ゲイの男子高校生・新見は、生徒会で一緒の澤根を誘ってセフレ関係を続けている。蓮根のことが好きだけど、ノンケの蓮根は普通に女の子が好きだから、この関係は男子校の中だけ。蓮根を好きだなんて伝えちゃいけない、いつか別れるときが来てもちゃんと受け入れるから、せめてそれまで体だけでも気持ち良くなって…
小学館の少女漫画のコミックスレーベル名は「フラワーコミックス」ですが、ところでこれってどこから来ているんでしょうね…今も「flowers」という月刊誌はありかつては「プチフラワー」がありましたが、『ポーの一族』第1巻がフラワーコミックス第1号として出たときにはまだ「少女コミック」「別冊少女コミック」しかなかったのでは…? 今はちょっと前からアダルトめというか旧レディスコミック的な電子漫画サイト「モバフラ」(モバイルフラワーの略、かな?)もやっていて、最近少女漫画ラインの「&FLOWER」が始まりましたよね。これはその配信をまとめた紙コミックスで、漫画家さんはもともとは「Betsucomi」で描いていたようです。そこでは今ひとつ芽が出なくて、電子でBLにチャレンジ…となったのかもしれませんが、読んでみると(初めて読む漫画家さんでした、すみません)別に普通に少女主人公の男女恋愛漫画が描けそうに見えるけどな?と、やや不思議な感じがしました。たまに、あ、こっちの方が明らかに合うね!と感じられる、一般的な少女漫画を描くにはちょっとミソジニーがありすぎるような漫画家さんはいて、そういう人は無理して描いていてもやはり読者にはバレて人気が出ないものなので、こんなふうにジャンルを変えるなりいっそ版元を変えるなりしないとどうにもならず、そのままだともったいなかったりするものなのです。でも、この漫画家さんにはそんな感じはしなかった。とはいえこの作品には女性がほぼ出てこないのですが、でもそういうことで判別するものではなく、要するにそこは性別とかより人間性というか、人間や人間同士の関係性、その人が持つ感情なんかをどう捉えどう描くかということが大事で、この作品ではそこにちゃんと情が見えたのです。この作品はたまたま当たって続巻が出たような形だったようですが、このあとはどんな作品を描くのかな? 楽しみです。
そういう意味では、1巻の表紙に描かれたオマケ漫画で語られる、そもそもこの作品が配信される経緯みたいなものもおもしろかったです。おそらくあまり経験のない、いい言い方をすれば偏見やこだわりのない男性編集者と組むことになって、なんとなく、しかしある種の勢いに乗って企画してしまったもののようで、雑なネーム(ネームなんてたいがい雑なものなのでしょうが)を解読できない編集にいちいち言葉で解説せざるをえない漫画家さん…みたいなくだりがめっちゃ想像できておもしろすぎました。よくがんばったよなあこの漫画家さん…!(笑)
それで言うと(とどんどん話がズレていってしまってすみませんが)2巻のこの部分のオマケ漫画によれば、配信からは紙コミックス版はぶっちゃけ性器周り(笑)に多少の修正が施されているようですが、これはちょっと意外でした。最初から、美学として、見せないように、直接描かないように、あえて服や手や見る角度で隠して描いているのかと思ったからです。私はBL専門レーベルのコミックスなんかでよく見る、ペニスも睾丸も描いてあるけど白のアミトーンとかで伏せてセーフ(?)としているものにはどうも萎えるタイプで、こんなにまでして描きたいのかなとかでも見せられないんじゃ意味ないんじゃないのかなとかみんなそんなにソコ見たいのかなとかつい思っちゃうタイプなのです。なので描いてなくても全然いいし、むしろ安心だし(だって変にデカく描かれるのも逆に貧相では?と思われるようなものを描かれるのも、それこそ萎えません…?)、エッチかどうかってのはそういうところには宿らないんだと私は考えているのです。
