宝塚バウホール、2013年5月12日(前楽)。
時は五世紀、まだ大和が国としての形を取り始めたばかりの頃。遠飛鳥宮では病床にある允恭天皇にかわり、木梨軽皇子(珠城りょう)と穴穂皇子(鳳月杏)が大和に従わぬ異端の民「土蜘蛛」の征討を進めていた。歌を愛し民を慈しむ木梨軽皇子と、武芸に秀で冷徹な政治感覚を持つ穴穂皇子は、安寧の世を創り、ある娘を守るという同じ夢を描いていた。その娘とは皇子たちの「妹」衣通(咲妃みゆ)であった…
作・演出/上田久美子、作曲・編曲/高橋城、高橋恵、振付/謝珠栄、若央りさ、擬闘/新宮有紀。全2幕。上田先生のデビュー作、珠城りょうバウ初主演作。
とても評判が良く、楽しみに観劇に赴きました。
手放しで期待にたがわぬ、と言いきれることはありませんでしたが、とてもおもしろく観ました。新たな才能のデビューは喜ばしい限りです、この先も楽しみです。
気になったのは主に、時代設定によるものでもありますが、風雅と言えば聞こえはいいですがなかなかに難しい言葉も多く、その台詞が、脚本を目で読むにはいいかもしれないけれど耳で聞いて意味を取るにはややこなれが足りないものに思えたこと。
自分の席が端で聞きづらかったせいもあるのかもしれませんが、下級生主体の出演者たちの口舌がまだまだたどたどしいということを差っ引いても、役者が声にして観客の耳に届いて初めて完成される台詞という言葉のあり方として、もう一クオリティ上げてもらいたかったのです。
でもこれは場数を踏めばすぐ改善されると思いますし、意味が不明瞭だったり意味がなかったりする台詞を平気で繰り返せるような老人作家とはワケが違うので、これからに期待しましょう。
そして出演者たちも、それこそ下級生主体で場数が勝負なのでこれからに期待。上級生娘役陣がびしっと舞台を締めていたのは心強かったです。だからこそたまきちもちなっちゃんももっとできるはずだと思えてしまったのですよ…!
いやあでもがんばっていました。いいものを観ました。
まず冒頭の音楽が美しく、なっちゃんが語るイントロ台詞もすばらしい。これが「古事記」などにある衣通姫伝説による物語であることが語られます。
そしてプロローグ。舞台としてきちんとスターを、そしてキャラクターを見せる手堅いステージングがきちんとできているのが素晴らしい。
娘役ちゃんたちがたくさん、凛々しく兵士役を務めていたのがまたよかったです。
そして幼い皇子たちが土蜘蛛の村へお忍びで冒険に出かける回想シーンへ。からんちゃんは本当にいつもなんでも上手いなあ。
ここで、「土蜘蛛」とされるいわゆる蛮族が、話に聞かされていたような獣みたいな蛮人でもなんでもなくて、自分たちと何も変わらない普通の人々であることに皇子たちが戸惑う様子、そしてそこで死んだ母親に守られた赤ん坊を拾ってくるくだりが描かれます。衣通姫伝説は一般的には同母妹に通じたとされる近親相姦の禁忌の物語ですが、今回の「妹」はもらわれっ子であり血のつながりはないとされているのでした。上手い。
歳の差もあってか、ここでの穴穂はまだまだ泣き虫なやや臆病な子供で、兄の木梨に涙が止まるおまじないなんてものをやってもらったりします。それがどこでどうして武芸に秀でる雄々しい青年になったのか、それは残念ながら語られることはありませんが、ともあれ月日は流れて、兄は戦場ですら美しい空を見上げ可憐に咲く花を見つめ歌を詠んでしまうような優しい青年になり、弟は知略に長けた豪放な勇者に育ったのでした。
しかし変わらず仲は良く、平らな世を創り民を安んじさせるために協力して働く、心優しい兄弟たちなのでした。
このふたりが、完全に好対照・正反対なのではなく、似ているところもたくさんある、本当に仲良しでお互いを認め合い想い合っている兄弟であることが素晴らしい。穴穂は病の父に替わりいつか木梨が王になる日が来たら、自分はそれを支えてより懸命に働こう、と誓っている清々しい青年なのです。そこには小さな嫉妬すらない。「♪君が王なら、僕は将軍」がふと脳裏をよぎりますが、もちろん彼らもそうだったのです…
そしてたまきちとちなつも、持ち味が完全に対照的、というのではないところがまたよかった。その上でキャラクターにニンが合致していたところがまた素晴らしかったと思います。
さて、「妹」の衣通姫は巫女として三輪山に暮らしていましたが、天皇の病気平癒祈願のために九年ぶりに宮に帰還します。歓迎の宴にさんざめく女官たちが愛らしい。早桃さつきはやっぱり可愛いな!
