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下長尾の「村松茂助先生彰徳碑」を読み解く

(村松茂助先生彰徳碑)

村松茂助先生彰徳碑は、川根本町下長尾、瀬平集落北入口の道路右手脇にある。間伐材で作った「茶」の字の看板が目印である。

村松茂助先生彰徳碑
※ 彰徳(しょうとく)- 徳行を広く世に知らせること。

村松氏略歴
村松茂助氏、本村下長尾、山本由兵衛三男、明治元年六月十三日生。幼くに村松孫兵衛の羪嗣子となる。
※ 羪嗣子(ようしし)- 養嗣子。後継ぎとして迎えた養子。「羪」は「養」の異体字。

資性、温厚篤実、父母に孝。茶業振興に意を注ぎ、明治二十三年、製茶業の泰斗、川根流開祖、山本長右衛門より業(わざ)を受け、師の歿後、門人戸塚豊蔵に就き、益(ますます)研鑽を重ね、静岡県茶業教師を拝命す。
※ 泰斗(たいと)- その道で最も権威のある人。大家。
※ 研鑽(けんさん)- 学問などを深く究めること。


同二十八年、長崎県茶業連合会議所より、戸塚氏と招聘する所となる。同四十、四十一両年、岐阜県の請いを納(い)れ、川根製茶法を講じ、以って普及を計る。

(つと)に、郷土川根茶製法を嘆じ、逐年、粗に流れ、声を放ち、價(価)日々失墜す。東奔西走、同志を糾合し、明治三十三年、製茶共同販売組合誘益社を創立、高く茶を飲むべしと唱う。眼目を品質改善に置き、茶園栽培、製造法の伝習、製品の加工、販売の統制など、指導を経営者に任す。
※ 逐年(れい)- 年がたつにつれて。年を追うごとに。年々。
※ 糾合(きゅうごう)- ある目標のもとに、人々を呼び集めること。


三十余年、本社今日の盛事、寔(まこと)に氏の熱誠の結晶と謂うべきなり。氏また村会議員、会各種団体委員、及び榛原郡茶業組合総代等の職に在り、功績また大いに見るべきもの有り。

昭和六年四月、不幸にして本社屋、祝融の災に遇う。翌七年四月、再建成る。君その委員長となり、爾来社長職に在る。鋭意精励、着々功を収む。然るに天は齢を仮(ゆる)さず。同年六月、病を得て歿す。享年六十有六。これに於いて、景慕、措(お)く能わず。その功徳を無窮に伝うことを欲し、社中相謀り、この碑を建つ。
※ 祝融の災(しゅくゆうのさい)- 「祝融」は中国古代、神話上の帝王。火神とされた。「祝融の災」で、火災のこと。
※ 景慕(けいぼ)- 仰ぎしたうこと。


                   勲八等伊藤泰吉撰並び書
      昭和十年三月           並び、誘益社これを建つ
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