そしてこの作品は十分にエッチです。ときめきます、そそられます、濡れます。それはキャラクターとその感情と彼らの関係性がしっかり描かれているからです。デッサンもちゃんとしている方だし(身体が描くのが下手な漫画家が描く裸の濡れ場のまた濡れないことといったら…)、絵やネームが破格に上手いとかは特にないんだけれど、素直で、誠実で、奇をてらったりテレて日和ったり斜にかまえたりしていないのが、いい。まずはショートで、みたいなところから始まったようだし、漫画家さんが大事に、慈しんで、楽しんで、真面目に描いている感触を受けました。
全2巻で対になるような、色味を抑えた(黒髪男子ふたりが学ラン着て絡んでるんだから肌色しか色味がないのも当然なんですが)カバーイラストも素敵だし、タイトルロゴデザインとカバーレイアウトもお洒落で素敵。タイトルは私の好みからするとやや直截にすぎる気もするのですが、まあキャッチーであろうとしたのかもしれないし、わかりやすくはあるのでいいっちゃいいのでしょう。
ちゃんと作中で時間が経つところも好きでした。長々前振りめいたことを書き連ねてきましたが、要するに、好みの一作なのでした。
BLとしては、男子校で、生徒会で、ゲイの主人公とヘテロの彼氏のセフレ関係から始まる恋愛、という実に、ものすごく、よくあるパターンの物語です。残念ながら目新しいところは何ひとつないと言ってもいい(あ、なんかやたらと「準備」を語るところは「真面目か!」とつっこみたくなりつつなんかあまり他で見ない気がしたので、新鮮に感じました。要するに肛門性交をする前には浣腸して大便を出しておきましょう、ということなのだと思うのですが〈あえてこう表現しますが〉、ちゃんとしてるなーと感心もしました。いくらドリームでファンタジーだといってもあまり省略しすぎたり美化しすぎたりしてはいけないということはあると思うので。ちゃんとコンドームするとかも、ね)。だから私がこんなにも長々語っているのは、要するにただただ好みだというだけのことなのです。
主人公の新見は中学生くらいからゲイの自覚があって、ゲイ動画を見て自慰するような青春で、最初はちょっと苦手かもと思った蓮根にやがて惹かれて、好きになって、でも告白なんてできないから誘ってセフレになって、「初めて好きな人と最後までやった」。
新見は真面目で優しいというより気が弱くて、空気を読んで周りに合わせて我慢しちゃうタイプ。一方の蓮根は強面のイケメンで女子にモテてきたし非童貞で、周囲に一目置かれているけど孤高の存在、みたいなタイプ。身体を交わすようになっても、好きだからこそ負担をかけたくないと引こうとする新見と、好きになったからちゃんとつきあってみようと言う蓮根とですれ違うような、両片想いみたいな展開になるのもとてもベタで、でも繊細に丁寧に描かれていて、ああ恋愛ってこうだよなと思えるし、だから読んでいてときめくのでした。若さ故というのもあるけれど性欲ともセットになっていて、主人公が同性相手じゃなきゃダメなんだからそりゃBLにならざるをえないわけで、でも要するに単なる恋愛の物語なんです、と思えるのもいい。これは同性愛を貶めたりないものとして言っているのではなくて、でも要するにBLってヘテロ少女読者のためのラブ・ファンタジーなんだから、とにかく「恋愛」としてきちんと描かれる必要があるのだ、しかも身体を伴う性愛として、ということが言いたいのです。それができているからこの作品は気持ちがいいのです。新見と一緒だネ!(笑)
そうそう、そのファンタジー性ですが、要するに同性同士なら完全に対等だろうという、異性相手では夢見られないドリームがBLには持てるわけです。だから最終的にはリバがいいんじゃない?と思わなくもない。攻め受けってやっぱり、男女や上下や支配と隷属みたいなものを想起させるので。でも実際には、というかいい作品はキャラクターでもちゃんとした人間として描こうとするのでそして人間なら当然なんですが、たとえものすごく明確じゃなくても性自認とか性指向とかはわりとちゃんとあるわけで、そりゃなんでも好きで楽しめるって人もいるんでしょうけれどそれは少数派なのかなと思うし、だから新見が「こっちでいい…/こっちがいい」と言ったのはBLではすごく新鮮に思えて、そしてすごくいいなと思いました。その前段として蓮根が「新見とできるなら/どっちでもいいから」と言うのもいい。それが愛だよね!と思うのです。で、「……1回だけなら…」って新見が言っちゃうのもホントいい。いじらしい。愛しい。
