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上越秋山紀行 下 28 七日目 上結東村 5

(トーマス、クリスマスバージョン)

祝日で、掛川のまーくん一家が来て、遊んで行く。大井川鉄道のSLは今クリスマスバージョンで、沿線では大賑わいである。今日の写真は息子の撮影。

「上越秋山紀行 下」の解読を続ける。

暁過ぎて、寒冷弥増しなれば、頓(やが)て爐に大火を焚きぬれば、家内は白昼のごとく幸いに、起き上り腹ばいしてあたりを巳廻すに、家内男女は処々に、やはり昼の内着たる衣類の侭にて、寝臥して見ゆる内に帯仕直し、水盤の掛け水に手洗し、四方の拝、祖先の回向も終り、ただ寒さに堪えかね焚火に寄れば、家翁は予が声を聞いて起しや。

朝飯まで亭主もろとも噺の中に、昔、大秋山事なきてありし時、川東、上の原村の対図に当りて、中津川の東岸に大なる岩穴あり。この洞穴より折々一丈余りの女の妖女物(ばけもの)、髪あくまで長く、両眼日月の如きが、人を悩まし、この洞穴の辺へは絶へて人も通わず。
※ 対図(ついず)- 対岸。

その頃、大秋山に平家の末葉の村長ありて、その家に蝘蜒(とかげ)丸と云う名作の刀あり。これをさしてその化生を退治に赴く。いまだ東の岸へ中津川渡らぬ内に、かの大女は穴端に居、一目見るより俄に飛びつかんとする躰の処、腰にさしたるとかげ丸、己れと抜き行き、化物を真っ二つに切り、元の鞘に納り、手も濡さず変化退治の名刀なれども、大秋山村段々零落し、その後、箕作村冨家島田三左衛門の秘蔵の宝になつたと申す。また箕作り村より地頭へ差上げたとも云う。
※ 化生(けしょう)- 化け物。妖怪。

噺、予倩々(つらつら)考るに、魍魎鬼神は山川の精物にして、木石の怪と聞く。今にさえ漫(すずろ)に身の毛も揚げ立つ程の、寂莫たる処のみ多きに、況んや数百年の奇樹怪巌の処故、想像に堪えたり。

また問う、この辺り深山に奇景はなきやと云うに、亭主の答えには、信州越後の境、苗場山の北、小松原と云う処に、大工の墨鉄打ったる様な、真平らなる数丁の大屋敷跡、二、三ヶ所あり。語り伝えには、往昔平家の落人ここに住み居ると云うなり。今はその平地に、姫小松、、弱檜(さわら)、檜、シガ掬など、老木多く、また苗場山の下に流る、七ツ釜と云う渕あり。この谷川を、右の屋敷と申し伝う処を帯て、その七ツ釜の前後左右の巌石、千勝萬景の噺に涎流して聞きぬ。
※ 墨鉄(すみかね)- 建築で、曲尺(かねじゃく)を使って必要な線を木材に引く技術。

兎角する内に、旦の膳に向えば、厚さ寸余りの、櫃形に切りたる粟の餅三つ、椀に盛り、餘り大き故、三つ目は椀の縁(へり)より上に反り、雑煮と見え、味噌汁であえたる如く、真中に大きなる里芋二つ、丸ながらに乗せて、漸くに一つ給わるに、汁気なく、予は味噌汁が好きなり。汁椀に一つと乞うに、かの里芋汁、沢山に盛り呉れたるを力に、漸々二つ食べ、残り一つは桶屋に助けて貰いけるに、頻りに、宿の者替る/\強(し)いつけると云えども、粟一色にて、味も佳(よ)しなど云えども、蕎麦の下地の悪しきは進まぬ道理。
※ 下地(したじ)- 醬油。また,醬油を主にしただし汁やつけ汁。

漸々時宜を云う時、桶屋が申すには、きのう夕余り不食だから、今朝は蕎麦切りの御馳走と申すを、そばは嫌で御座ったと云いたりや。粟餅を進ぜたいと申すから、それは何よりの御馳走と、拙が申したれば、俄かに寝る時分から粟をふかし餅を搗きなされた。依って責めて今一つと申すにぞ。その心ざし甚だ感嘆に堪えず。
※ 時宜(じぎ)- 時にかなったあいさつ。時儀。

   うづ高く 盛った粟餅 二つ喰う
      あとのひとつは これであき山


芋を沢山に汁椀に盛りしを、さてこの辺は疱瘡(いも)と云い、鬼神よりも恐れるに、里芋には中々能いと申して、即吟、

   秋山や 畑のいもは 嫌いなし
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