駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『マタ・ハリ』

2021年06月19日 | 観劇記/タイトルま行
 東京建物ブリリアホール、2021年6月17日18時半。

 1917年、パリ。3年前に始まった世界大戦に終結の兆しはなく、フランスはドイツに敗北を続け、パリ市街は連日激しい爆撃にさらされていた。だがその荒廃したパリには、エキゾチックな魅力と力強く美しいダンスで市民の心をとらえて離さないダンサーがいた。その名はマタ・ハリ(この日は愛希れいか)。ジャワ出身を名乗り、絶大な人気を誇る彼女はヨーロッパ中の皇族や政府高官、軍人たちを魅了し、戦時下でも自由に国境を越えて公演を行っていた。一方、フランス軍事諜報局のラドゥー大佐(この日は加藤和樹)は戦況好転のきっかけを見出せぬまま、日々多くの命が失われていくことに苦悩していた。やがて彼はマタという稀有な存在に目をつけ、彼女にフランスのスパイとして働くよう要求するが…
 脚本/アイヴァン・メンチェル、作曲/フランク・ワイルドホーン、作詞/ジャック・マーフィー、オリジナル編曲・オーケストレーション/ジェイソン・ホーランド、訳詞・翻訳・演出/石丸さち子。2016年韓国初演、2018年日本初演をブラッシュアップしての再演版。全2幕。

 初演も気になってはいたのですが結局チケットを取らず、初演のちえちゃんにちゃぴをダブルキャストにして再演するというので出向くことにしました。
 素敵なお衣装をとにかく取っ替え引っ替えするちゃぴは眼福で、芝居も歌もダンスもとてもよかったです。楽曲もさすがワイルドホーンという感じで、ちょっと朗々歌い上げ系の大ナンバーばかりかなあという気はしましたが、アンサンブルのナンバー含めとてもよかったです。でも歌詞はもの足りなかった。というか歌はキャラのそのときの感情とか背景のドラマとかを歌うものだから歌詞そのものにはそんなに情報量がなくてもかまわないこともあるのですが、それはその歌の背景にあるキャラクターやドラマ、要するに芝居パートがしっかり立ち上がっていればこそ、のことです。そのあたりが、薄い、弱い。こういう作品っていつもこうですよねー、海外のグランドミュージカルはこれでいいのかもしれないですけれど、日本でやるならもっと台詞が、芝居が必要だと思います。少なくとも私は欲しい。こんな大味なドラマじゃ萌えないよー、どんなに役者が力演して熱唱しても共感できなくて盛り上がらないよー、もったいなさすぎるよー…お隣はちょいちょい船漕いでいましたが、私はマスクの下でずっとあくびをかみ殺していました。しょんぼり…
 私は題材や役者や脚本や演出などいろいろな要因に興味を持って観劇に出向きますが、作品そのものをフラットに観るためにもそんなには予習をしないタイプです。マタ・ハリという題材についての私の予備知識は、一次か二次かくわしく知らないけれどとにかく何かの戦争のころの、ベリーダンスみたいな露出度の高い衣装で人気を博したダンサーで、名前は芸名ないし偽名で経歴もおそらく詐称していて、スパイだか二重スパイだかをしていた人、女スパイの代名詞…程度でした。一般的にも、イメージ的にも、そんなものじゃないですかね? オランダ出身だったこと、結婚歴があること、子供がいたこと、最終的にはスパイとして逮捕され裁判にかけられ銃殺されたという史実は、観劇後に帰宅してプログラムのコラムページを読んで初めて知りました。
 まあでも、史実はなんでもいいんです。ドキュメンタリーや偉人伝ではない舞台は、物語はフィクションなんですからね。でもだからこそ、この作品の中ではこうなんだ、というのをまずきちんと提示してくれないと困ります。
 まず戦争の描写、その間を切り裂くように始まるマタのダンス。これは素晴らしい、つかみはバッチリです。そして彼女のダンスを褒めそやす社交界の紳士淑女らしき人々、これもいい。一方で「あんなのは女優の振りをした売春婦よ」とくさす女性もいる。これもいい、マタの立ち位置がよくわかります。楽屋には花やプレゼントやカードが引きも切らず、衣装係のアンナ(春風ひとみ。私は現役時代には間に合っていませんが、こういうミュージカルではわりとよく観ていて、でもなんかいつもあまり歌が良くなくて、何故起用されているんだろうと思うことが多かった気がします…が、今回はよかった! しかし初演は和音美桜だったんですって? マタと年齢が近いアンナはユリユリしい同志感が出てよかったかもしれません。観たかった!)がせっせとお礼状を代筆している。マタはファンの要人たちを手玉に取っている…ここまではわかりやすい描写です。
 しかしラドゥーが現れる。ここから、よくわからなくなるのです。ちなみにかなり序盤です、まだ起承転結の起です。
 ラドゥーの、ファンみたいな口ぶりはおためごかしだろうとはわかるのですが、彼がスパイになれと強要してきて何故マタが引き受けざるをえなくなるのかが、まずよくわからないのです。彼がマタの本名を知っているから、正しい経歴を知っているらしいから…というのはわかるというか類推できるのですが、これだけ強く凜々しいマタなら「そんなものバラされても怖くないわ、ここがダメになったらまた別のどこかで踊るわ」とか言っちゃいそうにも見えるのです。ぶっちゃけパリ市民だって馬鹿じゃないんだから、マタが本物のジャワ出身ダンサーだなんて思ってなかったんじゃないの? マタも詐称はバレていると承知で、それでもあえてやってみせ続けていたんじゃないの? そういうプレイだったのなら、こんな暴露なんて今さら脅威でもなんでもない、ってこともありえるじゃないですか。そうじゃないというなら、作品としてその説明をきちんとしてほしいのです。
「冗談じゃないわ、やっとここまで登りつめてきたのに、今ウソがバレたら私は身の破滅よ、もう二度と元の環境に戻りたくない、あんな貧困や搾取、虐待はごめんよ、だから嫌だけど引き受けるしかないわ」みたいなことをマタにはっきり言わせてくれないと、観客としてその後の展開が全然納得できないのです。しかもその後、スバイ活動を引き受けるのは一度だけ、と言っておきながらいつのまにか何度もやるようになっているし…なんで?
