河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2148- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.4

2016-07-04 23:52:38 | コンサート

2016年7月4日(月) 7:15pm サントリー

マーラー 交響曲第8番変ホ長調  23′ 59′ 
(no intermission)

(in order of voice’s appearance at part Ⅱ closing scene from Goethe’s Faust)
1.法悦の教父、ミヒャエル・ナジ(Br)
2.瞑想の教父、シェンヤン(Bs)
3.マリア崇拝の博士、サイモン・オニール(T)
4.罪深き女、エミリー・マギー (S)
5.0.サマリアの女、合唱ソロアルト、加納悦子(A)
6.エジプトのマリア、中島郁子(Ms)
7.贖罪の女、ユリアーネ・バンゼ(S)
8.栄光の聖母、市原愛 (S)

栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


この日がミュージック・パートナーとしての最終公演。マーラー8番の3連発千秋楽です。
1回目、2回目は以下。

2145- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.1

2146- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.2

リストのファウスト・シンフォニーを聴いているとだんだんと主要主題が1個しかないと思えてくるのだが、このマーラーの8番も同じ実感。ファウストの出番はこんな感じなのかしら。特に2部はその様相が濃い。
今回、8番を続けざまに3回も聴いて、これは合唱とソロの曲とあらためて実感しました。大げさなストリングやブラス、ウィンド、パーカッションの鳴りでは全くなくて、声の曲と再認識。編成や位置関係については最初に聴いたときのブログに書きました。今日の3回目はホールがトリフォニーからサントリーに変わりました。自席は双方1階センターあたりですが、大きな違いはサントリーでは合唱が角度のあるP席に陣取るということですね。声の通り具合がかなり違う。トリフォニーが悪いというわけでなくて、サントリーのP席から聴こえてくる声と言うものは圧倒的な圧力で、ソリストの声も非常に明晰。オケ、合唱、ソロ、音量バランスがホールでだいぶ異なる。サントリーは声に関して圧倒的に表現力をつかみ取ることができる。
オーケストラはトリフォニーの時のようにフラットな位置ではなく、後方に行くにつれてひな壇が2段目3段目とある。16型概ね4管(ホルン8)で、合唱はP席に上がるので、トリフォニーよりは余裕のポジショニングでした。
といった感じで、
相応なでかい編成と言うより弱音に終始した色のパレットがあまり無い2部の頭からの長いアダージェの1個メロディーの単調さを先に感じてしまうのだが、ハーディング棒は今日もさえわたり、合唱が出る前の25分ほどの長い長いシーン描写が緊張感に満ち溢れ、荒涼たる地帯が心象風景のようなおもむきとなってじわじわと。
1個メロディーの濃度。絶妙なハーモニー・バランスや微妙な味付けニュアンスで聴かせてくれる。濃い演奏でした。
法悦さん瞑想さんはトリフォニーの時と同じ動きの移動、間近で柔らかでクリアな声で魅了されました。バリトンとバスの区別は明確にはないような気もしました。ここでの合唱はまだ、ポツポツと語りかけるようなものですね。
このアダージョ聴きごたえありました。ブラスに徐々にマーラー的なねばりっけが出始めます。これもいいもんです。

この後、10分ほどスケルツォ的な動き。天使、児童の合唱、そしてマリア博士オニールの斉唱。このからみは、もう、圧倒的。さえる合唱、上を向き、前を向き歌うオニールの声はヘルデンテノールの極みで細くビロードのような滑らかさで黒光りする。全くぶれない余裕の斉唱。美しいほれぼれする声です。この役どころにふさわしい。
ハーディングは合唱をコントロールしている感じは無くて、練習の成果を思う存分出させているような具合ですね。始終、口を開けて一緒になって歌いながらの指揮で、こうゆうことがそうさせているのかもしれない。合唱とオケ、あまり区別無く、一つの生命体のようになっている。まとまり、前進、といった指揮ぶりですね。曲がますます一つとなり、ハーディングの棒もさらにさえわたる。ここらたりまでくると、終わってほしくないという思いが強くなってきます。そして、罪、サマリア、エジプト、懺悔。ソプラノ、アルトが次々に独唱、女声陣は最高峰のマギー、そして全員バランスのよく取れたもので、うなる、この満足感。

スケルツォがおさまった後のアダージェシモの第1ヴァイオリンによるこれぞマーラーの泣き節の極み、ハーディング棒は特別な思い入れはあるようには見えないが、一瞬感情を排したというよりもそのような余計な感情系のことを忘れさせてくれる、自然に湧き出てくるような情感、これが今風な表現なのかもしれない。効きました。

マギー、オニール、ソリスト陣、合唱、圧倒的な鳴りが波となって伝わってきました。オーケストラは騒ぎ立てない品のあるもので、ハーディング棒ここに極まれりと、これで去るのは惜しいが、この別れも曲同様ひたすら前向きにファイナル・フィニッシュ!
今秋のハーディング&パリ管を待とう、と。
ありがとうハーディング。
最後、花束をもらいマイク・パフォーマンス、そして指揮台からスマフォ撮り。自分の席も近いので写ったかと。まぁ、いつか、みれるかもしれない。
おわり


おまけ、
トリフォニーでは両日ともフライングなくきれいな響きを堪能できました。サントリーでは、ハーディングが作り上げた90分を、意識された、故意による、壊滅状態にさせる、フライングブラボーにより、場がシラケてしまいました、残念です。
このてのマリグナント・チューマーはだいたい2階の奥。千円ブラボーの席に棲息。この心理的な解明は割と簡単かもしれない。
今回のGM8フライングを教訓に、叫んだやまいびとの顔を隠し撮りして、次回用にウォンテッドのプリントアウトを洋酒館に貼る、という奇策もありかと考えます。