goo

「江戸繁昌記 ニ篇」 24 葬礼1

(白花ヒガンバナに止るミヤマアカネ)

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。今日のテーマは「島田東光寺五輪塔遺跡と浜岡石塔群 -中世墓と中世石塔をめぐって-」であった。江戸繁昌記で、今日から読むのが「葬礼」の項、時代が中世と江戸時代で少し違うものの、図らずもテーマが重なってしまった。火葬と土葬、九相図の世界など、興味津々の内容で、いずれこのブログでも触れることになると思う。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

      葬礼
一気蒸々生々の理、万古(尽く)さず。千彙万品、方(まさ)に死し、方(まさ)に生じ、に入り、を出し、人と為り、馬と為る。一閭伍中の左次平爺、四国巡りて猿狙と為る。老聃、これを指して、これを衆妙の門と謂う。
※ 蒸々(じょうじょう)- よい方へ進むさま。向上。
※ 生々(しょうじょう)- 生まれては死に,死んでまた生まれることを,永遠に繰り返すこと。
※ 万古(ばんこ)- 遠い昔。また、遠い昔から現在まで。永遠。
※ 千彙万品(せんいばんぴん)- 万物。あらゆるもの。宇宙に存在するすべてのもの。
※ 機(き)- 物事の大事なところ。かなめ。
※ 閭伍(りょご)- 古代の村の組合。五人組。
※ 猨狙(えんそ)- 猿のこと。
※ 老聃(ろうたん)- 老子のこと。
※ 衆妙の門(しゅうみょうのもん)- 全てのものが生まれ出るとされる門のこと。


孔子もこれを由(ゆ)して出でて、釈伽もこれを由して出る。柳原の夜唱(ヨタカ)もこれより出で、吉原の名妓(オイラン)もこれより出でる。大福餅師も出(い)で、煨薯蕷叟も出ず。一茎百金の万年青(世人、近来万年青を愛す)、四銭一束の小松菘も、並びにこれを由(ゆ)して出でて、千々万々色を為す時は、則ち、今生封侯、前生何れの所の馬骨なることを知らず。
※ 煨薯蕷叟(わいしょよそう)- (「薯蕷」は、ナガイモまたはヤマノイモ。)焼き芋屋の爺さん。
※ 万年青(おもと)- 江戸時代、主に大名、旗本の間でブームとなり、18世紀末の寛政年間、「金生樹」(カネノナルキ)と呼ばれた万年青は、現在の価格で数千万から1億円相当の値がついた。
※ 小松菘(こまつな)- 小松菜。江戸時代なかばまでは「葛西菜」とよばれていた。葛西菜が品種改良され、小松菜になる。糞尿を持ち帰って下肥とし、野菜を江戸に運んだ葛西船を連想されるのを嫌い、常盤の松にあやかった小松の名を採ったとされる。
※ 今生(こんじょう)- この世に生きている間。この世。現世。
※ 封侯(ほうこう)- 諸侯に封じること。また、封土を与えられて諸侯の列に連なること。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「江戸繁昌記 ニ篇」 23 散楽(能)5

(庭の木陰にひっそり咲くヤブラン)

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。今日で「散楽(能)」の項は終る。

天保二年秋、猿若勘三郎、世を継ぎ、坐を践す。例を照(てら)して古演戯を作し、古什具を陳す。予、戯場に往かざるは、今に廿年。然もその古(いにしえ)の字(な)を聞くなり。古を観るの観、観を試さんと欲して、適々(たまたま)一賞古客の邀(むか)うるに遇(あ)う。因って観るを得たり。
※ 践す(せんす)- ふみ行う。地位につく。
※ 演戯(えんぎ)- ここでは、演劇。芝居。
※ 什具(じゅうぐ)- 日常使う道具や家具。什器。
※ 一賞(いちしょう)- 一舞台をめで楽しむ。