幼い頃は兄妹一緒になって真っ黒になって遊んでいたものでしたが、今や年頃を迎えて衣通は輝くばかりに美しく、その名のとおり美貌が衣を透けて見えるのでした。
みゆちゃん、上手いなー。
潔斎のために男性と口をきかない衣通はなおさら神秘的に見えて、兄弟たちの心をとどろかせます。宴の比べ舞では木梨が勝ち、イレギュラーの模擬武闘では穴穂が勝利を収めたのでした。
この模擬戦を提案したのは王家の参謀を務める渡来人の青(夏美よう)でしたが、王宮にはもうひとり博徳(輝月ゆうま。素晴らしい!)という渡来人がいて、王家の記録や文書を司り、また皇子や貴族の子弟たちに文字を教えているのでした。
実は今回私はハッチさんの演技がぴんと来ませんでした。允恭天皇の妃であり皇子たちの母親である大中津姫(琴音和葉。素晴らしい!)とワケありなわけですが、未練があるのか執着があるのか、王家乗っ取りを考えているのかなんなのか、どうにも腰が定まらなく見えました。典型的な悪役にしたくなかったという演出なのかもしれませんが、なんとなくぼんやりとしてしまったように見えたかなあ。
一方博徳は学究肌かつちょっと変わったおじさんで(笑)、でも生徒たちを愛し文字を愛し記録を愛し歴史を愛し物語を愛しています。木梨と穴穂はこっそり衣通を連れ出し、かつてともに学んだその館を久々に訪れます。
衣通は巫女の顔をやめると幼い頃のやんちゃなおてんばのまま、口はきけないながらも文字で楽しくやりとりし、兄弟たちはあっという間に会わなかった時間を埋めるのでした。
そしてこのくだりで、この作品のもうひとつのテーマでもある、記録とは何か、物語とは何か、ということが語られます。時の為政者に、また後の世に都合よく、わかりやすく改竄された「事実」を「歴史」として記すことに木梨は違和感を感じていて、そういったことよりももっと日々の暮らしや心の動きに根付いた想いみたいなものを残したい、と考えているのでした。穴穂はそんな感傷や甘さを認めつつも笑います。国のために必要なものはそういうことではないと考えているのでした。
兄妹の楽しいひとときは、衣通が宮を抜け出したことが露見して大中津姫に叱責されて終わります。天皇の病は篤く、衣通はその祈祷をしなければならないのでした。
天皇はすでに人伝でないと話もできない病状です。大中津姫はその言伝に女鹿(叶羽時)という女童を使いますが、女鹿が言う言葉は本当に天皇が発したものか、大中津姫が言わせたものかはかなり怪しい。大中津姫は病身の夫に代わってすでに政治を担っているのでした。
天皇の崩御も近いとされる今、日嗣の皇子を定める必要がありました。長子相続と厳格には決められていないこの時代、まずは穴穂が続く日照り対策として雨乞いの舞を踊り、太子としての神意を問うことになります。
だが雨は降りません。捕らわれていた蜘蛛族の子供ティコ(佳城葵)が生贄として捧げられるべく引き出されます。そこへ木梨が雨唄を歌って雨を降らせ、褒美としてティコをもらい受けるのでした。人々は木梨こそ日嗣の皇子にふさわしい、と考えるようになります。
懐かないティコに木梨は優しく語りかけ続けます。蜘蛛族にはどうやら美しいとか綺麗とかいった言葉がなく、でもそうした感覚や観念がないわけではないので、そんなところからふたりの話は通じ始め、木梨はティコを蜘蛛族の仲間の元へ逃がしてやろうとします。
その背中を射たのは穴穂でした。「まだ子供だ!」と木梨は叫びます。しかし子供はいずれ大人になり、大和の敵になるのでした。穴穂は「兄上のそのお優しさは弱さです、罪です」としか言えないのでした。
宮中の不穏さが巫女の心をもさざめかせるのでしょう、衣通は火の夢を見て飛び起きます。幼い頃、火に巻かれ母親に庇われ、そして皇子たちに拾われた赤ん坊の頃の記憶が、今もどこかに残るのでしょう、時折こうした夢を見るのでした。
侍女の蜻蛉(夏月都。素晴らしい!)も下がらせた夜更け、寝所に現われる影がありました。木梨でした。
「ここへ来てはなりません」そう言う衣通はすでに禁を破っているのでした。木梨はただ泣く場所を探していただけで、それ以上の何かはなかったのかもしれません。
でも来てしまった。会ってしまった。去り際に、一度だけ木梨は衣通を後ろからかき抱き、そして闇に消えていくのでした。
本当を言えば、この場面までにもうひとつ、兄妹たちの間に、かつての兄妹としての情が蘇る以上に男女として意識し出した瞬間、恋に落ちたことを示す端的なエピソードが欲しかったかもしれません。木梨が衣通の寝所に現われたこと、衣通が木梨に話しかけたことが唐突に思えなくもありませんでした。
