙組初の生え抜きトップスターになる未来に想いはせて…というのはあるにしても、物語としてけっこうしんどい。玉座とずんちゃん、というラストシーンで萌えられるのはかなりのファンだけに限られてしまうことでしょう。だから、もったいなかったです。
ずんららそらなら、もう一段階深いドラマが描けましたよ。もっと微妙で濃厚な三角関係が演じられました。別にスレイマンの男色を描けとかそういうことではなくて、でも精神的BLというか、つまりアレクサンドラとイブラヒムの政治的信条が違っていて、スレイマンは最初はイブラヒムと同じ外征派だったのに、アレクサンドラとラブラブになってからは内政派に転じたように見える、とあってはイブラヒムだって思うところがあっただろうし、そういう意味で「私と彼女とどっちを取るんです!?」と迫りたい気持ちもあったろうし(「私情か立場か」なんてわかりづらい台詞じゃダメなんですよカッシー!)、一方アレクサンドラだってイブラヒムを夫の良き忠臣と感謝しつつ、夫と国を違う方へ引っ張ろうとして見えるのには危機感を感じていたろうし、そういう愛憎の駆け引きが浮かび上がる脚本にすることはできたと思うのです。そしてもちろんスレイマンは、アレクサンドラもイブラヒムも愛していたし必要としていたのです。
イブラヒムの暴走が国家レベルの危機となり反逆とされるにいたって、スレイマンはそれを断罪しなければならなくなるのだけれど(だからこそその前の立ち回りで、お互いに背中を預け合って戦うくだりがほしかったなー。結局はお互いのことを信じている、守り合っているという描写を入れておきたかった…)、スレイマンには自責の念もあるしもちろんイブラヒムを死なせたくなんかないしで、煮え切らない。そこに伝家の宝刀、嘘の愛想づかしですよ私の大好きな展開ですよ! 愛する主人のために、国家の安寧のために、自分は主人に斬られなければならない、自分を斬らせるよう主人を追い込まねばならない。そらイブラヒムの芝居はものすごくいい。スレイマンもイブラヒムの意図はわかっていて、でも斬りたくなくて、でもやっぱりどうしようもなくなって、一刀のもとに斬り捨ててしまう。でもそこには台詞があまりに足りませんでした。いや、苛烈な皇帝になるような宣言はしているんだけど、それはスレイマンの強がりなんでしょ? だからそういう方向の台詞じゃなくて、イブラヒムを斬る前に「でも私にはおまえが必要なんだ!」くらい叫ばせてほしかったし、斬ったあと亡骸を抱き寄せて、愛と後悔を吐露し未来を誓い、そして泣かせてほしかった。そこはベタベタでよかったんです、てかここでやらずにどこでやる!? おまえを愛していた、おまえが必要だったんだ、何故こんなことに、すまなかった、おまえの分まで俺は生きる、かつてふたりで夢見た天運の主に俺はなる、いつか宇宙を手に入れる…やらなきゃ! ここでこそ!!
