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上越秋山紀行 下 34 秋山言葉の類 2 (終り)

(庭のビオラ)

頂いてきたビオラなどの苗、年内には地に植えなければならない。

「上越秋山紀行 下」の解読を続ける。

一 すべて衣類をぶうとうと云う。その上に、細絹など着るもあり。これは山にあるイラと申す草を製し用い、油袋などに里へも売り出すとなん。ぶうとうは我等方にても申すなり。いかにも破れたる垢付きたる衣類を訛りにて申すなり。

一 寒中には里の藁筵の如く、長く織りたるを二つに折り、叺(かます)にいたし、その中へ柔かなる干草、または藁のしび入れて、その中へ体を入れて寝る。夫婦はひとしお大きなる叺に入り寝る。何れ叺を用いるは、まだ上品なり。多くは極寒と云えども、帯解かずそのまゝに臥し、また炉に大火を焚き、その辺りに寝るもあり。この話、書くうちに不図(ふと)思い出るにまかせて、
※ しび - しべ。藁の穂の芯。わらしべ。屑藁。

  みちのくの 菅にもならで 秋山の
    叺の中に 妹と背がねる


一 茶煎は予が立寄る毎に、家々に見たる。皆な鍋欠けなり。

一 米は一年中に、大晦日の晩に限り。正月三箇日は栃にも餅栃と云うあり。これを製して三ヶ日は栃餅を食べる。また春、秋、日待ちと云うありて、右の栃餅を搗く。ここに一つの噺あり。一とせ、見玉の者、借金にもまれて、秋山へ逃げ行く時に、秋山の知り人の方を尋ね、鯖二た掛け土産に持ち行くに、大丗日(大晦日)の夕飯に、家内の者、一と切れずつ焼いて喰う。折からその家に老人あり。家内へ申すには、シャバ(娑婆=鯖)で年取るは今夜切りと訛りて申すとかや。これ見玉村に頃日(近頃)(とま)りし時の茶話なり。かゝる間違いの異語、その外数々ならめと、予は聾にして、家族は気遣いそうに、何一つ噺もなく、却って老人達の里言葉勝ちが、予が為には地走(馳走)ならず、なれどせんすべなし。

一 十月より三月まで雪の内は、村により栃餅がちに喰う。その白き事、雪をあざむく。製し方、前巻に記せし故略す。その余、この土地の上食は、粟に小豆交ぜたるなり。朝には年中、稗焼餅にて、また貧なるものは粟糠に稗を交ぜ飯に焚く。雑水(雑炊)は秋より末は暫くの内、蕪の根を葉がらみに切り刻み、乃至、三人位の家内の食用なれば、稗の粉一合位も入れて、煮立つ時、掻い交ぜて喰う。また楢の実を製して食うもあり。故に四十六年の昔、卯の凶年には木の実もならず、畑ものも実らず、飢死する外なし。故に里地へ乞食に出、疱瘡も厭わず。道路に餓死する者多し。取わけ秋山の内にても、上の原、和山など、栃、楢の実がちに用いるとなん。

一 秋山中に梅の木一本も見ず。これ深山の奥にて育たぬと見えたり。況やその余の庭木らしきは更になし。今、四、五十年も過ぎれば、必ず好事のものありて、谷水自在に、大小奇石多き故、泉水、築山など楽しむ、もの好きも有ぬべし。実に大平の御代続き、逐年里振りを習うに故こそ。
※ 好事(こうず)のもの - 好事家。物好きな人。また、風流を好む人。
※ 逐年(ちくねん)- 年がたつにつれて物事が進行・変化すること。年々。


一 稲、入口の秋山、下結東、上結東、清水川原、小赤澤などに、田二、三枚、三、四枚ずつ見たり。小赤澤にて老人の噺に、稲は里ならでは出来ぬものと心得しが、極早きものは、四、五十年以前、少し植え始め、多くは十四、五年この方、家の辺に一、二枚ずつ、田を堀り耕(たがや)すとなん。

一 味噌は大豆作る故、製しても糀(こうじ)は少しも入れず。その月々に早製して用いるがして、納豆の匂いすと桶屋が云う。

一 荏草を落しながら慰みのように喰う。
※ 荏草(えぐさ)- えごまのこと。

一 火口を、ほっちと唱う。茶碗を、石五器と云う所もあり。

一 人が立ち寄ると、何処からわせたと云うて、大なる盆をさし出す所あり。これを、つもの盆と云う。この方より手をさし出すと、もの摘みなされと申す。これが礼儀のよし。

一 座敷の事を、唐戸と云う。

一 男の褌(ふんどし)の事を、尻くゝりと云う。女の褌を、サネスダレと云う。

一 人の死したる時、坊主と云うもなければ、夜に入り、近処ある村は、十四、五才以下の童の男女集りて、回向のただ同音に、ナマ/\と唱え終りて后、粟の赤飯を出す。十五以上の者は寄らず。

一 持って来よと云うを、モツコウと云う。


これで「秋山紀行上下」を読み終えた。年内に切りよく終えられて、気分が良い。
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