戯台(舞台)一面、散楽場を作(な)す。人もまた散楽なり。物もまた散楽なり。既にして伎(わざ)を呈すれば、則ち、鼓声、笛音、皆な渋くて且つ低し。更に雑(まじ)ゆるに、三弦を以ってす。似て非なるもの、終に散楽たることを得ざるなり。始めて、前日の睡の惜しむべきを覚う。
※ 三弦(さんげん)- 雅楽で用いる三種の弦楽器。和琴(わごん)・琵琶・箏の総称。

初め、古器数色を陳す。錦綺爛燦、匣(はこ)発すれば、光、(ふる)。居士、遠く聾楽棚(ツンボウサジキ)に在り。細かにその何物たるを、審(つまびら)かにすること能わず。
※ 数色(すうしょく)- 数種。
※ 錦綺(きんき)- にしきとあやぎぬ。あやにしき。
※ 爛燦(らんさん)- 光り輝くさま。また、華やかで美しいさま。
※ 発す(はっす)- ひらく。
※ 揮う(ふるう)- まき散らす。外にあらわし出す。


(わず)かに、官に賜る金麾を認むるのみ。今の団十郎白(もう)す。年、纔かに十歳許りなるべし。一拝一白、詳(つまびら)かに故事を演説す。然し、稠人中、少く屈色無く、声朗かに辞(ことば)達す。謂うべし。市川氏、子有り成り立つ。想うべし。嗟嘆して帰る。
※ 官に賜る金麾 -「金麾(きんき)」は金色の麾(まねき)。「麾(まねき)」は、幟の上部の横竿に付ける小旗で、古くは経文や護符や吉言が書かれていて、幟に描かれている一族の紋所に武運と栄を招く物とされた。なお、この時、猿若勘三郎が披露した「金麾(きんき)」は、寛永九壬申年、伊豆国より「あたけ丸」と云う大船入湊の節、綱引きの音頭を勤めた時に、拝受したものという。
※ 一拝一白(いっぱいいっぱく)- 一目見て一言申す。「拝白」は拝啓と同じ。
※ 稠人(ちゅうじん)- 多くの人。衆人。
※ 屈色(くっしょく)- 退屈する様子。
※ 嗟嘆(さたん)- 非常に感心して褒めること。嘆賞。


寛永元年、中村氏の戯場開基。その続き行わるゝもの二百餘年、その家、相継ぎて今十二世に至ると云う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「江戸繁昌記 ニ篇」 22 散楽(能)4

(早くも咲きだしたヒガンバナ)

こちらに向かっていた台風13号も、今朝未明に温帯低気圧になって、名残りの雨が一日降ったり止んだり、降る時は屋根を叩くように降った。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

また清世余事、繁華の一具、天保元年秋、観世氏、勧進楽場幸橋外に設け、演戯百曲限りに旬日を以ってす。鼉鼓龍笛以って太平を鳴らす。
※ 清世(せいせい)- 穏やかに治まっている世。太平の世。
※ 余事(よじ)- 仕事のあい間などにする他の事。余暇や余力でする事。本筋以外の事柄。他事。
※ 天保元年秋 - 観世大夫は、江戸幕府によって、太夫一代一度限り許される勧進能を行う特権を持ち、これを「一世一代能」、「一代能」、「御免能」と称した。これは数日間に渡る興行で、江戸町民は強制的にこの入場券を割り当てられたため、かなりの収益をもたらした。正しくは「天保二年秋」。
※ 楽場(がくじょう)- 能楽堂。
※ 幸橋(さいわいばし)- 江戸城外堀に架かった幸橋と幸橋御門は江戸城三十六見付の一つ。
※ 演戯(えんぎ)- 演技。俳優などが舞台で芸を演じて見せること。また,そのわざ。
※ 旬日(じゅんじつ)- 10日間。10日くらいの日数。
※ 鼉鼓(だこ)- 長江に棲息するワニの皮を張った太鼓。大太鼓。
※ 龍笛(りゅうてき)- 雅楽で使う管楽器の一つ。竹の管で作られ、表側に「歌口」と7つの「指孔」を持つ横笛。和楽器の横笛の原型。


