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「竹下村誌稿」を読む 251 駅路 22

(茅葺風の金属板葺きになった、医王寺薬師堂)

午後、金谷郷土史研究会の医王寺薬師堂見学会に特別に参加させて頂いた。金谷の医王寺薬師堂は、その永村茜山の天井絵とともに、県指定文化財となっている。昨年解体保存修理を終えたばかりだという。見学会では金谷宿大学「駿遠の考古学と歴史」講座のST教授の詳しい説明があり、合せて二時間ほど、じっくりと見学させて頂いた。詳しくは後日このブログで紹介しようと思う。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

(「高天神記」のつづき)
甲州方にても兼ねて用心有りて、小夜の中山、菊川には、掛川の押えを置き、また東海道南の原には、高天神の押えに、段々に手当を立て置きしが、この狼煙(のろし)を見て、家康公御出馬、信長と両旗にて出で給うかと驚き、物見を掛けるに、さはなくて高天神より、纔(わず)かの勢(ぜい)にて出ると見て、取って返し、この旨申す。さては、蹴散(けち)らし、残らず討ち取れと閲犇出でんとす。勝頼聞こし召して、先手の者三組、走り向うべしと下知し給う。
※ 閲犇(えつほん)-「犇」は「奔」の古字。しらべに走ること。

馬場美濃守申す。金薬師山に見ゆるは、僅かの勢(ぜい)なり。定むる所に伏兵あるべき敵を、その心なくては出ずまじ。これより沢へ下りかゝらば、沢の間より伏兵を発し、両脇より鉄砲を打ちかくべき方便なり。然らば、死地に落とし入れ、若しまた敵、この方へ掛からば、また死地に入るなり。そのまま捨て置き給え。敵置くとはこの処なりと、達て諫言申し上げ、諸兵を止める故に、敵も蒐(あつ)まらず、味方も待ち請けて利有りと定めて、かからず、白眼(にらみ)合いて居たりけり。
※ 方便(ほうべん)- ある目的を達するための便宜上の手段。
※ 諫言(かんげん)- 目上の人の過失などを指摘して忠告すること。
※ 白眼(はくがん)-(気にいらない人には白眼で対したという「晋書」の故事から)冷たい目つき。


高天神の勢は、甲州方下々もの、或るはすっぱども、城東郡へ濫妨(乱暴)に入り、狼藉の奴原を、ここかしこにて三十余人討ち取り、五、六日、白眼(にらみ)合い、夜になり、音もなく引っ込みけり。甲州方には普請を揉み立て急ぎけり。大方に出来して、城代を番手に定め置き、勝頼御馬を入れ給う。
※ 下々(げげ)- 最下等。下の下。身分の低い者。
※ すっぱ(透波)- 戦国時代、武家が野武士や野盗であった者を取りたてて使った間者。乱波(らっぱ)。忍びの者。
※ 奴原(やつばら)- 複数の人を卑しめていう語。やつら。

(「高天神記」の引用続く)
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