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上越秋山紀行 下 25 六日目 上結東村 2

(掛川図書館脇のナンキンハゼの紅葉)

午後、近所の芋会に出席する。宵の口まで飲み食いする。

「上越秋山紀行 下」の解読を続ける。

何れ塵芥(ちりあくた)の筵のうえ、居ること見合わせしに、右の叺(かます)の影より、薄畳、表は先に記せし如く、山菅の手織りと見え、荒々しきを炉端に二枚並べて敷き、こゝもまた、四、五尺四方の大地炉(いろり)の端にて、股引取り、帯仕直して、主らが山挊(はたらき)して帰るを待ちしが、日暮れて後、一度に帰る。

その中に太右衛門老人は七十九の齢にて、杖さえいらず、日々旦(あさ)より挊に出、夕べに帰る。その勇壮なる事、言語の及ぶ所にあらず。この翁の忰、亭主なるものは、初老位なり。兎角する内、その家は米の貯えも幸いにありて、この地の産、大根輪切りの煮ものに、精進らしき膾(なます)に盛り、膳の縁、一寸五分位に甚大なる白木の栃にて足なく、赤碗の剥げたるに、飯を堅く捻(ひね)り盛り揚げ、自然に、木の節より、直なる枝ある燭台に、此處(ここ)はやゝ里近く、細き蝋燭を燃し、
※ 弇(えん)- 蓋のある器。

予は近頃少食ゆえ、箸を以って碗の縁際よりわけて、傍の桶屋に助けさせるに、今宵は久しぶりにて、この家の米飯炊して、宿の翁に相伴(しょうばん)させけるに、雲珠(うず)高く盛りたる飯を、四、五ぜんさら/\と、喰い仕舞うに、一向感を催し、頓(やが)て、大火燃ゆ炉辺に摺り、段々翁が噺を聞くに、流石この村の長かして、秋山言葉の可笑しみもなく、折々里へ出て附き合わしたる者のよしなれば、悉く笑談鮮かなり。

先ず翁か童顔を祝し、齢七十九と雖ども、山畑に終日奔走は、完(まった)く無病と見え、上下の歯並びも白く、その上、双鬢(そうびん)、眉毛に至るまで、白きを見ずと問うに、推量通り、元来無病にして、一日も懈怠なく、生質、挊(はたらき)が好きにて、歩行に杖もいらず。草鞋、草履も大ていは履かず。近年虫歯にて、奥歯一つ欠けたけれども、焼餅は朝と、稗で殊更堅くても、喰うと云う。即興、

  幾とせも かく病まざるの 身にしあらば
    医者も草履も 知らず過ぎ行く


家翁が云う。拙七十九はおろか、この村纔か二十九軒なれども、八十に余る老人、まだ四、五人あり。近頃九十八で死んだものもありと云う。またこの家、この村の姓、並びに支配は何方と問うに、苗字は瀧、渾名は太右衛門と申す。この村大方、滝沢の同姓、その余は山田の氏なり。

こゝの地頭は、以前は会津の御支配なれども、妻有十日町の元大割関口、ここは格別御上の貢の役にもならずとや思うて、寛政十年午の年、会津領の手を切られ、據(よんどころ)なく、上妻有、秋成村祖右衛門と申す庄屋へ願い、支配してもらい、地頭は脇野町御代官地となり、またこの秋、出雲崎とやらの御代官になられたとも云う。
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