予が来たり観る、第十一日に値(あた)る。楽名一に曰う、邯鄲。二に曰う、土蜘(蛛)。三に曰う、雲雀山。四に曰う、鉄輪(カナワ)。五に曰う、融(トヲル)
※ 土蜘蛛(つちぐも)- 室町時代の末期に制作されたと言われている鬼退治もの。
※ 雲雀山(ひばりやま)- 中将姫が登場する能の作品。狂女物に分類される。
※ 鉄輪(かなわ)- 夫に捨てられた女が貴船神社へ丑の刻参りをして恨みを晴らそうとするが、安倍晴明に祈り伏せられる。「鉄輪」は五徳のことで、頭に付けその足に蝋燭を縛る「丑の刻参り」の扮装。ヘッドランプの役割であろう。
※ 融(とおる)- 貴人物・太鼓物に分類される。世阿弥作。平安時代の左大臣源融とその邸宅・河原院をめぐる伝説を題材とする。


觚、觚ならず。士、士ならず。商、商ならず。儒、儒ならず。世皆な然り。而して、千古一日、古を古中ならずに覧るは、また妙ならずや。然も既に已に、古(いにし)えなり。また甚だ、今の人の眼に上らず。観る者多くは(う)。因って知る。儒にして儒なる者もまた、今の人の眼に上らず。
※ 千古(せんこ)- 遠い昔。太古。また、太古から現在にいたるまでの間。
※ 倦む(うむ)- 退屈する。嫌になる。飽きる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「江戸繁昌記 ニ篇」 21 散楽(能)3

(庭のホソバヒイラギナンテンの花)

庭に、何か花が咲いていないかと探して見付けた、地味な花である。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

伝に曰う、神某の尊、俳優と為る。記に(日本記)、皇極帝四年、中臣鎌連、俳優某をして、蘇我臣が佩刀を解か教(し)むる事を載す。俳優の名もまた旧たり。後に散更(散楽)と曰い、猿楽と曰いて、田楽なるもの、猿楽より出でて、(俗説、田は申の省字、申即ち猿)盛んに北條氏の時に行わる。
※ 俳優某 - 日本書記には、「乙巳の変」の項に、「入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣を外させていた。」とある。
※ 佩刀(はいとう)- 刀を腰におびること。また、その刀。帯刀。
※ 散更(さんがく)- 散楽(さんがく)。訛って猿楽とも呼ばれた。


足利氏に至りて、鹿園慈昭、二公、皆な猿樂を好む。伶工観世氏、これに出でて、猿楽また盛り、田楽遂に衰(おとろ)う。
※ 鹿園(ろくおん)- 室町幕府第三代将軍足利義満。鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させた。
※ 慈昭(じしょう)- 室町幕府八代将軍足利義政。慈照寺(銀閣)を建立。東山文化の代表的な建物。
※ 伶工(れいこう)- 楽人。音楽を奏する人。俳優。
※ 観世氏(かんぜし)- 能の流派の一つ、観世流。大和猿楽結崎座(ゆうざきざ)の流れで、幕末までは観世座といった。観阿弥清次を流祖とする。江戸時代には四座一流の筆頭とされた。


寛正中(1461~1466)、観世氏、猿樂を糺河原に舞わす。これを勧進能権輿(ハジメ)と為す。爾来、続き行われて、これを千載の今に絶えず。且つ、今にして、三綱五常の外、觚にして觚なるもの、これを除いて、天下にまた有る無し。
※ 糺河原(ただすがわら)- 京都、賀茂川の河原。
※ 勧進能(かんじんのう)- 本来は神社仏閣の建設・修繕費用を集めるための能興行。後には、勧進の目的が薄れた。
※ 権輿(けんよ)- 物事の始まり。事の起こり。発端。
※ 三綱五常(れい)- 儒教で、人として常に踏み行い、重んずべき道のこと。(「三綱」は君臣・父子・夫婦の間の道徳。「五常」は仁義礼智信の五つの道義。)
※ 觚(こ)- 中国古代、儀式に用いられた大型の酒器。細い筒形の胴に朝顔状に開いた口縁と足とがつく。
※ 觚にして觚なるもの -(「觚」は本来儀式用の物なのに、酒飲み用のものまで「觚」と呼ぶようになった)名と実が伴っているもの。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「江戸繁昌記 ニ篇」 20 散楽(能)2

