駒子の備忘録

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『太王四神記』~韓流侃々諤々リターンズ25

2021年02月24日 | 日記
『太王四神記』~韓流侃々諤々リターンズ25

 2007年MBC、全24話。

 私は2001年の『冬ソナ』再放送で韓流にハマり、以後十年にわたり主にドラマと映画を見てソウルに旅行しまくっていました。このドラマに関してもペ・ヨンジュンの当時の最新作ということで見ていました。そして宝塚観劇に関しても、2001年が最も観ていない年だった記憶です。月全ツ『ダル湖』を生で観ていない話はしましたが、大空さんの月組ラスト作の『ハリラバ』も見ていないし、花組に異動して最初の本公演『愛と死のアラビア』に至っては「おもしろそうな気がしない」という理由でハナからチケットを取らなかった記憶があります。この作品に関しては正解で、のちにスカステで見たとき「いつおもしろくなるんだろう…」と思いながら見て、オチに「えっ、これで終わり!?」と驚愕した記憶がある、世紀の駄作だと断じています。さてしかし、なので『太王四神記』が宝塚歌劇化されるんだって!となったときには「えっ、花組!? ってことはホゲが大空さんってこと!? それは観なくては!! この私が観ずしてなんとする!!!」となりましたね。
 韓ドラの基本構造は男女ふたりずつの計4人の愛憎ドラマだと私はこれまた勝手に断じているのですが、たいていヒロインにフラれる形になる第二男性キャラクターのポジションが私は大好物で、この作品に関しても当然そうだったからです。私はヨンヨン(「ヨン様」なんて恥ずかしくて呼べずに、私はペ・ヨンジュンをこう呼んでいました。私の韓流ブログの初期タイトルは「トモトモのヨンヨン日記」でした…)ファンだったのですが、彼の顔はやはり眼鏡あってのものだなとこのドラマでは感じましたし、ホゲ役のムン・テヨンが別のドラマでもわりと好きだったんですよね。ホゲに扮するにはちょっと線が細かったかな、とは今でも思いますけれどね。
 で、それでも大劇場遠征まではせず、東京で友会で当てた2階前方どセンター席でまず観て、イケコの換骨奪胎&翻案の上手さに唸り、ラストにクレーンに乗った主役ふたりがウンウン近づいてきたのに感動し、フィナーレの大空さんの扱いにも感動して、すぐさまリピートを決めたのでした。当時は観劇帰りにチケットカウンターに寄れば翌日や翌週のチケットが席を選びながらその場ですぐ買えるようなありさまだったのです…で、萌え萌えで浸っているうちに大空さんとスミカの組替え&宙組次期トップコンビ就任が発表され(朝刊でその記事を見つけたときの衝撃を今もはっきりと覚えています…当時はまだそんなにネット環境が良くなかったかと)、博多座遠征に出向いて(それでもまだ初日ではなかった…)おそるおそるスタッフさんに声をかけて入会案内をもらい、そして『カサブランカ』初日から、私の宝塚ファン第二期は始まったといっていいかと思っているのですが、とにかくそんなワケでそのきっかけになったのがこの作品だったのでした。
 なのでこの作品を見直すのは老後の楽しみに取っておく、ぐらいの気持ちだったのですが、つい手を出してしまいました…ら、なんと、12枚組の7枚目、13&14話収録のディスクがケースになかったという衝撃よ…! もう十年触っていなかったと思うんですよね。当時韓ドラ仲間と貸し借りを頻繁にしていましたし、誰に最後に貸したかなんて当然覚えていません。こういうボックスでなくとも、いちいちケース開けて中身があるかなんて確認しないじゃないですかフツー…しかも最後の一枚をデッキのトレーに忘れた、とかならわかりますよ、でもなんでこんな真ん中の一枚なの? 順番に見ていったらそんなことあるわけなくなくなくない!? こんなのもう絶対に回収できませんよね、そしてもう絶対に販売していませんよねこういうのって…はー、ショック…仕方ないので、もちろんそこは飛ばして見ました。一応類推はできていますが、重要なエピソードがあったんだったら、すみません…

 さて、主人公は、四世紀ごろの高句麗の王様、広開土王とも呼ばれる人だそうです。日本でいうと神武天皇みたいなものなのかな? 一応実在したとされているけれど、神話の人物と半々、みたいな。他国との戦争の記録みたいなものは残っているんだけれど、日常的なエピソードに関してはそれこそ「剣と魔法」の世界みたいなものばかり、みたいな。この王様に四神を添えたのは、このドラマのオリジナルのアイディアなのでしょうか、それともそこまでは定番なのでしょうか? くわしくなくてすみません。
 ドラマによれば、あるとき天が神の子ファヌンを遣わされ、地上にチュシンという国を築いたそうな。けれど虎族と熊族が争い続けていたので、ファヌンは虎族で火を操る女王カジンからその霊力を奪い、平和を愛する熊族の娘セオに与えます。さらにファヌンとセオの間には息子も生まれて、カジンは激怒する…そりゃそうやろ、って気しかしませんね。取り上げるだけにしておけばまだよかったのに、神様だろうと他の人に勝手に与えちゃダメだって…カジンはセオの子供を殺し、セオは怒りで暴走して地を焼き尽くし、ファヌンは天に帰ることにします。いつかまたチュシンの王が現れて、平和なチュシンの国を作るだろう、と言い残して。そして玄武、白虎、青龍、朱雀のよっつの神器も封印する…
 それから二千年経った、四世紀の高句麗。王には王妃もなく世継ぎの王子もなく、宮殿を出て山奥で暮らしている王弟と、国の最有力貴族ヨン・ガリョに嫁いだ王妹がいます。王の母親は現王である長男を産んだあと、しばらく敵国の人質に取られていたことがあって、帰国したときには次男を連れていました。敵国に赴いたときにはすでに身籠もっていたのだ、というのが先王と王妃の主張でしたが、敵の種ではという噂は絶えず、それでこの次男は宮廷や政治から離れて育ったのです。その下の長女は、帰国した王妃が王との間に産んだのか、王妃がいない間に王が別の妃に産ませた娘なのかは説明がありませんが、彼女は自分こそが正統な王族と誇り高く、次兄を認めていません。
 とある夜、チュシンの王が生まれるときに輝くというチュシンの星が夜空に煌々と輝き、天地神堂はチュシンの王の誕生を予言します。王弟の妻と王妹がともに臨月を迎えていました。チュシンの王として生まれた子供はアレコレと狙われるかもしれない、と案じた王弟の妻はひとり山奥に行って息子を産み落とし、その三日後に息を引き取りますが、夫に言ってその日を息子の誕生日として届けさせました。これが主人公、タムドクです。一方、王妹のお産は長引き、チュシンの星が消えようとする頃に息子を産みました。これがヨン・ホゲです。王妹もその夫ヨン・ガリョも、我が息子こそが次の王でありチュシンの王だ、と意気込みます。
 タムドクは父親とともに山の庵でひっそりと暮らしていましたが、王が今際の際に弟と甥を宮廷に呼び寄せ、弟に王位を譲って崩御します。怒り狂うヨン家。新王は息子タムドクに、ますますひっそり生きるよう、ひ弱な王子と周りからは思われるようふるまえ、と諭します。タムドクはこっそり、ごく身近なコ・ウチュン将軍相手に武芸の鍛錬をしたり、学業も進めていますが、なるべく人前には出ないようにして王宮の奥でひっそりと暮らします。でも、従兄弟のヨン・ホゲとは実は仲良しです。ホゲは両親や周りの期待をきちんと理解し、その上で驕ることなく勉学も納め武勇に優れた、気持ちのいい少年に育っていたのでした。
 ヒロインのキハは、天地神堂の見習い巫女で、タムドクともホゲとも面識ができて、それぞれが彼女に恋心を抱くようになります。彼女はタムドクとは言葉を交わす機会があり、一方ホゲとはお互い目を見交わすことがある程度だったので、それが差となってしまったのかもしれません。しかし彼女の正体は、百済の貴族の娘で、朱雀の神器の守り主。そして、チュシンの王と守り主が出会ったときに目覚めるというよっつの神器を集めて、ファヌンの封印を解き、世界を我がものにできる神秘の力を手に入れる…という野望を二千年の間抱き続けた虎族の魔術師プルキルが作り上げた秘密結社・火天会に捕らわれて記憶を消され、肩に烙印を押され精神的に支配され、王家の様子を探るために潜入させられたスパイなのでした。プルキルはヨン・ホゲを傀儡の王にして神器を集めようと画策し、キハに「ヨン・ホゲこそチュシンの王」という託宣をさせます。朱雀の守り主のお墨付きを得て俄然盛り上がるヨン家…だがそれは、プルキルがキハを操ってさせた偽りのお告げなのでした。
 キハには妹がいて、これが第二女性キャラクターになります。キハが火天会にさらわれる直前に隠して逃がした赤ん坊で、朱雀の神器を探しに訪れたコムル村の村民に拾われ、スジニと名付けられて育ちます。コムル村はいつかチュシンの王が現れたときに仕えようと修行?している修験者?集団の隠れ里で、玄武の神器を守っています。スジニはのちに村長になり玄武の守り主となるヒョンゴを師匠と慕いながらも、お酒と博打が大好きなやんちゃで活発な少女に成長します。王太子となったタムドクが宮殿を抜け出して下町をうろつくうちに彼女に出会い…というようなロマンスも展開されます。
 この構造で物語は進んでいくのですが、いろいろな立場のいろいろな思惑を持つキャラクターたちの行動が交錯するので、「そこでこの人がこう動くの、変では?」「その情報をこの人がこの時点で知ってるのは、何故?」みたいな箇所がいくつかあったものの、基本的にはよくできていて、上手く流れているドラマだと思います…22話までは。で、ラスト2話に崩壊する。
 韓ドラでは脚本の上がりが遅くて撮影が押して大変だ、みたいなエピソードには事欠かないのですが、この作品に関してはそういう問題よりも、ペ・ヨンジュンがアクションシーンで負傷して撮影が本当に大変になって…というようなことがあったようなので、そのせいかもしれません。でも、通して見ると、四神に関わる、いわゆるオタクっぽいところにあまり萌えやこだわりが見られない脚本だなと思うんですよね。玄武、白虎…だなんて四神はラノベ以前の、オタク必須のファンタジー教養かなという気がしますが、そこがだいぶとってつけたようなものになっている気がしますし、だからラストに収拾がつかなくなっている気がしました。そもそも四神と虎族・熊族の争いってどう絡むんだって気がしますし、神様相手にふたりの女、それが朱雀と黒朱雀って、他の三神の出番ないじゃん、みたいな。あと神器と守り主の関係もよくわからないし、神器や守り主に何ができて何ができないのかもきちんと設定されている感じがしません。しかも二千年前はカジンがフラれてセオが身籠もったのを、今度はキハが身籠もるのでそれはよかったねという感じなんだけれど、タムドクはやっぱり後半はスジニに惹かれてしまうので、キハ=カジンがかわいそうなままで物語として整合性が取れないんです。
 中盤も、どちらかというと闇落ちしてタムドクのライバルになるのはホゲではなくむしろキハです。タムドクと一夜をともにして身籠もったものの、その後いろいろあって、スジニと笑い合い酒を飲むタムドクを見てキハは嫉妬でキレてしまう。ホゲはそれにつきあわされるような形になっているんですね。だからラスト、ホゲが戦死しても物語は終わらない。キハはプルキルの手から子供を救おうとして暴走し、子供はスジニが抱きかかえて守るけれど、キハの暴走は止まらず、タムドクがその光に飲み込まれるような描写があって…で、あとはタムドクこと広開土王の略年表が語られて、完。なんじゃそら、ってなりますよ。
 だからこれをああまとめたイケコってマジ天才、と思います。
 あと、ムン・ソリってこういうドラマのこういうヒロインをやるようなタイプの女優さんじゃなくて、要するに美貌売りじゃないので、そこが萌えないのが見ていてつらいドラマだったんですが、宝塚歌劇ではトップ娘役が演じるんだからそりゃまごうことなき美しきヒロインぶりで、ありがとうアヤネ!って感じでした。