これまたキャラとしていがちなんだけど、めがね先輩がまたいい味出してるんですよね。そこも好き。伏河くんは、キャラとしてもうちょっと大きく描き分けたいところだったけれど、ちょっと画力が足りなかったかな、みたいな印象はありました。
「機会的」と言われれば、そもそも近くにいて知り合わないと恋愛なんて始まらないので教室とか職場とかで生まれがちなものだろうし、環境が変われば解消されることが多いものでしょう。異性同士であろうと、学生時代の恋人と結婚してそのまま離婚もしない人ははっきり言ってかなり少ないはずです。だから「卒業後は目が覚めて終わり」なんて予言は意味がない。でも、それを乗り越えてカミングアウトのドラマや、「学校を出ても新見といたいよ」「ずっと澤根といたい」となる展開は美しい。伏河はアテ馬としてもやや描き切れていなくて、本当は蓮根が自分がゲイでないこと、女子とのセックス経験があることに引け目みたいなものを抱き、新見には伏河の方がふさわしいのだろうかと悩むような流れがあるべきだったんでしょうね。相手を好きすぎて相手のために身を引こうとしてでも好きすぎてできない、みたいな、私の大好物展開…(ヨダレ)大丈夫、妄想で補完できます。
あとは、卒業が近づくにつれて、進路とかでもっとドラマが描けたはずなんですよね。そこがほとんどなくて、ラストの描き下ろし番外編でほとんどトートツに語られるのがちょっともったいない気もしましたが、まあこのあっさり具合もオツなのかもしれません。
卒業式で新見が友達に「付き合ってるやつとかって……」って聞かれるくだりが、とても好きです。新見って本人は無自覚でも、クラスメイトたちにとても愛されていたんだと思う。蓮根の方が敬して遠ざけられ気味だったと思うんですよね(そして蓮根はそれを自覚できている)。でもみんな新見のことは友達として普通に好きで、だからカミングアウト後も変に突っついたりからかったりしないで見守っていて、でもやっぱり気になるから、それは冷やかし半分やっかみ半分かもしれないけどとにかく最後に出ちゃった発言で…って感じが、すごくいい。そしてそれに対して新見がさらっと「蓮根と付き合ってる」って言っちゃうところも、ホントいい。蓮根が全然頓着せず「…新見 帰ろ」ってなるのも。
そうだ、何故かありがちな「下の名前で僕を呼んで」案件がなかったのも個人的にはすごく好きでした。蓮根にいたっては出てすらこなかったんじゃないかな? ずっとお互い名字呼び捨て。それもまた良き。
そういえば、そんなわけで卒業後も「専門出たら/新見の所に行っていい?」「一緒に暮らそ」とはなるのですが、『同級生』とか『窮鼠』のラストにあった指輪、結婚みたいなモチーフは出ないままに終わるんだな、と思ったので、もしかしたらこの部分がやはり令和刊行の作品としての現代性なのかもしれません。選択的夫婦別姓も同性婚も認められていないような今の日本の婚姻制度に、もはや誰もドリームなんて持てませんもんね。こうやって捨てられることって、本当に終わりの始まりなんです。最近青年漫画や少年漫画にすら結婚モチーフの作品が増えてきて、男の方がしたがるんだから世も末だなとか感じていたのですが、そういうことだと思います。もう少女は結婚に夢を見ない、だから女になっても結婚しない、子供は産まれず、人類はゆっくり滅んでいくんだな、とホント思うのでした。愛はあるよ? 全世界を滅ぼしてでも愛を取るのが少女です。世界を革命する力を手にして、そうして革命された世界に人類はいなかった、ただそれだけ…