(稲刈りが終った田んぼ)

午後、榛原まで修理の炊飯器を取りに行く用があり、途中車で秋らしい風景を探しながら行った。ここへ載せる写真を一枚ゲットするために。結果、得た一枚である。周囲に鳧(ケリ)が数羽、警戒の鳴き声を立てながら飛び回っていた。収穫が済むと、やがて鳧(ケリ)が巣作りして、卵を産む。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

何ぞ省(かえりみ)せん、片時の栄、終(つい)に一夢の幻に属するを。楽しいかな、王都の風色麟閣阿房映射光を交え、丹墀、玉堆(うずたか)繍戸風香(かんば)し。人麗々、物煌々、かの寂光土に遊ぶと雖(いえど)も、安(いずくん)ぞ、この楽で且つ康(やす)きに(し)かん
※ 風色(ふうしょく)- 眺め。景色。風景。
※ 麟閣(りんかく)- 麒麟閣。中国、漢の武帝が長安の宮中に築いた高殿。麒麟を捕らえたのにちなんで命名したという。
※ 阿房(あぼう)- 阿房宮。中国の秦の始皇帝が、渭水(いすい)の南に建てた大宮殿。
※ 映射(えいしゃ)- 太陽が照り輝くこと。また、物体が光を受けて照り輝くこと。
※ 丹墀(たんち)- あかくぬりたる庭、天子の殿階の下。
※ 繍戸(しゅうこ)- 美しく飾ったへや。
※ 麗々(れいれい)- うるわしくきわだっているさま。
※ 煌々(こうこう)- きらきらとひかり輝くさま。
※ 寂光土(じゃくこうど)- 宇宙の究極的真理としての仏陀が住する浄土で,永遠で煩悩もなく,絶対の智慧の光に満ちているという。四土の一つ。
※ 如く(しく)- 匹敵する。


(この居士に至り、倦困坐睡、耳辺、ただ洋々たる音聞え、これ久しく、気蘇り、則ちまた適(たま)に盧生、夢の覚状(覚めた様子)を作り見る)
※ 倦困(けんこん)- 飽きて疲れ弱ること。
※ 坐睡(ざすい)- 座ったまま眠ること。いねむり。
※ 気蘇る(気よみがえる)- 目覚める。


盧生、夢醒め、恍然として起つ。五十の春秋、歓楽已(や)めり。三千の宮女、弦歌の声、化して一道の松風と為り、数百の宮殿、佳麗、跡無く、身は邯鄲の客舎中に在り。王位の栄華、千歳の寿、皆なこれ、黄粱一炊空し。南無三宝、南無三宝、これを思うは、この枕、能(よ)く人をして出離し、を発(ひら)かせ教(し)む。(盧生、枕を拝み入る)
※ 恍然(こうぜん)- 心を奪われてうっとりするさま。
※ 一道(いちどう)- ひとすじ。
※ 黄粱一炊(こうりょういっすい)- きびを炊くほどの時。(きびが炊ける間に見た昼寝の夢、束の間の夢のことを示す。)
※ 南無三宝(なむさんぽう)- 仏に帰依を誓って、救いを求めること。また、突然起こったことに驚いたり、しくじったりしたときに発する言葉。(「三宝」は、仏・法・僧のこと)
※ 出離(しゅつり)- 迷いを離れて解脱の境地に達すること。仏門に入ること。
※ 蒙(もう)- 道理をわきまえず、愚かなこと。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「江戸繁昌記 ニ篇」 19 散楽(能)1

