駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『龍の宮物語』

2019年12月07日 | 観劇記/タイトルた行
宝塚バウホール、2019年12月3日11時。

  明治中期。実業家・島村家の書生のひとりである伊予部清彦(瀬央ゆりあ)はある夏の夜、島村家の山荘で書生仲間と百物語に耽っていた。そこで清彦は「夜叉ケ池」にまつわる話を知る。その池には雨乞いの伝説があり、池に近づくと池に沈められた生贄の娘のすすり泣きが今も聞こえるというのだ。しかし幼い頃、祖母の家の近くにあった夜叉ケ池に出かけたことのある清彦は、その話を信じようとしない。仲間たちは清彦に、度胸試しに一晩で過ごすよう提案する。意を決して池に向かうことにした清彦は、島村家の令嬢・百合子(水乃ゆり)に、夏から秋にかけて池の周りに咲く桜蓼の花を一輪手折って戻ると約束するが…
 作・演出/指田珠子、作曲・編曲/青木朝子。夜叉ケ池伝説と105年前にも上演されたお伽話『浦島太郎』を交えて描かれる、星組三番手スターの二度目のバウ主演作、指田珠子の演出家デビュー作。全2幕。

 最近の若手演出家デビュー作だと、私が観ているのはこちらとかこちらとかこちらとかこちらなど。演目発表時から前評判が高く、ポスターなども素敵で、初日開いて以降に聞こえてくる感想も絶賛ベースで、でもなるべくフラットに観よう、と臨みました。結果、幕間では「くらっちが素晴らしい、以外に言うことはない」みたいなことをつぶやいたかと思います。1幕は、話はもちろん進んでいるんだけれどまだ風呂敷を広げているばかりでドラマがない印象だったのです。2幕になっていろいろなことが明かされ風呂敷が畳まれる構成で、さらにわりと急に「転結」となったように私には見えて、正直「え? このオチでいいの?」と混乱しているうちにフィナーレに突入してしまい、結果、微妙な物足りなさだけが残ったのでした。「転」のドラマにもっと浸って萌えたかったし、よくよく考えるとあちこちこぼれもあるような…今回は以下、そんな感想です。絶賛派の方には申し訳ありません。チケ難なようで東上再演を、と言っている方も多いようですが、私はその域にはない作品だと思いました。また未見の方にはわかりにくい話になっているかと思います、上手く語れなくてすみません…