そして「きれいだな」と微笑むしかないのだろう、と思うのでした。
小学館の少女漫画のコミックスレーベル名は「フラワーコミックス」ですが、ところでこれってどこから来ているんでしょうね…今も「flowers」という月刊誌はありかつては「プチフラワー」がありましたが、『ポーの一族』第1巻がフラワーコミックス第1号として出たときにはまだ「少女コミック」「別冊少女コミック」しかなかったのでは…? 今はちょっと前からアダルトめというか旧レディスコミック的な電子漫画サイト「モバフラ」(モバイルフラワーの略、かな?)もやっていて、最近少女漫画ラインの「&FLOWER」が始まりましたよね。これはその配信をまとめた紙コミックスで、漫画家さんはもともとは「Betsucomi」で描いていたようです。そこでは今ひとつ芽が出なくて、電子でBLにチャレンジ…となったのかもしれませんが、読んでみると(初めて読む漫画家さんでした、すみません)別に普通に少女主人公の男女恋愛漫画が描けそうに見えるけどな?と、やや不思議な感じがしました。たまに、あ、こっちの方が明らかに合うね!と感じられる、一般的な少女漫画を描くにはちょっとミソジニーがありすぎるような漫画家さんはいて、そういう人は無理して描いていてもやはり読者にはバレて人気が出ないものなので、こんなふうにジャンルを変えるなりいっそ版元を変えるなりしないとどうにもならず、そのままだともったいなかったりするものなのです。でも、この漫画家さんにはそんな感じはしなかった。とはいえこの作品には女性がほぼ出てこないのですが、でもそういうことで判別するものではなく、要するにそこは性別とかより人間性というか、人間や人間同士の関係性、その人が持つ感情なんかをどう捉えどう描くかということが大事で、この作品ではそこにちゃんと情が見えたのです。この作品はたまたま当たって続巻が出たような形だったようですが、このあとはどんな作品を描くのかな? 楽しみです。
そういう意味では、1巻の表紙に描かれたオマケ漫画で語られる、そもそもこの作品が配信される経緯みたいなものもおもしろかったです。おそらくあまり経験のない、いい言い方をすれば偏見やこだわりのない男性編集者と組むことになって、なんとなく、しかしある種の勢いに乗って企画してしまったもののようで、雑なネーム(ネームなんてたいがい雑なものなのでしょうが)を解読できない編集にいちいち言葉で解説せざるをえない漫画家さん…みたいなくだりがめっちゃ想像できておもしろすぎました。よくがんばったよなあこの漫画家さん…!(笑)
それで言うと(とどんどん話がズレていってしまってすみませんが)2巻のこの部分のオマケ漫画によれば、配信からは紙コミックス版はぶっちゃけ性器周り(笑)に多少の修正が施されているようですが、これはちょっと意外でした。最初から、美学として、見せないように、直接描かないように、あえて服や手や見る角度で隠して描いているのかと思ったからです。私はBL専門レーベルのコミックスなんかでよく見る、ペニスも睾丸も描いてあるけど白のアミトーンとかで伏せてセーフ(?)としているものにはどうも萎えるタイプで、こんなにまでして描きたいのかなとかでも見せられないんじゃ意味ないんじゃないのかなとかみんなそんなにソコ見たいのかなとかつい思っちゃうタイプなのです。なので描いてなくても全然いいし、むしろ安心だし(だって変にデカく描かれるのも逆に貧相では?と思われるようなものを描かれるのも、それこそ萎えません…?)、エッチかどうかってのはそういうところには宿らないんだと私は考えているのです。
そしてこの作品は十分にエッチです。ときめきます、そそられます、濡れます。それはキャラクターとその感情と彼らの関係性がしっかり描かれているからです。デッサンもちゃんとしている方だし(身体が描くのが下手な漫画家が描く裸の濡れ場のまた濡れないことといったら…)、絵やネームが破格に上手いとかは特にないんだけれど、素直で、誠実で、奇をてらったりテレて日和ったり斜にかまえたりしていないのが、いい。まずはショートで、みたいなところから始まったようだし、漫画家さんが大事に、慈しんで、楽しんで、真面目に描いている感触を受けました。
