日生劇場、2021年2月25日17時。
帝政時代のロシア、忘れられたような寒村のアナテフカ。村の片隅にはユダヤ人たちが住む集落がある。テヴィエ(市村正親)は酪農業を営むお人好しの働き者。信心深くて、楽天家で、五人の娘たちを可愛がり、25年連れ添っている妻のゴールデ(鳳蘭)には頭が上がらない。貧しいながらも幸せな家族だった。娘たちのうち上の三人、長女ツァイテル(凰稀かなめ)、次女ホーデル(唯月ふうか)、三女チャヴァ(屋比久知奈)の最大の関心事は、結婚。今日も仲人婆さんの異名を取るイエンテ(荒井洸子)が縁談を持ってきて、娘たちは気もそぞろ…
台本/ジョセフ・スタイン、音楽/ジェリー・ボック、作詞/シェルドン・ハーニック、オリジナルプロダクション演出・振付/ジェローム・ロビンス、翻訳/倉橋健、訳詞/滝弘太郎、若谷和子、日本版演出/寺崎秀臣、共同演出/鈴木ひがし、日本版振付/真島茂樹。1964年ブロードウェイ初演、67年日本初演。市村テヴィエは04年、鳳ゴールデは09年からの登板。17年の公演から一部キャストを変更しての上演。全2幕。
20年ぶり二度目の観劇でした。前回の感想はこちら。
細かいところをいい感じに忘れていたので、楽しく観られました。ロシアと聞けば最近だと『アナスタシア』、ユダヤ人と聞けば『Oslo』ですが、そりゃこうやって何度も故郷を追われればついにはあそこに帰ってイスラエルも建国しちゃうよなと思うし、追い出した側も革命が起きれば今度はロシア人同士で追い出したり出されたりされるんだから…と悲しくなったりしました。
この小さな島国で比較的のんきに過ごしてきた我々日本人にとって、こういう、異教徒や異民族との軋轢とか、それでも育まれる友情や愛情とか、それでも降りかかる理不尽とそれでも神を信仰すること…なんかを真の意味で理解することはなかなかできないことなのかもしれません。でも、家族の細やかな愛情とか、隣人とのつきあいとか、普遍的にわかることもたくさんあります。わりと出演者の多い舞台で、それでもそれで村民の全部が描けてしまうような小さな集落のつましい物語で、とても民族色豊かに演出されていると思いますが、遠いエキゾチシズムだとも思わないし、単なる他人事のようだとも思えない、とても豊かで愛らしくいじらしい作品だと思いました。背景が半円に切り取られていて、そこにいつも大空が写されていて、最後にその半円が取り払われて寄る辺ない感じになるのがなんともせつなかったです。あの半円は、そこだけは神様に守られている小さな世界、というイメージを作り出していたんですねえ。
彼らの暮らしは確かに前時代的な、古臭い家父長制の、窮屈なものに一見思えます。でも結果的にテヴィエは娘たちがしきたりどおりの結婚をしないことを認めるし、日々の暮らしを支える古臭いしきたりなるものの根底にあるものはつまりは愛情や知恵といったあたたかで優しいものなのだ、ということがよくわかる物語です。たとえ人生なるものが屋根の上でヴァイオリンを弾くがごとく危なっかしいものであっても、上手くバランスを取って、楽しみながら、続けるしかない。それが人間の営みで、人々はそうして生きてきたし生きていくのだ…諦念とも希望ともつかない、ただ淡々としたラストが、しみじみとせつなく、沁みました。
最後にテヴィエに呼ばれるヴァイオリン弾き(日比野啓一)はずっと、私はイマジナリー・キャラクターみたいなものなのかしらと思っていたので、あっ見える設定なんだ?とか驚いちゃったのですが、むしろ家や土地に憑く座敷童みたいなもので、人々が家や土地を捨てて去るのだから人について来いよ、とテヴィエが呼んだのかな、とか思いました。そしてヴァイオリン弾きが憑いていてくれるなら、彼らはきっと大丈夫なんだと思えたのです。ポーランドも、シベリアも、アメリカも、遠い。けれど、きっと、大丈夫。そんな、美しい物語だと思いました。