(庭のムラサキシキブ)

夜、金谷宿大学役員会へ出席する。議題がたくさんあり、9時までかかる。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。今日より「散楽(能)」の項である。

    散楽(俗にこれを能と謂う)
※ 散楽(さんがく)- 奈良時代に中国から渡来した雑芸。軽業・曲芸・奇術・滑稽物真似などを含み、相撲の節会・競べ馬・御神楽などに行われた。のち田楽・猿楽などに受け継がれ、猿楽能の母体ともなった。
浮世の旅況、夢中の思い、遠行万里、程期無く、箇(こ)は這(こ)中の人、氏(うじ)盧生なる者、 盧生曰う、我れ人間(じんかん)に在りて、未だ嘗(か)つて仏に奉ぜず。安閑に日を送ること、實に多し。聞く、に高僧有り。現に某の山に住すと。一たび来りて、身後の大事を聴かんと念(おも)い、今乃(すなわ)ち、急歩し来たる。(口中、言急げど、脚則ち極く緩く)
※ 旅況(りょきょう)- 旅の様子。
※ 程期(ていき)- おおよその期間。
※ 蜀(しょく)- 現在の四川省、特に成都付近の古称。
※ 盧生(ろせい)-「盧生の夢」あるいは「邯鄲の枕」の逸話の主人公。
※ 安閑(あんかん)- のんびりとして静かなさま。心身の安らかなさま。
※ 楚(そ)- 中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。
※ 身後(しんご)- 死んだのち。死後。
※ 急歩(きゅうほ)- 急いで歩くこと。急ぎ足。


故天を回顧すれば、遥々已に遠し。山また山、川また川、雲栖(うんせい)昨日暮れ、水泊今日暮れる。早く已に邯鄲に到着せり。(盧生、枕を見、喜状を作(な)す)曰う、聞く所の邯鄲の枕はこれ、これか。一夢、(うべ)く試みん。応(まさ)に天公の賜(たまもの)なる。日影、未だ残せり。仮寝少時せん。(盧生枕を把(と)り臥す)
※ 故天(こてん)- 故郷の天。
※ 邯鄲(かんたん)- 中国河北省南部の工業都市。
※ 喜状(きじょう)- 喜びのようす。
※ 宜(うべ)- 肯定する気持ちを表す。なるほど。いかにも。


使者出で、(盧生を呼び醒ます)曰う、請う、起きて勅を受けよ。(生、驚き起く)曰う、知らず、何の故ぞ。楚王、使いを遣(つかわ)して、位いを盧生に譲る。偶然、に登る。その情を審(あきら)かにせず。 使者曰う、想うに、君自らこの福有らん。請う、速かに輿(こし)に上れ。玉輿煥發、原(もと)、乗り慣れはせず。喜意、真に、天津に向いて雲桟を渡るが如し。
※ 祚(そ)- 天子の位。
※ 玉輿(ぎょくよ)- 玉の輿。
※ 煥發(かんぱつ)- 輝くように現れ出ること。
※ 喜意(きい)- 喜びの気持。
※ 天津(てんしん)- 天の港。
※ 雲桟(うんさん)- 断崖の中腹に架けた桟橋。また、険しい山道。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

売渡し田地添え証文  駿河古文書会

(近江屋「売渡し田地添え証文」)

金曜日の駿河古文書会、当番だったが、課題は早く終わり、時間が残りそうだったので、前日に急遽、手持ちの未読の古文書を準備した。古本屋T氏から提供された、金谷宿の近江屋の文書である。

案の定、課題が終って時間が一時間近く残ってしまった。休憩を10分ほどとって、この文書を読むに15分と掛らないであろう。まだ30分近く時間が残る。そこで、この文書を手に入れた過程を話した。T氏からゴミ同然になった近江屋の文書を借りて来た。鼠のおしっこがかかったような和紙に墨で書かれた文書が、くちゃくちゃに丸められて、段ボールに入っていた。一枚づつ洗って天日で干して皺を伸ばす作業を、猛暑の夏に一週間ほど掛かって行い、200枚ほどの古文書を整理した。その苦労話をしてみた。