 さらにアルマン(この日は三浦涼介)と出会う…これはちょっとおもしろかったです。そもそもこのくだりが場面としておもしろくて、まずマタの楽屋出待ちみたいなのを社交界の人々がしているんだけど、マタがその相手をし終えてそのままちょっと街へ出ると、今度は酔っ払いのいかにもブルーカラーな男たちに絡まれるんですよ。要するにマタがどんなに上流階級の人々にもてはやされていようと彼女自身はまったく上流階級の人間ではなく、要するにただのショーガールにすぎないのであり場末の酒場の踊り子と五十歩百歩なのである…ということを如実に表している、実にいい場面なのです。だからこそその前後でもっと彼女に「下層階級からのし上がってみせる、そのためにはなんだってやる」みたいなことを言わせれば、彼女がスパイ行為に手を染めざるをえなかったことも納得しやすくなるのに…と私は観ていて歯噛みしました。
 で、まあそんな酔っぱらいたちに絡まれているマタを遠巻きに眺めながら途中で割って入るアルマンの不自然さは、確かにあとから考えるとなるほどそういうことかと思うのですが、この時点では私は気づきませんでした。これは上手い。そしてマタはあっさりアルマンに恋をするわけでもなく(お話としてそういう展開はありがちなはずですが)、単に自分を助けてくれてボロボロになっちゃった若者を手当てするためだけに連れ帰るという、ただのおかんかつええ人…という描写につながるのもおもしろい。マタは稀代の悪女とかでもなんでもなく、普通の、良識ある優しい女だということが表現されるからです。この普通さ、まっとうさ、善良さは彼女の大きな魅力のひとつです。
 そのあとがすぐ朝チュンに見えて一瞬アレッとなったんですけれど、単にアルマンが寝ちゃったからそのまま寝かせてマタもナイトガウンに着替えて眠っただけでイタしたわけではない、とわかってまたおもしろいなと思いました。そのあとの屋上のシーンもとても美しくて印象的で、でも私はあくまでこの時点ではまだふたりはあくまで人として、大事な感覚を共有できる友人として認め合っているだけで、キスもそんな友情故のものなのかなと思っていたのですが、それともマタはここでアルマンに恋をした、ということになっているのでしょうか…? 実はここでのキスがかなり中途半端に見えたんですよね。この作品のキスシーンはどれもそうでしたが、もしかしてコロナ対策でリアルチューはやめて、宝塚式のエアでいくことにしていたのでしょうか? どのキスも客席から口元が見えないような体勢に持ち込んでからしているように見えました。そのせいもあって、ここのマタとアルマンのキスは特に、オープンマウスの恋人同士の本気のキスに見えなかったのです。だから解釈に迷いました。観客を正しいストーリーの道筋に乗せられないというのは、ダメです。
 でも、別にマタはアルマンに本気にならなくても、それはそれでいいと思うのですよ。ライトな恋でも出征するとなれば心配するのは当然ですしね。でも、マタはそのあとなんか急に運命の恋とか本物の愛とか歌い出すじゃないですか。え? いつのまに? なんで? って思っちゃうんですよね。だって過去はいざ知らず、今のマタは引く手あまたでいろんな男に囲まれかつテキトーにつきあっているはずで、今さらアルマンに本気の恋をするほどアルマンの素敵さは描写できていないんですよ全然。強いて言えばリヨンでのマリオネットは印象的なエピソードで、ここにマタの過去の思い出話を重ねて、ここで初めてお互いともに本気の恋に落ちた、と描写するのはアリだと思うんですが、現状は中途半端ですよね。さらに言えば、ラドゥーの命令でマタに近づいたはずのアルマンがどこでマタに本気になっちゃったのか、という描写も中途半端でした。というか全然わかりませんでした、少なくとも私には。
 アルマンがラドゥーの手先だったことがわかるあたり、私はかなりスリリングに感じてすごくおもしろく思ったんですよね。ヒロインを挟んで男ふたり、というよくある三角関係に見えて実はヒロインこそが当て馬で主軸は男ふたりの愛憎のブロマンス、みたいな構造って実はよくあるものだと思うんですけれど、それをドラマとしてきちんと描くことは実はなかなかないので、それをやってくれるならおもしろいんじゃない?とゾクゾクしたのです。
