新国立劇場、2024年12月18日18時(東京初日)。
シティでの仕事を離れ、教育の現場で新たな人生を歩み出したトム(風間俊介)。トムが担当することになった14歳の少年ダリル(松岡広大)は、トムの「座りなさい」という言葉にもまったく耳を貸さず、落ち着きなく歩き回り、挑発的にトムに質問をぶつけ続ける。一方、トムの帰りを家でひとり待ち続ける婚約者のジョディ(笠間はる)は、トムの様子に不安を募らせていたが…
作/ダンカン・マクミラン、翻訳/高田曜子、演出・美術/杉原邦生、音楽/原口沙輔。2005年に執筆された戯曲の日本初上演、全2幕。
大阪、水戸、福岡で上演されてきて、ラストが東京公演だそうです。風間俊介が好きなので、そして新国立の海外戯曲は好みのものが多いので、作品に関してくわしいことは知らないままに出かけてきました。
トリガーアラートは出ていなかったと思うけれど、こういう音や光の演出がダメな人はわりといるのではないかしらん…など案じながらの観劇となりました。私は鈍感というか、自分の心身を守ることが得意なので(それでここまで生きてこられたのだし)シャットダウンしたり距離を取って観たりができる方だと思うのですが…もちろんショッキングな効果を上げたい意図はわかるけれど、まあ悪趣味ギリギリに感じたかな、とは言っておきます。
ほかにダリルの祖母リタ(那須佐代子)が出てくるだけの、四人芝居です。要するにこの、あまりにも狭すぎる人間関係、コミュニティが問題なんじゃないでしょうか。他に同僚や友達や隣人や…がいないわけないと思うのですよ、もちろんそうした人づきあいが苦手そうな人たちばかりなんですけれどね。それにトムがある種不安定な人間だったからこそ、ダリルは彼にある種懐いたのでしょう。
でも、もうちょっと他に、健康で健全な人間がいるだろう、と思うのです。そこに頼ろうよ、でなきゃ共倒れになるのなんて目に見えてるよ、めくらがめくらの手を引くようなもんじゃん(すみません、あえてこう書きます)、と思わないではいられませんでした。そういう状況をあぶり出すための展開なのはわかっているけれど、結局希望が見えない終わり方になっているわけで、それは現実が厳しいものだから舞台もそうなっているのであって安易なハッピーエンドなど描けない、というのもわかるんだけれど、でもじゃあそれをあえて舞台でやる意義ってなんなのかな…とも思ってしまったのでした。
最終場のイントロは、もちろんわざとなんですけど悪趣味ギリギリでしょう。墓地を横切るトムらしき人影は、シルエットだけれど喪服を着ているようにも見える。だからジョディないしおなかの子供が死んだのかも、ダリルに殺されちゃったのかも、と観客に思わせるわけです。そのあと、娘の墓参に着たリタが現れ、その姿をベンチに座って見ているトムは普段着姿で、子供や妻のことを語るので観客は一安心するのでした。
でも、ダリルは施設に入れられてしまったし、ジョディは家から出られなくなっている。トムはシティの仕事に戻り、おそらくストレスフルな生活を送っている。リタは老い先が長くなさそうで、崩壊の予感に満ち満ちて作品は終わるのでした…いやぁ、つらくない?
これは単に問題児のダリルがモンスターだ、という話ではない、というのはもちろんわかります。貧困その他で子供に皺寄せがいって健全な生育が阻まれたり、愛情や尊重を受けずに育っていってしまう、そうした家庭に行政のサポートが行き届かない社会全体の問題だ、万人に万全な環境を用意できない人類そのものがモンスターなのだ…というようなことはわかるし、でも全部すぐには無理でも身近なところから少しずつ、と真摯に働いている人たちはいっぱいいるわけで、そしてみんながみんな病んでることもないと思うし、もっとなんとかなるケースだって多いだろうよ、と思うと、救われないダリルとか、この先どう育てられるのか不安しかないトムとジョディの子供に対して、胸ふたがれてつらいのです。自分だって清貧といえば聞こえはいいけれど経済的にはまあまあ苦しかったろう共働きの両親に育ててもらって、たまたままあまあ健全に健康に育ててもらえたけれど、それってホントただのラッキーだったんだろうなあ、とか(イヤ両親の努力にはもちろん感謝しているのですが)思いますし、船板一枚下は海…って状況なのもわかるんですけれど、でも全体としてはもうちょっと世界に、人生に希望を持っていたいタイプなので、わりとしんどい、リアルなだけのお話にはちょっと鼻白んでしまったのでした。演出としてはかなり抽象化されていたとは思うのですけれど…へっぽこですみません。
役者はみなさん素晴らしかったです。他の舞台でも何度か観てきた人でしたしね。おもしろい作品だな、とは思いました。プログラムの座談会のキャッチに「観るときっと傷つく。だけどいい作品。」とありましたが、そうねえ、そうかもねえ、どうだろうねえ…
ところでこのプログラムは値付けが高すぎると思います。いろいろ厳しい折とは思いますが、そこは指摘しておきます。