そしてそれだけやっても、ヒロインの死でもうひと盛り上がりさせることはもちろん可能なんですよ。アレクサンドラはスレイマンから「幸福な者」という意味のヒュッレムという名前をもらっていて、自分はあなたのおかげでその名にふさわしい者になれた、と最期に言います。あなたと生きてこられて幸せだった、というのはとても重く深い愛の言葉ですし、同様にあなたも幸せにしてあげたかった、とさらに語らせればなお泣かせられたのではないでしょうか。家族を大事にするとか国民を大事にするとか、いたってシンプルでまっとうなことを訴え続けたアレクサンドラの健やかさはたいそうまぶしく、さぞスレイマンを心強く支えたことだろう、と思わせられました。
イブラヒムの名もまたスレイマンからもらったものでした。ふたりとも王を愛し、王もまたふたりを愛したのです。ともに墓に入るよりはともにもっと長く生きたかったことでしょうが、それは叶わない。最愛の妻も腹心の部下も先に逝き、王は孤独な歩みを続けざるをえない。寂しい晩年だったことだろう、しかし内政外征の成果は目覚ましく、人は彼を壮麗帝と称えるのだった…完! みたいに、もう一押し感動的に、できたとは思うんですよねえ…うーん、もったいなかったなあ。
カッシーは総じて、どこに作家としての萌えや個性があるのかよく見えない人ではあります。三作の中では一番できている気がしますが、それは今回は形式に則っているだけにアラが目立ちづらかったからかもしれません。そろそろ大劇場デビューのタイミングなのかもしれませんが、もうちょっと秀作を積むか、とりあえずショーもやってみるとかもあるといいかもしれません。
ずんちゃんとしては、もうちょっといい主題歌だったら将来DSで歌ったりサヨナラショーで歌ったりできたかもしれないのに…というところかなあ。でも路線スターにはこのくらいの時期に、将来トップスターになってまた再演するとおもしろいかも、みたいに思える作品が来るものですが、主演3作目にしてやっと一応それっぽいものが来たかな、というところでしょうか。このところの気合いの入り方が顕著で頼もしいことこの上ないですが、今回も歳の取り方が上手く、仕上がりつつあるスターだなあと改めて感じました。フィナーレも手堅い。
そしてららてぃんはフィナーレは一転、寄り添い芸も素晴らしく、高い娘役スキルを発揮していてキラキラでいじらしく美しく、素晴らしかったです。ドレスの裾捌きも見事なら、よくコントロールされたリフトの乗り方も上手い。何より相手役を見つめる視線と笑顔、愛され力ね! それはずんちゃんがテレもせずしっかりデレて、愛情と包容力をガンガンに見せるキャラだからでもあって、実にいいカップルだなと思いました。組のトップ娘役より上級生だけれど、娘役スキルが高く素晴らしい華と実力の持ち主の娘役って各組にいるので、本当に大事にしていただきたいです。ここにさらにかのちゃんが来るんだから、たとえばららていんは咲ちゃんのお相手役にとかどうかしら…咲ちゃんは外見的には相手を選ばないタイプの男役なので、まあ最有力はくらっちの帰り咲きかもしれませんが、娘役人事はタイミングがすべてとはいえなんとかみんな幸せになってほしいです…
そらはタッパ以外はホントなんでもできて盤石ですよね。
じゅっちゃんは「ほんわか要員」とのことでしたが、もったいなかったかなー。ハティージェ(天彩峰里)とイブラヒムのロマンスはもうちょっと深堀りしてもよかったと思うのです。結婚してもなお皇妹として敬語で対し続けるイブラヒムのいじらしさ、萌えたけどなー…あとミレナとイエレナを見たあとだけに、アレクサンドラとのシスターフッドももう一押し描けたろうと思ってしまったんですよね。イブラヒムの処罰を案ずるハティージェに付き添って言うアレクサンドラの「お気のすむまで…」だっけ? それよりもっといい台詞があったろう、ともったいなかったです…
りんきら、なっつ、ナベさんの仕事人っぷりは毎度素晴らしい。そしてわんたの大活躍には、ホント殊勲賞とか敢闘賞をあげたいです。
そして私は群舞の端っこについなつを探したよね…ナニーロはいる、キョロちゃんはサパにいた、なのに…とちょっとしょんぼりしました。好きでした…
3番手主演なので円盤化されないんだろうけれど、スカステ放送はこれもいつもよりは早くされそうですよね。劇団も収益のためにはなんとかいろいろしたいところでしょう、引き続きがんばっていただきたいです。
何よりこれを機に座付き作家に勉強の機会を与えて、よりクオリティの高い作品作りを目指していただきたいです。こんな時だからやってくれるだけで嬉しい、なんてハードルを下げる気は私はないぞ! もしかしたら人数を完全に半減させて完全ダブルキャストの再演祭り、とかでないとこのコロナ禍はしのげないのかも、とも思わないでもないからこそ、あえて高い目標を掲げておきますよ!! だって生徒は絶対にがんばってるもん、耐えてるもん、チャレンジしてるもん! 頼みますよ、本当に。