でも、このせつない、ギリギリのやりとりが、彼らの恋の最後の一押しをしたことは確かです。ここで恋は確かに始まってしまったのでした。
そして青が動きます。彼は穴穂の父親だったから。穴穂に次の王になってもらいたかったから。そうして自分の血の者に大和を与えたかったから。それが故国を追われ大和に間借りする彼の、人生に対するある種の復讐だったから。
青は穴穂に自分が父親であることを告げ、王位を奪えとそそのかします。穴穂にとっては受け入れ難いことです。自分が天皇の血を引いていないのなら、なおさら天皇になどなれないからです。だが…
だが。ここからがすごかった。
私は道が別れ始めてしまった兄弟とヒロインがせつなく歌って一幕終わり、なんてのも綺麗だな、とか頭の隅で考えて観ていたのですが、どうしてどうしてそこからの怒涛の展開がすごかった。思うにこの作品の評価が高いのはこの一幕最終場、第9場Bの素晴らしさが大きいと思います。
木梨が「妹」であり巫女であり神の妻である衣通と通じたとして青が告発し、木梨は縄打たれ衣通は倒れ伏します。木梨はそんな事実はないと抗弁しますが、穴穂が青の告発を支持し証言します。青が虚偽の告発をしたとなると罪に問われるわけで、穴穂は息子としてそれを見過ごせないのでした。そして彼もまた衣通に心を寄せていたので、ふたりの交情が認めがたかったのでしょう。ここで彼はダークサイドに落ちたのです。ホゲ化です。
木梨は謹慎、衣通は巫女の座を降ろされ流刑と定められると、木梨は叫ぶのでした。
「私が、強いたのです」
全私が萌え悲鳴を上げました!!! 木梨は続けて言い募ります。「私が強いたのです、嫌がる姫に私が無理やり強いたのです」と。衣通を庇い、自分が罪を被るために彼は言葉を弄し、そうして判決は覆って、伊予に遠流となったのは彼の方でした。
蜘蛛族が跋扈する伊予に流され、ボロボロになる木梨。そして遠飛鳥宮では天皇がついに崩御し、穴穂が王位を継ぐことになるのでした…
第一幕「花の章」、幕。
第二幕「月の章」は伊予のたたら場から。
ここでのたまちきはややモサく見えてしまって残念でした。こういう格好が、ワイルドながらもスマートで素敵に見せる技術はまだないんだよね。そんなところも愛しいのですが。
それはともかく、あれから数年の月日がたっているようで、木梨は大王を名乗り蜘蛛族を率いて大和と戦うようになっているのでした。
これは残念ながら唐突でしたね。徐々に説明されるのですが、伊予に流されてきた当初は、木梨は蜘蛛族に農耕を教えたりして平和に暮らしていたようです。それがどこかで転機を迎え、今は目的にためには手段を選ばない戦士になっており、悲しみを憎しみに変えて戦うことを仲間に強要する冷酷な首領になっています。
その転機がなんだったのかは、描く必要がありました。おそらくは僻地で平和に暮らそうとしていたのに勢力を広げる大和が何かと侵攻してくるのに耐えかねて、とか、仲間に立ち上がり戦い率いてくれるよう頼まれて、とか、何か事情があったはずなのです。
そこに、鳥に託して変わらず手紙をくれていた衣通が穴穂の妻になったという知らせのショックもあって、何かが木梨を変えてしまったのだとは類推されるのですが、そこは明らかにしておかないと、ただのフラれた逆恨み、謎の豹変に見えてしまってはダメだと思うのですよね。これは珠に瑕でした。
衣通の出自は完全に秘せられているというよりは、ある種の公然の秘密にもなっていたように私には感じられました。だから木梨も近親相姦を問題視されたのではなく、神職にある者に通じた罪を問われていたように見えました。
巫女の位を降りた衣通はだから、人の妻となることにもはやなんの障りもなく、相手が「兄」の穴穂でも問題はなかったのでしょう。まして穴穂は今や大和の大王です。彼が望めばそれは誰にも止められないのでした。
しかし夫婦となって数年がたってはいても、衣通の口から穴穂への愛の言葉が発せられることはないのでした。
このあたりは、個人的にはもう一押しねちねちやってほしかったけれどなー。穴穂は衣通を抱きながらも愛されていないことにもっと悔しがってもいいと思うんですよねー。ホゲなら婚約中とはいえやるこたやってたと思うんだよなー。穴穂が本当に衣通を愛していたのか、どこをどうどんなふうに愛していたのかが見えなかったのは、三角関係ラブロマンスとして残念な点だったかもしれません。
でももしかしたらこの時点ではもうすでに穴穂の心は衣通からはやや離れ気味だったのかもしれません。心のない空蝉を抱き続けても空しいだけですし、愛情の返りがないものを愛し続けるのは難しいことだからです。