シティでの仕事を離れ、教育の現場で新たな人生を歩み出したトム(風間俊介)。トムが担当することになった14歳の少年ダリル(松岡広大)は、トムの「座りなさい」という言葉にもまったく耳を貸さず、落ち着きなく歩き回り、挑発的にトムに質問をぶつけ続ける。一方、トムの帰りを家でひとり待ち続ける婚約者のジョディ(笠間はる)は、トムの様子に不安を募らせていたが…
作/ダンカン・マクミラン、翻訳/高田曜子、演出・美術/杉原邦生、音楽/原口沙輔。2005年に執筆された戯曲の日本初上演、全2幕。
大阪、水戸、福岡で上演されてきて、ラストが東京公演だそうです。風間俊介が好きなので、そして新国立の海外戯曲は好みのものが多いので、作品に関してくわしいことは知らないままに出かけてきました。
トリガーアラートは出ていなかったと思うけれど、こういう音や光の演出がダメな人はわりといるのではないかしらん…など案じながらの観劇となりました。私は鈍感というか、自分の心身を守ることが得意なので(それでここまで生きてこられたのだし)シャットダウンしたり距離を取って観たりができる方だと思うのですが…もちろんショッキングな効果を上げたい意図はわかるけれど、まあ悪趣味ギリギリに感じたかな、とは言っておきます。
ほかにダリルの祖母リタ(那須佐代子)が出てくるだけの、四人芝居です。要するにこの、あまりにも狭すぎる人間関係、コミュニティが問題なんじゃないでしょうか。他に同僚や友達や隣人や…がいないわけないと思うのですよ、もちろんそうした人づきあいが苦手そうな人たちばかりなんですけれどね。それにトムがある種不安定な人間だったからこそ、ダリルは彼にある種懐いたのでしょう。
でも、もうちょっと他に、健康で健全な人間がいるだろう、と思うのです。そこに頼ろうよ、でなきゃ共倒れになるのなんて目に見えてるよ、めくらがめくらの手を引くようなもんじゃん(すみません、あえてこう書きます)、と思わないではいられませんでした。そういう状況をあぶり出すための展開なのはわかっているけれど、結局希望が見えない終わり方になっているわけで、それは現実が厳しいものだから舞台もそうなっているのであって安易なハッピーエンドなど描けない、というのもわかるんだけれど、でもじゃあそれをあえて舞台でやる意義ってなんなのかな…とも思ってしまったのでした。
最終場のイントロは、もちろんわざとなんですけど悪趣味ギリギリでしょう。墓地を横切るトムらしき人影は、シルエットだけれど喪服を着ているようにも見える。だからジョディないしおなかの子供が死んだのかも、ダリルに殺されちゃったのかも、と観客に思わせるわけです。そのあと、娘の墓参に着たリタが現れ、その姿をベンチに座って見ているトムは普段着姿で、子供や妻のことを語るので観客は一安心するのでした。
でも、ダリルは施設に入れられてしまったし、ジョディは家から出られなくなっている。トムはシティの仕事に戻り、おそらくストレスフルな生活を送っている。リタは老い先が長くなさそうで、崩壊の予感に満ち満ちて作品は終わるのでした…いやぁ、つらくない?
これは単に問題児のダリルがモンスターだ、という話ではない、というのはもちろんわかります。貧困その他で子供に皺寄せがいって健全な生育が阻まれたり、愛情や尊重を受けずに育っていってしまう、そうした家庭に行政のサポートが行き届かない社会全体の問題だ、万人に万全な環境を用意できない人類そのものがモンスターなのだ…というようなことはわかるし、でも全部すぐには無理でも身近なところから少しずつ、と真摯に働いている人たちはいっぱいいるわけで、そしてみんながみんな病んでることもないと思うし、もっとなんとかなるケースだって多いだろうよ、と思うと、救われないダリルとか、この先どう育てられるのか不安しかないトムとジョディの子供に対して、胸ふたがれてつらいのです。自分だって清貧といえば聞こえはいいけれど経済的にはまあまあ苦しかったろう共働きの両親に育ててもらって、たまたままあまあ健全に健康に育ててもらえたけれど、それってホントただのラッキーだったんだろうなあ、とか(イヤ両親の努力にはもちろん感謝しているのですが)思いますし、船板一枚下は海…って状況なのもわかるんですけれど、でも全体としてはもうちょっと世界に、人生に希望を持っていたいタイプなので、わりとしんどい、リアルなだけのお話にはちょっと鼻白んでしまったのでした。演出としてはかなり抽象化されていたとは思うのですけれど…へっぽこですみません。
役者はみなさん素晴らしかったです。他の舞台でも何度か観てきた人でしたしね。おもしろい作品だな、とは思いました。プログラムの座談会のキャッチに「観るときっと傷つく。だけどいい作品。」とありましたが、そうねえ、そうかもねえ、どうだろうねえ…
ところでこのプログラムは値付けが高すぎると思います。いろいろ厳しい折とは思いますが、そこは指摘しておきます。
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