駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『マドモアゼル・モーツァルト』

2021年10月17日 | 観劇記/タイトルま行
 東京建物ブリリアホール、2021年10月14日18時。

 天賦の音楽の才能を持って生まれた少女エリーザ(明日海りお)は、女性が音楽家になれなかった時代ゆえに、父レオポルド(戸井勝海)から男の子「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」として育てられた。モーツァルトは瞬く間に時代の寵児として宮廷でももてはやされるようになる。宮廷音楽家であるサリエリ(平方元基)はモーツァルトの音楽に否定的だったが、同時に目をそらせずにもいた。モーツァルトが下宿しているウェーバー家の母親(徳垣友子)は、彼の成功にあやかろうと娘のコンスタンツェ(華優希)と彼を結婚させようとし…
 原作/福山康治、演出/小林香、振付/原田薫、松田尚子、Seishiro。
 音楽座ミュージカルオリジナルプロダクション総指揮/相川レイ子、演出/ワームホールプロジェクト、脚本/横山由和、ワームホールプロジェクト、音楽/小室哲哉、高田浩、山口琇也、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、アントニオ・サリエリ。
 1991年初演。2008年の6度目の上演台本をもとにした新演出版、全2幕。

 原作漫画の感想はこちら、2005年の『21C:マドモアゼル・モーツァルト』を観たときの記事はこちら
 私は音楽座自体は全然通れていなくて、たまたまこの舞台を観たときに原作コミックスも買った…んだったかなあ? よく覚えていません。コミックスはそのまま所持していたので今回の上演が決まって再読しましたが、記事にもあるとおり引き続きまったく感心しませんでした。「モーツァルトが女だった」というアイディアから、何も進展していない話のようにしか私には見えないのです。
 ただ今回は女性の手による舞台化でもあるし、そのあたりに切り込んでくれるのかもしれないな…と楽しみにしていました。小林氏のそんなインタビューも事前にネットに上がりましたしね。
 キャストについては…私はみりおはテレビドラマで見ていてもわかるとおりいわゆる普通の女優の仕事(こういう言い方もアレですが)ができるんだから、エドガーといい今回といい、男役を引きずるような仕事はもうしない方がいいのではないか、と考えているので、別に諸手を挙げて大歓迎!ではありませんでした。ただもちろん上手いだろうとは思ったし、そういう意味では元宝塚歌劇の男役の女優がこのキャラクターをどう演じるのだろう?という興味はあり、楽しみではありました。だから相手役が華ちゃんだと発表されたときも、退団してまでコンビを組まなくてもいいんだよもっと違う仕事をしていけよ…とは思いましたが、逆にもしエリーザとコンスタンツェのシスターフッドみたいなものを描く気ならそこにそもそも女性同士である元宝塚歌劇のトップコンビを当てるというのはおもしろいことになるのかもしれない、と思い、これまた楽しみではありました。
 チケットは激戦だったらしく、明日海会にいる親友もほぼ全通ペースで申し込んだのに三回しかお取り次ぎがなかったと言っていましたが、その貴重な一回に同伴していただきました。お席は一階上手ブロックの前方で、舞台センターが斜めに綺麗に抜けて観やすいお席で、大不評のブリリア席ガチャに勝利できて助かりました。