休憩込み3時間半の尺のわりにナンバー数はそんなには多くないミュージカルで、でも1曲1曲が、大曲というよりは単に長い、というのはあるかな。でも巻いて短くコンパクトにすればいい、というものでもないんだろうな、とも思います。飽きて退屈した、ということは少なくとも私はなかったです。
ヒロインとしてはツァイテルよりホーデルなのかもしれませんね。唯月ふうか、私は初めて観ましたが、9代目ピーターパンとのこと。前回はチャヴァだったんだそうな(そしてそのときのホーデルは神田沙也加だったとのこと…みみみ観たかった! 好きなんだ!!)、そういうのもいいですよね。すごく声が良くて、もっと別のミュージカルも観てみたいと思いました。
一応お目当てとしてはツァイテルのテルだったのですが、まあ背が高くて顔が小さくて、こんなすらりんとした田舎娘あるかい!とは思いましたね。でもとても上手く、おとなしいけど意外と頑固な長女、をいじらしく演じていました。
市村テヴィエは、過剰に頑固親父だったり愚痴っぽかったりするところもなく、フツーのおじさんで、そこがよかったです。鳳蘭も、別に歌はあいかわらずなんか変な声なんだけれど、いい感じの肝っ玉母さんでチャーミングでした。でもこのあたりも、もっと若い役者がやってもいいのでは、とは思ったかなあ…せいぜい四十絡みの年齢設定なんじゃないのかなあ? ま、今の四十よりは老けて作る必要はあるかと思いますけれどね。
かつては現代の観客には、こんなふうに「これが今生の別れかもしれない」と思って離れていく家族、というものはちょっとピンと来づらかったかと思いますが、コロナ禍の今、感染して病院に入ってそのまま亡くなりでもしたら十分ありえることなので、そうしたこともリアルに感じられて、より沁みる、今観られるべき作品のひとつになっているのかなと思いました。愛知、川越公演もどうかご安全に…
帝政時代のロシア、忘れられたような寒村のアナテフカ。村の片隅にはユダヤ人たちが住む集落がある。テヴィエ(市村正親)は酪農業を営むお人好しの働き者。信心深くて、楽天家で、五人の娘たちを可愛がり、25年連れ添っている妻のゴールデ(鳳蘭)には頭が上がらない。貧しいながらも幸せな家族だった。娘たちのうち上の三人、長女ツァイテル(凰稀かなめ)、次女ホーデル(唯月ふうか)、三女チャヴァ(屋比久知奈)の最大の関心事は、結婚。今日も仲人婆さんの異名を取るイエンテ(荒井洸子)が縁談を持ってきて、娘たちは気もそぞろ…
台本/ジョセフ・スタイン、音楽/ジェリー・ボック、作詞/シェルドン・ハーニック、オリジナルプロダクション演出・振付/ジェローム・ロビンス、翻訳/倉橋健、訳詞/滝弘太郎、若谷和子、日本版演出/寺崎秀臣、共同演出/鈴木ひがし、日本版振付/真島茂樹。1964年ブロードウェイ初演、67年日本初演。市村テヴィエは04年、鳳ゴールデは09年からの登板。17年の公演から一部キャストを変更しての上演。全2幕。
20年ぶり二度目の観劇でした。前回の感想はこちら。
細かいところをいい感じに忘れていたので、楽しく観られました。ロシアと聞けば最近だと『アナスタシア』、ユダヤ人と聞けば『Oslo』ですが、そりゃこうやって何度も故郷を追われればついにはあそこに帰ってイスラエルも建国しちゃうよなと思うし、追い出した側も革命が起きれば今度はロシア人同士で追い出したり出されたりされるんだから…と悲しくなったりしました。