それに彼は天皇として王道を歩み始めていました。ダークサイドに陥って兄を売り王位を簒奪したのは過去のことだったのです。
今、ダークサイドに陥っているのは、むしろ木梨の方なのでした。
兄弟たちの戦争を止めるために、大中津姫は衣通が宮から脱出するのを手助けします。衣通にならふたりの争いを止められるかもしれないから。今まで穴穂の妻として王家に仕える日々を耐え忍んできた衣通を、真に愛する相手の元へ行かせてやりたかったから。
大中津姫は夫に代わり国の安泰を図った冷徹な政治家として生きた一方で、確かに衣通の「母親」でもあったのでした。息子たちの、そして娘の幸せを願って、彼女は衣通を旅立たせたのでした。泣かせました。
伊予の地で、木梨と衣通は再会を果たします。蜘蛛族の面々はそれぞれ複雑な心境でそれを見守ります。衣通は輝くばかりに美しく、敵でありスパイかもしれないと疑いながらも人々は惹かれずにはいられないのでした。
パロ(晴音アキ)のキャラクターには実は私はあまり萌えないのですよ。それこそスジニも広い意味ではこの系統に属するキャラクターかもしれませんが、少年のような少女で、大人の女になりかけていて、もう子供ではないからみんなと一緒に戦うと言い張り、一方で女として首領の木梨を愛している、そんな役どころ。当然、衣通に敵愾心を剥き出しにします。
それがあってもなくても、木梨はもう衣通ときちんと目を合わせようとはしません。話もしない。和平を願う衣通の言葉は宙に浮くばかりです。
宴の席で、剣舞の振りをして衣通に斬りかかろうとするパロを木梨は止め、そのまま衣通に強引に口付けして見せ、彼女は自分の妻であり敵の情報を持ってきてくれたのだと周囲に宣言します。その口付けの冷たさ、空しさに衣通は涙するしかないのでした。
ホゲだわ! このせつなさ、上手いよねえ!! 感心したし、感動しました。
星降る丘で、衣通は今一度、戦いを思いとどまるよう木梨に頼みます。「この哀れな土蜘蛛の願いをお聞き届けください」と頭を下げ、声を振り絞ります。恋心にも、兄妹愛にも訴えられないとわかった今、彼女ができることはただ身を低くして請うことだけだったのでした。
でも、木梨がそれに応えることはありませんでした。「俺はもう後戻りできないんだ」なのです。悲しい、上手い。
木梨は衣通にパロをつけて逃がそうとします。そして戦争は始まってしまうのでした。
躍動感あるアクションシーンは素晴らしかったです。装置の使い方も秀逸。
衣通がパロを庇ってせめて傷を追うくだりは見せてもよかったかもしれません。残念ながらその場面はなく、負傷したパロが木梨に衣通の死を告げ、その腕の中で息を引き取ります。
蜘蛛族の戦士たちはみな散り散りに倒れ、残るは木梨ただひとりになっていました。木梨は穴穂に斬りかかりますが、穴穂の方が剣の腕は上です。何より、木梨はただ死に場所を求めて戦っていただけなので、穴穂に勝てるはずもないのでした。
穴穂の剣が木梨を貫き、木梨は穴穂の腕に抱かれます。穴穂は泣いています。だから木梨は、弟に涙を止めるおまじないをしてあげようとして指を上げ、そして力尽きるのでした…
戦場となった浜辺の血を洗うように雨が降り、穴穂は大和の大王として土蜘蛛を平定し、宮へ帰ります。
傍らには博徳がいます。かつて日嗣の皇子に穴穂を押した青と違って、博徳はどちらかと言えば木梨贔屓でした。それでも彼は穴穂の政府にとどまって働いているのでした。皮肉ではなく、穴穂を支え、穴穂が作る新しい国を見守るために、見届けるために。
このこともまた、穴穂がもはやダークサイドにいることはなく、王道を歩んでいることの証でしょう。こういうところもとても上手いし、いいなと思いました。
ただ、このあとの、穴穂が指示した「物語」はやや中途半端だったかもしれません。主旨としては、これまで事実の都合のいい改変や歴史記載をしてきた穴穂が、唯一の例外として、木梨と衣通の「物語」を認めた、ということだと思うのだけれど、これがまた現政府に都合のいい嘘のようにも見える部分があると思うのですよね…
ともあれ、穴穂は王として現世を生き(そしてやがて政変により暗殺される運命にあるのだけれど)、木梨と衣通はどこか遠くの美しい海で、再会し結ばれるのでした。
ああ、私は穴穂の側女になりたいと思いましたよ。愛に殉じて死ねた者はある意味で幸せです。ひとりこの世に残されて生きていかなければならない身こそつらい。それを支えてあげたいわ、支えてあげるキャラクターがいたらなあ、とかついつい考えてしまうのでした。衣通の次でいいのよ、最後の女になれればいいの。穴穂がどんなに王道を歩む今は心正しき王者でも、そういうこととは別に絶対にひとりはさびしくて、誰かがいてあげてほしいと思うのですよ…