全2巻で対になるような、色味を抑えた(黒髪男子ふたりが学ラン着て絡んでるんだから肌色しか色味がないのも当然なんですが)カバーイラストも素敵だし、タイトルロゴデザインとカバーレイアウトもお洒落で素敵。タイトルは私の好みからするとやや直截にすぎる気もするのですが、まあキャッチーであろうとしたのかもしれないし、わかりやすくはあるのでいいっちゃいいのでしょう。
ちゃんと作中で時間が経つところも好きでした。長々前振りめいたことを書き連ねてきましたが、要するに、好みの一作なのでした。
BLとしては、男子校で、生徒会で、ゲイの主人公とヘテロの彼氏のセフレ関係から始まる恋愛、という実に、ものすごく、よくあるパターンの物語です。残念ながら目新しいところは何ひとつないと言ってもいい(あ、なんかやたらと「準備」を語るところは「真面目か!」とつっこみたくなりつつなんかあまり他で見ない気がしたので、新鮮に感じました。要するに肛門性交をする前には浣腸して大便を出しておきましょう、ということなのだと思うのですが〈あえてこう表現しますが〉、ちゃんとしてるなーと感心もしました。いくらドリームでファンタジーだといってもあまり省略しすぎたり美化しすぎたりしてはいけないということはあると思うので。ちゃんとコンドームするとかも、ね)。だから私がこんなにも長々語っているのは、要するにただただ好みだというだけのことなのです。
主人公の新見は中学生くらいからゲイの自覚があって、ゲイ動画を見て自慰するような青春で、最初はちょっと苦手かもと思った蓮根にやがて惹かれて、好きになって、でも告白なんてできないから誘ってセフレになって、「初めて好きな人と最後までやった」。
新見は真面目で優しいというより気が弱くて、空気を読んで周りに合わせて我慢しちゃうタイプ。一方の蓮根は強面のイケメンで女子にモテてきたし非童貞で、周囲に一目置かれているけど孤高の存在、みたいなタイプ。身体を交わすようになっても、好きだからこそ負担をかけたくないと引こうとする新見と、好きになったからちゃんとつきあってみようと言う蓮根とですれ違うような、両片想いみたいな展開になるのもとてもベタで、でも繊細に丁寧に描かれていて、ああ恋愛ってこうだよなと思えるし、だから読んでいてときめくのでした。若さ故というのもあるけれど性欲ともセットになっていて、主人公が同性相手じゃなきゃダメなんだからそりゃBLにならざるをえないわけで、でも要するに単なる恋愛の物語なんです、と思えるのもいい。これは同性愛を貶めたりないものとして言っているのではなくて、でも要するにBLってヘテロ少女読者のためのラブ・ファンタジーなんだから、とにかく「恋愛」としてきちんと描かれる必要があるのだ、しかも身体を伴う性愛として、ということが言いたいのです。それができているからこの作品は気持ちがいいのです。新見と一緒だネ!(笑)
そうそう、そのファンタジー性ですが、要するに同性同士なら完全に対等だろうという、異性相手では夢見られないドリームがBLには持てるわけです。だから最終的にはリバがいいんじゃない?と思わなくもない。攻め受けってやっぱり、男女や上下や支配と隷属みたいなものを想起させるので。でも実際には、というかいい作品はキャラクターでもちゃんとした人間として描こうとするのでそして人間なら当然なんですが、たとえものすごく明確じゃなくても性自認とか性指向とかはわりとちゃんとあるわけで、そりゃなんでも好きで楽しめるって人もいるんでしょうけれどそれは少数派なのかなと思うし、だから新見が「こっちでいい…/こっちがいい」と言ったのはBLではすごく新鮮に思えて、そしてすごくいいなと思いました。その前段として蓮根が「新見とできるなら/どっちでもいいから」と言うのもいい。それが愛だよね!と思うのです。で、「……1回だけなら…」って新見が言っちゃうのもホントいい。いじらしい。愛しい。