たくさんの人に話をして、興味をもって聞いてもらうコツの第一は、最初の「つかみ」だと、大学教授の友人に聞いたことがある。まず初めに一つ笑いを取ることで、聴衆は聞く姿勢になる。この会は、平均年齢が70代であろうか、30数人の会員から、会合の中で笑い声を聞いたことは、ほとんど記憶になかった。

これはハードルが高そうだと思った。しかし、爆笑と言うわけにはいかなかったが、二度ほど笑い声が聞こえた。一つは「汚くて、洗った後でないと家の中に入れて貰えない」という所、もう一ヶ所は「補修に和紙を張るのにスティックのりを使った」という所。少し人前で話す楽しさを知った、講座当番であった。

追加で用意した、金谷宿近江屋の古文書である。書き下して示す。

  売渡し申す田地添え証文の事
 一 金壱両也
右は、前々売渡し申す、下田壱反拾弐歩、分米壱石四升、
海戸、田代金弐拾五両弐分にて、渡し置き申す処、當戌
拾ヶ年限相成り候故、追加金書面の通り請け取り申し、
合わせて、金弐拾六両弐分にて、貴殿方へ永(なが)売り渡し申し候。
この末、右証文を以って、其許(そこもと)名田所持相成るべく候。
後日のため、加判証文、よって件の如し。
 文政九戌年十二月
            売主 洞善院 ㊞
            証人 醫王寺 ㊞      
        近江屋文次郎殿


※ 分米(ぶんまい)- 近世,検地による土地の公式の収穫高。石盛(こくもり)に面積をかけ あわせたもの。
※ 海戸(かいと)- 垣内(かいと)で、意は「農場として囲い込んだ場所」。字名には多く、金谷に、三ヶ所ある。(神谷城、菊川、佐夜鹿)
※ 其許(そこもと)- 二人称の人代名詞。同輩またはそれ以下の者をさす。そなた。
※ 名田(みょうでん)- 荒地を開墾、あるいは譲り受けた田に所有者名を冠した田。名田の名主は年貢の納付機関としての役割を負っていた。
※ 洞善院、醫王寺 - いずれも金谷に現存する寺。


今の所、この近江屋が何を生業にしていたのか、分っていない。200枚の文書を、これから少しずつ解読して行くうちに、何か解ってくるのではないかと、興味津々である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大助郷免除歎願書(下)  駿河古文書会

(庭のペチュニア)

ツクバネアサガオとも呼ばれている。もう10数年、庭に自生して、年々色が薄れてきた。我家に来た頃には、もっと色がはっきりしていたが。

(昨日の続き)
(ことさら)、元来田方は数なく、皆な畑同様の村々に候えども、日々山稼ぎを大いに専(もっぱら)に仕り、大小豆その外、粟、稗のみ作付け、米穀は過半駿府町より買い請け、取り続き居り候儀の処、近来、肝要の米価は勿論、諸色とも格外引上り、別して昨今に至り候ては、往古に聞き伝えもこれ無き莫太(ばくだい)の高直(こうじき)に相成り、何程出情(出精)いたし候ても、妻子扶助致すべき穀代とても、引き足り申さず、その外、入用の儀も右に准じ候間、日々の失費大金におよび、
※ 肝要(かんよう)- 最も必要なこと。

余儀なく最寄り身元の向き向きへかけ廻り、夫々借入れ、漸々(ようよう)その日を取り続き来たり候えども、最早、借入手段(てだて)も尽き果て、返済行き届き難しと、自然不義理に相成り、この節、更に融通相付き申さず、殆んど困窮仕詰め、日々取続き方、如何(いかが)仕るべきやと、日夜心痛罷り在り候場合にて、