そんな、美しく悲しくせつない、いいドラマ、いい物語でした。
いいものを、観ました。
時は五世紀、まだ大和が国としての形を取り始めたばかりの頃。遠飛鳥宮では病床にある允恭天皇にかわり、木梨軽皇子(珠城りょう)と穴穂皇子(鳳月杏)が大和に従わぬ異端の民「土蜘蛛」の征討を進めていた。歌を愛し民を慈しむ木梨軽皇子と、武芸に秀で冷徹な政治感覚を持つ穴穂皇子は、安寧の世を創り、ある娘を守るという同じ夢を描いていた。その娘とは皇子たちの「妹」衣通(咲妃みゆ)であった…
作・演出/上田久美子、作曲・編曲/高橋城、高橋恵、振付/謝珠栄、若央りさ、擬闘/新宮有紀。全2幕。上田先生のデビュー作、珠城りょうバウ初主演作。
とても評判が良く、楽しみに観劇に赴きました。
手放しで期待にたがわぬ、と言いきれることはありませんでしたが、とてもおもしろく観ました。新たな才能のデビューは喜ばしい限りです、この先も楽しみです。
気になったのは主に、時代設定によるものでもありますが、風雅と言えば聞こえはいいですがなかなかに難しい言葉も多く、その台詞が、脚本を目で読むにはいいかもしれないけれど耳で聞いて意味を取るにはややこなれが足りないものに思えたこと。
自分の席が端で聞きづらかったせいもあるのかもしれませんが、下級生主体の出演者たちの口舌がまだまだたどたどしいということを差っ引いても、役者が声にして観客の耳に届いて初めて完成される台詞という言葉のあり方として、もう一クオリティ上げてもらいたかったのです。
でもこれは場数を踏めばすぐ改善されると思いますし、意味が不明瞭だったり意味がなかったりする台詞を平気で繰り返せるような老人作家とはワケが違うので、これからに期待しましょう。
そして出演者たちも、それこそ下級生主体で場数が勝負なのでこれからに期待。上級生娘役陣がびしっと舞台を締めていたのは心強かったです。だからこそたまきちもちなっちゃんももっとできるはずだと思えてしまったのですよ…!
いやあでもがんばっていました。いいものを観ました。
まず冒頭の音楽が美しく、なっちゃんが語るイントロ台詞もすばらしい。これが「古事記」などにある衣通姫伝説による物語であることが語られます。
そしてプロローグ。舞台としてきちんとスターを、そしてキャラクターを見せる手堅いステージングがきちんとできているのが素晴らしい。
娘役ちゃんたちがたくさん、凛々しく兵士役を務めていたのがまたよかったです。
そして幼い皇子たちが土蜘蛛の村へお忍びで冒険に出かける回想シーンへ。からんちゃんは本当にいつもなんでも上手いなあ。
ここで、「土蜘蛛」とされるいわゆる蛮族が、話に聞かされていたような獣みたいな蛮人でもなんでもなくて、自分たちと何も変わらない普通の人々であることに皇子たちが戸惑う様子、そしてそこで死んだ母親に守られた赤ん坊を拾ってくるくだりが描かれます。衣通姫伝説は一般的には同母妹に通じたとされる近親相姦の禁忌の物語ですが、今回の「妹」はもらわれっ子であり血のつながりはないとされているのでした。上手い。
歳の差もあってか、ここでの穴穂はまだまだ泣き虫なやや臆病な子供で、兄の木梨に涙が止まるおまじないなんてものをやってもらったりします。それがどこでどうして武芸に秀でる雄々しい青年になったのか、それは残念ながら語られることはありませんが、ともあれ月日は流れて、兄は戦場ですら美しい空を見上げ可憐に咲く花を見つめ歌を詠んでしまうような優しい青年になり、弟は知略に長けた豪放な勇者に育ったのでした。
しかし変わらず仲は良く、平らな世を創り民を安んじさせるために協力して働く、心優しい兄弟たちなのでした。
このふたりが、完全に好対照・正反対なのではなく、似ているところもたくさんある、本当に仲良しでお互いを認め合い想い合っている兄弟であることが素晴らしい。穴穂は病の父に替わりいつか木梨が王になる日が来たら、自分はそれを支えてより懸命に働こう、と誓っている清々しい青年なのです。そこには小さな嫉妬すらない。「♪君が王なら、僕は将軍」がふと脳裏をよぎりますが、もちろん彼らもそうだったのです…
そしてたまきちとちなつも、持ち味が完全に対照的、というのではないところがまたよかった。その上でキャラクターにニンが合致していたところがまた素晴らしかったと思います。
さて、「妹」の衣通姫は巫女として三輪山に暮らしていましたが、天皇の病気平癒祈願のために九年ぶりに宮に帰還します。歓迎の宴にさんざめく女官たちが愛らしい。早桃さつきはやっぱり可愛いな!
