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「江戸繁昌記 ニ篇」 21 散楽(能)3

(庭のホソバヒイラギナンテンの花)

庭に、何か花が咲いていないかと探して見付けた、地味な花である。

「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。

伝に曰う、神某の尊、俳優と為る。記に(日本記)、皇極帝四年、中臣鎌連、俳優某をして、蘇我臣が佩刀を解か教(し)むる事を載す。俳優の名もまた旧たり。後に散更(散楽)と曰い、猿楽と曰いて、田楽なるもの、猿楽より出でて、(俗説、田は申の省字、申即ち猿)盛んに北條氏の時に行わる。
※ 俳優某 - 日本書記には、「乙巳の変」の項に、「入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣を外させていた。」とある。
※ 佩刀(はいとう)- 刀を腰におびること。また、その刀。帯刀。
※ 散更(さんがく)- 散楽(さんがく)。訛って猿楽とも呼ばれた。


足利氏に至りて、鹿園慈昭、二公、皆な猿樂を好む。伶工観世氏、これに出でて、猿楽また盛り、田楽遂に衰(おとろ)う。
※ 鹿園(ろくおん)- 室町幕府第三代将軍足利義満。鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させた。
※ 慈昭(じしょう)- 室町幕府八代将軍足利義政。慈照寺(銀閣)を建立。東山文化の代表的な建物。
※ 伶工(れいこう)- 楽人。音楽を奏する人。俳優。
※ 観世氏(かんぜし)- 能の流派の一つ、観世流。大和猿楽結崎座(ゆうざきざ)の流れで、幕末までは観世座といった。観阿弥清次を流祖とする。江戸時代には四座一流の筆頭とされた。


寛正中(1461~1466)、観世氏、猿樂を糺河原に舞わす。これを勧進能権輿(ハジメ)と為す。爾来、続き行われて、これを千載の今に絶えず。且つ、今にして、三綱五常の外、觚にして觚なるもの、これを除いて、天下にまた有る無し。
※ 糺河原(ただすがわら)- 京都、賀茂川の河原。
※ 勧進能(かんじんのう)- 本来は神社仏閣の建設・修繕費用を集めるための能興行。後には、勧進の目的が薄れた。
※ 権輿(けんよ)- 物事の始まり。事の起こり。発端。
※ 三綱五常(れい)- 儒教で、人として常に踏み行い、重んずべき道のこと。(「三綱」は君臣・父子・夫婦の間の道徳。「五常」は仁義礼智信の五つの道義。)
※ 觚(こ)- 中国古代、儀式に用いられた大型の酒器。細い筒形の胴に朝顔状に開いた口縁と足とがつく。
※ 觚にして觚なるもの -(「觚」は本来儀式用の物なのに、酒飲み用のものまで「觚」と呼ぶようになった)名と実が伴っているもの。
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