恐れながら前顕(ぜんけん)川越し役の儀も、実(まこと)以って難渋仕り、兼ねて御歎願申し上げ奉りたく、存じ居り候折柄、今般府中宿助郷仰せ付けられ候ては、第一、二重の御役に相成り、とても勤め方出来がたく候に付、これまで村々役人ども、種々評儀仕り候えども、如何(いか)にも困窮の者ども、この上出府御歎願申し上げ奉り候にも、差向け諸雑用の手段尽き果て、誠に以って危急存亡の際(きわ)に陥り、礑(はた)と当惑仕り候間、
※ 危急存忘(ききゅうそんぼう)危急存亡。生き残れるか死ぬかの瀬戸際

是非なく、今般歎願奉り候は、何とぞ格別の御憐愍を以って、前顕の次第、聞こし召し訳けさせられ、この上、当分助郷の儀は御免除成し下し置かれ候様、恐れながら、その御筋ヘ仰せ立てさせられ、下し置かれたく、この段、幾重にも歎願奉り候、以上。

 慶應二寅年五月         当御代官所
                   駿州安倍郡
                     油山村
                      名主
                       長左衛門
                     松野村
                      名主
                       伝兵衛
                     桂山村
                      名主
                       久左衛門
                     長熊村
                      名主
                       善右衛門
                     落合村
                      組頭
                       忠四郎
  中山誠市
   紺屋町
    御役所
※ 慶應二寅年 - 1866年。第十四代将軍家茂。十二月に、第十五代将軍慶喜。
※ 中山誠市 - 正しくは中山誠一郎。慶応元年 ~ 慶応三年 駿府代官。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大助郷免除歎願書(上)  駿河古文書会

(散歩道のクロタラリア・スペクタビリス)

午後、駿河古文書会に出席する。今回初めて3週連続の会となる。今日は自分の当番で、以下で紹介する(所蔵者不明)の文書を担当した。

幕末、東西の往来が激しくなり、大通行と呼ばれるような大人数の行列が何度もあった。幕府は東海道筋に対して、今までの助郷では通行が捌ききれないために、より広範囲の村々に助郷を広げようとした。そのため、余裕のない山間の村々にまで、助郷の触れ当てが行われることになった。当然、村々からは悲鳴が上がる。

以下、書き下し文で示す。会で修正が加えられた点、また、疑問とされた点は、ここで修正などを加えた。

   恐れながら書付を以って歎願奉り候
当御代官所、駿州安倍郡桂山村外四ヶ村、役人ども一同申上げ奉り候。

私ども村々の儀は極めて山内にて、元来辺鄙(へんぴ)の土地柄、何(いず)れも困窮の村々に御座候間、往古より助郷その外御役など、相勤めず、
※ 辺鄙(へんぴ)- 都会から離れ、不便なこと。

先年朝鮮人通行の砌、安倍川大助郷川越し役、仰せ付けられ、相勤め候趣は、聞き伝えまでの義にて、その後、御役など相勤めざる義に御座候処、去る亥年、御上洛より引続き、臨時大御通行の節々、右安倍川大助郷、川越し役御触れ当てこれ有り、素々(もともと)山内遠方などにて、右御役極々難渋には候えども、平年にこれ無き容易ならざる御時節柄と、深く相弁(わきま)え、その時々粉骨砕身いたし、漸々(ようよう)御役滞りなく相勤め来り候儀の処、
※ 先年朝鮮人通行 - 宝暦十四年(1764)の江戸まで来た最後の朝鮮通信使。
※ 大助郷(おおすけごう)- 定助郷に対して、行列人数が多数のとき、臨時に宿駅に人馬を出す地域。
※ 亥年御上洛 - 文久三年(1863)三月、第十四代将軍徳川家茂の上洛。