幼い頃は兄妹一緒になって真っ黒になって遊んでいたものでしたが、今や年頃を迎えて衣通は輝くばかりに美しく、その名のとおり美貌が衣を透けて見えるのでした。
みゆちゃん、上手いなー。
潔斎のために男性と口をきかない衣通はなおさら神秘的に見えて、兄弟たちの心をとどろかせます。宴の比べ舞では木梨が勝ち、イレギュラーの模擬武闘では穴穂が勝利を収めたのでした。
この模擬戦を提案したのは王家の参謀を務める渡来人の青(夏美よう)でしたが、王宮にはもうひとり博徳(輝月ゆうま。素晴らしい!)という渡来人がいて、王家の記録や文書を司り、また皇子や貴族の子弟たちに文字を教えているのでした。
実は今回私はハッチさんの演技がぴんと来ませんでした。允恭天皇の妃であり皇子たちの母親である大中津姫(琴音和葉。素晴らしい!)とワケありなわけですが、未練があるのか執着があるのか、王家乗っ取りを考えているのかなんなのか、どうにも腰が定まらなく見えました。典型的な悪役にしたくなかったという演出なのかもしれませんが、なんとなくぼんやりとしてしまったように見えたかなあ。
一方博徳は学究肌かつちょっと変わったおじさんで(笑)、でも生徒たちを愛し文字を愛し記録を愛し歴史を愛し物語を愛しています。木梨と穴穂はこっそり衣通を連れ出し、かつてともに学んだその館を久々に訪れます。
衣通は巫女の顔をやめると幼い頃のやんちゃなおてんばのまま、口はきけないながらも文字で楽しくやりとりし、兄弟たちはあっという間に会わなかった時間を埋めるのでした。
そしてこのくだりで、この作品のもうひとつのテーマでもある、記録とは何か、物語とは何か、ということが語られます。時の為政者に、また後の世に都合よく、わかりやすく改竄された「事実」を「歴史」として記すことに木梨は違和感を感じていて、そういったことよりももっと日々の暮らしや心の動きに根付いた想いみたいなものを残したい、と考えているのでした。穴穂はそんな感傷や甘さを認めつつも笑います。国のために必要なものはそういうことではないと考えているのでした。
兄妹の楽しいひとときは、衣通が宮を抜け出したことが露見して大中津姫に叱責されて終わります。天皇の病は篤く、衣通はその祈祷をしなければならないのでした。
天皇はすでに人伝でないと話もできない病状です。大中津姫はその言伝に女鹿(叶羽時)という女童を使いますが、女鹿が言う言葉は本当に天皇が発したものか、大中津姫が言わせたものかはかなり怪しい。大中津姫は病身の夫に代わってすでに政治を担っているのでした。
天皇の崩御も近いとされる今、日嗣の皇子を定める必要がありました。長子相続と厳格には決められていないこの時代、まずは穴穂が続く日照り対策として雨乞いの舞を踊り、太子としての神意を問うことになります。
だが雨は降りません。捕らわれていた蜘蛛族の子供ティコ(佳城葵)が生贄として捧げられるべく引き出されます。そこへ木梨が雨唄を歌って雨を降らせ、褒美としてティコをもらい受けるのでした。人々は木梨こそ日嗣の皇子にふさわしい、と考えるようになります。
懐かないティコに木梨は優しく語りかけ続けます。蜘蛛族にはどうやら美しいとか綺麗とかいった言葉がなく、でもそうした感覚や観念がないわけではないので、そんなところからふたりの話は通じ始め、木梨はティコを蜘蛛族の仲間の元へ逃がしてやろうとします。
その背中を射たのは穴穂でした。「まだ子供だ!」と木梨は叫びます。しかし子供はいずれ大人になり、大和の敵になるのでした。穴穂は「兄上のそのお優しさは弱さです、罪です」としか言えないのでした。
宮中の不穏さが巫女の心をもさざめかせるのでしょう、衣通は火の夢を見て飛び起きます。幼い頃、火に巻かれ母親に庇われ、そして皇子たちに拾われた赤ん坊の頃の記憶が、今もどこかに残るのでしょう、時折こうした夢を見るのでした。
侍女の蜻蛉(夏月都。素晴らしい!)も下がらせた夜更け、寝所に現われる影がありました。木梨でした。
「ここへ来てはなりません」そう言う衣通はすでに禁を破っているのでした。木梨はただ泣く場所を探していただけで、それ以上の何かはなかったのかもしれません。
でも来てしまった。会ってしまった。去り際に、一度だけ木梨は衣通を後ろからかき抱き、そして闇に消えていくのでした。
本当を言えば、この場面までにもうひとつ、兄妹たちの間に、かつての兄妹としての情が蘇る以上に男女として意識し出した瞬間、恋に落ちたことを示す端的なエピソードが欲しかったかもしれません。木梨が衣通の寝所に現われたこと、衣通が木梨に話しかけたことが唐突に思えなくもありませんでした。
でも、このせつない、ギリギリのやりとりが、彼らの恋の最後の一押しをしたことは確かです。ここで恋は確かに始まってしまったのでした。