この小さな島国で比較的のんきに過ごしてきた我々日本人にとって、こういう、異教徒や異民族との軋轢とか、それでも育まれる友情や愛情とか、それでも降りかかる理不尽とそれでも神を信仰すること…なんかを真の意味で理解することはなかなかできないことなのかもしれません。でも、家族の細やかな愛情とか、隣人とのつきあいとか、普遍的にわかることもたくさんあります。わりと出演者の多い舞台で、それでもそれで村民の全部が描けてしまうような小さな集落のつましい物語で、とても民族色豊かに演出されていると思いますが、遠いエキゾチシズムだとも思わないし、単なる他人事のようだとも思えない、とても豊かで愛らしくいじらしい作品だと思いました。背景が半円に切り取られていて、そこにいつも大空が写されていて、最後にその半円が取り払われて寄る辺ない感じになるのがなんともせつなかったです。あの半円は、そこだけは神様に守られている小さな世界、というイメージを作り出していたんですねえ。
彼らの暮らしは確かに前時代的な、古臭い家父長制の、窮屈なものに一見思えます。でも結果的にテヴィエは娘たちがしきたりどおりの結婚をしないことを認めるし、日々の暮らしを支える古臭いしきたりなるものの根底にあるものはつまりは愛情や知恵といったあたたかで優しいものなのだ、ということがよくわかる物語です。たとえ人生なるものが屋根の上でヴァイオリンを弾くがごとく危なっかしいものであっても、上手くバランスを取って、楽しみながら、続けるしかない。それが人間の営みで、人々はそうして生きてきたし生きていくのだ…諦念とも希望ともつかない、ただ淡々としたラストが、しみじみとせつなく、沁みました。
最後にテヴィエに呼ばれるヴァイオリン弾き(日比野啓一)はずっと、私はイマジナリー・キャラクターみたいなものなのかしらと思っていたので、あっ見える設定なんだ?とか驚いちゃったのですが、むしろ家や土地に憑く座敷童みたいなもので、人々が家や土地を捨てて去るのだから人について来いよ、とテヴィエが呼んだのかな、とか思いました。そしてヴァイオリン弾きが憑いていてくれるなら、彼らはきっと大丈夫なんだと思えたのです。ポーランドも、シベリアも、アメリカも、遠い。けれど、きっと、大丈夫。そんな、美しい物語だと思いました。
休憩込み3時間半の尺のわりにナンバー数はそんなには多くないミュージカルで、でも1曲1曲が、大曲というよりは単に長い、というのはあるかな。でも巻いて短くコンパクトにすればいい、というものでもないんだろうな、とも思います。飽きて退屈した、ということは少なくとも私はなかったです。
ヒロインとしてはツァイテルよりホーデルなのかもしれませんね。唯月ふうか、私は初めて観ましたが、9代目ピーターパンとのこと。前回はチャヴァだったんだそうな(そしてそのときのホーデルは神田沙也加だったとのこと…みみみ観たかった! 好きなんだ!!)、そういうのもいいですよね。すごく声が良くて、もっと別のミュージカルも観てみたいと思いました。
一応お目当てとしてはツァイテルのテルだったのですが、まあ背が高くて顔が小さくて、こんなすらりんとした田舎娘あるかい!とは思いましたね。でもとても上手く、おとなしいけど意外と頑固な長女、をいじらしく演じていました。
市村テヴィエは、過剰に頑固親父だったり愚痴っぽかったりするところもなく、フツーのおじさんで、そこがよかったです。鳳蘭も、別に歌はあいかわらずなんか変な声なんだけれど、いい感じの肝っ玉母さんでチャーミングでした。でもこのあたりも、もっと若い役者がやってもいいのでは、とは思ったかなあ…せいぜい四十絡みの年齢設定なんじゃないのかなあ? ま、今の四十よりは老けて作る必要はあるかと思いますけれどね。
かつては現代の観客には、こんなふうに「これが今生の別れかもしれない」と思って離れていく家族、というものはちょっとピンと来づらかったかと思いますが、コロナ禍の今、感染して病院に入ってそのまま亡くなりでもしたら十分ありえることなので、そうしたこともリアルに感じられて、より沁みる、今観られるべき作品のひとつになっているのかなと思いました。愛知、川越公演もどうかご安全に…
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