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高校同窓会の帰郷の顛末 2

(恩師のお宅の庭/先生はこの庭でこけて骨折し、
それが元で亡くなられた。最後は肺炎。)

今朝、起きると、未明の地震のニュースで、テレビが騒いでいた。北海道に震度6強(後に震度7に訂正)の地震があったという。北海道でこれだけの巨大地震は始めてだという。まだ、台風21号が大阪地方に大被害をもたらしたばかりだというのに、人々の関心は一気に北海道に向いてしまった。過去の歴史を見れば、このように天災が打ち続く時は、改元をしたという。来年の改元が待ち遠しくなってしまう。未来の日本人は、平成の年号を以って、年号名に反して、実に災害の多い時代だったと、語るのであろうか。

一日、故郷から帰るのが遅れて、町内の同じ班で親しくさせて頂いたMMさんが亡くなられた。昨日がお通夜、今日がお葬式であった。家族葬だというが、会葬は各自の判断で、と聞いていたので、お葬式に出席した。近所では自分一人であった。後で聞けば、皆んなはお通夜に出席したという。最近始まった家族葬にも、色々あって、特に近所ではどうお付き合いすればよいか、しきたりが確立しておらず、戸惑うばかりである。

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(昨日の続き)
恩師が亡くなられる少し前に、6年A組の最後の同窓会を、恩師のお宅で、故郷在住の仲間に声を掛けて行ったと聞いた。その時の写真を見ると、10数名の同級生がいた。声を掛けてくれれば、遠くからでも駆け付けたのに、と残念に思った。

NK先生は、永年の教師の間に、多くのクラスの担任をされて来たが、教師を終えて30年、未だにお宅に顔を出し、集まってくれるのは、6年A組だけだと、夫人はおっしゃる。それもこれも、先生を慕ってというよりも、夫人が一緒に、仲間になってくれたからだと思う。どうやら、6年A組だけが、夫人との交流が深くて、こんなに長続きしているのだと思う。先生はあの世で苦笑いだろうけれども、先生がいなくなっても、この付き合いは一生続くのだろうと思った。

話題は昔話になった。中学になっても、学校帰りに、しばしば先生宅に立ち寄って、夕方まで遊んだ。いつも、先生が帰宅されるのを機会に、重い腰を上げて帰ったものであった。五右衛門風呂に入ったり、何日か子供たちだけで留主番を任されたり、座敷で相撲を取り床板を壊したり、裏の畑で胡桃やグミを採ったり、畑の隅で土器を焼いたり、いろんな悪さもし、体験もさせてもらった。それを御夫婦して、何と大らかに許して下さったことか。いつかこの体験を、作品に書いてみたいと思ったりする。(明日に続く)
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