 宝塚歌劇版ではポロみたいな試合を武道会に変えて、戦闘はダンスで表現して、でもあとは基本的にはドラマどおりに展開しかつ非常に上手くまとめていてゴールさせていて、本当に見事だと思います。やっぱりちょっとパタパタしちゃってはいるので、ホントは5時間くらいのスーパー歌舞伎にするといいんじゃないの?とは思わなくもないですが、盆使いも鮮やかだし、珍しいくらいに歌詞がいい、楽曲もいい、お衣装も素敵な舞台でした。

 でも、それでも解決されていない問題があります。何故、ホゲがチュシンの王ではなかったのか、という問題です。
 玄武も青龍も白虎も、タムドク相手に目覚めます。朱雀も、キハがホゲに偽りの託宣をしただけで反応自体はタムドク相手にしている。つまりタムドクがチュシンの王なのでしょう。でも「♪私は生まれた同じ星のもとに」「♪教えてくれ、何故俺ではいけないのか」って、大空さんじゃなくても歌いたくなりますよ。チュシンの星が輝く夜に生まれたのはタムドクだけではなかったのに、何故ホゲではダメだったの? その理由がないと、納得できなくないですか?
 別になんでもいいと思うんですよ。ヨン・ガリョの妻がホゲを産み落としたときにはチュシンの星はもう光っていなかった、けれどヨン・ガリョが間に合ったと嘘を吐いたのだ、とでもすればいいだけのことだったと思うのです。真実を知らずに、ホゲは真面目に生きてきた。みんながホゲこそチュシンの王だと言い、王にと望んでくれるならやぶさかではない…と、勉学を積み鍛錬し戦勝もたくさん挙げて、正当に王になろうとした。
 なのに母親は息子を溺愛するあまりに、一刻も早く現王を片づけようとして毒殺騒ぎを起こして返り討ちに遭うし、父親は父親で今ひとつ息子を信じ切れてなくて卑怯にも裏からやたらと手を回そうとする。そうやってかえってホゲの邪魔をしたし、彼の誇りを傷つけたんですよね。それでも彼はきちんと手順を踏もうとしたし、従兄弟のことも好きで、よりふさわしい方、望まれる方が王位に就けばいいと本当に考えていたのです。母親が死に追い込まれていたことでタムドクを恨んだにしてもそれはある種の逆恨みだし、いつか誤解も解けたことでしょう。キハへの横恋慕は難しい問題ですが、それだってどこかであきらめがついたかもしれない。でも、そうしてフラットに対峙したときに、ふたりともがチュシンの星のもとに生まれた子供だったら、四神がみんなタムドクだけに反応する理由がないじゃないですか。タムドクの方が優しく賢く優れていた、なんてことはないと思います。でもそれじゃホゲだって退けないよ、負けを認められませんよ、でもそれじゃかわいそうじゃないですか。
 だから、どこかで、「自分はチュシンの星のもとに生まれたのではなかったんだ」と知らされて、ショックで、それでもここまできちゃったし「俺はもう後戻りできないんだ!」ってなるべきだったんじゃないの? それで死んでも、ホゲは納得できるじゃないですか。星に導かれていなかったからだって。仕方なかったんだ、天に逆らうなんて無理なことだったんだ、でもがんばったからいいよね、ってあきらめがついて、納得して、タムドクに託して幸せに死ねるじゃないですか。
 そのフォローがどこにもない。それが、ホゲファンかつ大空さんファンとして、実に無念です。
 それ以外は本当によくできてるんだけどなー。ドラマでは迷走の23話に8年か10年くらい経ってて(でも18歳が28歳になった程度のはずなのに、髭はともかく白髪出すってどうなんだ)、その間キハとホゲは一緒にいたようなので、仮にもそこではさすがにやるこたやってんだろとか思っちゃうんですが、それを宝塚歌劇版ではあの婚約式の場面に仕立てる手腕ね! 星組版ではテルのホゲがキハにチューしなかったときの衝撃ね!! いやー断然花組版派だったわー、でも中の人のニンを汲むイケコの手腕もマジすごい。
