駒子の備忘録

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『屋根の上のヴァイオリン弾き』

2009年11月02日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 帝国劇場、2001年6月21日ソワレ。
 1905年、帝政ロシアの寒村、アナテフカ。ここで暮らすユダヤ人たちは、みな屋根の上のヴァイオリン弾きのようだ。落ちないように気を配りながら、愉快で素朴な調べをかき鳴らす。貧しい酪農家のテヴィエ(西田敏行)はお人好しで信心深い楽天家。5人の娘たちには目がなく、長年連れ添った女房のゴールデ(順みつき)には頭が上がらない。娘たちのうち長女ツァイテル(島田歌穂)、次女ホーデル(堀内敬子)、三女チャヴァ(小林さやか)はお年頃…
 オーソドックスながらもチャーミングな舞台でした。多少、地味ではありますが。
 圧政下で迫害される民族と、その中の家族愛というモチーフは『サウンドオブミュージック』なんかと一緒ですね。ユダヤ人の悲劇というのはどうしても我々日本人にはわかりづらいので、日本版では、いつの世にも共通の家族の絆を強調する演出になっているのかもしれません。西田テヴィエのキャラクターともあいまって、成功していると言えるでしょう。この役を900回あまりも演じた森繁久彌版を観ていないのですが、氏はやはり古風な家長を演じたようですね。西田テヴィエは現代的な小市民のお父さん、という感じで、親しみが持てました。
 台詞も歌詞も非常にこなれた日本語になっていることが印象的でした(翻訳者は去年5月逝去。合掌)。というか、台詞が短い。理屈っぽく長々した台詞は全然なくて、短い掛け合いと身振り手振りで情感を表現するような、本当に市井の人々の素朴な暮らしを表現したもので、観やすくわかりやすかったです。歌もよくって、あの「SUNRISE SUNSET」がこの舞台のナンバーだったなんて知りませんでした。
 三人娘は今公演から一新したキャストですが、すべて芸風がちがうのがおもしろかったです。親が決めた縁談よりもさえない幼なじみとの愛を選ぼうとする物静かでおとなしやかな長女と、革新的な思想を持つ学生との愛に目覚めていくしっかり者でちょっとはねっかえりな次女とは、キャストを交換してもおもしろかったかもしれません。
 どうしても島田歌穂には『レ・ミゼラブル』のエポニーヌのイメージが、堀内敬子には『美女と野獣』のベルのイメージがあるので。
 島田歌穂が、演技のうちなんだろうけれど、愛らしく可憐に声を作っているのが、いかにも若作りに見えたもので…でも「すてきな人をみつけてね(MATCHMAKER,MATCHMAKER)」のこの人のパートはえらく難しくてやはりこの人にしか歌えなさそうだったし、逆に「愛する我が家をはなれて(FAR FROM THE HOME I LOVE)」はやはり堀内敬子のソプラノでこそ、という気もするし…
 歌と言えば、順みつきはつらかったなー。台詞の声は実にいいのに、歌が女声になっていないんでしょうか。宝塚歌劇団ではもちろん男役でしたが、初代スカーレットでもあったんですがねえ。
 観劇した回は偶然にも西田テヴィエ250回記念公演でした。物語の中でお言葉をせがまれた司祭さまが「アーメン」とだけ言って村人がずっこける、というくだりがあったのですが、挨拶をと言われて西田敏行が「アーメン」とだけ言ったのはおかしかったです。一応そのあと普通のコメントも言いましたが。
 ただ、ひとつだけ。カーテンコールで、右手の人差し指を高く掲げて天を見詰めるテヴィエが現れるのですが、ここで笑いが起きました。私はここは笑うところではないのではないかと思ったのです。これは彼が「ねえ、神様」と愚痴を言うときのポーズなので、いじましいやら微笑ましいやらというしぐさではあるのですが、物語の幕切れは彼らがロシア政府の命令で故郷の村を追い払われるというものでした。それでも、どこに行っても神様は見ていてくださる、どこへ行ってもそこでまた屋根の上のヴァイオリン弾きのような暮らしを続けるさ、ということなのでしょう。選ばれた民であるからこそ迫害される、と考えているのでしょうが、そういう信仰って本当に厳しいものだと思うのです。こういうユダヤの神は日本人にはやはりぴんと来ないのでしょうが、あの悲痛な敬謙さを理解せずに笑ってしまうというのは、どうなのかなあと思ったのでした。
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