そして青が動きます。彼は穴穂の父親だったから。穴穂に次の王になってもらいたかったから。そうして自分の血の者に大和を与えたかったから。それが故国を追われ大和に間借りする彼の、人生に対するある種の復讐だったから。
青は穴穂に自分が父親であることを告げ、王位を奪えとそそのかします。穴穂にとっては受け入れ難いことです。自分が天皇の血を引いていないのなら、なおさら天皇になどなれないからです。だが…
だが。ここからがすごかった。
私は道が別れ始めてしまった兄弟とヒロインがせつなく歌って一幕終わり、なんてのも綺麗だな、とか頭の隅で考えて観ていたのですが、どうしてどうしてそこからの怒涛の展開がすごかった。思うにこの作品の評価が高いのはこの一幕最終場、第9場Bの素晴らしさが大きいと思います。
木梨が「妹」であり巫女であり神の妻である衣通と通じたとして青が告発し、木梨は縄打たれ衣通は倒れ伏します。木梨はそんな事実はないと抗弁しますが、穴穂が青の告発を支持し証言します。青が虚偽の告発をしたとなると罪に問われるわけで、穴穂は息子としてそれを見過ごせないのでした。そして彼もまた衣通に心を寄せていたので、ふたりの交情が認めがたかったのでしょう。ここで彼はダークサイドに落ちたのです。ホゲ化です。
木梨は謹慎、衣通は巫女の座を降ろされ流刑と定められると、木梨は叫ぶのでした。
「私が、強いたのです」
全私が萌え悲鳴を上げました!!! 木梨は続けて言い募ります。「私が強いたのです、嫌がる姫に私が無理やり強いたのです」と。衣通を庇い、自分が罪を被るために彼は言葉を弄し、そうして判決は覆って、伊予に遠流となったのは彼の方でした。
蜘蛛族が跋扈する伊予に流され、ボロボロになる木梨。そして遠飛鳥宮では天皇がついに崩御し、穴穂が王位を継ぐことになるのでした…
第一幕「花の章」、幕。
第二幕「月の章」は伊予のたたら場から。
ここでのたまちきはややモサく見えてしまって残念でした。こういう格好が、ワイルドながらもスマートで素敵に見せる技術はまだないんだよね。そんなところも愛しいのですが。
それはともかく、あれから数年の月日がたっているようで、木梨は大王を名乗り蜘蛛族を率いて大和と戦うようになっているのでした。
これは残念ながら唐突でしたね。徐々に説明されるのですが、伊予に流されてきた当初は、木梨は蜘蛛族に農耕を教えたりして平和に暮らしていたようです。それがどこかで転機を迎え、今は目的にためには手段を選ばない戦士になっており、悲しみを憎しみに変えて戦うことを仲間に強要する冷酷な首領になっています。
その転機がなんだったのかは、描く必要がありました。おそらくは僻地で平和に暮らそうとしていたのに勢力を広げる大和が何かと侵攻してくるのに耐えかねて、とか、仲間に立ち上がり戦い率いてくれるよう頼まれて、とか、何か事情があったはずなのです。
そこに、鳥に託して変わらず手紙をくれていた衣通が穴穂の妻になったという知らせのショックもあって、何かが木梨を変えてしまったのだとは類推されるのですが、そこは明らかにしておかないと、ただのフラれた逆恨み、謎の豹変に見えてしまってはダメだと思うのですよね。これは珠に瑕でした。
衣通の出自は完全に秘せられているというよりは、ある種の公然の秘密にもなっていたように私には感じられました。だから木梨も近親相姦を問題視されたのではなく、神職にある者に通じた罪を問われていたように見えました。
巫女の位を降りた衣通はだから、人の妻となることにもはやなんの障りもなく、相手が「兄」の穴穂でも問題はなかったのでしょう。まして穴穂は今や大和の大王です。彼が望めばそれは誰にも止められないのでした。
しかし夫婦となって数年がたってはいても、衣通の口から穴穂への愛の言葉が発せられることはないのでした。
このあたりは、個人的にはもう一押しねちねちやってほしかったけれどなー。穴穂は衣通を抱きながらも愛されていないことにもっと悔しがってもいいと思うんですよねー。ホゲなら婚約中とはいえやるこたやってたと思うんだよなー。穴穂が本当に衣通を愛していたのか、どこをどうどんなふうに愛していたのかが見えなかったのは、三角関係ラブロマンスとして残念な点だったかもしれません。
でももしかしたらこの時点ではもうすでに穴穂の心は衣通からはやや離れ気味だったのかもしれません。心のない空蝉を抱き続けても空しいだけですし、愛情の返りがないものを愛し続けるのは難しいことだからです。
それに彼は天皇として王道を歩み始めていました。ダークサイドに陥って兄を売り王位を簒奪したのは過去のことだったのです。
今、ダークサイドに陥っているのは、むしろ木梨の方なのでした。