 タムドクがスジニを「これからも兄と妹のようでいてくれ」と言ってフるのはけっこうひどいんだけど(笑)、4番手格の男役スターがやっていたこともあったし、やはり主人公のラブはヒロイン一本の方がいいので、この改変もよかったと思いました。
 でも今回見直してみて、スミカがやっていたタルビが、舞台ではチームのただの料理人、マスコット、アイドルみたいなポジションだったのに、ドラマではちゃんとした兵站部長だったのには感心しました。やはりさすがですよ韓国…有能な女性キャラクターをきちんと描けるというのは大事なことです。その上でチュムチとのラブコメパートもあって、お見事でした。
 カクダン、チョク・ファン、イルスなんかもちゃんと舞台版にいるのが嬉しいよね。あとまりんさんのフッケ、ドラマに激似すぎ(笑)。逆にチョロはだいぶチョイ役になってしまっていましたが、これはドラマ版でも不完全燃焼なキャラクターなんですよね。でも実におもしろい存在でした。神器が覚醒したからといってタムドクに仕えるかどうかは別、彼の王としての器を見定めたい、とか言っちゃうクールなキャラがよかったし、ホントに無口で、美形で(今見ると橋本愛にしか見えない気もしますが…)、逸材でした。でも何故彼がずっとセオの夢を見ていたのか、とかの説明はないんですよね。それで彼がスジニに惹かれちゃうのはおもしろかったし、こっちの流れにしておけばタムドクもキハに戻れたのに…しかし青龍もまた熊族の人間だったということなのか? でも二千年前のエピソードのときにはカジンやセオといった朱雀の化身(?)は出てきても、玄武や青龍や白虎の化身というか人間は出てこないし名前もない。このあたりの整合性も実にザルで、オタクならこだわりそうなものなのにそういうこだわりがない脚本家が無理に、なんとなく書いてるやろ、ってのはもったいなかった気がします。
 ドラマとしては人気はあったのかな、視聴率はどうだったのかな…宝塚歌劇版も、当時の評価はどうだったかなあ、あまり記憶がありません。私自身は萌え萌えで騒いでいたし、韓ドラファンをたくさん同伴してみんな喜んで観てくれていたのですが。権利の関係か最近はスカステ放送も全然なく、もったいないです。だいもんとスミカの新公も以前映像で見ただけですが、とてもよかった記憶があります。歌は今でもわりと歌われているけど、そういう権利は大丈夫なのでしょうか? 「チュシンの星のもとに」「希望の瞳」「何故」とか、名曲揃いですよね。「炎の巫女」「偽りの愛」「その名はキハ」ももっと歌われてほしい…
 しかし尺たっぷりめのフィナーレがいいし、大空さんの歌唱指導ってのも今考えると沁みるし(これのみですよね、経験…?)玄武の男役群舞でひとり大階段を降りてくるなんてホント破格の扱いだと思います。いつの時点でトップ人事が決まったんだろう…そしてこんな上級生の2番手でまとぶんも大変だったろうけど、3番手のえりたんがいいガス抜きをしていたのか、ホントにいい感じではありましたよねこの頃の座組も…そして男役路線スターが腐るほどいる(笑)。でもここからめおちゃんがやめてみつるが抜けてまっつが組替えしてまぁ様もだいもんも組替えしてPがやめて…あきらはこのときはまだこうしたスターの数に入っていなかった印象だったけれど、それも今度やめて、今の花組の惨憺たるありさまが悲しいです。れいちゃゃんは上手く育てられてきたと思うんだけど、周りがスカスカじゃねえ…やはりみりおの弊害ということになるのかなあ、心配です。
 花娘も、じゅりあも一花もきらりも去って久しく…がんばれまどか!と祈るしかないのでした。カガリリ、こうららちゃん、そして何より音くりちゃんを上手く起用して、花園を復活させてほしいです。
 そしてこの公演もいつかまた再演されないかなあ、もったいないよなあ…と、いろいろ考えさせられた、楽しい鑑賞でした。




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