これまたキャラとしていがちなんだけど、めがね先輩がまたいい味出してるんですよね。そこも好き。伏河くんは、キャラとしてもうちょっと大きく描き分けたいところだったけれど、ちょっと画力が足りなかったかな、みたいな印象はありました。
「機会的」と言われれば、そもそも近くにいて知り合わないと恋愛なんて始まらないので教室とか職場とかで生まれがちなものだろうし、環境が変われば解消されることが多いものでしょう。異性同士であろうと、学生時代の恋人と結婚してそのまま離婚もしない人ははっきり言ってかなり少ないはずです。だから「卒業後は目が覚めて終わり」なんて予言は意味がない。でも、それを乗り越えてカミングアウトのドラマや、「学校を出ても新見といたいよ」「ずっと澤根といたい」となる展開は美しい。伏河はアテ馬としてもやや描き切れていなくて、本当は蓮根が自分がゲイでないこと、女子とのセックス経験があることに引け目みたいなものを抱き、新見には伏河の方がふさわしいのだろうかと悩むような流れがあるべきだったんでしょうね。相手を好きすぎて相手のために身を引こうとしてでも好きすぎてできない、みたいな、私の大好物展開…(ヨダレ)大丈夫、妄想で補完できます。
あとは、卒業が近づくにつれて、進路とかでもっとドラマが描けたはずなんですよね。そこがほとんどなくて、ラストの描き下ろし番外編でほとんどトートツに語られるのがちょっともったいない気もしましたが、まあこのあっさり具合もオツなのかもしれません。
卒業式で新見が友達に「付き合ってるやつとかって……」って聞かれるくだりが、とても好きです。新見って本人は無自覚でも、クラスメイトたちにとても愛されていたんだと思う。蓮根の方が敬して遠ざけられ気味だったと思うんですよね(そして蓮根はそれを自覚できている)。でもみんな新見のことは友達として普通に好きで、だからカミングアウト後も変に突っついたりからかったりしないで見守っていて、でもやっぱり気になるから、それは冷やかし半分やっかみ半分かもしれないけどとにかく最後に出ちゃった発言で…って感じが、すごくいい。そしてそれに対して新見がさらっと「蓮根と付き合ってる」って言っちゃうところも、ホントいい。蓮根が全然頓着せず「…新見 帰ろ」ってなるのも。
そうだ、何故かありがちな「下の名前で僕を呼んで」案件がなかったのも個人的にはすごく好きでした。蓮根にいたっては出てすらこなかったんじゃないかな? ずっとお互い名字呼び捨て。それもまた良き。
そういえば、そんなわけで卒業後も「専門出たら/新見の所に行っていい?」「一緒に暮らそ」とはなるのですが、『同級生』とか『窮鼠』のラストにあった指輪、結婚みたいなモチーフは出ないままに終わるんだな、と思ったので、もしかしたらこの部分がやはり令和刊行の作品としての現代性なのかもしれません。選択的夫婦別姓も同性婚も認められていないような今の日本の婚姻制度に、もはや誰もドリームなんて持てませんもんね。こうやって捨てられることって、本当に終わりの始まりなんです。最近青年漫画や少年漫画にすら結婚モチーフの作品が増えてきて、男の方がしたがるんだから世も末だなとか感じていたのですが、そういうことだと思います。もう少女は結婚に夢を見ない、だから女になっても結婚しない、子供は産まれず、人類はゆっくり滅んでいくんだな、とホント思うのでした。愛はあるよ? 全世界を滅ぼしてでも愛を取るのが少女です。世界を革命する力を手にして、そうして革命された世界に人類はいなかった、ただそれだけ…
そして「きれいだな」と微笑むしかないのだろう、と思うのでした。
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