 アルマンはラドゥーに認められるために、彼の役に立つためにマタに近づいた。危ない戦場に送られないため、あるいはパイロットとしてきちんとした働き方をするため、かもしれないし、軍人としてのラドゥーの有能さに心酔し、憧れ、認められたい愛されたいと思っていたのかもしれない。それが、マタに本気になってしまい、一方ラドゥーの方も、スパイとして利用するだけのつもりだったマタに反抗されてムカついて、しかしその強さや凜々しさ、純粋さに惹かれて迷わされ、なのに部下のアルマンとしっぽりよろしくやりやがって…とかで愛憎渦巻く、とかになっていくならおもしろそう!とたぎったのですよ。でも結局ラドゥーの方には特にそういう描写、演出はなかったように思えました。「愛を知らず、愛を欲した男」なんてドラマは特に描かれていなかったように見えました。それじゃつまんないよ! ならただの悪役に徹してくれよ、せっかくなんかジャベールみがあったのになんなの…? ちなみにダブルキャストのもう一方の田代くんならまたニュアンスが違ったのかもしれませんが、私はファンの方には申し訳ありませんが加藤和樹はヒロインの相手役をやるには顔立ちが悪役すぎるのではないかと思っているので(すみません…ちなみに三浦りょんりょんの美貌もアルマンみたいな役には不向きなのではないかと思う。悪役美形だと思うので…アルマンってもっと、実は素朴とか誠実とかが持ち味のタイプの若手が演じるべき役なのでは?)、余計に中途半端に感じました。実はマタに惚れてしまって苦悩して…というふうに描きたいのなら、もっとそっちに振ってほしかった。でも現状、女に手向かわれてキレているマッチョ中年男にしか見えなくて、自分の任務や命令だったことに責任取らずみんなマタに押しつけて死人に口なしで葬ろうとしているサイテー男にしか見えなくて、2幕後半の展開が私は観ていてめっちゃ不愉快でした。なのでそういうフェミっぽいストーリーラインにするのも逆に今ならアリだとは思うんですよ、でも多分そんな意図はないじゃん、この作品。だから単に中途半端なだけなんですよ、もったいないよー…
 今、壮絶な過去を乗り越え独力で居場所を築き酸いも甘いも噛み分けたいい歳になった女が、うっかり薄っぺらい若い男に入れあげて足もとをすくわれた…だけのしょーもない話に見えかねないと思います。でもそれじゃダメでしょ? そんな海千山千の女が最後に真実の愛にめぐり逢って、だけどいろいろこじれて罠にはまったようになり、相手を失い自分も命を失う…という悲劇に仕立てたいんでしょう? なら、もっと繊細に、丁寧に、ストーリーをコントロールし観客の共感と感情を誘導しなくちゃダメですよ。そこができていないので、観ていてずっとしょんぼりだったのでした。これじゃ泣けないよ、ベタにヒロインの腕の中で死ぬ恋人とかやられても萌えないんですよ…
 ラストは、私ならマタに再度「寺院の踊り」をさせて幕、とします。今、何もしないまま立ちすくんで幕、なので、愛に生き愛に死んだひとりの女…みたいなイメージになっているかと思うのですが、まあ私がアルマンに運命の男感を感じられなかったというせいもあるのですが、そういう男とか愛とかよりももっと大きなもののためにマタは生きたのであり、それは娘の鎮魂であり神への奉納であるジャワの踊りのため、自分を救い、過去を抜け出し未来へ導いてくれた芸術、その忘我に捧げた人生だったのだ…みたいなシメにした方が今の世には響くのではないかしらん、と思ったからです。まあでもこれは僭越な提案なのでしょう…
 ドイツの将軍ヴォン・ビッシング役が宮尾俊太郎だったのに、そんなに踊るわけでもなくてちょっと残念でした。あとピエールの工藤広夢は『BARNUM』でも印象的でしたが、今回もとてもよかったです。
 マタ・ハリとはインドネシア語で夜明け、朝焼け、暁といった意味の言葉なんだそうですね。アッシュか! てかちゃぴって「あさひ」ですよね。その符合、素晴らしい。しかしちえちゃんだとだいぶニュアンスの違うヒロインになるんだろうなあ。
 三役がダブルキャストなので組み合わせが8とおり、というのも興味深い。もうちょっとお話がおもしろかったら、チケットもまだあるみたいだし今回と違う配役の回とかを探して追加したかった…残念です。






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