兄弟たちの戦争を止めるために、大中津姫は衣通が宮から脱出するのを手助けします。衣通にならふたりの争いを止められるかもしれないから。今まで穴穂の妻として王家に仕える日々を耐え忍んできた衣通を、真に愛する相手の元へ行かせてやりたかったから。
大中津姫は夫に代わり国の安泰を図った冷徹な政治家として生きた一方で、確かに衣通の「母親」でもあったのでした。息子たちの、そして娘の幸せを願って、彼女は衣通を旅立たせたのでした。泣かせました。
伊予の地で、木梨と衣通は再会を果たします。蜘蛛族の面々はそれぞれ複雑な心境でそれを見守ります。衣通は輝くばかりに美しく、敵でありスパイかもしれないと疑いながらも人々は惹かれずにはいられないのでした。
パロ(晴音アキ)のキャラクターには実は私はあまり萌えないのですよ。それこそスジニも広い意味ではこの系統に属するキャラクターかもしれませんが、少年のような少女で、大人の女になりかけていて、もう子供ではないからみんなと一緒に戦うと言い張り、一方で女として首領の木梨を愛している、そんな役どころ。当然、衣通に敵愾心を剥き出しにします。
それがあってもなくても、木梨はもう衣通ときちんと目を合わせようとはしません。話もしない。和平を願う衣通の言葉は宙に浮くばかりです。
宴の席で、剣舞の振りをして衣通に斬りかかろうとするパロを木梨は止め、そのまま衣通に強引に口付けして見せ、彼女は自分の妻であり敵の情報を持ってきてくれたのだと周囲に宣言します。その口付けの冷たさ、空しさに衣通は涙するしかないのでした。
ホゲだわ! このせつなさ、上手いよねえ!! 感心したし、感動しました。
星降る丘で、衣通は今一度、戦いを思いとどまるよう木梨に頼みます。「この哀れな土蜘蛛の願いをお聞き届けください」と頭を下げ、声を振り絞ります。恋心にも、兄妹愛にも訴えられないとわかった今、彼女ができることはただ身を低くして請うことだけだったのでした。
でも、木梨がそれに応えることはありませんでした。「俺はもう後戻りできないんだ」なのです。悲しい、上手い。
木梨は衣通にパロをつけて逃がそうとします。そして戦争は始まってしまうのでした。
躍動感あるアクションシーンは素晴らしかったです。装置の使い方も秀逸。
衣通がパロを庇ってせめて傷を追うくだりは見せてもよかったかもしれません。残念ながらその場面はなく、負傷したパロが木梨に衣通の死を告げ、その腕の中で息を引き取ります。
蜘蛛族の戦士たちはみな散り散りに倒れ、残るは木梨ただひとりになっていました。木梨は穴穂に斬りかかりますが、穴穂の方が剣の腕は上です。何より、木梨はただ死に場所を求めて戦っていただけなので、穴穂に勝てるはずもないのでした。
穴穂の剣が木梨を貫き、木梨は穴穂の腕に抱かれます。穴穂は泣いています。だから木梨は、弟に涙を止めるおまじないをしてあげようとして指を上げ、そして力尽きるのでした…
戦場となった浜辺の血を洗うように雨が降り、穴穂は大和の大王として土蜘蛛を平定し、宮へ帰ります。
傍らには博徳がいます。かつて日嗣の皇子に穴穂を押した青と違って、博徳はどちらかと言えば木梨贔屓でした。それでも彼は穴穂の政府にとどまって働いているのでした。皮肉ではなく、穴穂を支え、穴穂が作る新しい国を見守るために、見届けるために。
このこともまた、穴穂がもはやダークサイドにいることはなく、王道を歩んでいることの証でしょう。こういうところもとても上手いし、いいなと思いました。
ただ、このあとの、穴穂が指示した「物語」はやや中途半端だったかもしれません。主旨としては、これまで事実の都合のいい改変や歴史記載をしてきた穴穂が、唯一の例外として、木梨と衣通の「物語」を認めた、ということだと思うのだけれど、これがまた現政府に都合のいい嘘のようにも見える部分があると思うのですよね…
ともあれ、穴穂は王として現世を生き(そしてやがて政変により暗殺される運命にあるのだけれど)、木梨と衣通はどこか遠くの美しい海で、再会し結ばれるのでした。
ああ、私は穴穂の側女になりたいと思いましたよ。愛に殉じて死ねた者はある意味で幸せです。ひとりこの世に残されて生きていかなければならない身こそつらい。それを支えてあげたいわ、支えてあげるキャラクターがいたらなあ、とかついつい考えてしまうのでした。衣通の次でいいのよ、最後の女になれればいいの。穴穂がどんなに王道を歩む今は心正しき王者でも、そういうこととは別に絶対にひとりはさびしくて、誰かがいてあげてほしいと思うのですよ…
そんな、美しく悲しくせつない、いいドラマ、いい物語でした。
いいものを、観ました。
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