 舞台は、やや八百屋の白く丸い板と、その後ろに斜めにあるエプロンとその両端の階段、天井に天使の輪のような輝く白い輪があるのが印象的(美術/伊藤雅子)でした。あと、アンサンブルがモーツァルトのオペラのキャラクターたちなのもとてもよかった。粋でした。お衣装(衣裳/中村秋美)もよかったけれど、唯一コンスタンツェはちょっと地味に見えたかもしれません。ドレスアップ場面はともかく、あとは一般人だから…ということでたとえばカテリーナ(石田ニコル。とーってもよかった!)なんかとはコンセプトが違うんでしょうが、しかしなんか中途半端だった気がします。私は別に華ちゃんファンではないので、彼女がもっと可愛く見えないとダメだぞぷんぷん、とかいう意味で不満なのではなく、なんか役として微妙だった気がしたので残念に感じたのです。あと、なんならエリーザ/モーツァルトも、同じようなコンセプトのお衣装でももっと何度も着替えてもよかったかもね、とも思いました。これもモーツァルトはそんなに裕福ではなかったんだから…というのがあるにしても、作品として、彩りとして、もっとあってもよかったのでは?とちょっと寂しく感じたのでした。
 そしてお話は…私は一幕にはやはり原作漫画と同様のフラストレーションを感じました。やはり「モーツァルトが女だった」というアイディアがあるだけで、その意味が描かれていないような、そこから何も進展していないような印象を受けたのです。
 なんせ、エリーザの内面や心情が全然描かれないんですよね。だからまず彼女が父親に男装を強いられたことに対してどう感じどう考えているのかが、全然見えないんです。だから私は観客として、エリーゼにすごく感情移入しづらかった。といってコンスタンツェにも共感できない、惚れた相手が同性だとこちらはハナから知っているからです。この恋は普通の意味では実らないと結果がわかって観ているからです。だからなんか全体に、ただ傍観者としてただ話の流れを追うだけになってしまって、ちょっと退屈に感じたのかなあ…音楽家として仕事が評価されること、女性にモテモテになっちゃったこと、コンスタンツェに迫られること、サリエリとの出会い…すべての出来事に対して、エリーザの心の動きは描かれないままに話は進み、父親の死を知って「自由だ!」となってどうやら男装をやめる決心をしたらしい…で一幕は終了。うーん、ちょっとぽかんとしちゃいましたよね…
 でも、二幕は俄然おもしろく感じたんですよね。でも何がどうよかったのか、おもしろく思えたのかは上手く言語化できません。そういう意味ではやはりあまり理屈が通っていないんだと思います、この舞台。それとも私があまりに「私が観たかったもの」を追いすぎていて、きちんと作品を観られていないということなのでしょうか…?
 男装をやめて、髪を結いドレスを着て、ヴォルフガングの従妹と名乗ってサリエリの音楽会に行くエリーザ。サリエリは「彼女」に花を贈って、コンスタンツェはいつボロが出るかとハラハラして。そうこうするうちにモーツァルト・ブームが去ったのか、なんかもてはやされなくなって。でもシカネーダー (古屋敬多。とてもよかった! 俳優さんというよりはダンスボーカルユニットの方なのだとか?)から新たな仕事の依頼を受けて。ここでエリーザとコンスタンツェが歌う「夜明け」という歌がとても感動的で、でも何がどういいのかはよくわからなかったんですよね。シスターフッドの場面だったような、そうでもないような…そして『魔笛』が成功して、エリーザはI am what I amめいたことを言って病に倒れ、昇天してしまう。けれど天から再び羽根ペンが落ちてきて、それを手にした彼女は再び音楽を紡ぎ出す…おしまい、みたいな。
 うーん、やっぱり私にはよくわかりませんでした。
 男か女かではなくその先、みたいなことを演出家はプログラムで語っていて、「本作のモーツァルトはノンバイナリーだという今回の解釈」で作られているのだとしたら、もしかしたら感度が高い観客には「やっとこういうものがキタ!」とすごく刺さるのかもしれません。それからすると私は全然旧世代なんだろうなと思うし、私はこのモチーフなら断然ジェンダー・バイナリーの物語が観たかったです。私は自分をシスヘテロ女性だと思っていて、観客の大半もそうだろうと勝手に考えているからです。だからそこをまず満足させてからでないと、その先になんか行けないよ、と思ってしまうのでした。
 女が女のままでは評価されない、女が男の名を負わされる、という現象は今もなお続いているのです。だからこれはとても今日的なモチーフです。女が音楽家になれないとされていた時代に、男以上の才能に恵まれて生まれたエリーザが、男装を強いられ、男の振りをして暮らし、女の妻を娶って何を思いどう考えていたのか、父親のことをサリエリのことをフランツ(鈴木勝吾。びっくりするくらい棒だったと思うんですけどアレはわざとな演技なの…?)のことをどう思っていたのか? 愛は? セックスは? 子供は? 仕事は? 私はそれが知りたいです。私たちはモーツァルトのような天才では全然ないけれど、彼女が歩まされた道は私たちの今の生き方に通じるものがあると思うからです。
 でも、それは全然描かれない。結局、モーツァルトは天才で性別なんか超越している存在なんだよ、って話? なら、天才なんかじゃ全然ない我々一般観客には無縁の話ですね、おしまい、ってだけになっちゃうじゃん。それでいいのかなあ? そういうことがやりたかったのかなあ? でもじゃあ他にどう解釈したらいいのこの作品…?
 みりおはさすがに華があり、それは観ていて楽しかったです。

 私はミーハークラシックファンでもあるので、そこここに散りばめられたモーツァルトの音楽、というかその散りばめられ方は素敵だなと思いました。
 あと、カテコのみりおのゆるふわ謎挨拶が健在で微笑ましかったです。バリバリのミュージカルでもストレート・プレイでも主役じゃなくても、舞台をどんどんやっていってくれると嬉しいなと思いました。もちろんテレビドラマや映画などの映像での演技でもいいんだけれど、やはり舞台に立てるというのは特殊な技能だと思うので、生かしてほしいのです。あと、やはりこの年格好の女優は役の幅が映像より舞台の方が広いでしょう。世界はまだまだジェンダー・バイナリーに囚われているのですからね残念ながら…
 この話をお友達にしたら「聡子をやればいいのに」と言うので、ソレだよ!と思いましたね。トウコさんが初代パーシーから退団後にマルグリットをやった、アレです。あれはよかった、いい企画でした。トートをやった人がシシィをやった例はたくさんあるけれど、アレはまた別。まあみりお聡子を向こうに回して清さまをやれる男優がいるのかよって話はありますけれど、それもまた別で、退団後にしていくべき仕事って、そしてファンが喜ぶ仕事って、たとえばそういうことなんじゃないのかなあ。いやコンサートとかももちろん喜ばれているとは思うんですけれどね。まあ余計な心配ですね、すみません。
 ただ退団後のお仕事は事務所だのなんだのいろいろ絡むんだろうし一筋縄ではいかないんだろうけれど、がんばっていってほしい、そして幸せでいてほしい…とただ祈っている、というだけです。ぐだぐだうるさくてすみません。
 





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