goo

岡田原の「牧之原開墾紀功碑」を読み解く その1

(岡田原の「牧之原開墾紀功碑」)

島田市船木、岡田原の静岡カントリークラブ島田コース近くの道路脇に、「牧之原開墾紀功碑」がある。碑文に出てくる役者が、岩倉具視や勝海舟といった有名人で、けっこう知られた碑である。

内容は、岩倉具視の下賜金送達の事務文書と、下賜金に係わる勝海舟の手紙を写したものであった。岩倉具視の文書は候文の擬漢文で、勝海舟の手紙は漢文を読み下した文で書かれている。漢文ではないので、自分的には対象外なのだが、内容に興味があったので、解読して見ることにした。

碑の裏に記されたことから、この碑が建てられた経緯がわかる。この地にゴルフ場を造るにあたり、明治の初めに、この地に入植した武士たちを偲んで、ゴルフ場の開発会社によって、昭和40年に建てられたものであった。漢文で書かれていないのは、戦後に建てられた碑だからである。

牧之原開墾紀功碑
御下賜金御達す。
                             中條景昭
                             大草高重
※ 中條景昭(ちゅうじょうかげあき)- 江戸時代後期の旗本。講武所剣術教授。大政奉還後、慶喜の身辺警護の精鋭隊の頭を務めた。精鋭隊とその家族200名と共に、徳川家16代当主家達に従い、静岡に移住。その後、金谷開墾方の頭として、牧之原に転住し、牧之原の茶園開墾に生涯をかけた。
※ 大草高重(おおくさたかしげ)- もと幕臣。中条らと行動をともにして、金谷開墾方の頭並として牧之原へ入植。牧之原茶業の基礎をきずいた。


その方ども、己巳以来、拓地の事に尽力し、同志協戮勉勱、牧之原開墾候儀、その方ども、率先の功、少なからず奇特に思われ、召して、同志中へ金千円、下賜候事。
※ 己巳(つちのとみ)- 明治2年(1869)。
※ 協戮(きょうりく)- 協心戮力。心と力 を合わせて、互いに協力して物事に取り組むこと。
※ 勉勱(べんばい)- 勉励。つとめはげむこと。一所懸命に努力する こと。


  明治十一季(年)十一月四日          右大臣 岩倉具視

    勝安房伯(爵)手柬
※ 手柬(しゅかん)- 手紙。
明治元年、官軍、我が江戸に逼(せま)る。終に城地を致し去る。この時、君等我に告げ曰く、時勢ここに到る。今将た何をか陳ぜむ。然りと雖も、我輩同志五百名、辱(はじ)を忍び、声を呑んで脱走、暴擧せざるは、君命を守ればなり。今や喪家の狗(いぬ)の如く、空しく故国を捨て去る。

その心中勃如、言うに忍びざるものあり。同志中、その純を選抜し、一百名従容、義により城内に入り、屠腹、一死を以って、主家数百年の恩に答えむ。君また機を失せしむ勿(なか)れと、慷慨、悲憤、涙血襟(えり)を湿(ぬら)す。余、その心裡の忍ぶべからざるあるを察し、深くその言に感動す。
※ 勃如(ぼつじょ)- むっとして顔色を変えるさま 。
※ 従容(しょうよう)- ゆったりと落ち着いているさま。。
※ 屠腹(とふく)- 切腹。割腹。
※ 心裡(しんり)- 心のうち。心中。

(勝安房の手柬、続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )