平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「竹下村誌稿」を読む 263 駅路 34
アオスジアゲハは翅をばたつかせていたので、ピンボケになってしまった。
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「竹下村誌稿」の解読を続ける。紀行文の項を続ける。
また居士(宗長)は駿河島田の人、有名の刀工、五代目五条義助の弟なり。寛正四年(1463)、年十六にして始めて宗祇法師に謁(えつ)し、連歌を学び、十八才にして薙髪し、業を醍醐普捨院の駿河宰相に受け、また紫野に来往して、一休に参禅す。明応四年(1495)、宗祇、勅を奉じ、新筑波集を撰ぶに当り、(新筑波)集中、居士の吟二十八句を収むと云う。
※ 薙髪(ちはつ)- 髪をそり落とすこと。剃髪。
※ 来往(らいおう)- 行ったり来たりすること。ゆきき。
天文十三年十二月、宗牧東国紀行 十六日、急ぎ行くまゝに佐夜の中山も近し、日坂と云う茶屋に休みて、跡なる荷物など待つほど、この山の名物なりとて、蕨もちいと云うものしすまして出したり。一年もさ有りけんなど賞翫も一入(ひとしお)、只(何もせず)にはいかゞとて、
※ 宗牧(そうぼく)- 戦国時代の連歌師。
※ 蕨もちい(わらびもちい)- 蕨餅のこと。
※ ものす(物す)- 作る。
※ 賞翫(しょうがん)- 味のよさを楽しむこと。 賞味すること。
年たけて また喰うべしと 思いきや 蕨もちいも 命なりけり
※ 年たけて~ - 西行の「~命なりけり」の歌のパロディ。
この歌に愛(め)で、皆数もしらず待ちつれて、越え行くほどに、かいがね(甲斐が嶺)の方に心付けよ、など、宮内卿友軌などに云えども、蕨のかねに目留めしほどはあらず。横なる雲晴れやらで、さやかにも見えず。今宵過ごさず、大井川を渡るべしとて、あなたの麓にて駒かわせける。いくせ白波とか見渡されしに替りて水も浅し。数日雨にもあわぬ、しるしなるべし。暮れ果て島田と云う所に着きたり。
※ 数もしらず - 数えきれないほど多い。限りなく多い。
永禄十年五月、紹巴富士見道記 九日、日坂に至りぬ。商山の古蕨をもちゐ、やゝ小夜の長山に上りぬ。雪斎大原和尚開基の一宇影前に立ち寄り独酌盃面に狂句うかべるを壁に書き付ける。
けけれなき 山も打みじ 越えてなお 甲斐がね見えぬ 五月雨の空
麓に菊川という、名も匂いあさからざるを過ぎて、金谷と云う宿にて、大井川を渡す人を語らいて顧みるに、小夜の長山と書けるもさもこそは、二、三里がほどのいたゞき一文字にして、佐保山の俤(おもかげ)はさらなり。貫之の土佐日記に、よこほりふせる男山を川尻より見て書けるも理なり。島田という所に、まだ暮れやらぬ空ながら、宗長出世の地と聞きて泊り、宇都山に到りぬ。
※ 佐保山(さほやま)- 奈良市北部、佐保川の北側にある丘陵。京都府との境をなす。
※ 出世(しゅっせ)- この世に生まれ出ること。
因って云う、雪斎和尚開基の一宇とあるは、今の久遠寺の事ならん。名所図絵に、本尊正観音は行基僧正の作とす。例の夜啼石仇討物語に因縁して子育観音の名高しと、金谷志稿に弁ぜり。
(紀行文の項、つづく)
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