今般私ども村々、道中御奉行様より、東海道府中宿、当分助郷仰せ付けられ候趣を以って、御印書頂戴奉驚き入り奉り、種々評儀中の折柄、差向け御請印形は仕り候えども、一躰、私ども五ヶ村の儀、去る寅年大地震の節、山崩れなどにて多分の亡所出来(しゅったい)、その上、山内困窮と申す内にも、至って人少なの村々に付、前書御触れ当て御座候川越し役さえ、時々差し支え、多分は買い揚げ人足を以って、御役相勤め候儀にて、右などの失費少なからず、
※ 一躰(いったい)- もともと。元来。
※ 去る寅年大地震 - 嘉永七年(1854)十一月四日、安政大地震。
※ 亡所(ぼうしょ)- 耕作者などが逃亡して荒れ果ててしまった田地。
※ 觸當(ふれあて)- 役所が村落に、金品供出や人員召集を割り当てる。

(後半は明日に続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「江戸繁昌記 ニ篇」 18 混堂(ゆや)16

(家の屋根のアオサギ)

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。「混堂(ゆや)」の項は今日で読み終える。

二客(李蹊と知章)、予が感激、措(お)かざるを見て、予をして、一言を貽(おく)りて、益々その孝養を勉(つと)め使(しめ)んと請う。即ち、春山文斎と同じく、各々一絶を(ふ)、且つこれが序を為し、二客に縁(より)て転遺す。
※ 春山、文斎 - 小松春山と松本文斎。いずれも、寺門静軒の門人。
※ 賦す(ふす)- 題を割り当てられて詩を作る。


春山が詩に云う、(これが序に当る)
  日辺桃碧雲間杏    日辺、桃、碧雲間の杏(あんず)
  都向春風闘衆芳    都(すべ)て春風に向いて、衆芳を闘わす
  窮谷誰思秋冷處    窮谷、誰か思わん秋冷なる処、
  玉蘭花發放幽香    玉蘭花発(ひら)きて、幽香を放たんとは
※ 日辺(にちへん)- 太陽のあたり。天上。
※ 碧雲(へきうん)- 青みがかった色の雲。青雲。
※ 衆芳(しゅうほう)- たくさんの香りの良い花。
※ 窮谷(きゅうこく)- 深い谷。
※ 玉蘭(ぎょくらん)- 白木蓮(はくもくれん)の漢名。
※ 幽香(ゆうか)- 奥ゆかしくほのかなかおり。


文斎が云う、(これが転遺に当る)
  竭力詳心養老親    力を竭(つく)し、心を詳(つまびらか)にして、老親を養う
  出天孝義感天神    天に出ずる孝義、天神を感ぜしむ
  白頭不是窮経客    白頭、これを窮むる客ならず
  可比孔門負米人    比すべし、孔門負米の人
※ 孝義(こうぎ)- 孝行のこと。
※ 天神(てんじん)- 天の神。あまつかみ。
※ 白頭(はくとう)- 年老いて白髪になった頭。しらがあたま。老人のこと。
※ 経(けい)- 経書。儒教の経典。四書・五経・九経・十三経の類。
※ 孔門(こうもん)- 孔子の門下。
※ 負米の人(ふべいのひと)-孔子の弟子、子路は、若い時、極めて貧しく、自らは野草を食べながら、両親の為に、百里もの遠いところから、米を背負って持ち帰ったという故事による。


当時、居士、心に期す。庶幾は、異時、官、褒(美)を賜うの日、或はこれが証(あか)しを為さんと。而(しこう)して、予、幾く(日)も無く、家を移す。卒(つい)に、孝子と一言を接せずして去る。指を折れば今に三年、今、復た、孝子孝益々進み、老父なお恙(つつが)無く、官孝を旌(あら)わし、神これに福するや否やを知らず。今日、筆を転じて、これに至り、これに偶々(たまたま)前日の心を動かす。因って、贅記す。
※ 庶幾(しょき)- 心から願うこと。
※ 異時(いじ)- ほかの時。他日。
※ 贅記(ぜいき)- 余分なことを記すこと。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »