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高校同窓会の帰郷の顛末 1

(暑い、故郷豊岡駅前)

9月3日、高校の同窓会で帰郷した。本当は昨日4日に帰ってくるはずであったが、帰りが一日遅れた。よって、4日はブログの投稿が出来ず、久し振りに休むことになった。その辺りの顛末を含めて、この3日間について記そう。

帰りが一日遅れた原因は台風21号である。4日に、強い台風が、たぶん故郷豊岡市辺りを通るという情報は、前から得ていた。かと言って約束をキャンセルすることは考えなかった。ただ、同窓会の翌日、Yoo氏と、3月に亡くなられた、小学校6年A組の担任だった、恩師HK先生のお宅の弔問は、難しいと思われた。それで、弔問を一日早め、出発時間を早めて、同窓会前の3日の昼間に行くことに変更した。恩師のお宅への連絡は、Yoo氏に頼んだ。

Yoo氏と京都で待ち合わせ、「特急きのさき」に乗車して、二時前には豊岡駅に着いた。金谷では風が涼しいほどであったが、乗り換えた名古屋、京都と気温がどんどん上がり、豊岡駅前では暑かった夏に逆戻りした。駅前にタクシーの姿が全くない。看板の電話番号を見て、タクシー会社に電話したが、あいにく皆な出払っていて、そこでしばらく待ってもらいたいという。会社は五つもあるのに、どうなっているのだろうと、Yoo氏と愚痴りながら、しばらく待たされた。

タクシーに乗り、その事を話すと、雨がほとんど降らない猛暑が続いてと、口を濁す。そうは言わなかったが、どうやら、猛暑はタクシー会社には福音で、なかなか忙しかったらしい。表を歩けば、命にかかわる40度近い暑さに、特にお年寄りはタクシーを使わざるを得なかったのだろう。何といっても、豊岡市は、時々その暑さでニュースになる土地柄なのだ。

恩師HK先生のお宅には、独り住まいの夫人が待っていてくれた。恩師が亡くなられて半年、夫人は元気を取り戻されているように見えた。挨拶もそこそこ、今、OSさんを呼んだから、追っ付け駈けつけると云う。

OSさんも、6年A組の同級生で、恩師HK先生が亡くなられるより少し前に、御主人を亡くされている。気持ちが通じるのか、たびたび先生のお宅を訪れて、話し相手になってくれているようで、根が明るいOSさんに励まされて、何時までも落ち込んではいられないと思うようになった、と恩師夫人から聞いた。亭主が死んで時間もあるし、近いから、しょっちゅう寄せてもらっている、とOSさんも云う。OSさんの御陰で元気を取り戻されて、本当によかったと思った。これからも度々顔を見せてあげて、何ならば、昼はここで摂ることに決めたらどう、とは無責任な冗談であった。(明日へつづく)
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