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高校同窓会の帰郷の顛末 4

(豊岡高校17期同窓会)

午後、「駿遠の考古学と歴史」に出席した。「天澤寺殿三百年記録」の5回目(最終)の解読原稿をST先生に渡す。その折りに、「南部郷土史大学だより」に、今回の解読を終えた感想を書くようにと、依頼を受けた。依頼は拒まないと決めているから、それも勉強と考えて受ける。二千五百字から三千字位の原稿量となるだろうか。

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(昨日の続き)
Yoo氏が来て、今聞いた話だと断わり、若くして亡くなったYY君と、仕事がこれからという時に亡くなったYT君が、奇しくも同級生の同じ女性に好意を寄せ、交際をしていたらしいという情報をもたらした。あの時代、毎日顔を合わせながら、そんなそぶりも見せなかった。いったいどういうことなのだと、Yoo氏と、その女性を呼んで、真偽を確かめたところ、YY君からは一度お手紙は頂きましたが、交際はお断りしましたとの返事であった。一方、YT君からは卒業してから同様のお手紙を頂きましたが、こちらもお断りしましたとの返事であった。亡くなった二人からは、真偽の確認は今では出来ないけれど、余りに早く亡くなった彼らに、交際が事実であったとしたら、懐かしく話題に出来ると思ったのだが、もう半世紀も昔のことで、これ以上、今さら追及も出来ない。本人がそう云うなら、そうなのだろうと思った。

二次会も終え、温泉に入った後、6人部屋で色々話をしているうちに、議論が沸騰して、久し振りに厚く語りあい、皆んなが寝に就いたのは三時を回っていた。半世紀前には、よく数人集って、夜を徹して議論したことを思い出して、まだまだ熱さは消えていないと思い、楽しかった。

何れも議論のための議論なのだが、内容には半世紀前にはふんだんにあった色気が全く無い。議論の一つを取り上げれば、自分のお遍路の体験で、遍路途中で自分に向って拝まれてしまったこと。途中、何度も御接待として金品を頂いたこと。自分より余程貧しく見えるお年寄りが、千円札の皺を伸ばしながら御接待だと言って出す。歩いているうちに、荷が肩に堪えて、知らず知らず、不要なものを自宅へ送り返したりして、減らしている自分に気付き、これは一種の悟りだと思ったことなどを話した。

一人は、自分は余程歩き遍路に行こうと思ったが、そのお接待がどうにも我慢がならないから、未だに出掛けないでいる。自分が施しを受けるのが、何とも気分的に耐えられず、何とも嘘くさい。一人は、自分には、今は亡くなった師匠と頼んだ禅僧がいて、何度も座禅を組み、公案を出されて悶々とした経験がある。だからお遍路とも通ずるところがある。しかし禅は自力本願の仏教だから。ただ彼は一方で腹にインシュリンを打ちながらの発言で、何とも物凄い。一人はキリスト教も仏教も、所詮偶像崇拝ではないか。偶像崇拝を自分は認めない。しかし、偶像崇拝ではない宗教はイスラム教位ではないかと思った。

その他、学生運動にのめり込んで行った同級生のこと。いわゆる八鹿高校事件のこと。中学時代の先生が授業を行うに、今から思うに、何と自由奔放であったかという話。自分が話したのは、授業中、横溝正史の「八つ墓村」の推理小説を語って、一回では済まず、語り終えるに次の時間まで掛ったという、嘘のような実話を話した。今ならば、たちまち非難轟々になっただろう。外の授業は一つとして覚えていないが、この授業は、半世紀経ったいまでも、怪談話でもするような先生の表情まで、ありありと思い出す。

その後、朝までぐっすり寝て、気になるだろうと思ったいびきにも、悩まされることも無く済んだ。
(明日に続く)
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