 そもそも私がせおっちにあまり萌えがないのがスタートとして良くなかったのかも、とは思っています。イヤ最近本当に垢抜けてきたと思うし、新生星組でも愛ちゃんに上に入られちゃうんでポジション据え置きかもしれないけど盤石の三番手スターとして活躍すると思うし、私は劇団はれいちゃんもまこっちゃんも早巻きにしてマイティもせおっちも起用する気があるんだと考えているので、この先も全然心配していないスターさんなんですよ。でも個人的にはツボらない。
 清彦というキャラクターは好きで、しかもせおっちがこれをちゃんと演じていたのには好感を持ちました。いわゆる等身大の青年の役なんだけれど、自分に引き寄せてしまうことなく、ちゃんと作り込んで、芝居していました。その姿勢がいいなとすごく思いました。ただ、もっと好みの生徒がやってくれていたらもっと萌え萌えで没入できたキャラクターなのに…と思ってしまった、ということです。たとえばかりんたんだったら私はもうタイヘンなことになっていたことでしょう(笑)。
 そして一方で私はくらっちが好きすぎるのでした。そしてくらっち玉姫(有沙瞳)は素晴らしすぎました。美しさも声の良さもたたずまいも何もかも。けれど物語は観客が玉姫に感情移入する構成にはなっていません。彼女は主人公と観客にいろいろと隠し事をしている、事件の首謀者だからです。清彦はただ巻き込まれるだけの主人公で、だから特に1幕はほぼ何もしていません。観客も傍観者にならざるをえず、そこが弱かったのかもしれないな、と思いました。
 雨乞いのために生贄にされた娘には、想い人がいた。しかし彼は彼女を助けてはくれなかった。彼女は龍神(天寿光希)の妻となり、池の底の不思議の王国・龍の宮の女主人となり、かつての想い人の子孫をときおり池に引き込んでは復讐を続けている。清彦もまた…というお話です。清彦が山賊に襲われていた娘を助け、そのお礼にと龍の宮に連れて行かれるのと、龍の宮での連夜のもてなしのあとに帰ってみると、地上では三十年の時が流れていて…というあたりが浦島伝説になっています。ところで私は泉鏡花の『夜叉ケ池』を読んだことがなくお芝居などでも観たことがないのですが、どんなお話なんでしょうね?
 それはともかく、清彦が龍の宮にいた間に百合子の家は零落していて、今度は百合子の娘・雪子(水乃ゆりの二役)が身売りされるやらはたまた雨乞いの生贄にやらされかけます。それで清彦は再び龍の宮に赴くわけですが…って書いててそうだっけ?と今、なりました。なんかあまり細かい筋を覚えていなくてすみません。その前に元・書生仲間の山彦(天華えま)から、彼もまたかつて龍の宮に行って、戻ったときには時が経っていた経験をしたこと、つまりは清彦の叔父だか大叔父だかで彼を見守っていたこと、なんかが語られるんでしたっけ? でも実はこれは震災で死んだ彼の亡霊が語っていたのだということが、のちに明かされるんですよね。彼の歳の取り方はこれで合っているのかな? あと、山彦の清彦に対する居方は他の書生たちと違うので1幕からちゃんといわくありげではあるのですが、結局ただ見ていただけで何もしなかったんだね??という気もしてしまいました。せっかくの矢印構造が、これでは不発ではあるまいか…
 不発に感じたのは火遠理(天飛華音)の兄への想いも、でした。
 その話はちょっと後回しにして、そんなわけで玉姫は龍の宮であまり幸せそうではなく、気晴らしに男を引き込んで殺してもやはり気が晴れず、さらに清彦のことは桜蓼の約束があったりなんたりで優しくて気にかかってなんなら愛してしまっていて、だからもはや清彦を殺せず、むしろ清彦に殺してもらいたいと言います。もう恨むのに疲れたから、殺すのに疲れたから、すべて終わりにして解放されたいから。
 けれど清彦は玉姫を殺せず、そこに嫉妬で我を失った龍神が乱入して、清彦をかばった玉姫が龍神の刃にかかる。呆然とする龍神、清彦の腕の中で笑って息絶える玉姫…
 このクライマックスが私にはけっこう唐突でバタバタと進み、ゆっくり萌える暇がなく感じられてもの足りなかった!というのが何より大きかったのでした。あと、清彦が優しいばかりで、雪子がかわいそうだから動いているだけのようにも見えて、玉姫のことを愛してしまいどうにかしてあげたいと動いているようには見えなかった気がして、それで主人公の心情を追えず結果的に展開がバタバタして見えてしまったのかもしれません。
 兄の龍神が玉姫に執着しすぎて神としての仕事をおろそかにしていることを案じていた火遠理は、兄が玉姫を死なせてしまってかえって安心したことでしょうし、「また今までどおりふたりで龍の宮を盛り立てていきましょう」みたいなことを言って去るのですが、なんかここも甘い気がしました。火遠理も1幕ではいわくありげにただたたずむだけのことが多かったのですが、かのんくんにやらせているんだし何かあるんだろうなと思わせるじゃないですか。なのにコレだけ?って気が私はしました。私だったらたとえば、玉姫を殺してしまって呆然としている龍神を今度は火遠理に殺させるけどなー。「これでやっと我がものになった」とか言わせてさ。それは、玉姫を失ってのちの龍神の人生(神様だけど)に幸せなどないから、恨み辛み後悔ばかりになるから、そういう苦しみからあらかじめ解放させてあげよう、という愛でもあるし、兄を殺すことで独占するという弟の歪んだ愛でもあるし、兄を弑して自分が王国の主になるという弟の男としての(神様だけど)長き夢の結実なのかもしれない。全然本筋とは関係ないんだけれど、これくらいぶっ込まないと、こういうキャラを立てた意味がないんじゃないですかね? だって今、いてもいなくてもほぼかまわない役になっちゃってません? かのんくんのために何か役を作る必要があったのねー、としか思えません。それじゃダメだし、せっかくのこのポジションのキャラならもっといろいろやりようはあったろう、と思ったのでした。
 玉姫を失った清彦が地上に戻ると、雨が降ります。でもこれは何故? 龍神は玉姫に執着しすぎで天候を調節するのを忘れ、それで日照りが起きたんじゃないの? 玉姫を失って抜け殻の龍神がその後仕事をするわけなくない?
 それとも清彦が玉手箱を開けたら雨が降ったんでしたっけ? 浦島太郎の玉手箱は、戻ったら百年経ってて知り合いもみんな死んでてつらくて竜宮城に戻りたくて開けて、そしたら百年分歳をとって死んでしまう…というようなことでしたよね? でも清彦が箱を開けても何も起きない。それは何故? そもそも玉姫は「再び会いたければ開けるな」と言ってこの箱を渡したけれど、それってどういう意味? そして清彦はずっと箱を開けなかったからこそ玉姫と再会したのかもしれないけれど、玉姫を失って、でもまた会いたいと願い(「絶対に会えない人に会いたいと願いたくない」みたいな言い回しは、わかりにくいけれどいいな、と思いましたが)、それで箱を開けるって、なんで?
 で、物語は呆然と雨に打たれてたたずむ清彦、で幕が下りてしまうんですけれど、それでいいの? なんか消化不良じゃないですか? 玉姫がかわいそうすぎませんかね? これで終わりなら、子孫を殺すなどさんざんひどいことをしてきたのをこれでやっと償える、だからもういいの…くらいなことを言わせておいてほしかった。でも玉姫はそれでよくても、ほぼ巻き込まれただけの清彦はこんな不幸な終わり方でいいの? 今度は地上では前ほど時間は経っていないかもしれないけれど…なんらかのフォローはなくていいの? もちろんこの余韻を楽しませたいのだ、というのもわからなくはないけれど、物語としておちつきが悪いというか、なんか理不尽な気がしませんかね?
 たとえば私なら(うるさくてすみません)、雨に打たれて倒れている清彦を、もう少しだけ大人になった雪子に発見させるけど。清彦は玉手箱を開けたことで歳をとるのではなく龍の宮での記憶を、なんなら今までの一切合切の記憶を失っていて(作品違いですが「忘却の粉」ですね)、その後は雪子が面倒を見、やがて結ばれるのだろう…と想像させて、そしてエピローグ、そこから2世代くらい経って世は昭和、清彦の孫らしき青年せおっちと玉姫の生まれわかりらしき娘くらっちが、たとえば水族館の前で、あるいは桜の木の下で、出会って、見つめ合って、幕…とか、どうかしら。
 百合子がまた消化不良だったんですよね。清彦はあくまで「お屋敷のお嬢さん」として接していたと思うのだけれど、だから桜蓼の約束も色恋抜きの単なる善意の約束に思えたけれど、百合子の方は明らかに清彦に気がある芝居になっていましたよね? なのに縁談をあっさり受け入れるんだけど、それが清彦をかばって、とか清彦とは所詮結ばれないとわかっているから、とか家のためにしなければならない縁談だから不承不承、とかって感じが全然なくて、それこそ「あっさり」なんだけれど、それは何故? 百合子が恋と結婚は別だと考える近代女性だったってことなの? ゆりちゃんの演技が硬いせいというより(せーらちゃんといい美貌とダンスは素晴らしいのに芝居は微妙で歌はもっと微妙、という娘役さんですよね…いや好きなんですけど!)、脚本としてこのキャラクターをどう置きたいのかが謎で、不満でした。
 あとは笹丸(澄華あまね)と伊吹(紅咲梨乃)とかも中途半端じゃなかったですか? あのいわくありげだったのはノー回収でいいの?
 なんか、さすがみきちぐだよねとか朱紫くんホント上手いよねとか天路くんもいいよねとか澪乃桜季ちゃんいいよねとか都優奈ちゃんいいよねとか七星美妃ちゃんいいなとか侑蘭粋ちゃんいいなとかタクティーの美貌とかいろいろ満足なんだけれど、あと照明(笠原俊幸)がすごくいいなとか印象的だったんですけれど、全体としてはやはりぼんやりした出来の舞台だった気がして、「…ま、次作に期待」という感想だったんですよね私は。悪くはないと思うんだけれど…みたいなモヤモヤです。「コレはないやろ! こうならこうやろ!!」と直したくなる、すぐ直せる気しかしない…みたいなのとはまた違う、不思議な感じが残ったのでした。
 ともあれ、まずはデビューおめでとうございます。若い書き手は大歓迎です、これからもバリバリ働いていってほしいし、さらに控えているであろう演出助手さんたちのデビューも期待しています。生徒以上に作家ががんばらなければ未来はない。観に行くことしかできない一介のファンですが、愛し信じて待っています。







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2 コメント

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龍の宮物語の謎部分について (J)
2021-10-06 01:40:56
ご感想を読み、瀬央さんに萌えてる方は、瀬央さん自身の純粋な人柄が清彦のキャラクターと非常に合っている感動に冒頭から打ち震えながら観るので、感動の具合が違うんだな~?と感じました。
成る程、特別に瀬央ファンでない方の冷静な分析を見た気がします。
極美君は非常に書生姿も合うでしょうが、あの役と歌はまだ瀬央さん程にはしっかりとこなせないと思いますね。
くらっち玉姫の美しさ芝居歌の素晴らしさは誰が観ても共通の感想ですね。
百合子はあの時代、あの身分の差で、清彦と一緒になれる筈もないと本当の思いを途中から素振りにも出さなくなります。
ところが実は心の奥深くで清彦を思っていたまま結婚生活を送っていたことが2幕の白川の台詞でわかります。
1幕冒頭で清彦にグイグイ行ってた百合子が、結婚話が進むに連れ、清彦に未練をチラリと見せるなどの芝居を入れなかった脚本・演出、上手いと思いました。
2幕でああそうか、やっぱり百合子は清彦のことを…と回収できるのが気持ち良かったです。
その他は謎が多く、すっきり回収しきれない部分は多いです。ご指摘通り。
ただそれが龍の宮物語ファンの色んな解釈・想像を膨らませ、いつまでも余韻が残り楽しめると思っています。
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コメントありがとうございました (Jさんへ)
2021-10-08 10:56:30
そうですよね、やはり宝塚歌劇はその生徒さんのファンが観ると
全然違った感想になる…というのは私も常々感じています。
特にクサしたつもりはなかったのですが、失礼いたしました。
なかなか味わい深い、印象的な作品だったと思っていますし、せおっちの次の主演作も楽しみにしています。

●駒子●
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